2025年2月の記事一覧
主体性ってこんなこと!
生活発表会の翌週、年長さんが、自分のやった劇ではなく他の子のやっていた別の劇をするという時間があった。
のぞいてみると、ステージに24名の子が上がっている。
担任は、音響とお客さんでそれぞれ一人で担当。
舞台上の子ども達の動きは驚きと感動に満ちていた。
舞台上の世界は、主体性そのもの。
全員の子が臨機応変に、大道具係、監督になっている。
決まった役割はないから、平たく言うと、全員が道具係で全員が監督だ。
セリフに詰まると、「こうだったよ」とか教え合っている。
打ち合わせナシ!
打ち合わせナシがどれほどスゴイ事かは、大人の自分と比べてみるとわかる。
大人は、話し合い、役割を分担して進める。というか大人になると打ち合わせもなく臨機応変に進めることはできるものではない。
それが子ども達にできるということは、毎日一緒に生活していてお互いをよくわかっているということだ。
そして主体性。この気持ちが基盤となっているからみんな楽しがってやれているのだ。
『そうなんだ、こんな風に子ども達をそだててきたのだった、、、』
改めて『あおば台でこだわって来たものは、これでしょう?』と見せてもらった気がした。
年少さんの保育参観が終わった
2園の年少さんの保育参観が先週、終わった。
年中や年長がホールの大きなステージで劇や踊りを行う姿を、真剣な眼差しで見ていた年少さん。
そこから『自分もやってみたい』という自然な流れができる。
子どもは小さいほど、自分より大きい子の様子を見て『憧れ』を持ち、成長意欲が刺激され主体的にやってみようとする自分が作られる。
こんなことを教わったのは、もう何十年も前。
一つは故久保田浩先生の主催する「語る会」のメンバーに。
一つは筑波大学の教授(故杉原一昭先生、現名誉教授櫻井茂男先生)の開いて下さったゼミ。そこは現役の大学生や院生、そして現場の保育者が集まっての勉強会だった。
教育には理論があってそれに沿って行なうことの重要性を知った。
年少クラスの一角を仕切りステージに見立てているところはとてもアットホームだが、そこに立てた子どもの姿は、気の弱い私からすると『すごい!』と拍手だ!
「観てもらう事」、特に保護者参観の行事をする場合、4歳前後の子ども達にとってさえ何かしらのモチベーションが必要だと私は思っている。
でないと、やらせになるのでは、、、
あおば台では、保護者参観の日を含めても、劇をやる回数はせいぜい4回程度だ。
1回1回に子ども達に「みせてあげてもいいよ」という承諾をもらう、そんなやり取りがある。
参観日は、大好きなおうちの人に見せてあげる日だ。
いつもの幼稚園での姿が、おうちの人の前でどこまで出せるか、、そんなことがあおば台のこだわりだ。
『おうちの人が来てくれる!』という喜びが、幕が開き『あれ?お家の人以外にもいっぱいいる!』と変わるのは当然で、そこへのサポートに力を注ぐ。それが保育者の役割だ。
嬉しそうな顔、恥ずかしそうな顔、得意そうな顔。
しばらく自分の気持ちを調整するのに時間をかけながら、子ども達は劇での役割を果たそうとする。
あんなに小さくて、見ようによってははかない存在。
そんな子ども達が、おうちの人のために一生懸命に行う。
心が洗われる。
幼稚園も、その絆を作られたお父さんお母さんと一緒のたくさんの手で、慈しんで育てていけたらと思っています。
夕暮れ時の空の色
夕暮れ空のきれいなこと。
この仕事に就くまで、空がきれいだ!なんて気づくことはなかった。
