初等学部の理事長で、幼稚園の園長でもある港先生の熱い想い

2016年7月の記事一覧

がっかりした!

宇都宮さんが都知事選を撤退した。野党統一候補を一つに絞って戦いたいと言うのが思惑だろうが、やはり宇都宮さんは共産党の党員だったのではないか。党派に縛られていなかったら問題なく出馬することが出来る。党派に縛られない都民党などで出馬することは難しいのだろう。鳥越さんなんかはかなりの知名度があるし、野党統一候補にならなくても戦えるのではないかと思うけれども、素人の浅い考えなんだな。考えてみれば全くの無所属で何処の党派にも属さないで支援を受けない知事などは日本にはいない。茨城県の橋本知事は、前回は自民党の反対を押し切って勝てた。数少ない知事だろう。無党派だけれど現存する野党とはくみしない。

私は宇都宮さんの政策の演説を聞いたことがないので一度聞いてみたかった。勿論私が都民であっても一票を投じることはないけれども、どんな戦い方をするのか楽しみにしていた。これで三つ巴戦になったけれども、増田さんと鳥越さんの一騎討ちと言うのが大方の予想だろう。自民党が謙虚であれば勝てる気がする。もっとも政治の中で謙虚であると言うことはどのようなことかというと、反対派の意見も取り入れて政策を推し進めるということだろうが、それでは民主主義の大前提である多数決の原理から遠のいてしまう。私も政治家にあこがれた時代もあったが、よほどの体力と図々しさがないと務まらない。頭もよくないとだめだ。

これはたんに東京都の問題ではなく、日本の首都の長を決めることだから『私には関係ない』とうそぶいていても、オリンピックを控えているということもあって無関心を決め込むことの方が難しい。華美にはならない実力のある人になってほしいものだ。いずれにしても31日には結果が出る。体に気をつけて健闘を祈るとしか言いようがない。皆さんこの暑いさなかに、大声張り上げてぺこぺこと頭を下げて、体がもつのだろうか。

今日はとっても暑いようで、初等学部の子どもたちに会うたびに、『かき氷が欲しい!』という挨拶ばかり聞かされている。そんなもの用意されているわけではないから、知らん顔していたけれど。草取りをしている先生も汗びっしょりで、子どもたちも先生たちも本当に頑張っているようなので、近くのスーパーに言ってソフトクリームを買ってきた。子どもたちはギャーギャーと歓喜の声。これがまた嬉しい。

色々あるな

鳥越さんが東京都知事選挙に出馬すると言うことが正式に決まったようだ。野党四党の枠組みの中で出ると言うことだが、出馬と同時に古賀さんと言う経産省出身の人が鳥越さんの記者会見に現れて鳥越さんに出馬をお願いしたという。古賀さんはそれ以前に野党四党の枠組みの中から出馬を打診されていた人だ。あまりにもでき過ぎな選挙戦だ。出来レースをあたかも突然起きたようなやり方は大人げないし、恥ずかしいことだ。鳥越さんはニュ-スキャスターを長らくやっていて知名度もあるけれど、リベラルではない左翼である。

同じ左翼から出馬する宇都宮さんの方が骨がある。如何にも骨っぽい左翼である。鳥越さんの出馬の弁について納得行かない。彼は参議院選挙の結果をみて大きく世の中が右に傾いているようなことを言って、それに危機意識を持ったから都知事選に出るという。それなら国政に出るべきだろう。自分の年齢も考えて、一つ花を咲かせたかったのだろう。あくまでも彼の言い分には大義はない。かつて競馬を辞めた知事がいたけれど、それはすぐに復活してしまっている。野党四党の枠組みで出るとかいうのは、まったくの戦術であって思想がない。

ファミリアの報告を毎日聞いているけれども、この学校の子はまじめな子が多いからやるときはきちんとやるし、ちょっとでも外れたことをするとみんなでそれを問題にして、しっかりとした自浄作用ができている。ファミリアで学習する子がいなくなったなどと、学校を辞めていった保護者が言っているけれど、とんでもない話だ。中学校も出来たことだし、ここの子の潜在的学力の高さを、これから顕在化して、勉強したいという子はすべて土浦一高へ行かせてやる。そのくらいの力はある。しかし興味を示さない子は何処の子でも無理だ。

寄宿舎が完成する

2016/07/12
寄宿舎が完成する
| by 塚原 港
寄宿舎はほぼ完成した。周りの足場は取ってしまったし、部屋の中の床もきれいにできている。後は家具類などを運ぶだけになった。通水試験も、通電も終わって、引き渡しが8月1日と決まった。これは7月の終わりの週には毎年行っている穂高の研修があるからだ。ちょうど茨城の幼稚園協会の研修と重なってしまったけれども、両方にうまくいけるように手配してほしい。ところで寄宿舎の名前が決定した。『志峰館』という名前にした。

