初等学部の理事長で、幼稚園の園長でもある港先生の熱い想い

ブログを読む

久しぶりに友人とあって夕食を共にした。その友人というのは私のところの建設委員長で、言ってみれば私の相談役のようなもの。その人が曰く、『最近俺のブログ読んでねーだろ』全くその通りだったので、慌てて彼のブログを開けてみた。実に面白いことをたくさん書いてある。たまにハッとするような示唆を与えられるので、読むようにしていたのだが、コンスタントに書かれていないので、時々抜かしてしまうことがある。彼の文章は無駄がなく歯切れがよいので読んでいても抵抗がなく、いつの間にか引き込まれてしまうような気がする。

誰でも生きることに一生懸命だが、彼は自分のことだけではなく、常に人生というものを他者とともに考えることのできる稀有な存在の人だ。言ってみれば、人生における己の美学というものを会話の中にちりばめてくるから、何を考えているのかがよく解る。頭脳明晰でもそのような素振りはみじんにも見せない。子煩悩で女房想いである。医者のことをかいているけれども、よく書いてあるのは私のよく知っている医者であって、あまりピンとこない書き方をしているのは、私は全く知らない医者である。私に気を使っているわけではあるまいが。

あおば台幼稚園の玄関には、毎年のことだけれども燕の巣があって、そこに小さな子どもが4羽ぐらい育っている。親鳥が巣のところへ餌を運んでくると、黄色いくちばしを一斉にピーピーと泣いて顔いっぱいに口をあけて餌をおねだりしている。ピーピーピーと全くにぎやかだけれども、その上をふと頭を持ち上げてみてみると、ベランダの手摺のところでピーピーピート園児たちが連なって私の名を読んでいる。このコントラストがなんとも愉快であった。子どもたちの心の中も、燕の子どもの心も何か似ているような気がした。