目線を上に向けると、赤と青が溶け合った奇跡の色に出会える。
日々忙しく過ごす人は多いだろう。忙しいという字は心をなくすとも読めると聞いた。
私も忙しい方だ。心をなくしていては子どもに向き合えないと思うが、子ども達のまなざしや態度から、心をやわらかくするエネルギーをもらっている。仕事なのにもらってしまっている。不思議な仕事だ。親業に少し似ていると思う。
自分が子ども達に与えているものもあるとは思うが、それよりはるかに多くもらっている。それが自分の仕事だ。この仕事に巡り合い感謝しかない。
空を見ることを意識していこう。
今日の空の色、明日の空の色。
一時も同じ色はない。まるで一人ひとりの個性が違うように。
子どもを思う時、その子は他の誰でもないその子なのだと、空の色を見て思う。
他の子と我が子を決して比べることのないように、、、私の願いです。
二園の年中の交流
18日に2園の交流があった。年中さん同士の交流は珍しい。
つくばのあおば台第二幼稚園の年中さんが土浦のあおば台幼稚園へバスで遊びにやって来た。
普段バスを使っていない子もいるし、クラスのお友達と一緒にバスに乗るというところから期待が広がっているはずだ。
昨日の帰りの会で、担任から今日への意識を高めてもらっているから、今日のイベントは全年中さんの大きな期待で始まっている。
つくばの子ども達にとって、ここにしかない避難用滑り台がとても長いのですぐに遊び始めた。そして人工の川や岩山など、大人気となった。
ひとしきり遊ぶと昼食になった。
その後はホールでゲームを二種行った。
「パタパタゲーム」「じゃんけん列車」。
カードの裏表を返して自分の色にする「パタパタゲーム」は担任も入り本気で行ったからゲームを一層盛り上げた。
子どもは、大人が本気で遊んでくれることが大好きだから、楽しさも増していく。
パタパタゲームはつくばのあおば台第二幼稚園が、じゃんけん列車は土浦のあおば台幼稚園が勝った。
引き分けということで『よかったー!』と心で小さく叫んだ。
時間となり、お別れの時間。
大きな声と動作で別れを惜しむ子ども達の姿があった。
今日はちょっとした『遠足』となった。
年少さんの劇あそび
今日はあおば台第二幼稚園(つくば市)の年少さんの保育参観だった。
保育参観でおうちの方に観ていただくのは、歌2曲と、劇+踊り。
年中さんや年長さんの演じるのを観て、自分も!と、並々ならぬ張り切りようが伝わって来た。
生まれて来てまだ4年ほどの子ども達にも、モチベーションが必要だ。
モチベーションがなければそれは、やらされていることになる。
今日のモチベーションは「大好きなおうちの人に観てもらう!」という、モチベーションとしてはこれ以上ないという日。
今まで、ペアの子や他学年の保育者に観てもらったりしたのだが、通して行うのは今日で3、4回目(クラスによって違う)
『エッ?そんなに少ないの?』と普通は思うだろう。
でもここは子どもの主体性を育てている幼稚園だ。繰り返し同じことを練習させることはない。(大きい学年は、「劇がしたい!」と求めてくることはあるが、、、)
保育者のサポートのもと、一人ひとりが力を出して演じている姿や無心に家族に向かって歌っている姿には感動する。
成長や発達には、ご家庭はもちろんだが、幼稚園にあっても日々の小さなことの積み重ねがこうした姿になると感じた。
子ども達、保護者の皆様、そして導いてくれた保育者にも感謝だ。
あおば台の子ども達は
元気いっぱい!!
