初等学部の理事長で、幼稚園の園長でもある港先生の熱い想い

2009年12月の記事一覧

今年ももう終わりだ

過ぎてみると、1年は随分と早く過ぎていってしまうものだ。先日「杉の子会」に出席して、杉原先生の亡くなられた日を確認したら、昨年6月だと言っていたので驚いた。実はずっと今年だと思っていた。そう思うと、先生は私のことが心配で、亡くなってからもずっと私のそばにいてくれたんだと、改めて申し訳なく思う。

 

よくよく考えてみると、5年前に初等学部建設を志し、今年の4月に開校することができた。その間初めの一歩から、土地探しや建設費用の工面、先生をどのように集めるかや、設計は誰に、どのようなルートで建築はどこで、外溝はどのようにするのかなど、又役所に提出する山のような書類などについて、多くの人にお世話になった。特にハードな面は、銀行の全面的な後ろ盾を得、土地所有者からは非常に好意的なご支援を頂いた。


ソフトな面では、友人の精神的なバックアップが大きく支えになった。こう考えていくと私の入る隙間がないほど多くの人の支えを頂いている。新しくできた小学校だから、設備もなかなかそろわないし、不自由を覚悟で一生懸命頑張っている教師や、事務長など全く頭が下がる思いだ。誰が何を経営するのでも最初の一歩は大変である。ナショナル電気だって、三つ又の電気ソケットを単品で売りさばくことから始まったのだ。

 

多分風呂敷包みの中にソケットを入れて売りさばくのには大変な苦労があったに違いない。今のナショナルグループを想像していただろうか。そこまでは考えていなかったろうと思う。1日一日を、時には歯ぎしりを噛み、時には小さな喜びを分かち合い、夢と希望を持って生きていたに違いない。自分の暮らしを今以上にするなど、そのような志ではない。起業家にそのような人はいない。理想に向かっての忍耐と努力である。これがなければ何を始めても自己到達はない。

 

そう考えると私は全くのゼロからの出発ではない。今まで保護者や、幼稚園の教師達が作り上げた幼稚園という土台がある。まだまだ私はいい位置にいる。私を今まで支援してくれた保護者の皆さんや、先輩や仲間に今の仕事をさせていただいている。手を合わせ感謝をしながら1人一人ひとりの顔を思い出し、、来年度の覚悟を新たにしたい。どうぞこれからも私についてきて欲しい。必ず素晴らしい人生を約束しよう。

 

今年1年係りのあった人に感謝し、又素晴らしい新年をお迎えにならんことお祈りいたしまして、今年の「ちょっと言わせて」を終了いたします。ありがとうございました。来年もどうぞよろしくお願いいたします。

夢と希望

およそ教育の中で「子ども達に何を与えるのか」と問われれば、夢と希望だろう。しかも現実化する、それに近づいているという自覚を持たせるということだろう。多くの知識を得ることもそこへ向かっているというようなことを意識させる、一つの手段だ。その道程を視覚化できるような教育が大切だ。

 

又そのようなことを認知できるような脳の組織を作っていかなければならない。その仕組みを作っていくのが簡単な言葉で言えば「冒険」である。冒険の先にあるのは、まだ見たことのない世界であったり、そこから生み出される想像の世界は、夢を醸造する。だから幼児期や、少年期は重要な成長期なのだ。

 

ただ知識を詰め込むだけではダメだ。その知識をやがて何に使うのかという意識付けと、それに伴う、今、教育心理の中で最もはやっている内発的動機付けや外発的動機付けをサポートする。この考え方を徹底させるつもりでいる。教師も共にターザンにならなければならない。忘れていた愉快な少年の日々を思い出していただこう。

 

1ヶ月前になるだろうか、筑波大教授の櫻井茂男氏から先生の著書「自ら学ぶ意欲の心理学」の本が贈られてきた。タイムリーにもその本の副題が「主体的な学びとは」である。櫻井先生は有能感や動機付けに関する研究では日本では第一人者である。このような先生のそばにいられたことに感謝である。そのような櫻井先生の全面的な支援を得ているにもかかわらず、イマイチぱっとしない私の感性。

 

私を特訓してくれた久保田浩先生(白梅大学名誉教授)は、戦後教科書に墨塗りを経験した、今では数少ない小学校の教師である。「勉強どころじゃないんだよ・・。飯が食えねーから学校の空き地に畑をこしらえて、野菜のできるのを楽しみにしているんだよ」「しばらく学校へ来ないので、どうしたのかと見に行ったら、よその家の子どもの守をしている」「しかしみんないい目をしていたなー」「キラキラとこう輝いていて・・・」そう言って、目を輝かせていたのは、久保田先生その人でした。

