2013年10月の記事一覧
久遠返せばⅢ
人生には節目節目があって、青春時代と同じようにその時はその状況がわからない。いつでも振り返って、通り過ぎ去ってから思うものである。まだまだ人生が終わりに近づいているとは思わないけれど、振り返ってみれば、あの時にこうすれば良かったとか、馬鹿なことをしたものだと言うことが次々と思い返す。その反対に、これはうまくいったとかいう成功事例というものが思い出せない。失敗例は山ほどあるから、思い起こせば赤面のしっぱなしになる。しかし、人生なんてこんなものだなどと、解ったようなことは言いたくない。
長らく書いてきたけれど、結局何が言いたかったのかというと、有形無形に私を支えてくれた人たちに何かで感謝したいという気持ちの表れである。感謝はしているけれど、それに報いるお返しができないと言うのがはがいいものだ。多分生涯お返しができないというものが多々ある。
経済的に苦しくなったときに、死んだ方がよっぽど楽だと瞬間頭の中をよぎったことがあった。それではあまりにも無責任だと思い、まずは高額な生命保険に入ることにしたけれども、それでもまだ足りない。そこまで来たら当って砕けろ!っだ。そしてある先輩のところへ当ってみた。ところが当たっても砕けずに事が運んでしまった。命拾いをした。それはまだ第二幼稚園設立の前の話だ。そんなところへ第二幼稚園設立の許可が出たものだから、大変なことになってしまった。
第二幼稚園の設立申請を、3年間連続して提出したけれども許可が下りないので、半ばあきらめて、設立資金を流用し、あおば台幼稚園を鉄筋で新築してしまった。それで、手持ち資金が全く底をついてしまっていた。学校法人立幼稚園を新設する時には、銀行借り入れはできない。勿論小学校も学校法人の名のある学校は、借金では建てられないようになっている。個人の資産を寄付しなければ設立できないようになっているので、財産のない私には不可能である。苦しみもがいていた時代だ。
何かをやろうと決心した時が節目である。初等学部の子は中学受験をしようと決心した時が節目である。人生の節目と発達の節目は違う。発達で言えば、3歳・4歳・5歳という発達の差は毎年訪れてそれぞれが節目である。そして小学校では3年生と4年生という発達の節目がある。人生の節目を今子どもたちが越えようとしているのだから、私が支えられてきたように私は全力で子ども達を支えていく。何かを越えようとしているのだ時から、泣き言は一切漏らしてはならない。泣きごとに手を貸してもならない。