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NEW 園長ブログ

不思議な世界 子どもの世界

これは見ていた先生から聞いた話だ。

年少組の女の子が素敵なおもちゃを持ってクラスを歩いていた。

それを見ていた女の子がやってきて「貸して」と交渉したが上手くいかなかった。

やがておもちゃの取り合いが始まったが、深刻な展開にならないで、引っ張り合いっこへ。

まるで引っ張り合いっこを楽しむかのようにとてもリズミカルだ♪

 

そこへ別の女の子が仲裁に入った。

貸さない子には「貸したくなかったんだね」

貸して貰えなかった子には「借りたかったんだね」

 まるで担任の先生にしてもらっているやりとりがそこに展開されたがその後が続かない。

仲裁の子にとっては、ラチがあかない、思うようにいかない時間がしばらくあった。

 

どうなることかと見守っていたが、「お昼の時間ですよ」のかけ声で解散に。

どの子もわだかまりなくお昼の準備に行き、それがあまりにも微笑ましくて、思わず笑ってしまった。

 

こんな風に子ども達は大人の予想を平気で裏切る。

子どもの織りなす世界は、摩訶不思議。

大人の尺度で見る事は子どもの世界にそぐわない。

『子どもには子どもにしか分からない世界がある』

それを心に置いていきたいと改めて思った。

 

 

 

 

当事者意識

ある子が、水筒を忘れたのでおうちに電話をして持ってきてもらいたいと頼んできた。

 

その子と話してみた。

「お家に電話するって思いついたの、すごくよく考えたんだね。でもここは幼稚園でお父さんやお母さんがいないところだから、自分の力でどうにかしようって考えてほしいんだ」と伝えた。

 

すると、

「こうする!自分で浄水器のところで水を飲むことにする!」と。

もう顔が変わっている。

ピリっとした表情になった。

幼稚園で育てたい”当事者意識”だ!と感じた

こんな風に、自分事として考える力を身につければその子の自立が促されその子の世界に輝きが増す。

私にとってもとても嬉しい出来事となった。

 

 

寄り添う

お泊まり会が今月末にある。

これまでは7月の行事だったが、熱中症対策として時期を早めた。

あおば台では活動の初めの”導入”を、園長がすることが多い。

いかに興味を持ってもらえる時間にするか、、、こちらも真剣勝負だ(笑)

 

「心配なこと、ないかな?」

元気よくあちこちから「ハイ!」「ハイ!」、、不安を表す素直さに感動するほどだ。

一人ずつ話してもらう。

複数あったのが「お母さんがいないと寂しい!」「住んでないから(泊まるには幼稚園は慣れていないから)」

それに対して他の子たちに意見を聞いていく。

「みんなで、手つないで寝る!」

こんな風に人の心に寄り添う姿を見ると、尊い世界に触れた気がして子どもの崇高さを感じる。

 

「いつものぬいぐるみ、持ってないと寝られない」と切実な思いが発表される。

心の中で私は『どうかな?同調して「いいよ」っていうかな?』

ところが、他の子たちにふると「幼稚園には家からおもちゃを持ってこないって約束だよ」との声。

私がぬいぐるみのその子に「どうする?」と言うと「我慢する」と。

一瞬でその子の顔が引き締まり、お泊まり会の”ねらい”は達成された!と思ったほど。

 

私は時々行事の意味って何だろう?と考える。

 

例えば運動会へ向けて活動をしている時私が子どもへ「本番」というような言い方をすれば、今は亡き塚原港園長は「子どもにとっては一瞬一瞬が本番なんだ」とただし、保育の本質に戻してくれた。

日々連続して切れ目なく流れている幼稚園の生活。

子ども達が幼稚園にお泊まりするそ日まで、子ども達の気持ちを盛り上げる仕掛けがいっぱいだ。

『ああしよう、こうしよう』と、保育者の真剣な話し合いが続く。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

AIのこと

AIが社会で利用され始め、当初の予想と違っていた部分の話になった。

外部の業者さんとの会話だ。

K氏「イラストレーターの仕事などはどんどんAIが仕事を取って代わりそうですね。コンビニのポスターもそんな感じがしました」

私 「コンビニなんかも、真っ先に店員さんがいなくなると聞いていましたが、そうでもないですね」

K氏「AIは聞けば何でも答えてくれますが根拠は示しませんから結局何かあった場合はAIの責任か自分の責任か、、、難しい部分ですね。」

『へーっ!!」と感心しっぱなしの私。

私の漠然としたAIの知識が人との会話によって整理されるのがありがたい。

そしてこんな話をしてくれた。

「例えば裁判での判決文は何十ページにもなりますが、それをAIに『1000字でまとめて!』とお願いする事も出来てそういう面は便利ですね」

AIは何でも答えてくれるが根拠は明示されない。。。

私も使ってみたいと思っているが、よく見るYouTubeも嘘もあれば根拠のない話しもある。

自分はそれに初めからは気づいていない。

親戚の若者に指南されてから分かったことだ。

 

使って便利、だがいろいろな問題も起こってくるのだろうな。

しかし、AIを経験することはAIについて少しでも話に入れたい自分には大切なこと。

知り合いにお願いしてAIを使えるPCにしたい、そんな風に思うこの頃だ。

 

 

生きる力を考えたい

「教育」を語るYouTubeを見た。

そこに、現代の教育環境では、一人あたりのインプットの量が多すぎやしないかという声があった。

そう主張された方は『自分ならインプットの量を今の半分にしたい。そして空いたところに想像力が生まれるようにしたい。小学生の我が子には勉強しろとは言わない。没頭すること面白いことを探してほしい』

 

調べてみた。

私は昭和30年代の生まれだが、自分の時代より小学生時代に習う漢字の量がぐんと増えたことを思い出したからだ。

私が1年生の時の漢字は30字。今は80字。

6年間の合計は881字。今は1026字。

のんびりとした低学年時代だったが、今は追われてないか?

追われているとしたら何に追われているのだろうか?

それにしても、、と思う。

日本人はひらがな、カタカナ、漢字、それに加えてローマ字まで習っている。

こんな優秀な民族は他にいるだろうか!

これに気付いた時から、感動とともに日本民族として誇りを持つようになった。

 

そのYouTubeの番組で、日本人に求められてきた教育から生み出される人物像は「素直、まじめ、勤勉」だが、それなら、ロボットの方が優秀だそうだ。

 

これから必要とされる力は、生まれてから小学校低学年までどのように過ごしたかが関係すると言われる。

縁あってあおば台に来た子ども達には、好奇心を満たす没頭する遊びを自分で獲得できるようにしてあげたい。

その仕組みがあおば台にはあると思っている。

 

不確かな未来を生きる目の前の子ども達に身につけさせたい力を、もう一度みんなで考え保護者の皆さんと共有できたら幸せ。

実現してみたい!