初等学部の理事長で、幼稚園の園長でもある港先生の熱い想い

2014年1月の記事一覧

小保方さんってすごい!

ⅰPS細胞を作り出した山中教授に続いて新型万能細胞STAPが理研の小保方晴子さんから発表された。30歳の女性と聞いて、二度驚きだ。現代のキューリー夫人のような気がする。英国の科学雑誌に投稿して、生物科学を愚弄するものだと一蹴されたときは、一晩中泣き明かしたという。今彼女にそう言った学者はかなりの負い目と羞恥心で己の心に恥じ入っているに違いない。すごい人がいるものだ。

実験に実験を重ねて、今日駄目だったらもうやめようとか、明日一日経って見て駄目だったらと、悔し涙と共に何度も眠れない日があったと言っていた。そうして5年の歳月が流れたと。あきらめることに成功はないと、あきらめには明日はないということを子ども達に話してきたが、今回のニュースは子どもたちへの良い知らせになる。

何かをなすことは大変なことだ。誰もが分かっている。しかしそれを確かに継続し、どこかで歯ぎしりをしてでもやり通さなければならないことがある。それができるかどうかで人の価値が変わる。忍耐力のない、すぐにあきらめてしまうような人間に育ててしまってはならない。そんなことは分かっているだろうが、ではどうしてそのような子が育ってしまうのか。しっかりとした目標を持てないからだ。

大人に従順な子でなくてもいい。多少言うことを聞かなくてもかまわない。しかし自分の良心と希望には従順に従うべきだ。目標に向かってまっしぐらに進んでいく子どもに育てたい。

フィンランドの学校

フィンランドの学校建築についての講演会が文科省の第一講堂で開かれた。主催は国立教育政策研究所である。誘いのダイレクトメールが来たので興味があったので参加してきた。フィンランドと言えばOECDで調査している、15歳の学習到達度(PISA)でいつも上位にある国である。そんなこともあって教育内容なども聞けるのではないかと思って期待を胸に参加してきたのだが、結果的にはフィンランドの総合学校〈小中学校〉における校舎の工夫が主となっていた。日本からは富山県にある小中連携の学校建築が紹介された。

フィンランドは1年の半分が冬で、夜が長いという大きなハンデがあるにもかかわらず、そこでの教育の質の高さはどんなところにあるのだろうかと、ますます興味がわいてきた。まず国民に平等の教育機会を与えるということが大前提にあるということは魅力だ。誰でも高校へ行けるし大学へもいける。それはすべて無償である。国がすべて面倒をみるのだ。大学入試は高校卒業試験を充てる。

総合教育学校(日本の義務教育にあたる)ではテストがない。生徒の学習到達度は担任の教師が分かっているはずだから、通知表みたいなものに克明に記述される。日本の学校にはテストがないという学校がない。全国統一テストや期末中間テストなるものもない。テストの結果によっては自信を深める子どももいるだろうが、その反対もある。フィンランドのようにテストがなくても、やる気を起こして頑張れる子どもはどうすれば育つのだろうか。

できないことはない。しかし私学では成り立たないことが多い。まず保護者がそのような学校を選ぶだろうか。子ども達にもっと自由な時間を与えて、自然の事象に自ら考え、それをしっかりとサポートできる教師を養成すること。毎日の授業に生き生きと参加することができれば、能力は必ず伸びる。ひとクラスの定員を、少なくとも15人以下にしてきめ細かな指導ができること。この部分だけは何の努力もせずに達成できているが、私学では大変だろう。

餅を焼いた

昨年の餅つき大会で大量ののし餅を作ってくれたので、その餅を小さな四角に切って、子ども達の口にちょうど良くしたものを炭火で焼いた。あおば台は山の前で、第二は倉庫の前で焼いた。どちらの園も炭おこしが上手で、私が園に行って焼き始めようと思った時には真っ赤に燃えていて熱くて近寄れないほどであった。ジョイフルで購入したアウトドア用のコンロであるが、その中で燃え盛る炭を均等にならして焼き始めた。

焼いた餅を醤油につけてのりでまいたものを、クラスの数だけそろうと担任が子ども達の先頭にいて、座るところを探して着座すると、皆がそろって『いただきま~す』と言っておいしそうにほおばる。皆とても行儀が良いのには驚いた。こんな時は『しっかりやらなければ』という気持ちが前面に表れてくるようだ。『先生!』『家でもおもちを焼いて食べたけれども園長先生の焼いたお餅は超おいしい』と、涙が出るようなおほめの言葉も頂いた。

次々と焼きあがってくるお餅がトレイの中に並べられるが、それが自分のところへは来ないということが理解できると、何だかんだとお世辞を並べていた子はどこへやら姿を消してしまった。子ども達の他愛のない言葉や、ありったけの賛辞を並べてくれる優しさに、しばし恍惚としていたけれども、ふと次の餅焼はいつにしようかと考える。お雑煮にして食べようかとも考えた。

