初等学部の理事長で、幼稚園の園長でもある港先生の熱い想い

2015年4月の記事一覧

お詫びが見えない?

終戦後進駐軍が日本統治をするために、場所ははっきりとしないが、保険会社か今のホテルになったいるところにGHQを置いた。教育部門とか、憲法を改正する部署とか、治安を維持する部署とか、一刻を統治するのだから様々な部署が出来上がって、マッカーサー元帥がその頂点に立った。東京裁判の日本側の裁判記録と、連合国側の記録が著しく違っていることに、日本の文化人たちはその検証をしないでいる。日本側の言い分として、日本の当時の弁護団長たちの分厚い記録があるから、読んでみると情けないほどずさんな裁判であったことがはっきりする。

戦犯の重光葵の弁護をしたアメリカの弁護士が、『戦勝国が敗戦国を裁くこと事態公平な裁判ではない』とか『一般市民への無差別攻撃はしてはならない、という戦争犯罪を問うならば、私は広島や長崎に原爆を落とせと命令した人物を知っている』ということを発言した、アメリカの陸軍中尉がいた。日本の弁護士ではない米国の弁護士である。その時に法廷は一時通訳が切れてしまって、日本語通訳がされていない。そして居並ぶ判事の中から(キーナンだと思う)『我々は日本の言い訳を聞きに来ているのではなく、彼らを裁くために来たのだ』と、私は戦勝国の思い上がった言葉を知っている。だから日本人が自ら東京裁判の結果に従順になる必要なんて全くない。戦後70年も経過しているのだから。

今度の安倍総理の米国訪問に中国は不快感を示しているという。米国の腐心した日本人の心の解体の一つに、永久に罪意識を刷り込むことと言うのがある。韓国も一緒になってやっているけれども、今回の訪問でも記者会見の中で一番最初に出て来たのが慰安婦問題である。韓国政府が米国広告会社と月ぎめ契約で、日本たたきを依頼している結果である。韓国はベトナム戦争で米国と一緒に戦い、現地では韓国軍は一般市民に平気で危害を加えるなど軍規がたるんでいて、青鬼と呼ばれて最も市民に恐れられていた。そんな国にとやかく言われる筋合いはない。米国ジャーナリズムも二三流の金目当ての記者もいるし、正義は米国司法の専売特許ではない。『お詫びが見えない』など、日本人のくせに外国の思うつぼのような意見を言うことのないようにしていただきたいものだ。

学校の教務は順調にいっている。昼食作りなど教務外では、このようになればいいのにな思うこともある。昼食は学内で作ると、人事などで余計な心配を増やしているようなもので、仕出し屋に頼んだらいいのにと思うことがある。一度仕出し屋に頼んだ給食を出したことがあったけれども、何らかの理由でやめた。学校で作った方が安上がりだと思っている人がいたら大間違いで、仕出し屋の方が安上がりになる。現状ではどちらでやったからと言って、どちらがよいということもない。現在は学年で食べているようだけれども、ファミリアで食べる様な提案がなされればよいのにと思っている。

保護者会総会

新しい年度になって新しい役員が選出された。総会のあり方については、いろいろなやり方があるだろうから、これがベストだというものはないだろう。

役員をやっていると、有形無形色々な人から突っつかれもするでしょうから、大変なことだ。みんなが協力してて役員を支えるという度量がないと、役員になる人がいなくなってしまうだろう。とにかく今までの役員さんの労をねぎらうことにしよう。『大変な時にご苦労様でした』。また新しい役員の皆様に『よろしくお願いいたします』。とにかく子どもたちを中心に据え、争いのない穏やかな、そして出会った人たちがみんな幸せになれるような学校にするために邁進してまいりますので、しっかりとサポートしていただきたいと思います。

