初等学部の理事長で、幼稚園の園長でもある港先生の熱い想い

田んぼ

毎日のように通る学校への通学路に借りた田んぼがある。田植え時期になると田んぼにある井戸から水をポンプアップして田植えの準備をする。トラックターは畑を耕すのに自前の物として購入した。そうでなければこんなに広い畑を維持することは困難だ。小中ともに人数が満杯であれば人海戦術でもって開拓者のように開墾して畑を整備することができるだろうけれど、仮にそんなことをしていたのでは、社会主義の国の国民のようになってしまう。学校ではなくて収容所のようで気持ちが悪い。

田植えは近所で田植え時期になると活躍するおじさんがいて、田植え機でもって600坪の田んぼに田植えをしてもらう。勿論有料である。しかしトラックターがあるので田植え以前に田んぼの代かきができるので楽である。自分たちの決めた時間にやることができて、田植え前には田んぼの中で運動会みたいなことをして泥んこになって遊ぶ。まるで幼稚園みたいだなどと言う人がいたが、幼児期から義務教育時代の子どもたちにとっては、泥んこは精神的な靄を除去するのにはとても優れた教材である。むしろ都会の子どもたちは、このような自然を得ることができないので不憫である。

田んぼの脇を通るたびに隣の田んぼと違って私の頭髪に似て隙間が目立つ。普通の田植えの時期よりも3週間ぐらい遅いので仕方がないと思いながらも、どうも気になって仕方がない。親が子の成長を願うのと同じことかなと思ったりする。しかしながら稲刈りが近づいたりするとほとんど同じ成長を遂げ、天日で乾かすうちのコメの方がおいしいだろうと思っている。稲刈りの時期になるとまたコンバインを借りなければなるまい。何かと大変だが、衣食住の『食』についての今年のテーマが『米』だから性根を据えてやらなければならない。