ここで人間を人間らしく育てる。自分だって半人前の人間だけれど、いつもどうあるべきかを教師たちと議論している。みんなで力を合わせて、素晴らしい学校にしていこうというのはいつでも合言葉になっている。幼児期の発達理解がベースになっているので、子どもたちの心を大切にすることができる。何といっても大切なのはその子自身を生かすことだ。勉強だけが良く出来ても駄目だけれど、多くの保護者はとりあえず学業の成績の良い子を求める。案外それも大切なことだけれども、もっとすごい人間になりそうな『芽』が育っているような気がする。

そんな『芽』を見落とさない学校生活を保障してあげたい。それには毎日の子どもの様子をつぶさに報告できる教員の結束が必要だし、子どもを見る着眼点を磨きあげなければならないだろう。毎日の職員会議での報告で、私はそれを聞き逃さないようにしている。

あおば台がオアシスに来た

あおば台の年長さんと年中さんが合同でオアシスに遊びに来た。並び方を教えているわけではないけれど、すぐに整列できるのはどうしたわけか

幼稚園にあるプールより相当大きいから、色々なことができる。オアシスの防水は分厚いラバーでできているから、そこを素足で登ったり降りたり、滑り台にしたり考えられる遊びを工夫しながら遊んでいる。

オアシスが一杯そうなので、溢れた子たちはカヤックに挑戦している。オールを出して子どもたちに任せてみたらどうするのかやってみればよかった。カヤックで遊んだのはクジラ川というところ。壁をよじ登って川岸にたどりつくのは滑って大変だった。

ひたち海浜公園遠足

学校の子どもたち全員で楽しもうということで近くの海浜公園に行くことにした。大型バス1台で教員を含めて全員で行くことができる。片道1時間ぐらいだからちょうどよいところにある。普段から子どもたちが一生懸命生活をしているので、今日はみんなにご褒美と言う形で行くことにした。1100円分の乗り物チケットを配られたので、子どもたちと一緒に乗り物を楽しむことにしたのだが、子どもたちは『わーわーキャーキャー』と奇声を上げて楽しんでいるようだが、何が楽しくてあのような奇声が飛び出すのか、じっくり考えてみた。何のことはない危険を楽しんでいるのだ。危険ほど楽しいことはない。

危険と言うことだけで片付けてはならないが、、彼らにとってはこの乗り物に乗って見ようと決断するときには、少なからず楽しいと言うことだけでは決断はしない。未知への冒険的要素があるはずだ。『親の意見となすびの花は千に一つの無駄もない』と言う諺があるけれども、子どもたちの遊びにもそれが言えるような気がする。幼稚園の子どもたちの砂遊びや泥遊びにしても一心不乱に集中して遊んでいるけれど、言葉に出してまとめ上げることはできないけれども、かなり多くの気付きがあったりしているのだろうなと思う。

それと同じように子どもたちが夢中になるものには、それなりに得るものが沢山あるのではないか。抽象的な感じ方かもしれないけれども、やがてそれらが具現化されて論文発表なんてことになる礎になっているのが子どもの遊びなんだろうと確信を持って言える。だいたい偉大な発見や発明などと言うのは、ひょんなことから、普段の人では通り過ぎて行ってしまうような事柄から奇跡的なことが生まれている。だから遊びを深める子ども(集中する)は洞察力が鋭いので将来有望である。

子どもと一緒に遊ぶのはとても疲れる。ついその気になってしまって、足腰にすぐ張りがきてしまう。若くはないのは分かっているけれども、今日の遊びの種類の中に65歳以上の方は乗れませんと言うのが何台かあって、もっとも65歳以下であっても乗る気になれないものであったけれども、少しずつ一般社会から特別扱いされるような年齢になってしまった。覚悟はしていたけれど、もう戻れない。子どもたちと一緒にいられる毎日の生活があるというのが、私の誇れる唯一のものだ。

園長設置者研修会

昨日は朝早くから現役の青年会議所のメンバーが幼稚園まで迎えに来てくれて、赤坂御所にある故三笠宮寛仁親王殿下の宮邸に行って来た。寛仁親王がお元気であったころ、土浦青年会議所と親交があり、殿下を交えてウエルフェアーゴルフをを開催させて戴いた。ウエルフェアーも殿下の提案で、障害を持った人たちの施設へウエルフェアー基金を寄付すると言う活動が来年で30年になる。継続はまさに力となるので、来年の30周年のウエルフェアー大会には、殿下のお嬢様である女王様がお出まし下さるそうだ。

