初等学部の理事長で、幼稚園の園長でもある港先生の熱い想い

2017年6月の記事一覧

子どもたちが自治する学校

小中学校では昨日ミーティングあった。テーマーは『給食の時間を短縮したい』ということだそうだ。ランチルームに行くと様々な意見のあったことが白板に書かれている。中には給食前の授業を早く終わらせるなんて言うのがある。子どもらしい率直な意見だろうが、まさかこれは通らないだろう。非常に建設的な意見が多くて驚いた。素晴らしい学校になりつつあるけれど、大多数の保護者は素晴らしいと感激してくれるけれど、建前と本音が見え隠れする。世の中は建前が真実だと私は思っている。

 

給食の始まる少し前の風景で、中央の二人が『お替わり委員会』の委員で、今日のおかわりの回数をみんなに伝える。一番下の写真の手持ちの黒板に書いてある。

 

次の女子二人は、昨日のミーティングの結果を皆さんに報告している。『今日はいつもより早く食事の用意ができましたので、明日も頑張りましょう』ということだった。自発的な報告であって、だれがするとかいうのは決まっていないそうだ。自分たちの生活の場であることが意識としても定着している。

その次は男子児童一人で食後の授業の集まり場所をみんなに報告しているようだ。教師が頼んだわけでもない。それが終わって食事当番の二人の男子生徒が『いただきます』をやる。結構セレモニーが長いので給食の時間がとられてしまうのではないか。こんなことを言うと子どもたちに叱られてしまうだろうな。

色々あった

毎日が色々なことがある。幼稚園に行けば一人一人の躍動した人生の『今』があるし、学校へ来れば、小中学生と言う年齢差の大きな仲間たちがいる。この子たちが日々織りなす風景というものは、定点観測のように子どもを見ていたら、多分そこを離れなくなってしまうだろう。今日は年中さんが初等学部へ来てオアシスへ入っていった。隣のクジラ川にも入ってカヤックに乗っていった。キャーキャーととても楽しそうであった。楽しさというのは大人と趣を異にするからな。

 

午後3時に業者さんが来て、中学生の夏の制服になるスカートの生地を持ってきてくれた。小学生を交えて大人顔負けの真剣な顔・顔。

 

みんな一致した好みが見つかってよかった。ちょっと高校生のようなタータンチェックのスカートの柄がいいらしい。即断即決だから気合が入っている。

  

主体がスカートの中に入っているので、真剣なとてもいい顔をしている。職員室で行っているのだけれど、教師も子ども達も一つになれる瞬間でもある。女子生徒はああでもないこうでもないと沈思黙考しているときに、その後ろを通って行った男子生徒が鼻歌交じりに歌っている曲は、『モーモタロサンももたろさん』だ。楽しい子どもたちだ。

清流の魚は息苦しい

誰もが正義であるなどとは最初から思っていないし、マスコミのバカ騒ぎにもくみしようとは思わない。しかし世の中中庸な部分があって、その辺で生きて行こうと思っているが、その中庸な幅がどの辺りにあるのかよく分からない。昨今の都議会の選挙にしても、爆発的な支持をえているものが必ずしも正義ではない。むしろ政治家の正義などあてにしてはいけない。そして正義づらしたマスコミも同類である。世の中に権力や差別がある限り純粋な正義などあるはずがないのだ。私自身が正義だなどと毛頭言うつもりはないが、今は少なくともそれに近い生き方をしたいと努力している。

獣医学部の新設については、もう10年も前に申請がなされていると聞いたけれど、そうであるならば民主党時代の産物である。その民主党は官僚主導の行政国家から、政治主導にしようと大ナタを振った。政治主導というのは『総理のご威光』があって当たり前ではないか。自民党も昨今の不祥事には情けないが、民進党も軽すぎる。忖度があったとかなかったとか、この社会は忖度で成り立っているのに。

学校の授業には『道徳』と言うのがある。教科書もあって、本屋にも並んでいる。私の机の上にもそれらしき本が何冊かある。私はそれらを読んで感心しながら読んでいるが、生徒の前で『道徳』として教えるのには、自分の人間性からしてためらいがある。どこまで清く話をすればよいのか実際のところわからないのだ。恥じらいがあるのだ。それほど厚顔無恥にはなれない。自分に正直でなければ、どんなに立派なことを言っても子どもたちには伝わらないからだ。

