初等学部の理事長で、幼稚園の園長でもある港先生の熱い想い

理事長・園長のちょっと言わせて

小泉さん頑張って!

 いよいよ明日は小泉首相が北朝鮮へ行って、金正日総書記とさしで話をする。食料も経済状況も極端に疲弊し、挙句の果てにブッシュ大統領から‘悪の枢軸,呼ばわりされて世界的に四面楚歌状態である。今までのことは何とか水に流して、日本の協力を得て国を建て直そうとしているのだろう。今まで同様、都合のいい話である。
 拉致問題を行方不明者などと置き換える手法は決してとるべきではないし、朝銀問題に国民の税金を注入してはならない。テポドンだかノドンだかの中距離弾道弾の、日本上空あるいは日本に向けての発射実験については速やかな謝罪を求めること。連合国と共に戦った日朝間に戦後処理は存在しないこと。あるとすれば敗戦処理における36年間にわたる植民地支配の終結による決算。日本が朝鮮から搾取した資産や日本が朝鮮半島に投資した資産など、互いの財産の収支は日本が残してきた資産のほうがはるかに大きいので、強者に支配された国民の精神的な屈辱を和らげ、謝罪の意味を含めて日韓間で経済協力という形で解決済みである。ちなみに大英帝国をはじめ、植民地が独立を果たす時、謝罪するとか、協力するなど聞いた事がない。アメリカ独立をはじめ盟主国と戦って独立を果たしている。
 いずれにしても今回の会談は、触手を伸ばしてきたのは北朝鮮である。イラクの次に狙われたのではたまったものではない。当分の間日本を盾にして置きたいという思惑もありそうだ。コメ問題と同じように食い逃げされないように細心の注意を払い、大胆に言い分を通していただきたい。交渉決裂でも堂々と胸を張って帰って来ていただきたい。
 
明治11年にフランス人宣教師が母国への報告書に,日本人を指して「辛抱強く,勇気があり,慎み深く,丁寧親切,名誉を重んじ,礼儀正しい」と評したそうだ。だから日露戦争が始まったときに、日本がきっと勝つだろうと予言した欧州諸国が多かった。400年も前にきたフランシスコ・ザビエルは日本国民を「これまで発見した国民の中で最良な国民であり,異教徒の中でこれほど優れた国民を見ることはできない」と言ったという。織田信長のあの下克上の時代にである。インドネシア外交官アリフィンベイは「戦時中の日本人はもっと温かい人間で,軍隊が統制していた時でも国民は道徳的だった。戦時下であっても思いやりのある人間を育てることができた。それが戦争に負けたからといって,その精神的美徳を根こそぎ捨ててよいものだろうか」と?魂を失った日本人?のなかで憂いている。たしかに哲学者オルテガの言う?精神的貴族?は日本には少なくなっている。これは、例えば男らしさとか女らしさ,父親らしさ母親らしさ,役人らしさ,企業人らしさ,社長らしさといった?らしさ?に回帰する所在があいまいであることが障害になっているからであろう。
 前回中国に対するODAの事を書いていたら、ニュースですでにご存知でしょうが,インドネシアへのODAについて地域の住民から日本が訴えられているという、世にも不思議なことが起こった。ほとんどの国の地域住民に感謝されているのがODAと思って間違いはないけれども,たまにこんな事もあり得る。その地域の住民の意思とは別に、業者や政治家や有力者のためにやるからだ。政府開発援助というのは後進国地域にしかないのだから、先進国の第一線で活躍できない外務省関係者は、腕の見せ所で,うまみのあるのがODAなのだ。だから国民が増税で下唇を噛んでいるときにでも、平気でODAの増額を予算化しようとしている。まったくどこの国の役人なのだ。
どこの国の役人の発言だかよく分からないのに,先の拉致問題がある。阿南元アジア局長は「拉致で騒ぐのは国益にならない」と言い、槇田邦彦元アジア局長も「たかが11人のことで日朝関係が悪化していいのか」と言ったらしい。拉致された家族の前で土下座しても余りあるのではないか。このような国際正義もなく温もりのない人間が政府高官なのだから、日本はなめられてもある面では納得がいく。
田中前外務大臣は外務省を伏魔殿と言った。伏魔殿とは化け物屋敷,または悪人どもが集まって悪だくみをする所である。何と言われようが彼らはへこたれない。日本の最高峰のエリートという自意識を持っているし、だから誰も手を出せないと思っている。革命でも起こらない限り安全だと思っている。革命が起きたって、自分が国民のためになってなかった自覚のあるやつは外国に亡命するから、口惜しいけれどいつまでたっても安全だ。しかしこうゆう人は国民の力で何とかしなければならないでしょう。

そろそろ茨城の土浦では新入園児の募集が始まります。初めてお子様を幼稚園に入れるご両親は,子どもよりもむしろ自分達のほうがドキドキしているのではないでしょうか。オムツがまだ取れないとか,トイレットトレーニングがうまくいかなかったとか,離れた後の子どもの様子を想像したりしながら、不安な自分にその後ろからまた不安が追いかけてきているような、半ば恐怖に近くなる時もあります。そんな時「私は今親をやっているんだ!」とこぶしを握り締め気合を入れなおしてください。立派な親です。何も心配もなく、早く手元からはなすことに喜びを感じているようでは,何のために生まれてきたのか子どもが余りにもかわいそうでしょう。無意識の虐待の始まりです。
最近虐待どころか、子を殺してしまう痛ましい事件が頻発しています。幼児期に両親に十分に愛情をかけられなかった未成熟な大人の犯行です。幼児期に育てられたことを記憶に子どもを育てると言われますが,その証明です。
今国を挙げて待機児童ゼロとか、働きながら安心して子育てができる保育所の体制など声高らかに叫ばれていますが、果たしてこれは真実でしょうか。真に子どもの大切なものを守ろうとしているわけではありません。為政者の小手先のパフォーマンスに過ぎません。なぜなら、青少年の犯罪やいじめの根底にあるものは、温もりの欲求から来るものだからです。0歳児から保育所に入れ、親の温もりと他人の温もりの違いが分からなくなってしまうような育て方をしては決してならないのです。該当者や保育所に気付かってだれも真実を言いません。それは現にそのシステムを必要としている人がいるからです。でも真実は母親が1年以上抱いて育てることが最善です。必ず反論がありますが,何と言われようと、生まれたばかりから他人に預けるようなことは避けてください。決してうまく育ちません。
母親自身の利便性のために、ある託児所へ入れ虐待を受け、子どもを殺してしまった事件がありました。生きていて幸せになるか不幸になるか定かではありませんが,幼児期に長時間母親とはなれた暮らしを強制されるのは、それ自体が不幸であります。親の言い分が解らないわけではありませんが,幼稚園の園長として親の言い分に沿うか,子ども側に重心を移すかと言えば、当然言を待ちません。子どもを守る側に立ちます。
長時間子どもを預かれば補助金がいくら出るだのの話はもううんざりだ。一方では親子を引き離す役割を担っているのだから整合性がない。たまに預かりがあるけれども、子どもは最初のうちは「きょうはあずかりー!」とか言って喜んでいる姿もあるけれども,時間がたつにつれて徐々に元気がなくなっていき,母親が迎えに来ると飛んでいって叩いたりけったりして手に負えない行動に出るのです。このような行動に出ることを?聞き分けがない?と言って大人は片付けてしまいますが,このような行動の出る子は正常で恵まれているといって良いでしょう。よく考えてみてください。このような母親のいない状況に慣れてしまって,何にも感じない子では可哀想ではありませんか。
幼児期はしっかりさせるために訓練をしてはなりませんし,また物を豊富に与えたり、ビデオなどによって子育てを任せてしまってもなりません。子どもの心に沿い、何を教え何を感じさせるかを明確にしなければなりません。こんなことを書いていると難しく考えてしまう人もいるかと思いますが,何も難しいことはありません。母親の感じる力を信じて,この子が今何を感じているのかを探ることです。子どもの心に沿うことは,子ども側に立って、今の子どもの心のありようを理解しようと努力することです。疑問をもち共に学んでいきましょう。