総会の後に保護者有志による『あおば祭り』が開催された。弓矢があったり、吹き屋があったり皿回しがあったり、ゴム銃もあった。子どもたちは夢中になって遊んでいる。難しそうな皿回しなどに何度も挑戦して、少しうまく行くと黙っていても次の困難なものへ挑戦して行くものだ。子どもの眼がいいではないか。生き生きとして輝いている。いや子どもたちばかりではない。一緒にやっていた大人の顔も生き生きとしていて、しばし童心に帰ったのではないか。保護者との立ち話ではあったけれど、ファミリアに期待しているということを聞いた。俄然やる気になったというか、子どもを見ていれば子どもが変わっていくのがよく見えるではないか。

実践的なフロー教育と言うのが始まったが、子どもたちは戸惑いもあるだろうが、バーチャルではない本物の教育をやって行くので、そのことだけは子どもたちにも伝わっているようだ。今にもっともっとフロー状態にしていくから、期待してもらってもよい。もともとその原点は幼児教育にあるのだから、そのやり方は本を読み読みやらなくても体の中に染み付いているので、先手を取れるのが強みだ。これから楽しくなるぞ!。

歴史認識

私たちが戦前戦後を通して歴史を教える時に、中国や韓国が言っているような日本の『歴史認識』とは一体何なのだ。日本の歴史の教科書では、戦後の出来事をあいまいにしている事柄が多く、野党や他国を必要以上に意識していることがうかがえる。中国とは田中角栄のときに周恩来との間で国交を樹立し『過去を問わない』『戦後補償はこれを問わない』という覚書がある。しかしODAで膨大な補償というか中国のインフラ整備をした。しかしこれを中国は、『当然のことだ』と言って、あたかも戦後補償を露骨に要求してきた。韓国と言えば、今の朴大統領の父親のときに、戦後補償はすでに解決済みということになった。

そもそも現中国共産党と戦ったわけではなく、当時の相手は台湾に逃げた蒋介石の国民党である。国民党と日本が戦っている隙をついて、中国共産党は勢力を拡大していったのである。戦勝70周年だなんてチャンチャラおかしな話だ。日本は彼らと戦ってはいないし、彼らだって戦った覚えはないだろう。蒋介石が生きていたら何と言うだろうか。もっとも生きていたら言えない。韓国は日本と共に連合国と戦ったのであるのに、戦後保障とは何事だろうか。先代の朴大統領の時に、ソウル市内の地下鉄について日本の経済援助でこれができたわけだが、韓国ではそれが汚職が噂されていて、今の娘の大統領は日本のおかげで大学へ行けたともいわれている。

もう一つ言わなければ気が済まないことがある。朝鮮併合のことである。当時の朝鮮は国家として世界地図に記されている中では、地球上では最貧国であった。だから日本では併合することに慎重であったし、立憲政治の初代首相の伊藤博文などはかなり反対したらしいが押し切られたといわれている。余談だが韓国では伊藤を暗殺した安重根は英雄とされているが、北朝鮮では思慮に欠けた大ばかものとなっている。また朝鮮併合は、米国との約束の上でなされたとも聞いたことがある。米国はフィリピンを奪還するためにスペインと戦っている最中である。戦力を移動できない米国が日本に頼んだということだ。それは南下してくるロシアの脅威である。その裏を知っていた伊藤が猛反対したのだろう。

それに現在行われているインドネシアでの『バンドン会議』である。これはアジア・アフリカ会議と呼ばれていたものだと認識している。先進国に対して後進国が団結した会議で、スカルノとかネールとかが活躍していた時だ。ここで日本の首相から『お詫びの言葉が聞かれない』とまたもやクレ-ムをつけた国がある。韓国だ。アジアの国々を侵略したということを言わせたいようだが、これは事実だろうか。当時ここを統治していたのはアジアの民ではなくヨーロッパや米国と言った帝国主義の国家であって、彼らこそ何故侵略したと言わないのだろうか。そしてなぜ言わせないのだろうか。侵略国がその国に謝罪を入れるなどの、欧米にはこのような習慣がないのである。だから米国が日本に対して注文を出すのはお門違いである。

