初等学部の理事長で、幼稚園の園長でもある港先生の熱い想い

幼稚園の先生

昨日は14時から幼稚園の夏の研修の報告会と、それに伴う研修を行った。1年生の保育者からも活発な意見や感想が聞かれたので、よく育っているなという感じがした。幼稚園の保育者と保護者の距離は子どもを通して非常に近いところにあるから、互いに理解しやすいし、信頼を醸成していくことが案外容易にできる気がする。また幼児教育に関して理解しようとする保護者が多いということも幼稚園運営に関して容易にならしめている。親父クラブの活動にしても、かゆい所に手が届くような気の利いたものである。保護者と幼稚園が一体となって同じ方向を見ているようだ。

何年か前だか忘れてしまったけれど、はじめて保育者になってあおば台に務めた女性が年少の受け持ちになって、慣れないこともあってしょっちゅうへまをしていた。保護者からも聞えよがしに私のところへ苦情が入ってくる。勿論担任の保育者に直接小言を言わないで、主任に苦情が寄せられていた。主任から私のところへ保護者の苦情が伝わってくるのだが、そのようなことは私は殆ど無視していた。そんなときにある保護者から保育者にダイレクトに手紙が届いた。内容は『私もお母さん1年生です。先生よろしくお願いいたします』というものでとても短い文章だった。彼女はその手紙を何度も何度も読み返し、握りしめたまま保育室をしばらく出て来なかったが、目を真っ赤にはらしながら職員室にやってきた。そしてその手紙を私に渡すと『わーっ!』と泣き崩れてしまった。思いつめていたものを一気に吐き出したようだった。

大卒でも社会人1年生なんていうものは、人生見習いの初歩の初歩である。社会人を何年も経験した者が高い目線で見ていたら、初歩の一歩が踏み出せないだろう。1年生に寛容なのは当たり前のことで、近くにいる大人が当然とらなければならない態度である。社会人1年生というのは感性も豊かで敏感でもある。だから自分がどのように見られているのかを、すでに見抜いている。大人が子ども時代があったということを忘れてしまっているように、また初めて世の中に出て不安でいっぱいだった自分を忘れてしまっていることがままある。わが子には寛容で優しいけれど、他人には厳しく寛容にはなれないということだろうか。それでは人は育たないのではないでしょうか。

それでその保育者はどうなったのかというと、保護者にも子どもにも好かれる素晴らしく明るい立派な保育者になった。それはそれとして、学校に来る時には多くの田んぼを通って来る。どの田んぼの稲穂も重く頭を垂れているけれど、学校の近くへ来て我が校の田んぼを見ると、まだ稲穂がはっきりと見えない。茎が丈夫そうにまっすぐに伸びている。茎が黄色く変色している田んぼもあるのに、1カ月も遅く田植えをしたのだからと言い聞かせても、やはり気になる我が家の田んぼだ。雨が降ると田んぼの水を気にしなくてもよいので、雨はありがたい。

1年生と6年生の作文を読ませていただいた。ともに二人ずつで、女性の作文だ。鋭い感性と、文の構成力に優れている。文節もすっきりしていて、読むのにつっかえたりしない。素晴らしい能力だ。大切に育んでいってほしいものだ。大人になったらどんな文章を書くのだろうか、今からが楽しみである。