腹に据えかねて

 国家の基本となるのは、第一に教育であります。第二に教育であります。そして第三に教育であります。こんなことは「米百表」の話を聞かなくても国民の多くが承知している。ゆとり教育といって学校5日制にし、教科書の内容も難しいところは省いたようだ。円周率も3.14から3になり、日本の近代文学の礎となった森鴎外も夏目漱石も教科書から消えた。それでなくとも学力の低下を懸念されていたものだから国中の学者や保護者から批判を浴びると、子供だましのように少しばかり教科書をいじったようだ。教育日数が減りそのフォロウはどうするのかというような率直な疑問に、塾にも頑張ってもらうというようなことを言っていた文部科学省の役人もいた。当時文部省自らの教育の放棄だと騒然となったが、すぐに言を撤回したので事なきを得たが、日本の教育行政の骨のなさには開いた口がふさがらない。もっとも学校5日制は日本の教育形態を日本独自に研究して、そのほうが子ども達のためにベストなのだという結果ではなく、働く側(教師)の労働時間の問題から出てきたものだから、後になって教育的考察を入れたってすぐに見破られてしまう。他の公務員と同じにするなら何故特別職なのか、かすかな疑問を感じる。
 宮沢賢治が花巻の片田舎の学校で初めて教壇に立ったとき、彼は子ども達に三つの約束をした。一つ目は「私は一生懸命教えますから,皆さんも一生懸命やってください」。二つ目は「教科書は開けないで下さい。それから私のしゃべる言葉はノートにとらないで下さい。なぜならばしゃべっている言葉は消えてしまいます。あなたがノートにとっている次の言葉を、どうやってあなたの体の中に入れるのですか。だからノートはとらないで下さい。必要ならばあとで私が書きます。だから全身全霊で私の授業を聞いてください。それと同時に私も皆さんの発言を全身で聞きます」。三つ目は「あなた方が分かるまで私は教えます。だからわからなかったらわかるまで質問してください。わかるまで努力してください。皆さん方がわからなければ、前に進みません。皆さんがわかってから進みます。これが私からあなた方へ対する三つ目の約束です」といって授業を始められたそうだ(教育評論家 阿部進)。何ともウットリする話ではないか。
 「今日は何ページから始めます」とか「よく聞いてよくメモしてください」というのとは違う。何よりもこの時代は「三歩下がって師の影を踏まず」と言ってたくらい教師の社会的地位は高かったし、親も子どもも教えていただくというありがたさを教師に対して持っていた。そんな時代であったにもかかわらず、教える側も教えられる側も平等で,人間と人間との胸を突き合わせる真剣勝負であることと、宮沢賢治の博愛的な温かい人間性を強くを感じる。
 私は何度か教師批判をしているが、何も公立の小中学校の教師全員を批判しているわけではない。宮沢賢治のように子ども達に忠実で、一生懸命教えている教師の存在も承知している。そういう教師を目立たせない学校の体質に問題があることを指摘したいのである。円満退職したいという小心者の校長は、問題を起こさない保身の術に長け、子ども達の発達の犠牲の上に成り立っていることに気付かない。そのような校長を教頭が後押しし教務主任が支える。そのような学校に通う子ども達は悲惨で虚しい。
 最近の犯罪白書では青少年の犯罪が目立ちその年齢も低年齢化している。社会にも家庭にも地域にも、子ども達を健全に育成する力がないのならば、学校がやらなければならないのは当たり前のことである。家庭の教育力とは主に躾や道徳に関すること。最終的には我が子の責任は親が負うことだが、親が高学歴とは無縁でその力は非常に乏しいことは私も少なからず理解している。だからといって大声でそう叫んでも余り意味はない。今は心有る教師が団結して行動するしか子どもを救う道はないのだ。
 保護者は何でもかんでも教師に責任をなすりつけてはならない。勿論教師側に責任の多くがあるかもしれないが,家庭における教育の非力さは否定しようがない。何でも自分の責任を回避して、他人の責任にして自分を納得させるような低次元な生き方はやめよう。子どもの内面的な発達にマイナスである。
 明治の初期に遠い未来を見つめ、世界に先駆けて公立の学校制をひいた先駆者達は、今日の現実を見て何を思うだろうか。今こそ大胆な改革が必要なのだ。文部科学省にその力がないのなら、あらゆる規制を撤廃し小学校を私学に創りやすいように便宜を図り、熱心な義務教育を実現させることに力を貸してほしいと切に願っている。
 もうひとつ言わなければならないことがある。教科書問題は自国の問題である。中国や韓国が盛んに干渉してくるけれど、他国から執拗に自国の教科書について干渉され、優柔不断な態度でいる国があるだろうか。きっぱりとした態度が必要なのではないだろうか。
 日本の第二次世界大戦についての記述や、韓国併合の記述についてが問題になっている。新羅が百済を滅ぼした時はどうなのか。ジンギスハーンの手先となって漢民族がが博多を攻め入った元寇はどうなのか。村人が一人残らず皆殺しになった島もあった。それはまぎれもなく日本人が殺されたのである。その後秀吉の朝鮮出兵など不幸な関係もあった。韓国人は誇り高い民族であるから、日本に併合されたことがどうしても許せないのだろう。しかし地球上の列強は次々と植民地を拡大し、弱い国は植民地化されたり属国となったのだ。それは世界史にあるようにまぎれもない事実である。戦後処理については、国際法上まったく問題がないのに、何故日本だけが、戦後57年も経て言われ続けなければならないのか。日本の戦後の目覚しい急速な復興に多少の嫉妬があるのかもしれない。
 韓国や中国の社会科の教科書はまだ見たことがないが、見てみたいとも思わないけれども、日本人を鬼畜生のように記述してあると友人から聞いたことがある。私は戦後生まれであるが、戦後57年も経って根深い恨みもいい加減にして欲しいものだ。そうでなければ本当の友人になれないではないか。
 中国の外務大臣をやっている銭キシンとかゆう横柄なおっさんに問うてみたい。アヘン戦争と日中戦争のどこが違うというのだ。あの当時は圧政清朝時代だから英国が中国人民を開放してくれた正しい戦とでも言うのだろうか。戦争という狂気の時代を平和な現在の倫理に照らすと,何もかもが犯罪である。戦争は勝者も敗者もなく、愛するものを失いただ悲しいだけだ。少し暗い本だが、五木寛之の「運命の足音」を読んでほしい。
 中国は謝罪とか戦後補償とか言っているけれども,6兆円を超える補償を引き出し、その上たくみに多額のODAを引き出している。日本からのODAの25パーセントあたる金額を中国は他国に援助している。軍事費はうなぎ昇りである。後進大国中国は巨大な市場を持っているだけで、国際社会では頂き放しで大したことはしていない。精一杯大国風に背伸びしているだけだ。中国の外交は相も変わらず、背広の下に鎧をまとっている恫喝外交で品性に欠ける。中国に国民の税金であるODAは必要ない。馬鹿にされすぎである。日本政府もいいかげんに土下座外交は止めて、勇気をもって真実と正義を貫いてほしいものだ。後ろには国民がついているではないか。
 北朝鮮の日本人拉致問題は犯罪なのだから,これにリンクされる政治的交渉はないことを毅然とすべきである。戦後補償が優先されるべきだなどといっているようだが、犯罪国家が戦後補償だのはチャンチャラおかしい。戦後補償は韓国の間で解決済みである。政府もマスコミも何故そのような解説をしないのか不思議だ。なんでもかんでも穏便に相手の顔色ばかりうかがっていると,日本国民は自虐的になり正義も誇りも失っていく。
 地位も名誉も何もいらない、命がけで国民を守ろうとする政治家や官僚がもう少しいたら、この不景気だって何とかなるはずだ。それよりも何よりも日本人としての誇りを持っていたいのだ。多少食えなくなったって、勇気と誇りだけは失いたくはないと願っているのが日本国民の本心である。
 中国の瀋陽で起きた北朝鮮亡命者の日本領事館突入事件は、生涯忘れることのできない事件である。あの事件も日本人の誇りを粉砕するのに余りある。命がけで亡命を果たそうとしている親子。門の敷戸に手をかけて絶対にこの手を放すものかと歯を食いしばり、中国警察の力任せの暴挙に、結局は力尽き連行されてしまうのだが、その一部始終を見ていた4歳の女の子は、泣きじゃくりながら何を思ったただろうか。人間の尊厳をかけた攻防がそこにあったのに、領事館勤務の日本人は、なすすべもなく中国警察の帽子を拾い上げ、帽子のごみを落としていた。まずは幼児の安全を確保するなどの措置をどうしてとらなかったのだろうか。テレビのある国にはあの映像はすべて流れたそうだ。命がけで人を守ろうとする勇気のない冷たい日本人として流れたのだ。屈辱的な出来事である。

