初等学部の理事長で、幼稚園の園長でもある港先生の熱い想い

excitingfestivalつづき

落語があった。2年生の女児と5年生の男児である。どちらも10分ぐらいの話であったが、詰まることもなく台詞を間違えることや忘れるということもなく、最 後まで堂々とやり終えた。何という才能だろうか!。観衆を目の前にしても上がることもなく緊張しているようにも見えない。演じ切った後の顔を見てみると、 場馴れしているわけでもないのに、清々しく涼しい顔をしている。何とも頼もしい子よ。プライマリーの子たちの劇は、基本の筋道の上に何とすべてアドリブ だったという。

小学校に新しく入学してきたときには『可愛い可愛い』で過ごして、何年かすると『うちの子いったいどうなってしまうのだろ うか』と心配になってくる。それはなぜなのだろうか。よその子と比べて何かが劣っていると思うようになってきて、それは何かといつも考えて子供も親も苦し くなってくる。そんなことは分かっている。学業の成績のことなんだろう。学業というのは実に範囲が広いもので、主に教科書の中身をどれだけ理解しているか ということのみに執着している。人間力なんていうものはそれだけではあるまい。

社会人としてのスキルを磨くことが学校教育であって、社会 に通用しない人を何人も卒業させてもほぼ意味はない。スキルというのは、年齢とともにスキルが新しいスキルを生み磨きをかけていく。幼少期は特に感じる力 を育てることに尽きるのではないか。学習の内容でも、ただ暗記をして詰め込んでもあまり意味はないだろう。算数でも補助線をどこに引けばよいのかとか、国 語の文章についても何を感じたのか、歴史を学ぶのでも年号と出来事だけでは歴史を学んだとはいえない。

感じる力、そのような学習が一番だ と思っている。それに賛同して頂けたら、青葉台の教育は素晴らしいではないか。土曜日のフェスティバルをご覧になられた方は、『うちの子には何が足りない のだろうか』などと馬鹿なことは考えないだろう。だれよりも『うちの子は輝いている』と感じたはずだ。落語をやった男子に『落語家に弟子入りしたらどう だ』と言ったら『ぜひお願いします』と言われた。さてどうする?。度胸も頭もよし、私はなれると思う。