初等学部の理事長で、幼稚園の園長でもある港先生の熱い想い

幼稚園はできたけど

幼稚園はできたけどその理念は何もない。園長はやとわれ園長で、その人がどうにか維持してくれていた。私は理事長職でめったなことがなければ幼稚園に顔を出すこともない。むしろ私のような者が幼稚園をやっているということに羞恥心を持っていた。だから行事があるたびに呼び出されたりするけれども、恥ずかしくてなるべく保護者と顔を合わせることがないように隠れていたものだ。素人が大切なお子様を預かるようなことはダメだと自分を許せなかったのだ。

幼稚園は年寄りの大人でしかも女性がやるものだというような先入観があった。結婚してから女房が幼児教育の本を沢山買い集めて私に読んでみたらどうだと勧めてくるようになった。園でも保育者たちが園外研修を私に勧めるようになってきたし、どうしても動かざるを得なくなってとうとう園外研修へ出てみることにした。これも全くの部外者であるけれども、他の者たちは私を部外者だと思ってはいないことが恥ずかしくて苦しかった。

回を重ねるごとに「この仕事は有意義なことで、だれかに任せればよいというような安易に考えられるようなものではない」というように考え方が変わっていった。こうなれば観念して、どうせやるなら日本一の幼稚園にしてみようというような大それた考えを持つようになって、以前お世話になったことがある筑波大学の杉原先生の部屋を訪ねたことから『幼児心理学研究会』を立ち上げていただいて猛勉強を始めた。やはり職人になるには現場が一番であるけれども、幼児教育を修めようとするには確かな原論を学ばなければならない、というのがふと感じたことであったからだ。保育現場では、久保田浩先生とその仲間たちという素晴らしい保育者を得て、私のそばには最高の師がいた。あとは私の「やる気」にかかっている。

久保田浩先生も杉原一昭先生も亡くなられてしまったけれど、大学の幼心研は26年間続けて、久保田先生が長らく所長を続けていらした『幼年教育研究会』は今も続けている。特に学生と一緒に学んだ幼心研での発達心理は、杉原先生の得意とするピアジェやエリクソン、教育学のデューイを幾度となく登場させてお話をされていて、それが小学校を始めるための文献を選ぶのに非常に役立った。しかも久保田先生の三層構造論がデューイからのものであったことが、小学校を始めてやっと気がつかせていただいた。

私が小学校を始めたのは、卒園式に子ども達が泣きわめいて『園長先生!小学校を創って下さい!』と情に訴えられたのがきっかけで、安易に『よしわかった』と応えてしまったことから始まった。子ども達に志を伝えるものとしては、だれと約束しようが、約束は必ず成就させなければならないのが使命である。しかし小中学校は約束したけれども、高校までは約束していない。校長になることも約束はしていなかったけれども、幼児教育をやってきた者として、小学校教員たちとあまりにも子どもを観る目が違うことに驚いて、自分が校長を引き受けただけのものだ。だから久保田先生の三層構造論が幼児教育にも義務教育にも当てはまるものだということも発見できた。

明日は正月だこの辺で野暮はやめよう。素晴らしい新年をお迎えください。また来年も親しくお付き合いください。この後のことは1月2日以降に書きます。1年1年を一生懸命生きていきます。