 少し本業に戻った話をしてみたい。青少年の犯罪が増えているということを書いたけれども、幼児期に何らかの虐待を受けていた経験のあるものの犯罪が90パーセントを越していることが明らかになっている。
 虐待というと暴力というようにすぐに結び付けてしまうけれども、実はそんな単純なものではないのです。暴力のようにはっきりと外傷に表れるものと、内面に残る傷のように見えにくいものがあります。暴力による虐待はついには子供を死亡させてしまうこともしばしばで、悲しいことによくニュースで流れてきます。内面への虐待は、子供を非社会的な人間として増長させてしまい、寡黙で陰湿になります。これが非常に見えにくい。たとえば、母親が自分のことばかりに一生懸命で、あまり子供に関心を示さないいわゆるネグレクトも立派な虐待であり、それが子供を虚しくさせていく。幼児期の寂しさは単なる甘えによる寂しさではなく、大きな不安なのであるからそれに対応できなければ、子供の心の深層に入り込みそれがトラウマとなって大人を信頼しなくなり、優しい仲間を求め非行に走る。親子の中では、時にはぶん殴って子どもを諭すこともあるかもしれないが、親の都合でしかったり,ストレス解消のために叱ったりすると、すぐに子どもに見破られてしまい、それが子どもの内面に鬱積する。鬱積したものは必ず暴発する。しかし真に子どもの将来を思い鞭を振るうならば,かえって子どもの内面に善の力として内在するだろう。いずれにしても親がわが子が犯罪を犯すようになったら、末代の恥ぐらいの認識がなければならないのは言うまでもない。
 長時間子供を預かる(預かり保育)と補助金が出るだの、子育て支援といって働いている母親が、安心して仕事ができるような事業を展開すると補助金が出るというような施策を国がやっている。母親が安心して子育てを他人に任せられるというくだりがなんともやるせない。本末転倒な話である。子供にとっては母親の代役などどんな美名のもとにも不要である。0歳から保育所に預けられ、毎日毎時間違う温もりの人に抱かれ、どの温もりが母親だったのか、ついには分からなくなってしまうのだ。これを虐待と言わずに何と言えばよいのだろうか。
 行政は常に子供側から施策を講じたことはないのだから、国の施策が子供にとってベストであるということはない。待機児童ゼロ政策がよい例で、そこに入れずにはみだした子供は幸せである。
 かつてテレビで専業主婦と仕事を持っている母親とのデイペードがあってしばらく見ていたけれどバカバカしくなってチャンネルを変えた。子供にとっては、母親が家にいることが最高の幸福であることは動かしがたい事実であることは疑いがない。にも拘らず自分を肯定するために強弁を弄して、否定されたくない一心の業の深さを感じて、吐き気がしてきたのだ。仕舞いには、その母親の子供にインタビューがあってこういうのだ「私を育てるためにお母さんは働いてくれたのです。とても感謝しています」母親はウルルとなって目にハンカチを当てている光景が映し出されている。安物の茶番である。大好きな母親で私を育ててくれた人にどうして反旗を翻すことができようか。願わくば、もう少しでもいいから私を見ていて欲しかったというのが健全な親子関係である。そして母親は「ごめんね」と子どもに謝ることが大切だ。
 現実にこの社会で保育所を必要としている人がいる限り、保育所は福祉事業として国の責任において継続されるべきものである。しかしなるべくならせめて生後1年ぐらいは自分の手元で育てないと母親にはなれないでしょう。
 最近では政府も公益法人も、その辺にたくさんある団体が男女共同参画社会という言葉を使い出した。もとよりこの繁栄は男女の協力関係にあることを認識しているし賛成である。子育ても女性だけの仕事ではなく、男性ももっと協力すべきである。これにも賛成である。しかしながら私は男女の性差による仕事の分担が公平であり平等であると信じている。父親が懸命になって赤子におっぱいを飲ませようとしたって無理だし、所詮母親の温もりには父親は太刀打ちできない。母親というのは自分の体から子供が生まれてくるので、ごく普通であればその絆は計り知れないようだ。子育てには心配も多いだろうけれども、世界中にあなたしかいない母親を、十分に楽しみながら子育ての素晴らしさに是非気付いて欲しいと思います。子供はやっただけのことは必ず返してくれますからやりがいがあります。我が子の素晴らしさをたくさん発見してください。

何となくブルー

 小泉総理が田中外相を更迭したことによって、その支持率は下り坂を何の抵抗もなく転げ落ちるボールの如し。2月20日のNGOに関する参考人質疑では、田中前外相は外務省改革が思うように進まないのは、前に出ようとしてもスカートのすそを踏まれていて前に出られない、踏んでいるのは官邸にいるといい、自分を更迭したのは首相の間違いであると言い切った。全面的に現内閣に反旗を翻したわけだ。そしてマスコミも手のひらを返したように一斉に抵抗勢力に転換した。

民間のニュースキャスターやマスコミ一般の身軽さにはまったくもってハエみたいなもの。小泉首相が誕生した時には、90%近い支持率に寄り添って暗に抵抗勢力といわれている政治家を批判し、大衆に媚を売ってきた。世論の支持率の低い内閣は必ず長持ちしないという今までの経過を踏まえて、一斉に小泉批判に急傾斜した模様だ。バラエティ番組でも、朝昼晩とひっきりなしに小泉首相の批判が目に余る。政治評論家でもない、ちょっとテレビで顔が売れているぐらいのおばさんまでも言っている始末だ。諸葛孔明も断腸の思いで泣いて馬蜀(蜀は当て字)を断ったではないか。

よくよく分析してみると、田中前外相の言っていることは政治家としての、あるいは日本国の外相としての理念に基付いた発言ではなく、私事の怨念を吐き出したということで個人的鬱憤をメディアをつかって日本国中にばら撒いただけの話である。小泉首相にしたって誕生してまだ10ヶ月ではないか。誰が首相になれば、この国の現状を大きく希望のある国へと誘導できるというのだ。見守るという度量の大きさが求められているときなのだ。誰かが「世論に浮かれていると本当に衆愚国家になってしまうぞ!」と警鐘を鳴らさなければならないのだ。

郵政三事業の民営化、道路公団の民営化、効率の悪い特殊、特別法人は全て民営化し、税金を払ってもらうというわけだ。このようなことを大胆に実施することによって、官僚の天下りによる納税者の不公平感を無くし、政治家にあっては族議員の排除というねらいがある。このような大それたことを誰にできるというのだろうか。またペイオフの実施は、今まで銀行法により銀行はつぶれないという神話によって、天下り官僚が銀行の頭取におさまり経営責任を問われることもなく大盤振る舞いをして、今日の不況を招いてきたことを諌めるものである。銀行も左団扇で仕事ができなくなるということである。このような構造的な改革をしようといっているのだ。それにしても、日本の金融機関と旧大蔵省と日本銀行の責任者たちが予測を誤り現在の不況を招いたはずなのに、その原因の調査や誰が携わっていたのかなど一切不問というのはおかしい。

 福田官房長官と田中前外相のいざこざは、角福戦争を二世代にわたってやっているようで見ている方でも何だか怨念がましくてあまり気持ちのいいものではない。ご両人もその辺のところは意識しているようで、なるべくそのような雰囲気に持っていかないように努力しているようだが、当時を知っているものには下手に勘ぐられる。鈴木宗男議員のことは、中川一郎先生の秘書官時代から知っている。秘書官時代から現在まで“秘書の鏡”と云われている。中川一郎率いる青嵐会の金庫番であり、秘書でありながらその権勢は衆議院議員の当選1回や2回の議員では太刀打ちできなかった。私のように距離のあるものに対しては、面倒見がよく、早口でにこやかに“何をしてもらいたいのか”要求するぐらいの人だった。しかし当時鈴木宗男秘書官にお会いするのに、直接お会いできる人はそうは多くはなかった。必ずその下の秘書官がいたものである。その行動についてミニ角栄と言われているが、どちらかと言うと雰囲気は浜幸さんに似ている。
 その後中川一郎先生が自殺し、中川先生のご子息中川昭一さんと共に北海道5区から出馬し、見事お二人とも当選した。今回のODA疑惑で自民党内から離党勧告が出されそうであるが、口火を切ったとされる議員が、かつて中川一郎先生と政治信条を一つにした青嵐会のメンバーであることが因果を思わせる。

