初等学部の理事長で、幼稚園の園長でもある港先生の熱い想い

ひたち海浜公園遠足

学校の子どもたち全員で楽しもうということで近くの海浜公園に行くことにした。大型バス1台で教員を含めて全員で行くことができる。片道1時間ぐらいだからちょうどよいところにある。普段から子どもたちが一生懸命生活をしているので、今日はみんなにご褒美と言う形で行くことにした。1100円分の乗り物チケットを配られたので、子どもたちと一緒に乗り物を楽しむことにしたのだが、子どもたちは『わーわーキャーキャー』と奇声を上げて楽しんでいるようだが、何が楽しくてあのような奇声が飛び出すのか、じっくり考えてみた。何のことはない危険を楽しんでいるのだ。危険ほど楽しいことはない。

危険と言うことだけで片付けてはならないが、、彼らにとってはこの乗り物に乗って見ようと決断するときには、少なからず楽しいと言うことだけでは決断はしない。未知への冒険的要素があるはずだ。『親の意見となすびの花は千に一つの無駄もない』と言う諺があるけれども、子どもたちの遊びにもそれが言えるような気がする。幼稚園の子どもたちの砂遊びや泥遊びにしても一心不乱に集中して遊んでいるけれど、言葉に出してまとめ上げることはできないけれども、かなり多くの気付きがあったりしているのだろうなと思う。

それと同じように子どもたちが夢中になるものには、それなりに得るものが沢山あるのではないか。抽象的な感じ方かもしれないけれども、やがてそれらが具現化されて論文発表なんてことになる礎になっているのが子どもの遊びなんだろうと確信を持って言える。だいたい偉大な発見や発明などと言うのは、ひょんなことから、普段の人では通り過ぎて行ってしまうような事柄から奇跡的なことが生まれている。だから遊びを深める子ども(集中する)は洞察力が鋭いので将来有望である。

子どもと一緒に遊ぶのはとても疲れる。ついその気になってしまって、足腰にすぐ張りがきてしまう。若くはないのは分かっているけれども、今日の遊びの種類の中に65歳以上の方は乗れませんと言うのが何台かあって、もっとも65歳以下であっても乗る気になれないものであったけれども、少しずつ一般社会から特別扱いされるような年齢になってしまった。覚悟はしていたけれど、もう戻れない。子どもたちと一緒にいられる毎日の生活があるというのが、私の誇れる唯一のものだ。