 

先生は決していい暮らしをしているわけではない。着ている物は失礼ながらいつでもよれよれで粗末なもの。しかし子どもの話しをしだすと、生き生きとして年齢を感じさせない。そういえば久保田先生に私の幼稚園の講演をお願いした時、昨年亡くなった杉原先生も来て下さって、熱心にメモを取っていたことを思い出します。素晴らしい人間は、初対面であっても互いに認め合っているものなんだと感じた。久保田先生も既に92を過ぎた。

 

 久保田先生は、私の中では宮沢賢治や倉橋惣三がダブって見える。すごい先生だ。居ながらにして子ども達に夢と希望を与えてしまう。そう思うと、教師なるものは技術のみではない。決してない。そんな教師になってみたいものだ。倉橋惣三の「生活を生活から生活へ」の中にあるのではないかと密かに思っている。関係各位と共にこれを実現していきましょう。

忘年会

毎年行われる忘年会。両園のおやじくらぶの忘年会も終わった。粋のいい鍋奉行の手ばさき

も堪能した。先に始まったのがあおば台で、第2幼稚園は次の日だった。机の上に並ぶ鍋は最初は鍋の種類もはっきりしているが、しばらくたつと何を食べているのか分からなくなる。もう少し経つと何を話しているのか分からなくなる。録音されたらこまるのが沢山出てくる。

 

何ていったってこのような人生が面白いのだ。私も公人だからそんなことを言うのはやめなさいと、女房や友人によく言われる。私がどんな立場だろうと、私という人間が変る訳ではない。そのようなことを友人も話す。私の友人はひどい。飲みながら酒の害を話し、私に説教をする。まあ説教される私に非があるのだから仕方がないにしても、説教はしらふの時が良い。

 

飲み屋で客の姿は様々。入ってきた時から静かに飲んでいて、何処に坐って何を話しているのかも聞こえず、いつの間にかいなくなったというのもいる。騒ぎ立て、主のような気持ちになっているのもいる。気のせいか、帰る後ろ姿が妙に寂しそうなのもいる。人知れない明日に責任を持たない学生だけが意気が良い。昨今の巷の様子。

 

今日の朝に書いた虐待の話。目に見えるような虐待ではなく、例えば現行の保育所のように生後間もなく母親から離してしまうというのは虐待ではないのか。ものを言えない乳幼児には社会は冷たい。生後2歳ぐらいまでは絶対に母親と一緒にいたほうが良い。保育所に預けるのではなく、どちらかの親が子どもと一緒にいてやることが望ましい。そのような社会的整備が必要である。

 

皆さんは待機児童という言葉を何度も耳にしたと思いますが、発達用語を使うなら、待機乳幼児といったほうが正しい。これではいかにも虐待というイメージを持つではないか。それでは困るので、乳幼児ではなく、児童にした。待機児童は、不幸せになる寸前に幸せを手に入れた。保育所を多く建てるのではなく、家庭にあって養育できるように整備することが大切であります。

 

女性は子育てだけに生きているのではないといっているウィメンに反論します。子育てだけに生きているわけではないけれど、子どもを産める特権は女性にだけ与えられているものだ。そしてそのように体の機能もできている。子育ては責任を持ってやって欲しい。

 

夫はそれに対し最大の敬意を払い、最大の援助を惜しみなく払う。これが人間がホモサピエンスとして誕生した系統発生の慣わしなのだ。このシステムが変ってきていることが、世の中の乱れになっていることに気付いて欲しい。

 

明日は横浜で、筑波大の杉原教授にお世話になった子どもたちが集まる「杉の子会」の忘年会。筑波大と横浜国大と東京成徳の院生と、大塚にある筑波大の社会人院生ととても幅が広い。全て杉原先生が関わってきた大学の教え子です。先生の話をしたら、長いと絶対いわれるのでやめる。

虐待の判断と見分け方

これは何日か前に研修に行ったときのノートで、終業日前に保護者の皆さんにお渡ししたかったものです。時間がなくて書けなかったことをお詫びしながら書くことにする。

 