初等学部でも同じようなことをしたけれども、アウトドアで炭火焼ではなくて、職員室で石油ストーヴを囲んで、私一人がちまちまと餅焼をする。ストーヴも正面に長いこと座っていると、腿のあたりが火傷しそうになる。ぐっとこらえながら焼きあがった餅を大きなお皿に乗せて、クラスごとに配達をする。まるで子ども達のサーヴァントだ。サプライズだからクラスのドアを開けた時から子ども達の歓びの歓喜に満ちた顔が飛び込んでくる。子ども達と一緒にいる歓びの一瞬である。これがたまらない!。

普天間飛行場

世界の飛行場の中でも最も危険な飛行場として名高い。私は沖縄には4回ほど行ったことがあるが、そのうちの2回は宜野湾市に行って、普天間飛行場を見学させて頂いた。近くに小学校や病院があって、一時も早く移設を願っていたのは他でもない沖縄県民でなかったのか。名護市の市長が移設反対派の市長が当選したからと言って、国の計画や県の計画が白紙になるとは考えにくいが、マスコミがこぞって国に反対の手をあげているようだ。

国民投票でそうなったのなら頷けないこともないけれど、たかだか2万票ぐらいの事で国の方向が変えられるとしたら、それこそ独裁政治ではないか。名護市も独善的で、普天間飛行場近隣の危険な状況を何とか回避してあげようという気はないようだ。そもそもあそこに軍の飛行場があること自体がけしからんという気持ちもわからないことではない。が、日本は戦争に負けたのだ。沖縄県民も日本人ではないか。

先の大戦で負けたおかげで沖縄は占領され、返還されたのは佐藤総理の時で、その時のニュースは、日本国中変換一色に染まっていたからまだ記憶にある。沖縄県民は地上戦もあったし、本土よりは言葉に言い尽くせぬような辛く悲しい思いをしたということは理解している。本土にいる人だって、多くの肉親を亡くしたし、その苦しさは比べられるようなものでもなかろう。戦争が悪いんだ。もういい加減に怨讐を超えて、あの危険な飛行場を回避してほしいものである。

過去の戦争は誤ったものであるけれども、誰かれの責任を問えるものではあるまい。戦争に負けたのは私たちの責任ではないし、靖国神社参拝に反対する理由もない。むしろ他国からいちいち干渉される問題ではない。日本人として誇りを持って強く生きていく以外にどのような生き方があるのか。韓国や中国は安重根の記念碑を建てて、日本国民を卑屈ならしめようとしている。昔の事だったらすぐにでも戦争だろう。

歴史認識のないのは彼らだ。伊藤博文は当時世界でも最貧国だった韓国を併合すれば、日本国が疲弊すると言って最後まで併合することに反対であった。異論百出したが、併合した上で、わざわざ朝鮮人民と日本国民は同等であるというおふれまで添付した。お陰で今の韓国は清国やロシアの進駐を防ぐことができた。反対した伊藤博文が朝鮮総統に赴任したことが皮肉だ。日本国民として一番大切なことは、決して卑屈になってはならないということだ。

サバイバル

幼稚園二園の年長さんと初等学部の児童とでサバイバルを行った。10時40分には初等学部の校庭に全員が集合し、まずは対面式を行い、初等学部の児童と幼稚園の園児3~4名で一つのパーティを組み、そのパーティを初等学部の児童が責任を持って遂行するという形で行った。ぽちゃぽちゃ顔の1~2年生も今日の顔は少し力が入った。

コース作りは学校の周囲を回るという案もあったが、陸の孤島のような僻地であってもたまには車も通るので、幼稚園の子ども達と一緒では危険が増加するという心配もあり、校内に作ることにした。手作りの大型滑り台の前から、講堂の裏を通り理科室の前を抜けて、大きな山の山登りをし山を下る。オアシスの前を通りUターンをし、くじら川の橋を渡り、駐車場の前を通り馬小屋の前を通って元のスタートの位置までを1周とした。その距離800メートルを3周する。

幼稚園の子たちは力いっぱい走ることができるが、初等学部高学年児童は幼稚園の子たちを心配しながら走らなければならないので、少し欲求不満が残ったかもしれない。けれどもそんな素振りも言葉も出さずに、食事が終わるまで幼稚園の子どもたちの面倒を見てくれた。食事の熱いうどんを食べる時も、幼稚園の子ども達に先を譲ってくれたし、おつゆを入れるときにも心配そうな顔をしながら見守っていてくれた。幼稚園の子は最後まで伸び伸びと遊ぶことができたし、初等学部の児童の優しさがずいぶんと引きたった一日だった。

最後にこれは書かなくてはなるまい。幼稚園の子が座りこんでしまって、先に進めなくなってしまったが、初等学部の子は先に進むことよりも、懸命にその子の状態の状況判断をしようとしていて、無理に立たせようとせずにずっと待っていた。もう他の子たちは2週目を終わろうとしているときである。私はその子をうっとりとして見ていた。このような子たちに囲まれて育ったら、心の優しい立派な子に育つことは間違いない。