初等学部の理事長で、幼稚園の園長でもある港先生の熱い想い

夢と希望

およそ教育の中で「子ども達に何を与えるのか」と問われれば、夢と希望だろう。しかも現実化する、それに近づいているという自覚を持たせるということだろう。多くの知識を得ることもそこへ向かっているというようなことを意識させる、一つの手段だ。その道程を視覚化できるような教育が大切だ。

 

又そのようなことを認知できるような脳の組織を作っていかなければならない。その仕組みを作っていくのが簡単な言葉で言えば「冒険」である。冒険の先にあるのは、まだ見たことのない世界であったり、そこから生み出される想像の世界は、夢を醸造する。だから幼児期や、少年期は重要な成長期なのだ。

 

ただ知識を詰め込むだけではダメだ。その知識をやがて何に使うのかという意識付けと、それに伴う、今、教育心理の中で最もはやっている内発的動機付けや外発的動機付けをサポートする。この考え方を徹底させるつもりでいる。教師も共にターザンにならなければならない。忘れていた愉快な少年の日々を思い出していただこう。

 

1ヶ月前になるだろうか、筑波大教授の櫻井茂男氏から先生の著書「自ら学ぶ意欲の心理学」の本が贈られてきた。タイムリーにもその本の副題が「主体的な学びとは」である。櫻井先生は有能感や動機付けに関する研究では日本では第一人者である。このような先生のそばにいられたことに感謝である。そのような櫻井先生の全面的な支援を得ているにもかかわらず、イマイチぱっとしない私の感性。

 

私を特訓してくれた久保田浩先生(白梅大学名誉教授)は、戦後教科書に墨塗りを経験した、今では数少ない小学校の教師である。「勉強どころじゃないんだよ・・。飯が食えねーから学校の空き地に畑をこしらえて、野菜のできるのを楽しみにしているんだよ」「しばらく学校へ来ないので、どうしたのかと見に行ったら、よその家の子どもの守をしている」「しかしみんないい目をしていたなー」「キラキラとこう輝いていて・・・」そう言って、目を輝かせていたのは、久保田先生その人でした。

 

先生は決していい暮らしをしているわけではない。着ている物は失礼ながらいつでもよれよれで粗末なもの。しかし子どもの話しをしだすと、生き生きとして年齢を感じさせない。そういえば久保田先生に私の幼稚園の講演をお願いした時、昨年亡くなった杉原先生も来て下さって、熱心にメモを取っていたことを思い出します。素晴らしい人間は、初対面であっても互いに認め合っているものなんだと感じた。久保田先生も既に92を過ぎた。

 

 久保田先生は、私の中では宮沢賢治や倉橋惣三がダブって見える。すごい先生だ。居ながらにして子ども達に夢と希望を与えてしまう。そう思うと、教師なるものは技術のみではない。決してない。そんな教師になってみたいものだ。倉橋惣三の「生活を生活から生活へ」の中にあるのではないかと密かに思っている。関係各位と共にこれを実現していきましょう。