 さて構造改革であるが、医療改革は医者の収入を減らし、サラリーマン30%負担が明記され15年度から開始と聞いた。15年度といったら来年である。急いでどこが悪いのか今年中に治しておこうなどと思っても、こればかりは都合がつかない。診療報酬をカットされる医者もそれなりの社会的な地位があるのだから、それなりの経済的待遇を受けてもいいはずである。しかし一家に3台のベンツは要るまいと云われているようだ。豊かな生活はこっそりやればいいのにと思う。
今度削られるのは、間違いなく福祉関係であろう。特に措置費でまかなっている保育所の形態が変わろうとしている。すべて“受益者負担”ということになる。保育所を経営しているものにとっては大変な打撃である。当然入所者にとっても大変な負担になることは間違いない。幼稚園との違いは保育時間の差と所管が違うだけになるだろう。保育園や保育所のことはあまりよく知らないが、入所者が経営側と直接契約などとなったらかなり混乱するだろうなと思うし、0~2歳児などは到底措置されないと預かれないことになる。

 自分のことは自己責任においてまかないなさいと言うことだから、幼稚園側も対岸の火事としてみているわけには行かない。現在補助金の交付を止められたら、全国で1割の幼稚園しか残ることができないだろう。全額カットされることはないにしても、かなりの減額になる時代がそう遠くない時期にきっと来ることは間違いない。そのような状況が予想される中、保育所や幼稚園の公設民営化が進んでいる。地方の自治体で幼稚園を経営すると、私立の幼稚園と比べると3倍も費用がかかるというのも珍しくないからだ。だから自治体で私立に補助金を出して経営してもらったほうが安上がりなのだ。その上私立の場合は競争があるから、何とか良い保育をしてわが園に子供たちを呼ぼうとするので、質の低下ということもなくむしろ前向きで活気がある。

 何事にも大変な時代がやってきたようだ。幼稚園が保護者に試験される時代はもう始まっている。しっかりと信念を持たないと社会的なリストラにあってしまうのだ。心して前進しよう。

ユダヤ人青年のこと

 9月11日のニューヨーク貿易センタービルへの無差別同時テロという、その規模から言って前代未聞のショッキングな出来事があって、それ以前に起こった様々な出来事の影が薄くなってしまった。
 前代未聞の高支持率を引っさげて誕生した小泉内閣は、国内におけるNO1のニュースに違いなかろうが、それすらも吹き飛ばされてしまった感がする。前代未聞といえば、戦後のこの不景気も仲間にはいれる。何と言っても1929年の世界恐慌と同じような不景気だといっている人がいるくらいだから大変な不況のようだ。とはいえ、そのときの状況を現実の話として語れる人がいないのが信憑性に欠ける。
 テロ以後に皇太子ご夫妻に内親王殿下がご誕生なされたことは、唯一といっても差し支えないくらいのハッピーな出来事ではないだろうか。きっと来年はそのハッピーを引きずって行って良い年になるだろう。そのように考えよう。

 あおば台には実践保育については幼年教育研究所所長の久保田浩先生、理論武装の後ろ盾になっていただいている先生には、現在は東京成徳大学教授の杉原一昭先生がいる。その杉原先生が今年の3月に筑波大学を退官なさって、退官記念?と言っていいのか定かではないけれど2月13日に最終講義があった。私も妻とともに聴講のお許しを得て講堂に参座させていただいた。講堂は超満員で少し遅れてしまった私と妻はどうして良いものかと、しばらくは人と人との隙間から教授の顔を覗いていた。たしかに覗き見をしているような感じだった。前の人が少し動くたびに上下左右に私も体を動かさなければならなかった。こんな思いをするならもっと早く来ていれば良かったと悔やんでいたところに、杉原先生が主管されている幼児心理学研究会の研究生が、目ざとく発見してくれて、隅のほうの席に誘導してくれた。大助かりであった。
 杉原先生との出会い云々は紙面が足りないので後に譲るとして、私は先生の授業が受けたくてニセ学をさせてもらった経験がある。授業が受けたいと思ったのは生涯この一回だけである。しかしこの途方もない図々しさよりも、さすがに私の羞恥心が勝り一日と持たず退散してしまった。やはり大学は合格して行きたいものだ。
 その先生の最終講義のテーマは「生きることと死ぬこと」だった。ある老教授の生き方が題材として取り上げられそれが講義の柱であった。「得ることよりも与えることに人生の価値があるのだ」「老化することを素直に受け入れる。老化は単なる衰弱ではない、一つの成長であると楽しんでいる」何とも含蓄のある言葉である。
 あるユダヤの青年がナチスの憲兵に捕まり、明日にもアウシュビッツに送られガス室に放り込まれてしまうのではないかというその晩に、青年は収容されている場所をこっそりと抜け出し、町の図書館に盗みに入った。そして自分が一番読みたい本を選んで持って帰った。
「生きることと死ぬこと」・・・・しばし唸ってしまった。「あ~あ 何ということだ!」とも叫んでいた。年の瀬になって年初めの頃の話で恐縮していますが、今年一番の、否過去に覚えがないほどの魂を揺さぶられた出来事であった。自分の心臓を握り締め、悔しがっているのか、無性に涙が止まらなかった。人はそれぞれに考え方も感じ方も違うが、私の半生においてこれほど強烈なことはなかった。
 私はただただこのユダヤの青年のことと、杉原教授に感謝がしたくて駄文を労してしまった。何か大きなものを失っていたことに気付いて、大きなものを与えられた気がしてならない。この歳になって・・・・ありがたいことだ。
毎年12月23日には先生の教え子達が集まる「杉の子会」がある。今年はもうすぐである。先生に会えること、皆に会えることをとても楽しみにしている。

もっと言わせて

ニュ-ヨ-クの世界貿易センタ-ビルへ、旅客機をハイジャックしたテロリストが突っ込んだ。現実は小説よりも奇なりと言う諺があるが、映画のシ-ンでも見られないような光景であった。事件のあった当日何も知らなかった私は、翌朝のテレビのニュ-スを見て気づいたのたが、最初はまだ自分が寝ぼけているのではないかと何度も我が目と我が耳を疑った。他のチャンネルを回してもどこでも同じニュ-スを流していることに、ようやく事の重大さに気づいたという、何とも情けない次第であった。
 ちょうど朝の仕事始めか出勤時間に重なって、その被害は計り知れない。いち早くブッシュ大統領は「アメリカへの戦争行為である」「われわれはテロ組織の殲滅を確実に行う」ことを全世界にアナウンスした。日本の野党議員の中には「ざまあみろ!と思っている人もいる」と自分のホ-ムペ-ジに書いた若い女性議員もいた。大衆の批判によって慌てて謝罪したらしいが、そういった価値観しか持ち得ない人物が国会議員にいるというだけで、日本の、日本人の社会性とモラルが疑われる。
 このような重大な事件が起こると、その人の価値観や人生観がはっきりと表れてくる。日本でも今回は湾岸戦争のときよりも意識が高く87%の国民が後方支援に賛成している(読売)。日本人を含め世界80ヶ国の人々が犠牲になったのだからその怒りは当然のことである。無差別大量破壊と大量殺人に世界が愕然としているにもかかわらず、まだ「アメリカの問題」「武力反対」だの「罪のないアフガンの市民はどうなるのか」などと倒錯した論理をかざしている日本人もいる。
 わたしは思う。国の始まりが一つの家庭だとするならば家庭の主人に問うてみればよい。あなたの妻子が何らかの人的な事故に巻き込まれた時、暴漢に襲われて命の危険にさらされた時や、そして命を奪われた時、あなたはどのような行動をとるのか。普通の人間なら、そして家庭に愛情が深ければ深いほど、悲しみも深く憎しみも深くなるはずである。フェミニスト然として遠くのほうで「武力行使反対」を唱えてもいいが、毅然と論拠を示し命がけで主張すべきである。忘れてならないのは犠牲になった家庭の人々の前でもしっかりと主張しなければならない。