明日はいよいよ制服を作っている業者さんが来て、中学女子のスカートの色を決める。すぐに決まるのかどうか分からないけれど、私と女子生徒の話で、後は誰にも相談していない。『チェックがいい』とか『水色が入っていた方が涼しいよね』とか話をしている。彼女たちは自分でお金を払うわけではないから発想に縛られない。後で悲しませることがないようによく考えて、小学生女子もみんなで納得のいくようにしたいものだ。一応小学生女子にも相談したと言っているけれど。

初等学部のアイドル

国民的なアイドル改め、青葉台的アイドルが今日初めて幼稚園に行って自分たちのダンスをお披露目した。オファがあったわけではない。こちらから押しかけたわけだけれども、その人気ぶりを見て戴きたい。

 

まあ揃ってないところも子どもたちのダンスとしては魅力的だ。

 

カッコよく決めているところ。ここで拍手喝さいが起こる。幼稚園の年長の子どもたちとともに踊り始めたところ。一つになってとても躍動的だ。

 

保護者の方も観に来て戴いた。観る方も踊る方もみんな真剣。帰りには青葉台のアイドルを見送る幼稚園児たち。いつまでも続く。

 

今日は午前中までに二つの公演。ここは第二幼稚園だ。オファがなくても売れっ子は大忙しだ。かつて『スイミー』で人気をはくした舞台である。

 

幼稚園のこどもたちの真剣な眼差しと動作を見てください。

 

ちびっこアイドルたちにちびっこファンが群がる。丁寧に一人ひとりと握手して、お別れの言葉を投げかけている。右側は無事に公演を終えて学校へ帰ってきたアイドルとマネージャーと運転手。

お泊まり会導入

『園長先生はみんなに何を話に来ましたか』と言うと、あおば台では『リヤカー祭りは楽しかったか?じゃない』と言っていた。『お泊まり会の話』と即座に応えたのは第二幼稚園の子だ。どちらの子にしても幼稚園の生活が日常的に一杯詰まっている話だ。心配なことを聞いてみると『ママに会いたくなったらどうするの』というのが多く、『パパに会えなくなるのがさびしい』というのは皆無だ。普段からの母親との密着度がよくあらわれている。会いたくなったらどうするのかという質問の答えとして、『布団の中でママー!と叫んで泣く』と言い、それでは練習をしてみるかというと、だれも乗ってはこない。

お泊まり会というのは子どもたちにとっては一大イベントであって、わくわくもするけれどハラハラドキドキもする。保護者と離れるときには、数は少ないけれどめそめそもする。いろんな感慨が交錯するけれども、始まってしまえば動揺などはどこかに吹っ飛んでしまって、仲間とともに与えられた仕事をしなければならない。飯盒でご飯を炊くのには技が必要だし、レストラン係は創造力が必要だ。それぞれに決まった仲間で助け合いながら一日を過ごす。だからあくる日には自分自身を大きく成長したと感じられる。また保育者がファイヤーストームを盛り上げるのも楽しい。

豊田真由子議員という女性には驚いた。桜蔭女子高校を出て東大へ、そして厚生省のキャリア官僚となりハーバード大学院を出た。俗っぽく言ってみれば、これ以上ない経歴の持ち主ではないか。二児の母親でもある。政治家となりこれまでは順風満帆であったろうに、秘書に暴行を加えてその時の会話が記録されていたので、逃げ道はない。せっかくの経歴も誰も救ってはくれないだろう。何かあるときにはどちらかが一方的に悪いということはないだろうが、このように社会的に重い役割を持っている方がとことん痛めつけられるものだ。この人どのように育てられたのだろうか。

昨日水戸のプラザホテルで橋本昌知事の支援団体代表者会議に行ってきた。20日の日は幼稚園団体の集まりをしたばかりで、いささか疲れ気味であった。広い会場に多くの立ち見のような人もいた。ある程度の選挙の勢力を推し量ることは出来るけれど、まったくそれが外れることがあるから気を引き締めなければならない。あのホテルに詰めるだけ詰めても、投票者数には追い付かないから。壇上での挨拶は自民党批判が相次いで行われた。少し気分が悪くなって外へ出てきれいな空気を吸いに行った。

可愛さ

比較したり比べたりして優越をつけるのは良くないので、比較対象としての比べものではないということを断っておきながら書きたい。幼稚園のすぐ隣に出来た保育所は建物はほぼ完成して、後は建築検査を待つばかりとなった。保育所は0歳児から入れるようにと言うことを言われているが、0歳児は扱いが難しく私には自信がないので、1歳児と2歳児の安全な遊び場として提供したい。0歳児を持つ保護者の皆さんは1歳になるまで自分の懐の中で大切に育ててほしい。その方が子どもにとって幸せだ。