虐待の判断と見分け方。

①泣いていても放っておく ②食事を与えない ③ける ④大声で叱る ⑤お尻を叩く

⑥手を叩く ⑦頭を叩く ⑧顔を叩く ⑨つねる ⑩物で叩く ⑪物を投げつける

⑫傷つくことを繰り返し言う ⑬浴室などに閉じ込める ⑭家の外に出すことがある

⑮子どもを家に置いたままでかける ⑯裸のままにしておく ⑰子どもの体に噛み付く、など

 

以上17項目

上記の項目に しばしば(3点) ~全くない(0点)で合計10点~11点(虐待傾向)

         12点以上虐待と判断される。

 

この資料は筑波大の庄司先生からの資料。この見分け方だとほとんどの保護者が虐待傾向に陥るだろうと思いますが、いかがですか。4項目で虐待だから、平常な保護者は全く少ないでしょう。「小言を言う」というのは入っていないようですが、これは⑫に該当します。

 

①、②、④、⑤、⑮などはよくある傾向で、それぞれの家庭で、躾に関する不文律な決まりがあるとすれば、上記の記述は参考にするという程度で良いのではないでしょうか。

 

虐待傾向は、保護者が子どもに日常的に叱り付ける行為ですから、1週間も2週間も間が開いていれば虐待にはならないだろうと思います。反面この項目の4種以上でなくとも、毎日小言を言われる子どもにとっては虐待であります。こんな辛いことはない。親が子どもに向かって傷つくようなことは絶対言ってはなりません。むしろ私だったら黙って一発殴られるほうがよい。

 

しかし虐待する側の親を一方的に攻め立てるわけには参りません。それにはそれだけの環境があるのです。例えば親は育てられたように育てるといわれます。虐待された経験のある親は虐待してしまう傾向にあります。それが子どもを育てる方法だということをDNAの中に組み込まれてしまうのでしょう。そのほかに育児不安が強いとか、夫の育児無理解。未婚の女性、精神疾患などが挙げられます。

 

男親の虐待は、ほとんどが経験から来る虐待と社会的孤独(不安)であると言われている。虐待という言葉の強さからすると、かつては、拷問に近いものだという印象があって、とても恐ろしいことなんだと言う怖れを持っていた。しかし今では頻繁に使われるようになった。一日も早くこの言葉が死語になることを願っている。

保育と教育どう違う?

保育するは幼児期で、教育するはそれ以後の話。文科省が区切っているのは就学前を幼児期、それ以前を乳児期といい、小学生は児童、中学生と高校生は生徒となる。大学にいって初めて学生となる。出世魚のような呼称だが、明治以来この呼び名である。

 

保育は子ども達をいたわることが前提となる。教育だって子ども達をいたわることが前提とならなければならない。子ども達を怒鳴り、机の前に坐って、ある教科書を丸暗記してpaper testで100点取ったからといってそれが何になる。教室で教師の人としての温もりを知り、絆みたいなものを紡いでいく作業こそが人間教育だと思う。

 

教育は「生きる力」を育むというのが文科省。私はもっと能動的でないといけないと思っている。生きる力は、内臓がしっかりとしていれば生きていることはできる。人間として生きるには、「生きていく力」でないとならない。

 

生きていく力は、困難に出会ったときに発揮できる力を言うのだ。保護者が恐いといって、冒険ができなくて、何の教育だと首を傾げたくなる。「はっ!」とするような冒険。例えばターザンのようにロープを握り、木から木に乗り移ったり、そのまま水の中にドボーンと入ってみたりする。あのロープを放すタイミングをはかり、離す時の決断はなんともいえない自己充実感があるものだ。そのような体験が経験となり、ものを判断したり決断したりする要因となることは容易に理解できることだ。

 

幼稚園では年長だけの活動にサバイバルというのがあって、130メートルの直線を往復10回やる。歩いても駆け足でも良いが休んではならない。2.6キロをずっと掛けているのもいる。子ども達が活動に入っている間、私が熱いうどんをつくったり、ご飯を炊いたりしてみんなを待っている。息を切らして一番で入ってくる子もいれば、ゆっくりと歩いている子もいる。しかしだれもおしゃべりなどしていない。自分のペースで自分のようにやっている。しばらくしていると、終わった子の集団が、遅い子のところへいって「がんばれ!頑張れ!」と応援に行く。最後には、私が言わせるのではなく、「みんなができてよかったね」と子ども達が言う。子ども達のやさしさに時々泣かされる。

 