 さてこのところ当然といえば当然のことだが、アメリカのアフガン進攻がいつになるのかということが大体のニュ-スの行き着く場所になってしまっているが、問題があるのはアフガンばかりではない。
尖閣列島に中国の調査船が入って地質調査の名目で掘削作業までしていたという報道があった。国際法上他国の領土での掘削活動はしてはならないということになっているらしいが、外務省は「やめてください」と先方に伝えただけで「そんなことをするなら出て行ってくれ」とは言わなかった。中国は覇権を唱えないと対外的に紳士の風情を見せながら、フィリピンとベトナムが領土を主張している南沙諸島の問題では、話し合いよりもまず軍隊を出して既成事実を作ってしまった。それほど遠くない将来、いずれ尖閣列島も武力をちらつけながら領有権を主張してくるだろう。そのとき日本はどうするのか―――。戦うくらいなら領土を放棄してしまえという類も出てくるかもしれない。靖国問題でも教科書問題でも国内の問題にもかかわらず韓国や中国に干渉されている。どこの国にこのようなことを許している国民がいるのか。
 わたしは戦後生まれだから、戦争によって日本軍がどれほど悪いことをしたのか分からない。父は軍人だった。多分両親から聞いてはいないが、身内の中で何人かは軍人で人殺しをしただろう。わたしはそれを恥じだとは決して思ってはいない。世界史を紐解いても、中性のヨ-ロッパは植民地政策一色で隣国同士で覇権を唱えて争ってばかりいた。日本といえば1853年にペリ-が黒船を連れて浦賀にやってきた時初めて安眠から目がさめた程度で世界で何が起こっているやら知る由もなかった。アフリカを欧州列強が植民地化しほぼ制定した頃、今度はその矛先はアジアに向けられた。アメリカは1776年に独立したので植民地政策を採るのがかなり遅れて、殆どが欧州に取られた後であった。浦賀に来たアメリカ人は、日本人のちょんまげを見て「皆頭にピストルを乗せている」といって恐れをなしたというエピソ-ドが残っている。アメリカのあとにはフランス、イギリスなどが続々と日本に開国を迫り虎視眈々と日本を餌食にすることを狙っていた。そして明治維新を迎えた。
西郷隆盛は大政奉還後職を失った浪人対策に征韓論を唱え、日本もまた欧州列強の餌食にならないように、植民地政策をとることになる。1894年日清戦争、1904年日露戦争、1914年第1次世界大戦と10年おきに戦争をしている。この戦争の全てに勝利したが1941年に真珠湾攻撃やシンガポ-ル上陸作戦に始まった第2次世界大戦で1945年遂に日本は敗戦国となった。無条件降伏だから何とも言いようがないが、あの東京裁判は戦勝国が敗戦国を裁いた裁判で、同じ敗戦国であるドイツはニュ-ルンベルグ裁判でナチスが裁かれている。
戦勝国が敗戦国を裁くこと自体すでに平等性を失っている。また戦争という狂気に満ちた状況を平時の法に照らすこと自体ばかげていると言い放った日本側弁護人のアメリカ人がいた。そして彼はなおも続けて「もしどんな手段でも戦争において人が人を殺したことを罰するなら、わたしは一瞬にして何十万もの非戦闘員を殺した爆弾を投下することを命令した人の名を知っている」と言った。A級戦犯などとは戦勝国の終戦処理に使った言葉で日本人が使う言葉ではない。
歴史教科書はどこの国でもわが国からでしか見ない。朝鮮半島がヂンギスハ-ンに攻め滅ぼされその配下になったときでも戦争に負けたとは書かない。事実を知らないから何とも言えないが、戦争を好まないわが国民は仕方なく云々―――と書く。アヘン戦争もイギリスの世界史とは大分違う書き方をするのであろうし、同じ中国でも台湾との歴史観は天と地ほどの差があるだろう。
国と国との駆け引きには何とかカ-ドというカ-ドをちらつけながら折衝をする時がままある。靖国や教科書問題を他国の駆け引きの道具(カ-ド)にされないように、内政干渉させないという独立国家として背筋の通った外交を願いたいものである。また国内がトップの為政者に不利な世論が横行している時、国民の目を国外に転化させるのは途上国の為政者の常套手段である事もつけ加えておきたい。

わたしの友人から、東京都知事のように乳幼児期から早めに親から手を離す政策が善政とみなされることに少なからぬ危惧を抱いているというメッセ-ジが届いた。わたしも同感である。親の利便性の追求が痛ましい事故につながっていることはすでに承知であるが、この種の事故が絶えることがない。
テロへの報復で自衛隊派遣もいいが、子どもたちの賑やかな声が街角に響かなくなった国は衰退するのみ。子どもたちのゆとりある生活を求めて、来年度から学校5日制になるが、誰がゆとりある生活なのか。労働者である教師の生活のゆとりである。教師も労働者であるといって授業放棄してストに参加した教師もいた。その名残がまだ脈々として存在している。教師は特別だから公務員特別法によって一般公務員とは違う給与体系になっている。教師は特別だからという意味は聖職だからなのに、何を持って特別法が必要なのか疑問である。自分達の要求ばかりして子どものことなど何一つ考えない労働者もいる。この労働者とは労働者階級のことを言うのであって、わたし達は別名彼らを労働貴族と呼び、一般労働者から搾取している詭弁論者を指すことが多い。マルクス、レ-ニン主義の労働者革命から由来しているが、旧ソ連にしても中国共産党にしても、医者と教師は労働者という階級から外してあった。
藪から棒だが緊急提言したい。公立の教師採用にあたっては1年以上の民間会社での採用を条件として、その職務成績によって採否を決定する。なぜなら教師は知識の切り売りだけではなく全人格的な要素が子どもに影響するからである。ドイツではすでに行われている。2番目に乳児0歳から1歳までは各自家庭において親が養育する。それに関わる費用は国や地方自治体が負担する。でき得るその根拠として0歳から1歳までの乳児を預かる保育所などの経費から算出すれば容易にできる。また夫婦に不安を生じさせないよう子育て相談員は地域の幼稚園や保育所が行う。
「米百表」の話もすらっと出てくるほど教育に造詣の深い小泉総理のことであるから「国づくり百年の計」は「平成の教育改革」からを是非とも機会あるごとに提言していきたい。

どうしたらいいのかなぁ?

