ブログ

NEW 園長ブログ

当事者意識

もう三月に入ったというのに、まだブログを1回も書いてなかった。

結構忙しい日々だった。

先週末に都内でセミナーがあり、信頼している方の勧めだったので参加した。

講師は二人。

一人は繊維業界の方でカンブリア宮殿にも出演された方。

もう一人が私が是非ともお会いしたいと思っていた工藤勇一先生だった。

だいぶ前に、麹町中学の学校改革を行い一躍有名になった工藤先生を知ったのはテレビの特集だった。

私が保育参観の日に保護者の皆さんに聞いていただいた話に「当事者意識」という言葉があったが、それを教えてくれた先生だ。

日本と韓国の子に「当事者意識」が欠如しているらしい。

受験があるのも日本と韓国と、、、アジアの中にあと数か国。

欧米にはないと聞いた。

であれば、子どもの日常がずいぶん違うだろう。

きっとゆったりと生活しているのだろう。

そんな日本になったら良いなとあこがれる。

当事者意識は、例えば砂場で遊ぶ子どもに「仲良く遊ぶのよ」「自分だけで道具を使ってはダメよ」「貸してって言われたら貸してあげてね」という、大人の声かけで失われていく。

確かにそうだ。

前園長の塚原港から、自分も現役の保育者時代に子どもを見守る大切さを何度も言われ、そうして身につけていった。

時代が変わり、それと反対の世界を求めるように世間が変わったのはどうしてだったのだろう、、、

色々と出口のない問いをつぶやくよりも、目の前の子ども達に本当の意味での主体性を身につけてもらおう。

本当の意味とは、当事者意識を伴った主体性!

 

これからのことを考えるとワクワクしてくる。

 

 

 

主体性ってこんなこと!

生活発表会の翌週、年長さんが、自分のやった劇ではなく他の子のやっていた別の劇をするという時間があった。

のぞいてみると、ステージに24名の子が上がっている。

担任は、音響とお客さんでそれぞれ一人で担当。

舞台上の子ども達の動きは驚きと感動に満ちていた。

舞台上の世界は、主体性そのもの。

全員の子が臨機応変に、大道具係、監督になっている。

決まった役割はないから、平たく言うと、全員が道具係で全員が監督だ。

 

セリフに詰まると、「こうだったよ」とか教え合っている。

 

 打ち合わせナシ!

 打ち合わせナシがどれほどスゴイ事かは、大人の自分と比べてみるとわかる。

大人は、話し合い、役割を分担して進める。というか大人になると打ち合わせもなく臨機応変に進めることはできるものではない。

それが子ども達にできるということは、毎日一緒に生活していてお互いをよくわかっているということだ。

そして主体性。この気持ちが基盤となっているからみんな楽しがってやれているのだ。

『そうなんだ、こんな風に子ども達をそだててきたのだった、、、』

 

改めて『あおば台でこだわって来たものは、これでしょう?』と見せてもらった気がした。

 

 

 

 

 

 

 

 

年少さんの保育参観が終わった

2園の年少さんの保育参観が先週、終わった。

年中や年長がホールの大きなステージで劇や踊りを行う姿を、真剣な眼差しで見ていた年少さん。

そこから『自分もやってみたい』という自然な流れができる。

子どもは小さいほど、自分より大きい子の様子を見て『憧れ』を持ち、成長意欲が刺激され主体的にやってみようとする自分が作られる。

 

こんなことを教わったのは、もう何十年も前。

一つは故久保田浩先生の主催する「語る会」のメンバーに。

一つは筑波大学の教授(故杉原一昭先生、現名誉教授櫻井茂男先生)の開いて下さったゼミ。そこは現役の大学生や院生、そして現場の保育者が集まっての勉強会だった。

教育には理論があってそれに沿って行なうことの重要性を知った。

 

年少クラスの一角を仕切りステージに見立てているところはとてもアットホームだが、そこに立てた子どもの姿は、気の弱い私からすると『すごい!』と拍手だ!

 

「観てもらう事」、特に保護者参観の行事をする場合、4歳前後の子ども達にとってさえ何かしらのモチベーションが必要だと私は思っている。

でないと、やらせになるのでは、、、

 

あおば台では、保護者参観の日を含めても、劇をやる回数はせいぜい4回程度だ。

1回1回に子ども達に「みせてあげてもいいよ」という承諾をもらう、そんなやり取りがある。

参観日は、大好きなおうちの人に見せてあげる日だ。

いつもの幼稚園での姿が、おうちの人の前でどこまで出せるか、、そんなことがあおば台のこだわりだ。

 

『おうちの人が来てくれる!』という喜びが、幕が開き『あれ?お家の人以外にもいっぱいいる!』と変わるのは当然で、そこへのサポートに力を注ぐ。それが保育者の役割だ。

 

嬉しそうな顔、恥ずかしそうな顔、得意そうな顔。

しばらく自分の気持ちを調整するのに時間をかけながら、子ども達は劇での役割を果たそうとする。

あんなに小さくて、見ようによってははかない存在。

そんな子ども達が、おうちの人のために一生懸命に行う。

心が洗われる。

 

幼稚園も、その絆を作られたお父さんお母さんと一緒のたくさんの手で、慈しんで育てていけたらと思っています。

 

 

 

 

 

夕暮れ時の空の色

夕暮れ空のきれいなこと。

この仕事に就くまで、空がきれいだ!なんて気づくことはなかった。

目線を上に向けると、赤と青が溶け合った奇跡の色に出会える。

 

日々忙しく過ごす人は多いだろう。忙しいという字は心をなくすとも読めると聞いた。

私も忙しい方だ。心をなくしていては子どもに向き合えないと思うが、子ども達のまなざしや態度から、心をやわらかくするエネルギーをもらっている。仕事なのにもらってしまっている。不思議な仕事だ。親業に少し似ていると思う。

自分が子ども達に与えているものもあるとは思うが、それよりはるかに多くもらっている。それが自分の仕事だ。この仕事に巡り合い感謝しかない。

 

空を見ることを意識していこう。

 

今日の空の色、明日の空の色。

一時も同じ色はない。まるで一人ひとりの個性が違うように。

子どもを思う時、その子は他の誰でもないその子なのだと、空の色を見て思う。

他の子と我が子を決して比べることのないように、、、私の願いです。

 

 

 

二園の年中の交流

 

18日に2園の交流があった。年中さん同士の交流は珍しい。

つくばのあおば台第二幼稚園の年中さんが土浦のあおば台幼稚園へバスで遊びにやって来た。

 

普段バスを使っていない子もいるし、クラスのお友達と一緒にバスに乗るというところから期待が広がっているはずだ。

 

昨日の帰りの会で、担任から今日への意識を高めてもらっているから、今日のイベントは全年中さんの大きな期待で始まっている。

 

つくばの子ども達にとって、ここにしかない避難用滑り台がとても長いのですぐに遊び始めた。そして人工の川や岩山など、大人気となった。

ひとしきり遊ぶと昼食になった。

その後はホールでゲームを二種行った。

「パタパタゲーム」「じゃんけん列車」。

 

カードの裏表を返して自分の色にする「パタパタゲーム」は担任も入り本気で行ったからゲームを一層盛り上げた。

子どもは、大人が本気で遊んでくれることが大好きだから、楽しさも増していく。

 

パタパタゲームはつくばのあおば台第二幼稚園が、じゃんけん列車は土浦のあおば台幼稚園が勝った。

引き分けということで『よかったー!』と心で小さく叫んだ。

時間となり、お別れの時間。

大きな声と動作で別れを惜しむ子ども達の姿があった。

 

今日はちょっとした『遠足』となった。