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2010/09/03![]() | 早寝、早起き、朝ごはん | 固定リンク | by:塚原 みなと |
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「早寝、早起き、朝ごはん」というフレーズを、保護者のみなさんは一度は聞いたことがあるでしょう。そしてこれがいいらしいということも。実はこれがいいということには科学的な根拠があって、しかも実証済みであると言えば、少しはやってみる気になるだろう。東北大学医学部教授、川島隆太先生のお話を少し紹介しましょう。
川島先生は脳科学者としても著名である。人間の脳の働きを画像として計測する、脳機能イメージング研究に長い間従事していた。まず「早寝」は、夜10時には熟睡している状況をさす。夜10時ごろは成長ホルモンが最高に分泌する時間である。脳の仕組みは生まれてから6歳ごろまで急激に発達し、少し休んで10歳ごろからまた急激な発達をする。そして20歳ごろまで緩やかな右肩上がりになるようだ。
その後は横ばいとなって、私ぐらいの年齢になると右下がりになってくる。私個人のことを言えば、脳梗塞を瞬間でもやっているので、脳の活性化は望めない。それどころか、右下がりが急降下のような気がしてならない。幼少時期は、医学的にも発達心理でも、心身の発達期としてとても重要である。そのような時期に夜更かしなんてもってのほかである。親の都合で夜更かしさせるようなことがあっては、絶対ならない。
成長ホルモンの分泌とともに脳の発達もリンクされているのだから、早寝は大切。子どもの脳の働きを停止させるなら夜更かしを励行すればいい。「早起き」はしっかりと朝ごはんを食べるために早起きは必要である。「朝ごはん」を食べるということは、ブドウ糖の摂取である。ブドウ糖が脳を回らないと、脳の働きが鈍くなるということだから、朝ごはんはしっかりととって授業に挑むことが理想的である。中でも炭水化物を多くとることがよいとされている。
学力テスト全国一になった東北のある学校では、そこの校長曰く。何も変ったことをしている訳ではない。早く寝て、朝ごはんをしっかりと食べることを子ども達と約束した。そうだ。昔は4当5落とかいって、4時間しか寝ないで受験勉強する者が有名大学に合格できる。5時間も寝たのでは不合格であるというのが猛烈受験指導であった。しかし川島教授は言う。「それは真っ赤なウソである」「よく寝る。そうでなければ脳が受け入れを拒否する」そうだ。寝過ぎは脳が休み過ぎ。
ちなみに、偏差値を極端に上げた江戸川取手の元校長の高橋先生は、毎朝漢文の暗唱さたそうだ。小中高と4年生づつの学校を立ち上げようとして、理事会に反対されて残念ながら校長を退いた。私は幼稚園での子ども達の発達を知っているから、4・4・4というような学校には賛成はできないが、だからと言って6・3・3制がよいと思ってはいない。
今日はあおば台の年長が来て、池に入って行った。初等学部の教師が、昨日遅くまで池の水を抜いて池掃除をしてくれたらしく、池の水はとてもきれいだった。幼稚園の保育者をよく褒めることがあるが、初等学部の教師に感謝である。水を抜いて掃除をすると結構広いので時間もかかる。池の名前はオアシス。冷たい水の中で一時間ぐらい遊ぶと、次は涼しい軽井沢通りで、シートを敷いて昼食。私も一緒にお弁当を食べた。楽しかった。
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2010/09/02![]() | 新米校長奮戦記 | 固定リンク | by:塚原 みなと |
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今日は市のトップに会いに行った。普段忙しい人だから、少しの間でも空き時間があったら、こちらから押しかけていく。部屋へ通されるや否や「よー肥ったな」の第一声。「いやそんなことはありません」「いや肥った」「いやそんなことありません」「こちらからみるとまん丸だ」「いやそんなことはありません」。時間がないというのに、こんな会話で終わらせたくはない。でも彼は執拗だ「少しやせろよ」。
