初等学部の理事長で、幼稚園の園長でもある港先生の熱い想い

アオバオーが亡くなった

この学校が建設された年からずっと見守っていてくれたのがアオバオーだ。この名前の名付け親は第1回卒業生の男子である。
   
亡くなったという一報が入ったのは朝6時で、運転手さんが発見してくれた。
     
近所のおばあちゃんからも花が届いたり、在園児の保護者やお坊さんもお経をあげてくれた。
     
横になっているアオバオー。目のところはタオルで覆っている。子どもたちから多くのメッセージがある。急きょ竹を切って作った花挿しも心なしかうつむき加減である。
     
西門のところの塀の工事をしているのは齊藤建設で、偶然だけれどもその社長さんは私の後輩でアオバオーを寄付して下さった方だ。その会社の人たちがとても親切にアオバオーを小屋から出してくれて、お墓をほってくれて埋設までして戴いた。アオバオーは幸せだったろう。
     
ポックンも最後の見送りに参加してくれて、仲間がいなくなったことを感じているようだった。
     
最後のお別れに小さな手を一杯に開いて土を握ってお墓に入れていた。子どもたちはアオバオーがいてくれて楽しかった。天国へ行っても忘れないでねとか、今度は人間に生まれてきて一緒に遊ぼうとか言っていた。今日はこの後卒業生がたくさん来るようだ。勉強ばかりしていたような子のように思っていたけれど、優しさが前面に出てきたので嬉しい。