子どもたちと向き合う

これは幼稚園でも初等学部でも一緒であるが、子どもたちを上目線でも下目線でもいけない。教員はややもすると子どもたちより上だという意識がある。だから教えなければならないという感覚。上なのは年齢ぐらいなものだ。年齢だけは死ぬまで追いつけられることはないから、上であると思っても良いけれど、人間的に人間力などはどうだ。それに知識の量はどうだと問われれば、人間力については、子どもたちに追い越される可能性が大である。知識などは最も顕著に追い越されるだろう。その分彼らは覚えなければならないことや、身につけなければならない知識の量が、我々よりはるかに多い。

教師にとって一番大切なことは子ども達から慕われることだ。基本的にこれが機能しないといくら知識を伝えようとしても子どもたちから拒絶されてしまう。そうなっては悲惨だ。子どもたちから慕われるようになると、子どもたちの生活は能動的になり、脳が活性化されるから、子ども自らのやる気という内燃機関が動き出すので、放っておいても子どもたちの知識は蓄積される。だから教えようとしなくても、子どもから好かれる教師になることが先決である。そのような状況が、教師自らが作りだせたとしたら、教師として至福である。だから内発的動機付けには色々と試された研究があるけれども、人的信頼が一番身近にある。

建設委員長の高橋さんが、小中学校の連結の話を書いているけれど、これは文科省で決定したことなのだろう。私は知事が中央教育審議会に知事として出席して、そのような議論が昨年からあったと言うことを垣間聞いていたので、このことなんだなと言うことが理解できた。小中学校の件については、この初等学部を作る時から話をしていたので大変興味がある。そうなるともう一度私が考えたことを、振り出しに戻してやれるということだ。

3歳児

就園まえに公園デヴューをしっかりとやってきたのか、3歳児が新しい場所に来たことにそれほどの違和感がない。初めて接触するのでも、抵抗を感じさせない。不安定な子がいるというのが定説で、必ず何人か入るものである。どうなっているのだろうか。2歳児教室に通っていたという人が多いのだろうか。今はまだ慣れるまで午前保育であるけれど、帰る頃になると疲れてしまうのか保育者に抱かれている子をちらほらと見る程度で、ギャーギャーと泣く子が見当たらない。分からずやがいないというか、よくなついている。

母親の頑張りが、こんなにも子どもたちを幼稚園に近付けてくれたのだろうか。幼児期というのは自然体が一番良いけれども、もし自然体で今のような状況になっているならば、発達段階において、かなり大きな示唆を与えられる状況だ。そのくらい大きな変化である。

初等学部では初めてファミリア開きがあった。それぞれのファミリアに移動した子どもたちは、まず最初にリーダーを決めようと言うことになったらしい。リーダーはほとんどが自薦で決まるが、手を挙げることが大切である。手を挙げられるような子どもたちを作って行こう。子どもたち中心でがファミリアが行われていくけれども、何かと口を出したくなるものだけれども、少し我慢して動き出すのを見てみよう。動き出したら、多くの欠陥に気付くことになる。

子どもたちのやる気というのはすごいエネルギーである。今日は雨だと言うのに、食べること大好きファミリアは、畑を耕したいと言ってきたり、建物ファミリアは、何階建ての家を作ろうかなどと話している。劇団も、まだ何も決まっていないのに劇は何回公演しようかなどと話をしている。まずは脚本を誰が書くのかだろうな。全員が書いてもいいし、自薦でもいいのだが今日は時間が足りなくなってしまった。

初めて幼稚園で遊ぶ

もーりの、3歳になる前に幼稚園で遊ぶことができた何人かを除いては、初めて幼稚園で遊ぶことができた。あおば台の入園式が終わった後に、今日初めて幼稚園に登園してくる3歳児の様子が見たくて第二幼稚園へ行ってみた。保育者の第一声は『泣く子がいない』『とにかく遊びたくて、泣いている暇がない』と弾んだ声で言ってきた。バスに乗るときには何人かの子が泣いたと聞いているけれども、バスに乗ってしまえばそのあとは楽しいことばかりだ。バスに乗るときに泣いた子はこの次もなくだろうか。休みが間にあるから、泣くかもしれないがそれほど長くはないだろう。