私のその先輩は何と20年間体重が変わってないと言っている。確かに見た目にも変わっていない。いつでも彼は青年だから、顔も変わってないような気がする。やはりそれなりの人はきちんと自己管理ができる人なんだ。まあ人柄だけでなく、そういったところについても抑制ができる素晴らしい人だ。とにかく言うがごとく行動し、行うがごとく言う人で、私が心底敬愛する人である。
自分の身辺にこのような人が存在しているというだけで私は幸せだろうと思う。彼は初等学部のことで大変心配されていて、その話になると急に真顔になる。彼の心配は児童数増えなくて小学校として継続できるのか、ということである。金銭的な俗っぽい話は一切しない。「お前が楽しくやれることが一番いい」と言ってくれた。ひとしきり子ども達の素晴らしさを話していたら、目を細めて先輩も楽しんでいた。それで私は何をしに来たのか忘れてしまった。
それとは別に今日中に書いて置かなければならないことがある。今学校では”レゴ”とか“カプラ”がはやっている。確かにこれは子ども達の創作意欲を高めるものである。ある家庭では同じようなものを子どもに買い与え、毎日のようにやっていると聞く。よくも長い時間やっているなあと、その集中力に驚いたと。そして寝るのは12時過ぎになってしまった。これは絶対にダメ。子どもは9時には寝る。10時には深い眠りにあるというのが大切なことである。
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2010/09/01![]() | もっと暑い夏 | 固定リンク | by:塚原 みなと |
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私という個人の意見は通らないということを、身をもって感じ入った時だ。それなら政治家になろうと決心した時でもあった。自民党に入って下積みをした。下積みと言うのは青年局に入り、民間人が勉強するのにとてもいい場所だ。大体青年局というのは、代議士か何かの後援会に入っていて、その多少の光を頂いてきているものが多い。私はそのような縁故がなく、単独で自民党県連で洗礼を受けた。
自民党の田中金脈に対抗するのに、なぜ自民党なのか。当時は自民党の派閥そのものが大きな党であった。その頃あった党は、自民党のほか社会党、民社党、公明党、共産党である。私にはどこへも行くような党はなかったし、野党の政策には全く興味がなかった。特に社会党は、北海道にソ連が攻め入った時にどうするのかという問いに「白旗を整然とあげる」と言い切った。そんな党は気持ちが悪い。自民党以外の党は、私の信条の接点は全くなかったのである。党内で戦いを挑むほうが分かりやすいと思っていた。
現在では二大政党を目論んで中選挙区制から、小選挙区制に選挙制度を変えたが、結局以前よりも政党の数は多い。企業献金や個人献金をなくして、金と政治の悪癖を断つために、政党助成金という制度を法律で作った。それなのに共産党を除くすべての党がこの制度を利用しながら、その他の献金を受けている。企業献金、個人献金を復活させるなら、政党助成金は不要だと思いませんか。政治家は自分たちには甘すぎるほど甘い。
小沢と、管の話をしようと思ったら大分横道へそれた。この話をしないと、なぜ私が政治に興味を持っているかが伝わらないと思ったからである。なんだか登場人物が茶番である。小沢と管の間に入って、何とか選挙をしないで話し合いで管代表に決めて、人事について小沢が口出しをしてもいいような、折衷案を持って行った。鳩山という政経社会音痴に話がまとまるわけがない。
その鳩山は最初管を支持すると言い、次には小沢に決めたという。こんなでたらめな男が日本の総理だったことに全く腹が立つ。その上、輿石という民主のミイラが参上して、トロイカプラス1ということを言い出した。旧自民党体質と、自民党を揶揄しながら何とか立ち上がった民主党のおぞましい姿だ。自民党も情けない。旧自民党体質とか、自民党的と言えば、世論がついてくるようなことに、少しなりとも憤慨したらどうだ。
