初等学部の理事長で、幼稚園の園長でもある港先生の熱い想い

リヤカー祭り

あおば台では年長の保育参観で『リヤカー祭り』を行った。年長がリヤカーの免許を取ったので、そのお祝いみたいなものだ。以前はバスから降りてくる年中さんや年少さんをクラスの前までリヤカーで送っていくということをしていたけれど、現在では一つの活動を長々とひきづらないで、活動にメリハリをつけて行こうと言うので、一つのお祭りにして打ち上げとしている。だからと言って、まったくやめてしまうわけではなく、子ども達の中で『やりたい』という声が上がれば、リヤカーは保育者が必ず付いていることを条件に自在に利用できるようにしてある。

子ども達の成長に感極まってしまう母親の姿は見ている者の気持ちも高揚させてしまう。思い入れが一心同体であるという証拠であろうが、いつかわが子を客観的に見なくてはならない時が来る。その時こそ母親は子離れし、子どもが独立宣言をするときなのだろう。そうして一つ上の教育機関に預けるわけだけれども、大切なことは子どもたちの主体を損なわないことだ。どんなに学校の成績が良くても、人が個として独立していなければ、人間として意味がない。自分を生きなければならないのだ。

何も難しいことではない。物事に対して逃げることなく考える力さえつけば、後は主体的に生きられる。私たちが客観的に評価するのではなく、子どもたちがそれで満足しているのかどうかを探ることだ。他人には何も面白くもないのにと映ることも、本人にとっては至上の喜びだったりすることがままあるではないか。リヤカーの免許は自分を獲得するためのほんの一歩に過ぎないけれど、これがやがて大きな強いステイタスを得ることになるだろう。