NEW 園長ブログ
不思議な世界 子どもの世界
これは見ていた先生から聞いた話だ。
年少組の女の子が素敵なおもちゃを持ってクラスを歩いていた。
それを見ていた女の子がやってきて「貸して」と交渉したが上手くいかなかった。
やがておもちゃの取り合いが始まったが、深刻な展開にならないで、引っ張り合いっこへ。
まるで引っ張り合いっこを楽しむかのようにとてもリズミカルだ♪
そこへ別の女の子が仲裁に入った。
貸さない子には「貸したくなかったんだね」
貸して貰えなかった子には「借りたかったんだね」
まるで担任の先生にしてもらっているやりとりがそこに展開されたがその後が続かない。
仲裁の子にとっては、ラチがあかない、思うようにいかない時間がしばらくあった。
どうなることかと見守っていたが、「お昼の時間ですよ」のかけ声で解散に。
どの子もわだかまりなくお昼の準備に行き、それがあまりにも微笑ましくて、思わず笑ってしまった。
こんな風に子ども達は大人の予想を平気で裏切る。
子どもの織りなす世界は、摩訶不思議。
大人の尺度で見る事は子どもの世界にそぐわない。
『子どもには子どもにしか分からない世界がある』
それを心に置いていきたいと改めて思った。
当事者意識
ある子が、水筒を忘れたのでおうちに電話をして持ってきてもらいたいと頼んできた。
その子と話してみた。
「お家に電話するって思いついたの、すごくよく考えたんだね。でもここは幼稚園でお父さんやお母さんがいないところだから、自分の力でどうにかしようって考えてほしいんだ」と伝えた。
すると、
「こうする!自分で浄水器のところで水を飲むことにする!」と。
もう顔が変わっている。
ピリっとした表情になった。
幼稚園で育てたい”当事者意識”だ!と感じた
こんな風に、自分事として考える力を身につければその子の自立が促されその子の世界に輝きが増す。
私にとってもとても嬉しい出来事となった。
寄り添う
お泊まり会が今月末にある。
これまでは7月の行事だったが、熱中症対策として時期を早めた。
あおば台では活動の初めの”導入”を、園長がすることが多い。
いかに興味を持ってもらえる時間にするか、、、こちらも真剣勝負だ(笑)
「心配なこと、ないかな?」
元気よくあちこちから「ハイ!」「ハイ!」、、不安を表す素直さに感動するほどだ。
一人ずつ話してもらう。
複数あったのが「お母さんがいないと寂しい!」「住んでないから(泊まるには幼稚園は慣れていないから)」
それに対して他の子たちに意見を聞いていく。
「みんなで、手つないで寝る!」
こんな風に人の心に寄り添う姿を見ると、尊い世界に触れた気がして子どもの崇高さを感じる。
「いつものぬいぐるみ、持ってないと寝られない」と切実な思いが発表される。
心の中で私は『どうかな?同調して「いいよ」っていうかな?』
ところが、他の子たちにふると「幼稚園には家からおもちゃを持ってこないって約束だよ」との声。
私がぬいぐるみのその子に「どうする?」と言うと「我慢する」と。
一瞬でその子の顔が引き締まり、お泊まり会の”ねらい”は達成された!と思ったほど。
私は時々行事の意味って何だろう?と考える。
例えば運動会へ向けて活動をしている時私が子どもへ「本番」というような言い方をすれば、今は亡き塚原港園長は「子どもにとっては一瞬一瞬が本番なんだ」とただし、保育の本質に戻してくれた。
日々連続して切れ目なく流れている幼稚園の生活。
子ども達が幼稚園にお泊まりするそ日まで、子ども達の気持ちを盛り上げる仕掛けがいっぱいだ。
『ああしよう、こうしよう』と、保育者の真剣な話し合いが続く。
AIのこと