今日はこの辺で。書きたいことは山ほどあるが、今は教育者だから、教育者から離れない程度に意見を述べていく。しかし戦うときにはいつでも戦う。選挙に出るということではない。立候補はしない、そんなひまもなければ勝てる気もしない。
| 13:44 | 投票する | 投票数(10) |
2010/08/31![]() | 青葉キャンプを終えた子ども達 | 固定リンク | by:塚原 みなと |
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ところでなぜ書きたくなったのか。子ども達の青葉キャンプ後の作文を読ませて頂いたが、とてもすがすがしく、文章の文節に無駄がなく、言ってみれば立派な作文である。素晴らしい感性と豊富な語彙に感嘆した。この学校には素晴らしい子がいる。HPにある、あれは大勢の中から抽出して、良い作文を掲載したのではない。あれで全員の子なのだ。人数はめちゃくちゃ少ないけれど、素質のある子どもたちだ。
私は思う。あれだけ素直にきれいな文章を自分に書けただろうか(HPを見てほしい)。どうか子どもたちの頭をなぜてやってほしい(幼稚園ではそうする)。ここにいると毎日が感動の連続だ。素晴らしい子どもに会えて幸せだ。あの子たちの感性を大切に育てていこう。
いつだったか、私が出した算数の問題の検算をしに、2年生の教室へ行った。40日も前のことだったが、子どもたちはよく覚えていて、すぐに授業に入ることができた。記憶力がよく、自分がどこで悩んでいたのかとか、ここまでやって時間がなくなったなどのことを鮮明に覚えていて、食いつきもよかった。難しそうな問題でも丁寧に説明したり、解き方の方法を教えると目を見開いて聞いている。とても気分がよかった。
| 16:57 | 投票する | 投票数(21) |
2010/08/31![]() | 夏休み最後の研修 | 固定リンク | by:塚原 みなと |
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実践記録にはなかったことで、年長の担任が、一日の活動計画をなしにして、私がかつてやった「自由の日」の再現をしてみたいと言ったことについて、少しばかり話しあった。なぜ自由の日を作って保育をしたのかということを話をして、よく現行の保育と照らし合わせができる状態でやってみるとよい。ということでそれを許可した。
「自由の日」を作って一日自由にして保育をしたのは、私も当時の保育者も「自由」なるものの意味がよく理解できていなかったからだ。当時は自由保育というものがとても新鮮な響きがあったので、ぜひその保育に挑戦しようと果敢に挑んでいったのだが、足元のところで「自由って何だっ!」で引っかかって先に進むことができなかった。暗中模索のなか試行錯誤の結果、奇抜にも「自由の日」の実験となった。
この「自由の日」には子どもたちが喜々として幼稚園にやってきた。早速仲間と一緒に食事をする場所を決め、自分たちの陣地にはシートを敷いてその近くを通るものを威嚇し陣地を守る。何をする訳でもない。たまにその場所を離れると他の仲間をからかいに行くなど、することは他愛もない。彼らにはやることがない。幼稚園に来て何をしたいのかがない。果たしてこれが「自由の日」なのか。
私はこの時初めて「自由になる」ことを知った。それは、「自分のしたいことがある」こと「それができる環境にある」こと。やりたいこと、それを実行すること。はじめてその時に「主体」が息づく。自分が自分であるという主体性は、こうして磨かれていくのだ。だから「帰りの会」の時間が重要なのだ。そしてぶつ切りの保育はだめだ。生活の連続性こそが、子どもの内発的動機づけを刺激する。それがあおば台の保育だ。
だから今、私が25年も前にやった保育を検証してみることはとてもいいことだ。そして子どもたちが、25年前の姿だったら、今までの保育は何だったのか、もう一度考え直さなければならない。あおば台も第二幼稚園も25年前の実験をやってみる。どうなるのか楽しみである。またどうなったか、その結果は保護者の皆様にも、この紙面で必ず報告する。
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| 2010/08/29 | 学校説明会 | 固定リンク | by:塚原 みなと |