バスに乗せるときに子どもが泣き始めてお母さんから離れないということがあるけれども、そんな時には強引にでもお母さんの手から離す。まるで人さらいのようだけれども、保育者も足でけられたりして、必死の思いでバスに乗せなければならない。そんな状況は長くたって1週間と続かない。だから来週いっぱいが経過すると、だれも泣きながら登園してくるものはいなくなる。そうなると子ども自身にも自信がついて、少し大きくなったという実感がわいてくる。沢山ほめてあげると次の段階にいきやすい。だから何もなくスーと幼稚園に溶け込むよりは、何か困ったことがあった方がよい。いずれにしても、これからそのようなことにぶつかっていかなければならなくなる。楽しみに成長を見守ってほしい。

初等学部では児童のファミリアのアンケートが出そろった。どのファミリアに自分が所属したいのかということだが、やはり一番多かったのは基地を作ろうといった『建物ファミリア』が多かった。その次はお店を出そうといった『食べること大好きファミリア』が多く、最後は『お芝居大好きファミリア』だった。それぞれに教師が張り付き子どもたちに夢を抱かせるような導入が必要になってくる。建物とか、食べ物とかは目に見えやすく具現化されやすいけれども、芝居の方は創造力がいる。私は三つのファミリアに所属し、何かと助言を与えていきたい、子どもたちの邪魔にならないように。

アンケート調査の結果、多分この子とこの子はいつも一緒にいるから同じファミリアになるだろうなどの予測は見事に打ち破られて、子どもたちの主張が色濃く出ている結果となった。これから学校での活動は自己決定の原則の中で生活することになる。寄宿舎があれば夜遅くまでもやりたいことに没頭できるのにと思う。フロー教育は時間の制限があってはなかなか到達することは困難だ。だからファミリアなどということが生まれたのだけれども、寄宿舎は絶対に必要だ。何と思われようが必要なものは必要だ。原則保護者には強制しないということを約束すれば、やり易いのではないか。

入園式

小学校の入学式とはちょっと違った雰囲気の幼稚園の入園式があった。大変な思いをしてここまで育ててくれたと言う気がするが、子どもたちにとってはそうしてもらうのが当たり前だから、わがまま言って親を困らせている。それでも親というのは見返りを求めない無償の愛だから、にこにこしてわがままに付き合っている。人間の愛について言えばこれほど高尚な愛はないだろう。かつて高田好胤先生が生前に父母恩重経というお経の話をしてくれたときに、『子が親を思う心に優る親心』という話を聞いたことがある。

その無償の愛も、徐々に子どもたちが大きくなって来ると親子でいい争いが起こったりする。これも子どもが成長する時のセレモニーみたいなもので、通らなければならない関所のようなものだ。何故いい争いが起こったりするかと言うと、ほとんどの場合が親が子どもの成長に追いついて行けない場合が多い。親からして見れば何時までたっても親子関係は消えて無くなるわけではないから、どうしても親権というものを使ってしまう。これは子どもにとっては抗えない禁じ手である。私が産んだ子だから、あなたのことは何でも知っている、ということになる。しかし実際のところ、子どもの年齢とともに子どもの視野が広がってくると、親の知りうることはそれに反比例して知らないことの方が多くなる。

あなたのことは何でもと言えるのはせいぜい3年生までである。それ以後はあまり使わないほうがよい。それは子どもの主体がはっきりしてきて、他者評価も自己評価も不安定ながらできるようになってきているから、大人を評価する時の基準が両親であるから、良い印象を与えておいた方がよい。良い印象というのは、子どもにへつらうことではない。子どもの意見をよく聞き、公平な判断を促すことである。そういったことが大人を信頼し、社会を信頼する大きな要素となって、立派な大人になっていく。

可愛い子どもたちだ。しっかりと手を携えて、ご両親ともどもと歩調を合わせてやっていきたい。卒園するころには『あおば台で良かった!』と言わせしめるよう努力して行くつもりだ。それには互いに一方的な会話はやめて、何かあったらしっかりと話し合える雰囲気を作っていこう。保護者も幼稚園も子どものためには一生懸命なのだから。親子ともども楽しい園生活を過ごせるように、できることは何でもやろう。