AIが社会で利用され始め、当初の予想と違っていた部分の話になった。
外部の業者さんとの会話だ。
K氏「イラストレーターの仕事などはどんどんAIが仕事を取って代わりそうですね。コンビニのポスターもそんな感じがしました」
私 「コンビニなんかも、真っ先に店員さんがいなくなると聞いていましたが、そうでもないですね」
K氏「AIは聞けば何でも答えてくれますが根拠は示しませんから結局何かあった場合はAIの責任か自分の責任か、、、難しい部分ですね。」
『へーっ!!」と感心しっぱなしの私。
私の漠然としたAIの知識が人との会話によって整理されるのがありがたい。
そしてこんな話をしてくれた。
「例えば裁判での判決文は何十ページにもなりますが、それをAIに『1000字でまとめて!』とお願いする事も出来てそういう面は便利ですね」
AIは何でも答えてくれるが根拠は明示されない。。。
私も使ってみたいと思っているが、よく見るYouTubeも嘘もあれば根拠のない話しもある。
自分はそれに初めからは気づいていない。
親戚の若者に指南されてから分かったことだ。
使って便利、だがいろいろな問題も起こってくるのだろうな。
しかし、AIを経験することはAIについて少しでも話に入れたい自分には大切なこと。
知り合いにお願いしてAIを使えるPCにしたい、そんな風に思うこの頃だ。
生きる力を考えたい
「教育」を語るYouTubeを見た。
そこに、現代の教育環境では、一人あたりのインプットの量が多すぎやしないかという声があった。
そう主張された方は『自分ならインプットの量を今の半分にしたい。そして空いたところに想像力が生まれるようにしたい。小学生の我が子には勉強しろとは言わない。没頭すること面白いことを探してほしい』
調べてみた。
私は昭和30年代の生まれだが、自分の時代より小学生時代に習う漢字の量がぐんと増えたことを思い出したからだ。
私が1年生の時の漢字は30字。今は80字。
6年間の合計は881字。今は1026字。
のんびりとした低学年時代だったが、今は追われてないか?
追われているとしたら何に追われているのだろうか?
それにしても、、と思う。
日本人はひらがな、カタカナ、漢字、それに加えてローマ字まで習っている。
こんな優秀な民族は他にいるだろうか!
これに気付いた時から、感動とともに日本民族として誇りを持つようになった。
そのYouTubeの番組で、日本人に求められてきた教育から生み出される人物像は「素直、まじめ、勤勉」だが、それなら、ロボットの方が優秀だそうだ。
これから必要とされる力は、生まれてから小学校低学年までどのように過ごしたかが関係すると言われる。
縁あってあおば台に来た子ども達には、好奇心を満たす没頭する遊びを自分で獲得できるようにしてあげたい。
その仕組みがあおば台にはあると思っている。
不確かな未来を生きる目の前の子ども達に身につけさせたい力を、もう一度みんなで考え保護者の皆さんと共有できたら幸せ。
実現してみたい!
気持ちの切り替え
大人でも子どもでも、気持ちの切り替えが上手な人と苦手な人がいる。
私が以前、尊敬している人から受けたアドバイスは、「自販機で飲み物を買う時、選ぶのに時間がかかる?かからない?気持ちの切り替えと、さっと選ぶのは比例しているんだよ」
当時私は、気持ちの切り替えがサッとできることを目指していたので、そのようにしてみた。
やってみて思ったのは、迷わず選ぶということは、瞬時に自分の何かを捨てる作業をしているということだ。
亡き夫によく「グズグズが好きだな!」とからかわれていた私にこのアドバイスは非常に役に立った。
今、お母さん達は苦労してないかな?