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今私の挨拶が終わって、職員室に戻ってきたところ。説明会場になったところを埋め尽くすというわけにはいかなかったが、それでも一家族3名ぐらいで来るから、結構部屋の中の隙間は埋まる。何度もやっているから、話すことが似てきてしまう。それどころか、同じ人が来ているということもあるから、毎回違ったことを話さなくてはならない。結構これでも神経は使っている。
教職員それぞれに、多くの新1年生に来ていただきたいと、それこそ神経を擦り減らすような思いであろうと思う。私も内心はそうであるが、じたばたはしない。幼稚園と同じで、なるようにしかならないし、児童集めに変にへつらったり、迎合したくない。昨年あおば台からの入学者が少なくて、一部の教員に「理事長はどう考えているのか」などと言われて、断腸の思いで保護者に迎合した。教育者として末代の恥である。
自分の信念にそぐわないことをすると、それがいつまでも足かせになって、心を悩ませる。もう私はそんなことは死んでもしない。私を信じている子どもたちに、説明責任を果たせる範疇でしか行動しない。たとえば人は「そんなことを言っても、借金を払えなかったらどうするのか」というかもしれない。経済社会ではよくある会話だ。だが私は借金を払うために、初等学部を始めたわけではない。今の社会に必要で、やらなければならないと感じていることをやっているだけのことだ。
私ははじめて校長という役職に就いた。よく仲間に「大変だろうと」言われる。仕事がよくわからないから「大変だろう」と言われるのだろうと推察するが、心配ご無用である。その辺の仕事は教務主任がすべてやってくれる。それに教職員全員が助け合ってやっている。これからもたくさん勉強させてもらわなければならないことがあるが、楽しくできそうだ。
何よりもうれしいのは、在校生保護者が児童確保に、私たちと同じように喜んでくれることだ。紙面を借りて心から感謝申し上げたい。「ありがとうございます」。
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| 2010/08/29 | 思うがままに | 固定リンク | by:塚原 みなと |
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私は幼稚園35人学級について、これが決定されたときに、全日本私立幼稚園協会や文科省に抗議したことを鮮明に覚えている。なぜかと言うと、全日の役員はよくわかっていることだが、幼稚園の定員が、一律35人学級というのには無理があるということを訴えたのだ。法律にして全国に徹底を計るには、全く非常識である。これから幼稚園も30人学級に向けて協議されることだろうと思っているけれど、多分幼稚園はすぐにはならない。
表面だけのニュースで判断をしてはならない。なぜ小学校が学級定員が削減されて、幼稚園が削減されないのか。それは、小学校は全国的な少子化によって、人数が激減し、統廃合をしなければならないほど空き教室が増えている。実はこのままで推移していくと教師の数がだぶつくことが目に見えている。ところが、35人定員にすることによって逆に教員の定員が足らない状況になる。それはまさしく教員組合の身分の保全である。
本来真の教育を声高に叫ぶのであれば、幼児教育が基本であるから、子ども達の教育を真剣に考えるなら、幼児教育のほうの学級定員の削減が先だ。何よりも優先する課題だ。なぜなら小学校は35人以下の学級のほうが全体の半数以上を占めていて、その前後の人数についてはTT(team teaching)といって、複数担任で学級を賄っているのが現実だ。
幼稚園は人間の心づくりの根幹にある。幼稚園を重視しないでは日本の教育は先行きが暗い。子どもの教育を真剣に考えているポーズばかり取っていて、実は日教組の支持の確保である。保育所には組合はあるが、私立の幼稚園には組合がない。幼稚園は票にならないと思っている。こんな政治家集団で日本はよくならない。ときには真実を伝えるのに、わが身を切るくらいの意気込みが欲しいものだ。
