初等学部の理事長で、幼稚園の園長でもある港先生の熱い想い

ザリガニ釣り

ザリガニというのは戦前の日本には小さなものしかいなかったそうだ。戦後日本の食糧事情が悪くて、アメリカの兵隊さんが日本に持って来たそうだ。日本に持ち込んだエビガニをアメリカザリガニと言うらしい。そのアメリカザリガニをあおば台の保護者が2年前だったか定かではないけれど、バケツいっぱい持ってきて『子どもたちにあげてくれ』という。子どもたちにあげるのには少ないし、どうしたものか考えあぐねていたところへ私に相談があった。私は即座に『ゆでて食べよう』と提案した。しかしそのような経験のある教師がだれ一人いなかったので、賛成する者はいなかった。少しばかり孤独になったがさっさとゆでる用意をした。

そのアメリカザリガニを1・2年生を連れて釣りに行ったのだ。半世紀ぶりに釣りなどをした。しかもザリガニ釣りは、小学校低学年の時に近くの用水路やため池で、カエルを掴まえて、ちょっと残酷だが、胴体と足を引きぬいて足を餌にして釣りをしたという経験だ。糸はタコ糸で、おもりは魚釣りと同じように鉛を使った。私は魚釣りやザリガニ釣りは良くしたものだ。また霞ヶ浦では淡貝をよく取りに行った。

淡貝というのは淡水に棲む大きな黒い貝のことで、大きいのになると30cmぐらいのもある。これを佃煮にして食べるととてもおいしい。私はそういった遊びのようなものを、まったくの遊びとして捉えたことがない。ザリガニでも魚でも淡貝にしても、少しでも家族のためになるというような気持ちでいるから、何も捕れなかった時には悲嘆にくれる。

そのザリガニを子どもたちと一緒に釣りに言ったのだが、初めてだと言う子もいて子どもたちも私も興味津々である。甲高い声で気勢を上げるものだからザリガニも逃げ足が早い、それでも全員が釣り上げた。少し要領を覚えると立て続けに何匹も釣り上げる子もいる。ザリガニを触れなかった子も、背中の方から掴むことを覚えて、他人の分まで取ってあげたりしていた。最初の計画では1匹づつ持って帰るとなっていたけれども、無制限にして小さいものだけ戻して、あとは持って帰ってきた。どうするかって?。ゆでて食べようと思っている。子どもたちは絶句して言葉を失っている。生まれて初めて食べるザリガニの味はいかがかな。