我が子に、次の行動に移させたいけど、なかなかその遊びがやめられないという時、子どもが自分で切り替えられなければ、積極的にアドバイスしたり助力することはとても効果があると感じる。
もし困ることがあれば遠慮なく園に相談してもらえたらと思っています。
AI
将来無くなっていく仕事は?と今までずいぶん話題になった。
コンビニも店員さんがいなくなり無人になるだろと予想されてきたがそうは見えず、進んでいるにしても超スロースピードだろう。
思いに反してクリエイティブな仕事にそれが表れているという。
例えば漫画も小説も脚本もデザインもAIが行う現実がもうあるのだろう。
知人に、チャットGPTを使ったことがあるかと聞くと数人の若者が経験していて「やっぱり便利です」と答えたその表情にどこが後ろめたさを感じた。
私達が行っている教育はAIにとって代わることが難しいと思うから、答えた知人は、私がそのようなことに反対する意見を持ち、便利さは教育には不要と思っているかもとおもんばかってくれたのだろう。
しかし、AIの話を聞くほどに、これからの不確実な時代を生きていく目の前の子ども達に必要であれば、是非使いこなせ、わけもなく活用できるようになってほしいと思っている。
しかし、何度も思うし何度も伝えたい事だが、「非認知能力を伸ばすには、幼児期と小学校低学年までの間にどれだけ遊んだかが重要」であるから幼児期の教育にそれを取り入れるという事ではない。
遊びの時間を保障するために、色々と工夫していきたいと思っている。
このことが初等学部も幼稚園も保育園にも関わっている多くの方と共有できるように取り組みたいし、世間にも周知されて行けば良いな、その為に自分で何が出来るかと思うこの頃だ。
好奇心
3月に近所の小学校を卒業した6年生が来てくれた。
お母さんからは
「あおば台で好奇心を育ててもらってその後にすごく役立っていて、、、とても感謝しています!」
勉強面一つとっても、『これはどうしてこうなるのだろう?』という発想から色々な知識を得ることにつながり生活を豊かにするのだろう。
好奇心から「生きる意欲」は高まってくると思う。
自分の話で申し訳ないが私自身YouTubeとの出会いで、どれほど世界が広がったか知れない。
YouTubeには、電磁波の危険性にさらされたり、快楽中枢を刺激するためにやめられないという問題面もあるが、いったんそれは横に置くとして、知りたいことがどんどん広がったり深まったりして『ありがたい。ラッキー!』という気持ちがあふれる。
書物、YouTubeなど好奇心を満たすものが無限にあるのが”今”という時代だ。
人類の発祥には諸説あるが以前脳科学者の方の話で記憶しているのは、
”アフリカにいた人類前の猿人(原人?)が人類に進化したのは、ある日地殻変動が起きて、「何事か?」と好奇心を抑えられなかったほうが、森を飛び出したのが人類の始まりとなった”というものだ。
好奇心は人間の本能だから、それが育たないとしたら環境だろう。
子ども達のためにそんな環境(人、モノ、時間)を整えてあげたいと思う。
何と悲しいこと
新学期早々にこんな話題は辛すぎるが、今一番思っていることなので聞いてほしい。
「2022年における15~19歳の死因の約半数が自殺」との話は、受け止めるには辛すぎる。
母親の胎内で10か月過ごし、その間には母子でしかわからない意思疎通があるだろうし、その後、手をかけ目をかけしながら育った子ども達のうち、そのような人生の終わり方をする子がいると思うと悔しい。
何とかならなかったのかと思う。
私の話にはたびたび登場する「OECD(経済協力開発機構)」だが、15~19歳の年代で死因のトップになっているのは日本のみという。
また15~24歳では、38か国中男性9位、女性7位だそうだ。
きっと、小さなうちから主体性と当事者性がそなわれば、自己肯定感も高くなり青少年のこの悲しい数値も変わるだろう。
だから、子ども達のために是非とも「自己肯定感」を幼稚園と小学校で育んでいきたいと切に思う。
卒園式
卒園式のこと。
あの日はとても不思議な一日だ。
いつも自由に伸び伸びと過ごしていいる子ども達に、厳粛な雰囲気を味わってもらうそんな日だ。
子どもは敏感に大人の気持ちに気付く。卒園式もそうだ。
しんみりとした大人の気持ちに触れて涙ぐむ子もいる。
式が終わりお別れの会になると、たかが外れまるで最後の時間を惜しむかのように心が躍っていた。
主体性を身につけ、他を思う心を持った子ども達に育った。
ご家庭での子どもの様子が幼稚園でも引き続き保障されたということだと感じる。
あとは、これから塚原学園全体の課題としたい「当事者性」を育てて生きたたい。
来年度からのことを考えると身が引き締まるしそれにもましてワクワクしている。