夏の穂高の研修で、最近子どもたちの遊びの中で“おかあさんごっこ”が以前よりもかなり見られなくなったという報告があった。代わって犬や猫といったペットになる遊びが増えていると言う。前者は、お母さんは忙しすぎるからと言い、後者はかわいがってもらえるからと言う。情けないことに人間に生まれてくることより、犬とか猫といったペットに生まれてくることを望んでいるようではないか。―――おとうさん役はあってもおとうさんごっこは言うに及ばず今でも聞いたことがない。おとうさん役を買って出てやる子はまれである。「いってまいりまーす」「ただいまー」「おやすみなさーい」というようにセリフがいたって単調で力の出しようがないので面白くない。
わが園ではそんなことはないであろうと、高をくくって2学期の子どもの遊びを注意してみていると―――あった。ままごと遊びはあるが、お母さんごっこは見られない。ままごとでもバブちゃん(あかちゃん)になる子は少なく、兄とか姉になって命令調で得意になって指図する側にいることを好んでいるようだ。そうかと思うと、犬や猫になって紐を手に巻きつかせていたり、自ら首に紐を巻きつけて、従順にご主人様のうしろについていくといったことを真顔で楽しんでいる。
私たちの育った年代の母親が、犬や猫になって楽しんでいるこのような光景を目にしたら何と言うであろうか。セピア色した話で申し訳ないが、たぶん半狂乱になって私たちを叱り付けたに違いない。見方、考え方の違いだと言えばそれまでの話だが、人間であることを楽しむ遊びのほうが人間として自然である。断っておくが、これは表現遊びや擬態表現を楽しんでいると言ったものではない。子どもの自然な心の発露だからこそ問題視しなければならないのである。
 昼食のお弁当にしても、子ども達は自らの空腹を癒すために食するのではなく、おかあさんに悪いからと言う。母親もまた「食べてくれない」「食べてくれた」“くれた”“くれない”という表現を使う。病人でもあるまいに、飽食の時代だからとはいえ、何か歯車が狂いだしているように思えてならない。
幼児教育を預かっている私にも何らかの責任がある。どうしたら子どもたちが安定した生活の中で、生き生きと希望をもった毎日を送れるようになるのだろうか。―――子どもが生き生きと生活するには、愛されなくてはならない人に愛されているという実感と、いたずらや冒険をする権利を保障されることが大切なことだ。たくさんのおもちゃを与え、嫌がるほど満腹にさせることではない。―――幼稚園の受容の中でたくさんの冒険をさせてほしいものだ。
子どもから見て親や大人はどうしたらいいかということは、あまり口にしないほうがいいらしい。出来もしないことを理想だけ追いかけていると周りにいる人たちがくたびれるそうだ。子どもたちにとっては大人が自分達に責任を取ってくれない受難の時代だ。―――できるか出来ないかは、親や大人に覚悟があるかないかの話なのだから。
少子化問題を解消するために、子育てが大変だから生んでくれさえすれば後は国が面倒を見ましょうといった政策がとられるようになった。社会を構築する最小単位の親子の情愛を無視した政策である。これで世の中うまくいくはずがない。ルーマニアのチャウセスクがとった政策でもある。もっとも中身は大分違うが、親ではなくて国が子どもを育てると言う発想は東ヨーロッパの独裁国家にあった。彼らはそうしてロボットを作ることを考えた。
人間の子は皆未熟児で生まれてくる。生まれてから親に抱きかかえられ知恵を授けてもらうためだ。ジャングルの中で生活している動物達は、生まれてまもなく立ち上がるものもいる。しかし母親は危険な場所を知らせることと狩りが一人前にできるまでは決して子どもを手放したりしない。こう考えてくると、子どもたちが犬や猫になって好んで遊んでいる現象も分かるような気がする。地球の自然を守ると同時に、人間の営みも自然に回帰せよと言う信号ではないか。―――子どもたちが変わったのではない、大人たちが変わったのだとゆうことを再認識しようではないか。

"3歳児神話"って何?

突如としてこんな見出しの記事を目にした。「お母さん働いても大丈夫」「幼児の成長と無関係?3歳児神話?を覆す」。その内容は、子どもが3歳になるまでに母親が家の外へ働きに出ても、子の発達に悪い影響を与えないことを、国立精神・神経センター精神保健研究所(千葉県市川市)の菅原ますみ室長らが16年の追跡調査で確かめたというものだ。
 さらに「母親が幼児期に働いたから、子どもに非行など問題行動が表れる」とする説を否定したデーターだ。「3歳までは母の責任で子育てすべきだ」とする3歳児神話をあらためて覆したとある。
 私は、幼稚園の父母たちに「3歳児神話」なる言葉の意味とその由来について訊ねてみたが、勉強不足なのか私を含め知るものは殆どいなかった。それほど世間に知れ渡っている言葉ではなさそうである。しかしこのような記事を見たのでは、一保育者として黙って見過ごすわけには行かないだろう。
この記事を読んだのは平成13年4月29日である。今日までこの記事に関して反論や意見などは目にしていないが、もしも何らかの形で出ていたとしたらお知らせいただきたいが、私は私の範疇で疑義をはさみたいと思う。
そもそも「3歳児神話」とは何者であろうか。昔から「三つ子の魂百まで」とか「7歳までは神の子」といった子育てに関する諺があるが、そのくらい幼児期の発達は重要であるということには同意を得ることはできるであろう。「だからなるべくならば母親がついていてあげたほうがいい」という議論に「いやそのようなことは神話に過ぎない」と言ったのが「3歳児神話」の始まりだと聞いた。
さらに記事の内容を続けよう。・・・子どもが胎児から14歳に成長するまで問題行動などを郵送や面接で調べた。・・・子どもの問題行動は「騒がしい」「ののしり」「かんしゃく」など21項目を母親に聞いて判定した。と読んだところで、母親からの聞き取り調査であったことに気がついた。子供を追跡調査したものではなく子どもを産んだ母親を追跡調査したものである。その中で子どもが3歳未満で働きに出た母親の子どもと、専業主婦であった母親の子どもとを比較したものであり、しかも実の母親から聞き取るのである。「お宅の息子さんの家庭での態度や友達づきあいなどについてお話ください」と。まず経験から言って、実の母親から我が子を否定した言葉はまず聞かれまい。そして何よりも判定する側が何をねらっているのかによって、集計の考察が左右されるのである。しかも社会に影響を及ぼすこのような調査は、自分の目で確かめなければならないのが鉄則であるにもかかわらず、調査対象となる子ども達には面接していないのである。16年間も追跡調査をした割には子ども達の実像と違った結果が出てくることが大いに予想される。
時も時、政府は少子化問題と女性の社会進出による「安心して育児ができる」政策に躍起になっているところである。安心して子どもを産めない理由に、育児に対する不安があるのではないかと考えそれを解消するのに「待機児童0」という保育所の機能を強化することにした。子育て支援策に手をこまねいている行政側にとっては、この記事がまたとない追い風であることは確かなことである。
何の事はない、これは子どもを産んでも後は保育所で面倒を見るから安心してくださいというメッセージなのである。自分で子育てをしなくても保育所に預けておけば子育ては出来ますよと言っているのに等しい。これは子育て放棄、産みっぱなしを奨励しているようなものだ。国に不文律な教育観がないことを露呈したようなものである。その証拠に駅前保育や託児所などに規制緩和をし、園庭がなくても許可を与えることになってしまった。「子どもは環境で育つ」というのが幼稚園指導要領である。子どもは遊ぶことに主たる主体を持っているのに、外で遊べないで何時間も母親を待たなければならないことが子どもに良い影響を与えるはずがない。
もう何年も少子化対策といっては、働く母親や働く女性のための対策を打ち出してはきたが、一向に子どもの数は増えてはこない。むしろ減少の一途をたどっているのが現実である。小手先の物理的なことだけでは、女性が子どもを産み育てる動機にはならないことがはっきりしているのだ。
女性に、子どもを産み育てることの誇りと尊さを教える者はいない。女性が女性としての存在は子どもを産めることである。何も男性に混じって、同じ仕事をこなし体力も男性に近づけることが男女共同参画社会ではあるまい。男女ともに生まれながらの特性を兼ね備えている。その特性を尊重しあうことが、同じ人間として生きてきたことを喜び合えるのではないか。女性を侮辱するのは本意ではないが、男性の必要以上の譲歩は、かえって女性を侮辱していることになりはしまいか。男性を片端から口撃し悦に入っている大学の女性教授もいるが、幼児期にはお姫様ごっこやお母さんごっこをしていたに違いない。今のように戦いごっこに興味を持っていたとはとても信じ難い。女性が子どもを産まなくなったのには、もっと根の深いところにその理由があるように思えてならないのだ。