1歳になっても歩けない子がいるが青葉台の保育所は歩けるようになってから預かることになる。家の中で一杯はいはいをして、足腰を強くしてしっかりと歩けるようになってから保育所や幼稚園の仲間たちと遊んだほうがよい。その方が自分の足で遊べる子にとっても、これから自分の足で遊ぶ子にとっても負担がなく、楽しみも増えるはずだ。幼稚園には満3歳児と言うのがいる。3歳児見習いと言うところだけれども、これがまたわけがわからないけれども可愛い。この頃の子は顔のパーツが中央に集まっているベビーシェマと言って子犬のように可愛いものだ。

可愛さには無邪気な可愛さと、少し知恵を付けて人間になりきれない成長過程での可愛さと、大人になって性格の可愛さと言うのがある。まあ何でも可愛ければいいのだけれど、男子を形容するのにはどのようなものがあるのだろうか。可愛い女の子のことばかりだと男子諸君に失礼であろう。しばらく時間をもらって考えよう。ちょっと考えてみると、男子は意気がよくて間が抜けているようなのが後から何とかなりそうな気がする。なんて言っても人に好かれたほうがよい。今日は今から水戸へ行く。

子どもたちの将来を思う

幼稚園では『わくわくの会』で、学校では第1回目の『学校説明会』が行われた。幼稚園の方は大勢の保護者が来るから何の心配もなく保育者の好きなように任せている。色々な趣向を凝らして子どもたちが目を見張るような、もっといたいと感じられるようなものを考え出している。とても創造力の必要なものだ。毎回違ったものを考え出しているので全く感心させられる。

学校説明会は、私は校長を辞めたからほぼ出番はないなと思っていたけれど、出席していて何も話をしないなんてことはあってはならないことと思い、最後に私の話す時間を作って戴いた。保護者の前で一番効果的な話は、卒業生の進路の話で、しかも優秀な中学校や高校にどれだけの子どもたちが行ったかということが一番良いというのを知っている。私のところの子どもたちは、合格した中学校を言えば確かに優秀な子が多い。しかしそれが人生の大きな担保になりうるのかと思うとき、『いやそうではあるまい』ということになってしまう。だからそんな軽々しいことは言ってはならないと思って、学校建設以来封印してある。

そんなことよりも、人柄を醸成されていく過程の子どもたちの生活状況をつぶさに伝えた方が何よりもいいのではないかと思っている。これは子どもたちをよく見ていないと話すことは出来ない。テストの結果だけを言うならたやすいものだ。しかしそこには人生でもっとも大切なものは現れてはいない。例えば中学校や高校での成績やどこの大卒などは、長い人生の中でそれほど重要なことではない。最後の最後まで語られるのは、その人の人柄や生きてきた人生のエピソードである。

昨日のオアシス開きで学校の子どもたちの写真をアップしたけれど、写真に出ている子どもたちばかりではなく、あの写真の中には子どもたちの内面の素直さや真摯な態度が現れているけれども、そんな子どもたちに幸せな人生を送って欲しいと願わずにはいられないではないか。この学校には大きくなった中学生を含めて、あのような子ばかりいる。額に鉢巻きをさせて、難問奇問は必要ないではないか。それは彼らが自走することだ。必ずそうなることを信じている。

学校ではプール開き

幼稚園にお客様が見えると言うので、幼稚園に行ったら目当てにしていたお客様と違って教育実習の大学の先生とお会いすることができた。お話をしている間に、大学の先生が筑波大の大塚の院生出身だと聞いて二度びっくり。大塚の院生というのは私の師匠である杉原一昭先生が生前に『大塚の学生は素晴らしい』と常におっしゃっていたので、特別に印象が深い。何となく他人とは思えない懐かしさと敬意を持つ。一度社会に出て院生になる人たちだから、ただ卒業すればよいというのではなくて、目的意識がはっきりしているから杉原教授もやりがいがあったのでしょう。

 

プール開きのセレモニー。隣のトトロの妹のメイちゃんみたいな可愛い女の子が神妙な顔をして巫女さん役になりきっている。可愛い子でしょ。こんな子ばかりだ。

 

神主はとある教師。『いざなみ いざなぎ』とやる。

 

私の話が終わったら、準備体操をしてオアシスやクジラ川でカヤックに乗って遊ぶ。

 