口先だけで「個性を大切に」「皆それぞれに違う」といっても、その実、公立では金太郎飴の如くどこから切っても同じ顔の子ばかり作ろうとしているのが現実だろう。保護者も個性だどうのといっても、周りの子と自分の子を見比べている。自分の子の持っている素晴らしいものを見ようともせず、他の子の素晴らしさと天秤に掛け、足らないことばかりを子どもに押し付ける。これでは子どもの居場所がない。閉じこもってみたり、反社会的になったりもしてみる。それしか道がないじゃないか。

 

サバイバルに戻ろう。かつては私の家の隣ががさやぶであって、そのがさ藪を通り抜けると広い道に出るという場所で行っていた。自分の背丈以上の枯れ草が繁っているところへ、グループごとに手をつなぎ、どこまでもまっすぐ歩き、何かを発見してくるということをしていた。どんな発見をしてくるのか楽しみに待っている。「草が多くて歩きにくかった」「違った草を見つけた」「たまごがあった」などと、光もささないひんやりとしたがさ藪の中で、様々な驚きや発見をしてきた。

 

このように幼稚園では子ども達と共に身近にある冒険をしてきた。今度は初等学部の番だ。しかし先ほど書いたターザンの真似事は、多くの保護者から賛同を得られまいと思う。私の幼稚園の保護者からは、苦々しく思っても私に直接不満を言ってくることはないだろう。来年度の初等学部は、保護者はどう思うか分からないが、冒険大好き初等学部にする。どうぞご理解を賜りたい。

物言えば唇寒し・・・

もう冬で日増しに寒くなる季節。表題は秋の季語がついているので現状に似つかわしくないが、社会のあり様をちょっとひねってみただけのこととご理解願いたい。この表題で以前にも書いたような気がする。が、ボキャが少なくて気にしないで書くことにする。


4年生の保護者と、1年生の保護者と相次いで話し合いをした時、特に4年生の保護者は中学校ができるのかどうかということが中心的な話であったように記憶している。目先すぐの話だから無理もありません。

 

あおば台所属学園は伝統のある大きな学園ではなく、小さな個人商店みたいなものだから、何をやるのでもまず私が最初に旗を振り、膨大な文書を用意し、役所との交渉に入らなければならない。合議制などというものはない。私が判断し、私が決断する。そして私が責任を取るというのがあおば台である。

 

既に私は、中学校建設に前向きどころか決断している。絶対にやるという決断です。小学校は気合と共に何とかやらせていただいたが、大きな壁が立ちはだかっていることは事実。それはどのようなことかというと、設置基準に合致しているかどうかということで、尚具体的なことを言えば、それだけの資産があるかどうかということである。それだけを追求されれば、ない。今までは、それがどうしたという気持ちでやってきたが、通る場合と通らない場合とがある。

 

児童数が少ないのが建設に大きな影響を及ぼすのは確かなこと。何とか少しでも建設に足がかりを付けたいと、あおば台と第二幼稚園保護者に「入学のお願い」を書いたことが、園長は「ぶれた」と取られた保護者もいるという。悲しいかな私は他人の目を気にして生きてはいない。何を今更この歳で「ぶれる」必要があるのか。初等学部児童1人になっても、その子のために命がけでやるというのが私の信条だ。そうでなければ初等学部を創った意味も、私が生きながらえている意味もない。

 

私が神様に願っていることは、中学校ができるまで、高校ができるまで生かせて欲しいということ。寄宿舎を建て、子ども達を家族から離しそこから通わせる。親の愛情は離れてみて、親の偉大さは、死別でしか理解不能であるというのが私の考え方。祖父母に畏敬の念を、両親に感謝。どちらも無言のうちに伝える方法である。

 

 幼稚園は今個人面談花盛り。色々と保育者から情報を頂きますが、保護者の方の子どもに対する愛情の深さにありがたさを感じます。子どもが常に「愛されている」という気持ちを持ち続けることは、やがて子ども自身が判断したり決断したりしなくてはならない時に、必ず背中を押してくれる。勇気を与え、強い支えになることは間違いのないこと。

 

ここで間違ってはならないことがあります。「愛している」というメッセージは常に出しておく必要がありますが、押し売りはいけません。押し売りは見返りを求めるものだから、すぐに見破られてしまいます。「私はあなたをこんなに愛しているから、だからお願いこうして欲しい」では、子どもはやがて口を閉ざしてしまいます。

 

「今ある子どもの心に沿うこと」は保育者の必須条件ですが、一番身近にいる保護者の皆さんこそ、この極意が身についたら鬼に金棒です。一緒に努力していきましょう。