私には長年幼児教育に携わってきたものとして、またその道を絶えず学んできたものとして、どうしても批判を恐れずに言っておかなくてはならないことがある。
保育所と幼稚園の関係である。保育所は厚生労働省、幼稚園は文部科学省というように国の管轄も違うが保育所に関わる行政側の視点は常に母親に向けられたものであり、幼稚園は子ども側に向けられたものである。以前の保育所は保育を要する子ども達を収容し、国庫によって措置されたものであった。保育を要するとは、乳幼児期に親が見ることが出来ない子ども達のことで、戦後まもなく保育所が出来たのも頷ける。
保育所は児童福祉法で、幼稚園は学校教育法によってそれぞれ守られている。経済大国世界第2位の日本のこの時代にまだ保育所があるとか、同一国家の中で同じ幼児期を育てているのに、それぞれに異なった育て方がある事や、国の補助金のかけ方が不平等などの不思議や、幼保一元化できない主たる要因は、官僚の縄張り意識の産物であると言うのをどこかで聞いたことがある。
前述した駅前保育や、園庭のない保育所は子どもに良い影響は与えない。子どもを犠牲にして親の利便性を得るかとの二者択一であるが、私は子ども側にいる以上「何故そんなところへ押し込んでしまうのだ!」と言いたい。痛ましい事件がおきている幼児施設を今一度洗いなおさなければなるまい。
乳幼児期には、なるべく家にいて子どものそばにいてやりたいと願っている母親が大半である。誰もがそう願っていると言っても過言ではあるまい。何らかの理由でそうできずに子どもは生まれてからまもなく保育所という他人に預けられることもある。
幼稚園は3歳からであるが、3歳児でさえ親から離れるのには手足をばたつかせ、抱きかかえる教師を引っかいたりたたいたりしながら親から離れまいと精一杯抗い絶叫する。生後6ヶ月や1・2歳児などはどのように抵抗するのだろうか・・・。
生まれてから半年もしくは1・2年で保育所に預けられる。多分火のついたように泣きじゃくっているだろう。保育者があやし、上の子が泣きじゃくっている子を見て頭をなぜにやってくるが、母親がいなくなったショックはそう簡単には収まるはずがない。そのうち親がいなくなることをあきらめなくてはならなくなる。最初に教えなければならないことは、次に母親が迎えに来るまで待たなければならないことである。子どもにとってはあきらめることである。保育者は「お母さんすぐ来るからね」と子どもに何度も何度も伝えるが空しい。そのような悲しい積み重ねが徐々にその子の内面にインプットされていくのだ。それがストレスになるか、または脳のニューロンに組み込まれるかは定かではないが、子どもにとって良い体験ではないことは確かである。

幼児期に母親が家にいないことが幼児の成長とは無関係とはまったくの的外れである。発達心理学を学んだものや、脳の仕組みや大脳生理学を学んだもの、あるいは京都大学で霊長類を研究なさっている学者の著書などを拝読すると、幼児期の心の支えの重要な部分は殆ど母親の会話とぬくもりである事は自明の理である。またそれが将来に大きな影響を及ぼすのである。脳の発達も、幼児期の経験を土台にして人間としての性格や学力なども8歳までに出来上がってしまうと言われている。
では何らかの理由があって、保育所に預けることは子どもにとって悪いことなのかと問われればノーである。子どもと向き合って入れば心配はない。この場合の向き合うとは、母親のいない寂しさを母親がフォローしなければならないことだ。また他人に任せるのはいけないことだ。
幼稚園でも保育所でもどちらに通うのでもあまりこれと言った大差はないが、乳児期に子どもを放さなければならない母親は、その子に注がなければならない愛情を必ずどこかで取り戻さなければならない。

養育や保育の原点は、生まれてから間もない子ども達に、何も辛い思いをさせたり悲しい思いをさせる必要があるまいと言うことである。生まれてきてよかったと、言葉にうまく表せなくとも身体いっぱいに表現したりできる子どもが全てに勝るのだ。

子どもが自ら成長していく力に、どれだけ大人が上手にサポートしていけるのか、自分自身の評価も交えながら子ども達を見守っていこう。
もうひとつ言っておかなければならないことがある。世の中を騒がせている非行少年、非行少女、あるいは凶悪な犯罪を起こす者の幼児期の生活はどうだったのか、全てに共通しているものは親の無関心である。幼児期の寂しさである。我が子の顔を両手にはさんで今一度まじまじと眺めてほしい。そして「今幸せか…」と聞いてほしい。

たかが弁当されど弁当

 わが園は創立以来(昭和52年)ずっと弁当持ちで、給食にするなど考えたこともなかった。創立当時はまだ、幼稚園はお弁当持ちみたいな暗黙の了解のようなところがあって、弁当がいいか給食がいいかなど問題視されていなかった。3歳児入園にしても2年保育が主流で非常に珍しかった。
 九州のある地方の話である。夫婦と1.3.5年生になる男の子ばっかりの兄弟との5人家族の一家が、マイホームを建てごく普通の幸せな生活をしていたが、ある日一家の柱でもある父親が交通事故を起こし、しばらくの間意識不明のまま入院していたが、とうとう亡くなられてしまった。
 事故の後始末に対人補償などの思いもかけなかった借金が出来てしまった。住宅ローンと重ねると大変な負担である。それでも3人の小学生の子を持つ母親は、夫の形見でもある家を絶対に離すまいと決心し仕事に就くことになった。
 昼間は保険の外交をし、昼休みにはレストランの皿洗いに、夜はビル掃除にと。しかし女の細腕では世間の風は冷たく、借金の元金はおろか利息さえも遅れ気味となってしまった。情け容赦ない社会のシステムに心身ともに疲れ果て、いつの頃か家を手放そうと決心する。昔主人がお世話になっていた大きな家の主に「軒先でも倉庫でも結構ですから」とこれから住む家を何とか確保できたが、家を売ったからといって借金が消えたわけではなく、暮らしが少しでも楽になるということではなかった。気丈な母親であったが、家を手放した頃から生きる力が徐々に失せていった。そして長男の首に手を回そうと妄念がちらつくようになった。
 小学校の運動会。昼休みに少々照れくさいけれど家族で食事をするのが、至福の喜びである。誰もが幸せを感じるときだ。5年生担任の女の先生が、余計なことかもしれないが多分お母さんは忙しくてこれないだろうと思い、3人の男の子の分までお弁当を作ってきてくれた。それはそれは立派なお弁当で、重箱いっぱいに花を敷き詰めたような、見るからにおいしそうなお弁当である。心を込めて時間をかけて一生懸命つくったに違いない。
 食事の時間がきた。先生が3人の男の子を呼び寄せる。「さあ召し上がれ」と、半ば歓喜で迎えてくれることをひそかに期待しながら。しかし彼らはせっかく時間をかけ工夫しながら作ってくれた先生の弁当には目もくれなかった。彼らが寡黙に食べていたのは、母親が作ってくれた白いご飯の上に紅生姜で?ガンバッテ?とただ書いてある弁当だった。彼らはそれを崩さないように大事そうに食べている。教師は初めて教師である限界を感じたと後に述懐している。
 そんなことがあったことを知ってか知らずか、とうとう母親は今晩長男の首に手を回すことを決心する。最後の夜になるという日に母親は初めてお酒に酔った。子どもたちが寝付く頃を見計らい重い足を家路に向ける。
 裸電球のスイッチをひねり、3人の子どもの寝顔にひるむまいと覚悟を決めて長男の首に手を回すと、枕もとに?おかあさんへ?という手紙があった。その手紙に手をやってあけてみると、

  おかあさんへ
  毎日ぼくたちのためにお仕事ありがとうございます。
  今日学校から帰ってからお母さんに教えてもらったお り豆をにました。弟たちは「こんなまずいものは食えねえや」と言って先にねてしまいました。今度はきっと上手ににるからもう一度教えてください。なべの中に豆があります一粒でもいいから食べてください。お願いします。

と書いてあった。そして母親は言うに及ばず、もう一度生きていく決心をしたのだ。

私が弁当に拘るのには、私の経験からくるものだがこのような実話があることも大きな要因になっている。現実主義者や理屈っぽい人から、「だからなんだ」と言われればみもふたもない。
懐古趣味みたいに、セピア色になったものを後生大事にしていると、もっと大切なものに目が行かなくなるぞとも言われる。
 生まれたときから、電化製品で氾濫している時代に育ったお母さんたちに、たらいと洗濯板を渡したって無意味なことだとも言う。反面弁当持ちで3年間過ごしてきた母親のすべてが、この時代だからこそ子育てに自信がついたと異口同音に話している。しかしそれは入園してからの話で、ほとんどは入園前に弁当を作ることに抵抗を感じていることは事実だ。
 絶対に弁当持ちがいいことは自明であるが、作ることが面倒なのだろうし、なるべくいやなことはしないでうまく育ってくれたらいいと思っているのが本音だろう。弁当がもたらす教育的意義は、親子の絆を深めることばかりではない。名状しがたい無量の価値がある。弁当が全てだとは言わないが、弁当の大切さを改めて認識して欲しいものである。