かつて私が幼稚園の学級定数はまだまだ多い。学年別に定数を決めてほしい(保育所はそうである)ということを言ったときに、役所の答弁は、各幼稚園の裁量でやってほしいというものであった。これはどんな意味なのかというと、「そう思ったらあなたたちで勝手にやってもいいよ、でもそれにかかわる負担金(補助金)は出しませんよ」ということだ。政治家には弱いけれども私たちには高姿勢だ。だから政治家とつるむ悪い人が誕生する。これが日本社会のメカニズムだ。
現在の補助金制度がないと、100パーセント近い幼稚園が廃業になる。そのようなシステムを作ってしまったのは我々の責任もあろう。しかし本来国が国家基盤の安定のために、負担をしなければならないことを私たちが負っているという自負もある。そうではなく、商売でやっている人もいるけれど。
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| 2010/08/27 | キャンプ最終日 | 固定リンク | by:塚原 みなと |
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今日の朝食は「おにぎり定食」だそうだ。私も今から少し手伝ってくる。
私は味噌汁作りを手伝ってきた。中身は畑で採れたナス。それに昨日の流しソーメンのときにトッピングに使ったわかめである。結構おいしくできた。食事中は昨日までとは打って変わって、静かである。肉体的にも、精神的にも疲れが来ている。スポーツなどの合宿で毎日目的が明確にあるものと、学校の敷地内で食事の変化だけと比べると、目的の薄いほうが多分疲れる。
それでも、「もう何日かテントで泊まる?」と聞くと「何日でも泊まれる」と強がっている。こんな時平気でギブアップするのは男子が多いけれども、今回は発言をしなかった。二晩寝食を共にしたことで、より強い絆ができたことだろう。人と人との心のつながりのメカニズムを感覚的なものでもいいから捉えることができただろうと期待する。
さて次の私の仕事はお昼のラーメン作りである。1年生から5年生まで、昨日の流しソーメンと同じようなスタイルで行う。箸もお椀も昨日のを使う。私は流しラーメンなるものを食したことがない。お店のラーメンと同じものを作ったことがあるから、うまくゆでることはできる。ただ、水の上を流すのでどうなるのだろうか、少しばかり心配だ。1年生、今度はうまくすくえるかな。
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| 2010/08/26 | キャンプ夜の部 | 固定リンク | by:塚原 みなと |
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初等学部の昨夜のカレーの時のスプーンと、今日の流しソーメンのときの箸は、子ども達の竹細工で作ったものだ。又お椀も子どもたちが竹の節をいまく利用して作ったもので、野性味あふれる子どもたちの姿だった。ソーメンを流す近くから、順番に1年生の順に並んで箸を持って「いざ食うぞ!」という態勢である。うまく箸でつかめないと、クマがしゃけを手掴みにするような行動に出た。「おい!それはだめだ」「竹の中に手を入れるな!」と何度言ったことか。
5年生が一生懸命作ってくれた竹の箸がうまく使えないので、じれったくなってしまったのだろう。5年生は立派なものだ。最後に並んでいるから、なかなか自分のところまで回ってこなくても、じっと待っている。よく見てみると2年生だって3年生だって、1年生の傍若無人さを、あきらめの表情で見ている。全く1年生の天下だ。
それで幼稚園の研修を終わらせて、国道がめちゃくちゃ混んでいたので、7時過ぎに初等学部に到着した。そしてバーべキュウ会場へいって夕飯を頂く。焼いている肉は上物で、結構いける牛だ。柔らかくてとてもおいしかった。野菜は学校の畑で採れたものである。みんなで「おいしい」「おいしい」と食べる。「もう食べられない」と言いながら、お代りの皿を出す5年生。おなかをパンパンにして笑っている。
