初等学部の理事長で、幼稚園の園長でもある港先生の熱い想い

職業体験

職業体験として6年生があおば台第二幼稚園へいって来た。年中と年少に分かれてクラスへ入って言ったけれど、その対応の仕方は授業に対するアタックと同じである。子どもの中へ積極的に入っていこうとする姿勢と、ちょっと尻込みしてしまう子がいる。幼稚園児の中に飛び込んで一日を過ごすということは大変なことである。まず最初に一緒に遊んでもらえるかという難関を突破しなければならない。幼児は自分から合わせてということはしないから、自分にあった人しか選ぶことはしないので、そこで品定めをされてしまう。私に子どもたちが集まって来るというのは、私が園長という立場にあるということを子どもたちが周知しているからであって、魔法使いのように子どもたちを引き寄せる術を持っているわけではない。

ロケット滑り台の上から何度か滑り落ちて楽しんでいた子もいたけれど、久しぶりに幼児期に戻って遊ぶことができたであろう。とてもいい顔をしていた。食事も園児と一緒にしたようだったので、子どもたちとの話もきっと弾んだろうなと思う。帰りに職員室へきて、幼稚園の主任の先生と私の前で、今日一日の感想を個々に述べていたけれども、堂々と自分の感じていたことを話していて、幼稚園の先生も「着眼点がいい」と感心してくれていた。ちゃんとメモをとっていて、すらすらと応える姿勢にも驚いていた。良く校外学習で行っていることだが、習慣化されているのがよい。褒められると私もうれしい。

このところ西郷と勝海舟の話をしているけれど、まず本当に二人っきりで行ったとすれば、その時の心境はどうだったのか。それと西郷の方がかなり優勢であったのに、二人っきりで行う理由が何処にあるのだろうか。また二人の話の起承転結には、私たちが学ばなければならないという、知識を理解して応用するという三つの学習の方法の他に、ロジカルシンキングとかクリティカルシンキングとかクリエイティブシンキングとかの手法が全て包括されているのではないかと思っている。だから学ぶということではなく、生き方とか感じ方でそういったことが身についてしまうのではないかと考えるのである。そうありたいものだ。

学校でもやるけれど、日本のあるいは世界の偉人の話は是非父親から伝えてやって欲しい者だ。14歳を超えるとあまりご両親の話をきかなくなって、友人の方が大切になって来る。それは子どもたちの全くの錯覚なのだが、友人の方が私を理解してくていると思うのもこのころだ。私を知っているということよりも、私を理解してと爆発的に叫ぶのが青春の蹉跌の入り口なのだから、理解してやってほしい。子育ては難しくない。自然体がよいのだ。