思うがままに

ホームページの威力とその危険性について、少しずつわかってきたような気がする。便利なものが発明されると、それをうまく利用してビジネスに直接転化して一躍脚光を浴びる人。またはそれを悪用して御用になる人。ホームページそのものには何の罪はないけれども、使う人によっては天使にも悪魔にもなりうる。願わくば善良な市民の楽しみの道具であり、企業の会社紹介ぐらいにとどめておきたいものだと思っている。自分の意志を自由自在にパソコンを駆使できる人には物足りなくなるだろうが、是非とも責任ある行動を取ってもらいたいと思う。
 ある友人から「あまり政治的には首を突っ込まないほうがいい」とご忠告を戴いた。かつては民青がどうだったのと学生運動に埋没していた彼であったが時代の変遷を痛感する。 
 樺美智子さん(この字でよかったかな)は60年安保の時に国会突入を謀り、機動隊ともみあって尊い命を奪われた当時東大の女性闘士であった。その手記の中で、会議中に後退的な発言をする仲間に何度も「日和るなっ」と檄を飛ばす場面が見られるけれども、歯切れが良くてうっとりする。勿論私はまだ小学生の頃の話だから、あとになって読んで「女性ってすごいんだー」と妙に感動した自分を思い出す。
 そのときの感動がまだどこかに残っていて、「日和る」ことは命をかけてもしてはいけないものなのかと、痛烈に心の中に刻み込まれている。しかしそれは青年の美学なのかもしれないとも最近では思うようになってきている。それにしても「戦争につながる日米安保絶対反対」は過去40年を振り返れば間違った判断であることが実証されているけれども、「安保反対」を唱えて純真な学生をかりだし、政治的な洗脳をしてその命を奪い、人生を狂わせた先導者は、一体誰でどのような責任を取ったのだろうか。樺美智子さんの人生はなんだったのかと無念さが残る。
 こんなことを書いていると、「幼稚園の園長なんだからそれに付随した物を書いたらどうだ」とお叱りを戴くことになるかもしれない。しかし思うに、保護者の皆さんは保育が、子育てが分からないから幼稚園に通わせているのではないでしょうし、要は私の言葉から安心というお墨付きをどこかで戴きたいと願っているのではないかと思っています。心配することはありません。保護者に勝る保育者など私は見たことも聞いたこともありません。
ご自分で感じたとおりに育てることが一番間違いのない育て方なのに、ある本にはこう書いてあったからと言って、その本のとおりに行ってうまくいかないと悩むなどというのが良く聞く話である。親子の感じあう感性を優先させることが親子の絆を深めることになる。いつでもどんなときでもとは言えないが、年中ぐらいまでは本を頼らないで、自分の感じたものに自信を持ってお子さんを抱きしめてやっていただきたい。
 その幼稚園をみるのには、トップが何を考えているかをみればその幼稚園のすべてが分かる。会社にあっては社長の人物像。家庭にあっては父母の考え方によって家庭の中が見える。最近では、父母というよりは思い切って言えば母親の考え方がとっても大事。
 だから私は、そういったことを踏まえながらも中傷を恐れずに、反論やご意見には謙虚に耳を傾け、自分自身の今頭の中にあることを書いていきたいと思っている。

言ってもいいのかな?

 「ちょっと言わせて」はなかなかの意味あるタイトルで、使う側にとっては非常に都合のいい言葉だ。だからといって無責任に勝って気ままに書けるというのではなく、どんな事象にも「ちょっと言わせて」と入っていけそうな気がする。
 それでは、すったもんだの政局について「ちょっと言わせて」。
 加藤、山崎両反主流派の党内ちょっとした革命も、本会議欠席、不信任案否決というあっけない幕切れとなって一応の決着を見た。森首相の政策行政に何か失政があったのだろうか。あろうはずがない、スローガンばかりでまだ何も目に見える形での効果がないからだ。そんなヤキモキしている国民の声が加藤さんのHPに飛び込んできたのかもしれない。残念ながら国民は森おろしにそれほど真剣ではなく、実はマスコミの森おろしに実直な小市民の一部が翻弄されていたに過ぎない。何しろマスコミは、売れる記事を作り出すのに時には売国奴のごとく振舞っても何ら羞恥心を持たないことがある。そのような扇動的役割を担っているのがマスコミであるといっても過言ではない。勿論すべてのマスコミがとはいえないが、今やペンは正義ではなく、無法な暴力である。かつて日本を紹介した本「菊と刀」には、日本とアメリカの文化の違いを「恥の文化」と「契約の文化」と置き換えた人がいたが、少年の頃に知ったことでとても新鮮で妙に納得して、侍魂を誇りにさえ思っていたが「恥も外聞もない」と言った日本語の方が、今ではぴったりとくる。 あの本もいくつかの訂正を強いられそうである。
 それにしても加藤さんの幕引きはいただけない。自分についてくる仲間のことを思っての決断であることは解る。しかし、その選択に異議を唱えるのは、私ばかりではあるまい。城盗りの武将としては自ら勢いをつける度量にかけるのではないか。いずれにしても、加藤さんの首は飛んでしまったのだから、速やかに強靭な後継者を指名し潔くすることが肝心だろう。
 情けないことは、同じ派閥の中にこうもりみたいな奴がいて、あっちこっちと情勢を判断し、勝組に狙いを定めたら、あたかも一番槍を仕掛けたのごとくに振舞うやからのいることである。
 主流派も不信任案を否決したら「それが即信任であることだと思わない」と野中さんの言葉。森さんは「激励だと受け止めている」と言う。このやり取りを国民の誰もが立派な国語だとは思っていない。このように分かりにくい曖昧模糊とした言葉を言い放って、なんとも感じない永田町の神経に国民は苛立っているんだということにそろそろ気付いたらよさそうなものだ。
 現在の自民党は公明党抜きでは何も決定できない。政権与党であるけれども、政策を遂行するための与党ではなく、政権を持続するだけの政党に成り下がってしまった。この前の衆議院の選挙でも、惨敗しているにもかかわらず「良く健闘した」とは党幹部のコメントである。他党に必要以上に譲歩するのは、すでに自民党の崩壊を示すものである。案外野党の言っている「自民党の末期的現象」は当っているかも知れない。これから後自民党をだめにした幹部たちを、それこそ歴史が彼らをいたぶることになるであろう。
 不信任案否決後の国会中継を聞いていたら、野党の質問はほとんど政府の追及や個人への攻撃に終始し、国民の代表として互いに手を携えて協力し合ってこの国を何とかしてゆこうという姿勢は微塵も見られなかった。政党政治の中で、党利党略を第1儀に考えない党など存在しないことが良くわかった。
多数議決の議会制民主主義は解るけど、よほどの哲人が現れない限りこの国はだめになってしまうのではないか。多少強引でも衆愚に寄らない政治が出来る人、民衆のために命をかけることをいとわない人。得よりも徳を重んじる人。
首相公選制はどうだろうか。かつて自民党の中曽根さんが提唱していたと思っていたら、自分が首相になってしまったらかどうかは分からないけれど、いつのまにか立ち消えとなってしまったようだ。国会法か何かはわからないが、国民の声が高まれば首相公選制の可能性は大いにあると思う。混迷を極めているときこそがチャンスであるように思う。
政治に興味を持ち意見を持つことがこの国を良くする最大の近道である。私はずっとそう思ってきた。例えば自分の暮らしを今よりももっと良くするには、政治家がどのように動けばいいのか、それは果たして可能なことなのか。友達が困っているときに行政は何が出来るのか。政治を考えるのに、身近に山積している課題は浜の真砂の如く尽きることはない。

そろそろ皆さんに尋ねよう。政府が少子化対策で打ち出した「預かり保育」は、夫婦が子どもを安心して産み育てようとする動機になりうるだろうか。働く母親にとっては便利であることは承知しているが、うまいところだけを取って立派な子どもに育てて欲しいなどという願望は持たないほうがいい。子どもは親がしてくれたことに対して忠実に返してくれる。それは満ち足りても足らずしても、手をかけても手を抜いてもそれなりに返ってくる。世の中や他人の責任にしてはならない。
 あなたの子どもが、社会に出て多くの人から信頼され素晴らしい家庭を築いていくのには、当然のことながら子育ては他人任せであってはならないし、手を抜いてはならない。やっただけは子どもがきっと返してくれる、期待を持って楽しい子育てをしたいものだ。そのための私は、見事なサポーターになれるよう努力することに何物もいとわない。