午後1時ごろには幼稚園に帰ってきて、そのあとから水戸三の丸ホテルで茨城県私立幼稚園協会の主催する園長設置者研修会へ向かった。殿下のところへ行くことも研修もどちらも大切なことなので、かぶってしまったけれどもどちらにも顔を出すことができてよかった。研修の内容は社会労務士による雇用における注意事項などと、保育者の確保とか、幼稚園教育要領の改定とか、小中学校の教育内容の見直しなどの話があった。小中学校の話は殆どなく、もっぱら幼稚園のことだけだったのだけれど、文科省の役人が出した資料の中にあったのでそれを読んでいた。

泊まりがけの研修なので、さすがに今日はくたびれた。泊まりがけだと、きちんとご飯を食べるので太ってしまうのではないかと心配である。

ザリガニ釣り

ザリガニというのは戦前の日本には小さなものしかいなかったそうだ。戦後日本の食糧事情が悪くて、アメリカの兵隊さんが日本に持って来たそうだ。日本に持ち込んだエビガニをアメリカザリガニと言うらしい。そのアメリカザリガニをあおば台の保護者が2年前だったか定かではないけれど、バケツいっぱい持ってきて『子どもたちにあげてくれ』という。子どもたちにあげるのには少ないし、どうしたものか考えあぐねていたところへ私に相談があった。私は即座に『ゆでて食べよう』と提案した。しかしそのような経験のある教師がだれ一人いなかったので、賛成する者はいなかった。少しばかり孤独になったがさっさとゆでる用意をした。

そのアメリカザリガニを1・2年生を連れて釣りに行ったのだ。半世紀ぶりに釣りなどをした。しかもザリガニ釣りは、小学校低学年の時に近くの用水路やため池で、カエルを掴まえて、ちょっと残酷だが、胴体と足を引きぬいて足を餌にして釣りをしたという経験だ。糸はタコ糸で、おもりは魚釣りと同じように鉛を使った。私は魚釣りやザリガニ釣りは良くしたものだ。また霞ヶ浦では淡貝をよく取りに行った。

淡貝というのは淡水に棲む大きな黒い貝のことで、大きいのになると30cmぐらいのもある。これを佃煮にして食べるととてもおいしい。私はそういった遊びのようなものを、まったくの遊びとして捉えたことがない。ザリガニでも魚でも淡貝にしても、少しでも家族のためになるというような気持ちでいるから、何も捕れなかった時には悲嘆にくれる。

そのザリガニを子どもたちと一緒に釣りに言ったのだが、初めてだと言う子もいて子どもたちも私も興味津々である。甲高い声で気勢を上げるものだからザリガニも逃げ足が早い、それでも全員が釣り上げた。少し要領を覚えると立て続けに何匹も釣り上げる子もいる。ザリガニを触れなかった子も、背中の方から掴むことを覚えて、他人の分まで取ってあげたりしていた。最初の計画では1匹づつ持って帰るとなっていたけれども、無制限にして小さいものだけ戻して、あとは持って帰ってきた。どうするかって?。ゆでて食べようと思っている。子どもたちは絶句して言葉を失っている。生まれて初めて食べるザリガニの味はいかがかな。

お泊り会

金曜日に幼稚園に来て一泊して土曜日に帰るというお泊まり会である。何日か前からお泊まり会の導入をして今日に至ったわけだけれども、変わったイベントなので子どもたちは喜びと不安を会い半ば持っていて、顔だけはにこにこしている。不安がないと言ったら嘘になる。親から離れて泊まったことがあると言う子は別として,初めてのお泊まりであれば小さな心を突き抜けるような不安があるはずだ。それでも健気に楽しいとか面白いとか言っている。みんなでお泊まり会を盛り上げようなどと言ってはいるけど、どこかうつろである。

お泊まり会の係があるから、これだけはみんなで協力しないと先へは進まないから、飯盒のご飯を炊いたり、レストラン係があったり、デザート係があったりと、必ず何かの係を誰もが負担することになっている。夕食を食べて、お楽しみ会をやったりしているうちは楽しいけれど、肝試しになるとその様子が一変する。いつも元気でいる男の子がどうにも手がつけられないほど泣きじゃくったりして、興奮のるつぼにはまったりしてしまう。第二ではそれほどのことはなかったらしいが。もっともかつては第二幼稚園ではあまりにも面白がって子どもたちを脅かすものだから、反省会で、もっと楽しいものにしようとなったいきさつがある。

幼稚園の行事というのは、一つ超える度に子どもたちの成長が見えるので、教師たちも楽しみにしている。一晩経って、たかだか一晩だけれども、朝の子どもたちの顔は一様に輝いている。自分自信が超えたと言う自信が体中にみなぎっているようだ。そうではあるけれども、お帰りの時間になって、ご両親が迎えに来ると、りりしく見えた顔もふにゃとなってもとの甘えん坊の顔に戻ってしまう。全くそれでいいのだけれども、だからと言って今日の『自信』がなくなってしまうのかというとそうではない。体験したものが積み重なって経験となり、それは自分の血肉となって自分自身のものとなっていくものだ。