井戸水でも滅菌機をつけてあるので飲んでも大丈夫。楽しそうな雄叫びをあげている。男児は水鉄砲で女子は水のかけっこ。

幼稚園での生活

初等中等学部の校長を兼任していたときには、最後の最後まで学校に残るので、ゆっくりと幼稚園を見ることが出来なかった。ゆっくりと見ることが出来ないと言うことは、子どもたちとの会話が薄れてしまっていると言うことだ。3月一杯で校長をやめ、以前のように幼稚園に専念することが出来ると、子どもたちの中に入って行く機会も多くなって新しい発見もある。何よりも子どもたちの一直線の真っ黒い瞳で直視されることの心地よさは格別である。こんな子どもたちがやがて大人になって今の社会に入っていくことを考えたら、ちょっと言葉に詰まることがある。

47%の職業が何かに代わって行くと言うのだから、今の大人が考えているようなものではなくそれこそ大地がひっくりかえるようなパラダイムシフトが行われるのであろう。私の職業から考えられることは、2歳児以下の子どもたちには癒し系のロボットが活躍するだろうし、そうなれば現在の保育士減の馬鹿馬鹿しい騒ぎも収まるだろうし、保護者も保育所に入れなかったなどの騒ぎはなくなる。ただし人口減による保育所や幼稚園の閉鎖が頻繁に行われることになるので、希望の園に入れるかは分からない。

馬鹿馬鹿しい騒ぎと言ったのは大都市圏での待機児童の騒ぎが起こった時に、東京の幼稚園協会と話し合いを持って、幼稚園の解放をお願いすればよかった。私は東京都の協会の会長と『幼稚園の一部屋を保育所に貸してやったらどうでしょう』と言うことをお願いしたことがあるが、認定子ども園の定義があいまいであるということと、大人が8時間労働という労働規約があるのに、なぜ子どもたちは11時間も保育所にいるのかということを言われて返す言葉がなかった。この人は国の子ども子育て会議に出ていて、幼児の保育時間について最後まで持論を譲らなかった。立派な方だと思っている。

国の働き方改革だかよく分からないが、母親を家庭から追い出して、子どもと引き裂いた政策には反対である。私が反対をしてもどうにかなるものではないけれども、国は経済的なことばかり考えていて、家庭の中のぬくもりに無頓着である。まだまだ衣食が足りないとでもいうのだろうか。私の子どものころは敗戦の後処理で食うものもなければ、着るものも足らない状態であったが、私は幸せだった。両親のことが誇りだったし、食うものさえあればそれ以上のものを望んだりしなかった。

将来を描きにくい子どもたち

子どもたちの将来を考える時に、まずはその時の国際情勢や日本の政治経済状況、日本の社会状況を当たらずとも予測して方向を定めて教育しなくてはならないだろう。まず近視眼的に考えるならば、AIの進歩によって単純知的労働はすべての分野で人工頭脳が席巻し人間の入る余地はなくなっていくだろう。税理士や家屋調査士、行政書士、司法書士などと言った士業と言われるものは殆どがなくなっていくといわれている。公認会計士もそうだが、歯科医師も満杯状態だと言われている。歯科医師にいたっては現在コンビニの数より多いといわれている。しかし多いだけで不要になるということではない。より競争が激しくなり、維持していくのに大変だ。

ロボット産業やIT関連事業などはこれから日本の産業を引っ張っていくことになるだろう。自分の好きな世界を生きて行くなら科学者がいい。薬の開発か大学の先生になって、新たな何かを発見してほしいものだ。地球の地磁気が反転した時期があったなどの発見は興味深い。どのように反転していったのか、ゆっくりとか、一気にか。南極が北極になるというのだから、その過程を教えてほしい。それが数百万年の間に数回あったというのだから、ここ数年の間にあるかもしれない。木星のようなガス惑星にも引力が存在するのか、そのメカニズムは?。

子どもたちが選ぶ職業は、第一に他のためになるようなものがよい。そのようなものは必ず誰かが応援してくれる。自分のためのものだったら必ず足を引っ張る人が現れる。グローバリズムと言うものを私も推奨して来たけれど、これは絵に描いた餅かもしれない。異文化なものが同化することはできない。だから国境を作ったのではないか。東欧諸国の離合集散の悲しい出来事を見ればわかる。だから英国が離脱したEUにしてもそう遠くない時期に解散の憂き目を見るかもしれない。内憂外患こもごも来たるだけれども、否応なしに子どもたちはこの世界で選択して生きていかなくてはならない。保護者の皆様もじっくりと考えてみてください。