食事の後は、キャンプファイヤーだ。進行役が火の妖精を呼び、火の妖精が火についての口上をひとしきり言うと、いよいよ点火である。点火もなかなか凝っていて、ベンジンやらエタノールを使って火の色も4色にしての点火だ。このようにして必ず子どもたちに役が回ってくるように工夫されている。大勢になったらできないだろうと思っているでしょうが、このような理念があればできるように工夫するものだ。
歌を歌ったり、踊りを踊ったり、ゲームがあったり、物まねがあったりと楽しい時間が過ぎて行った。N教諭もなかなかのものだった。子ども達の仕草や言葉を拾っていくと、子どもたちは本当に先生たちのことを好きなんだなということが実感した。このままの子ども達の気持を大切にしていこう。先生にじゃれてすがっている子どもたちの笑顔に、全くストレスは見られない。明日からまた頑張ろう。
| 21:39 | 投票する | 投票数(22) |
| 2010/08/26 | キャンプ2日目 | 固定リンク | by:塚原 みなと |
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あの土山に何の魅力があるのだろうか。ただあるだけで、そこを駆け足で上り下りしたり、片足で登ったり、うさぎ跳びしたり本当に楽しそうなんだ。あんなこと私の視点では「ただ疲れるだけ」で意味がない。しかし彼らには重大な意味がある。肉体的な運動のみならず、「親しみ」というコミュニケーション・スキルに磨きをかけている。大人には見えにくい、子どもの世界の秩序というものが構築されていくのだ。
朝ごはんはサンドイッチにロールパンだ。私は生涯の間にこのような朝食は絶対取らないだろうと思っていた。だから今日はやめようと思っていたが、子ども達の顔を見ていたら申し訳なくなって食べることにした。「うまい」とか「まずい」とかの評価以前に、むなしくなってきた。私は、日本に生まれ、日本の文化と伝統に支えられて生きてきた、という自負心がある。この西洋かぶれの朝食には、少しばかりの抵抗を感じる。だからと言って、西洋文化を軽蔑するものでは決してない。
しかしみんなおいしそうに食べている。話の内容は、ナイトハイキング(肝試し)での出来事で、子ども達の話が目に見えるようで、とても楽しい。その中に、わき役を演じた教師が入って話を盛り上げているから、なお楽しい。教師と児童との関係はまるで兄弟のようで遠慮がない。こんなことを書くと「そうあってはならない」とお叱りになる御仁もいるだろうが、うちの場合はけじめがしっかりと双方にあるので心配はない。むしろそのような関係を構築することのほうが難しいだろう。だが彼らは自然だ。特に男子教員は子ども達の中にいても何ら見劣り?しない。
1・2年生がバスから降りてきた。昨日休んでいた1年生の二人の子が来ているかどうか確認をした。一人の子は水ぼうそうらしい。もう一人の子はマスクをして降りてきた。その子はすぐに担任を探し、休んだことの報告していた。今日は出停以外の子は全員の子がそろった。今日もまた熱くなりそうだけれども、校内では絶対に日射病は出さない。教室の中は冷房がきいているから、問題がない。外には井戸水の池があるから、熱くなったらそこに入ればいい。
報告するのを忘れていた。井戸水は汲み上げたところに滅菌機を据え付けたので、呑み水としてもなんら問題はない。シャワー室は工事の終了が10月いっぱいまでかかるというので、今年度の完成はあきらめた。図面はできているので、来年の6月頃に出来上がるようにする。今回のプール上がりのシャワーは、仮設で、工事屋さんに頼んでできたものである。まだまだ作ってあげたいものが沢山ある。
ちなみに今日の昼食は「流しそうめん」である。今男性教諭のぎこちない手さばきで、竹を切りだしている。うまくできることを祈る。何といっても、そうめんのゆで加減が命だから、私が出て行って気の済むようにやりたい。子どもたち全員から「おいしいー!」の叫びを頂にこれから会場へ行ってくる。もう一つ報告があった。5年生の子が小学校高学年の部ピアノで、地方予選、関東大会を勝ち抜き、全国大会に出場したらしい。全国だって!。すごいな~。
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