昨日の出来事

昨日、お掃除の時間の後にこんな放送をしました。

「明日、学校説明会があります。そのため、7年生教室の
カプラを片付けます。カプラの片付けを手伝ってくれる子は、
7年生教室までお願いします。」

放送を終えて、教室まで走っていくと
すでにこんなにも多くの子が片付けをはじめてくれていました。

こんなにも力をかしてくれてありがとう。
すぐに助けてくれてありがとう。
優しさに、心がとてもあたたまりました。
(手伝ってくれているときに、写真をとってごめん!つい、嬉しくってさ。)

優しさの中に、こんな素晴らしさも感じています。
それは、自分で判断しているということ。

どういうことかって?
例えば、今回紹介したこのエピソードで説明すると、
掃除の時間の後というと、帰りの会の準備の時間にあたります。
帰りの会の準備の時間に、突然放送が入った。
「・・・手伝ってくれる子は、7年生教室へ・・・」
本当は、クラスで連絡帳を書いたり鞄の整理をしたりしているんです。
しかし、放送を聞いて来てくれた子は、そのなにもかもを後回しにして、
「行く!」「行かなきゃ!」
そう判断して、急いで片付けに来てくれたのです。

そもそも、放送をかけるタイミングが子どもたちにとってグッドタイミング
だったわけではないですし、連絡帳やら帰りの準備を後回しにしてしまうことに
関しては、考えるところはありますが・・・(笑)

ただ、「何をする!」「これだ!」と自分の意志で判断しているという
そのことに関しては、素晴らしさを感じるのです。

今回のエピソードを、良いようにいいすぎかもしれません(笑)

でも、
優しさが溢れている行動の中で、
”自分で何かを判断できている”その素晴らしさを感じるのは、
他にも日々の生活の中で感じているのです。

相手を想って「何ができるかな。」って考えてあげたり。
心の底から、すてきな子どもたちです。

一緒に生活をしていて、元気をもらうこと、驚かされること、
たくさんあります。そして、さらに、教えてもらうこと、
心をあたたかくしてもらうこと、これももっとたくさんあるんです。

子どもたちに、いつも、「ありがとう」です。