初等学部の理事長で、幼稚園の園長でもある港先生の熱い想い

タリバンに撃たれた少女

教育のために立ち上がり、タリバンに撃たれた少女『わたしはマララ』という本を読んだ。彼女はパキスタンの北部にあるスワート渓谷で生まれ育った。父は教師だが母親はほとんど教育を受けていないという。男尊女卑が根強く残っていて、今でも女性は家事の仕事と子育てだけでよい。教育を受けるなんてもってのほかであるという風潮がある。スワートという地域はタリバンの支配地域にあり、イスラム原理主義による宗教支配が強いところでもある。

マララは父親に『女の子が勉強してはいけないと、コーランのどこに書いてあるの?』と何度か聞くたびに父親は、『コーランのどこにも書いてないよ』『勉強したい子はいくらでもしてもいいんだよ』と優しく答えていた。しかしタリバンの放送では、相変わらず女の子は学校へ行ってはいけない、学校へ行くようなことがあればその学校を爆破するという脅迫が続いている。身の危険を感じた周囲の人たちが、父親にマララを学校へ行かないように忠告するが、それどころかマララは地域の放送局へ行って『女の子にも教育を!』と訴え続ける。

そんなことをするものだからタリバンにも挑戦的であるように映り、名指しで脅迫を受けるようになる。スワートの住民は、マララが狙われるというより父親が狙われているとだれもが思っていた。ところがある日いつものように帰りのスクールバスに乗り込む。白のトヨタのダイナでワンボックスカーであるが、これに20人も乗るからこれ以上は乗れないというくらいすし詰めだ。後ろにはドアがないというから危険極まりない車だ。そのドアのない後ろからある男が乗り込んできた。その男は『マララは誰だ!』と言って手に持った拳銃から3発撃った。

マララ15歳であった。そのことによってマララは瀕死の重傷を負ったが、奇跡的に助かった。そして回復した後に彼女は国連で演説をした。その演説の内容が最後の何ページかに収められているので、それを4年生以上の各クラスへいって読んであげた。4年生以上でないと理解できないだろうとの思いからである。彼女が地域の放送局の電波を使って『女の子にも学校へ行かせてください!』と訴えたのは13歳ぐらいのときだから、それほどみんなと歳は変わらない。

私がこの本を読んであげた時の感想は、各クラス様々であるけれど、『女の子なのに偉い』というのがあった。何故女の子なのにという言葉が出てくるのか。勿論男児のことばであるけれども、無意識のうちに女の子と男の子は違うというのがある。意外と家庭教育の中にはびこっているのかもしれないが、このようにジェンダ意識というのは根が深いものがある。世界の国には私たちが通常考えられないことが平然と行われている。私たちは現状の幸せを認識して、たくさん学び不幸な人たちに少しでも手を差し伸べることができたらいいね。ということを伝えたかった。