初等学部の理事長で、幼稚園の園長でもある港先生の熱い想い

2018年6月の記事一覧

子育ては大変?

男子の育休が叫ばれているなか、男子には果たして会社を休んで何ができるのかということが巷で議論されている。私は思うけれども、父親は母親のように子どもを育てることは出来ない。幼児の一挙手一投足に対応できるような父親はいないものだ。高名な育児評論家でも無理だと思う。これはいくらジェンダフリーを叫んだところで所詮無理な話だ。女性は妊娠して自分のお腹の中で十月十日毎日会話をして生まれてくるのを待っている。それに対して父となるべき人はその間何をしているのだろうか。子育てに対しての適正というのはこう考えてみても歴然としているではないか。

だからと言って女性に子育てのすべてに責任を持たせるのは全くの解釈の違いである。戦前には『男子厨房に入らず』とか子育ては全て母親に任せると言ったことが男子の美徳とされて来た。それは封建的な男尊女卑の社会が成熟していたためである。しかしその頃でも女性の家事については大変苦労が大きいということは認知されていた。というのはある程度の資産階級になると必ず女中さんを置いて母親の苦労を取り除いてきた。それで現代ではどうなのかというと、女中さんを置いて肉体的な疲れをいやすということではなくて、問題は別に潜んでいる気がするのだ。

現代の社会事象の中の『核家族』と言うことが大きな原因であるように思えてならない。マンションの高層に住んでいる人はあまり外に出て子どもと遊ぼうとしないことは心理学でも証明している。だから他と触れ合う機会も少なくて、家の中で子どもとじっと向き合っているとなると、多分煮詰まってしまうのではないか。これは辛い。早めに子育て仲間を作って、話し相手を作ることを勧めるが、それが苦手だという人もいる。それは子どものためにも自分のためにも良いことだから、頑張るしかない。

父親が休みになると子どもたちと遊び、母親の手伝いをしていると言う自覚のある心優しい父親。しかしある日突然母親が『疲れた』と言って泣きだしたのを見て呆然としてしまった。自分はどうすればよいのかと自問自答したが正解が見つからないでいる。一歳と二歳の二児の母親であるが、彼女は物理的な肉体の疲れの中で『疲れた』と言っているのではない。父親には考えにも及ばないところで母親はくたびれているのだ。精神力でも限界にきているのだろう。父親が当惑するのも理解できるが、母親は母親の仕事を代わってやってほしいと言っているわけではない。毎日のいたわりの言葉や感謝の言葉が必要なのではないか。心から理解してあげて『ありがとう』の言葉が必要だ。

 

 

サッカーワールドシリーズ

昨日の日本対コロンビア戦は見ごたえがあった。色々な課題があってもそれを忘れさせるような試合内容である。日本国中サッカー一色に染まった日でもある。それも試合前の予想を覆す侍ブルーの活躍がひときわ目立った戦いであったから日本中がヒートアップしているようであった。早速今日はテレビでは『最大の功労者は?』などとコメンテーターを交えて話をしているけれど、マスコミの悪い癖だ。後半の戦いぶりを観ていたら、全員が一丸となって敵陣に攻め入っているではないか。だれが一番で二番だなどという言い方はあのメンバーに対しての冒とくではないか。

とにかく沢山のもやもやがあったけれど、一気に吹き飛んだみたいだ。単純と言えば単純だが、物事は突き詰めていけば単純そのものなのだから、頭の構造も単純が一番いい。日本は後一戦勝てばもっと日本を明るくしてもらえるのではないか。女子は一足先にワールドカップ優勝を果たしているのだから、男子もぜひ優勝まではいかなくても期待だけでも持たせてほしい。

米朝会談の成果

日本にとって米朝会談の成果は北朝鮮との拉致疑惑に関する話し合いの糸口ができたというくらいだろう。米朝の会談は北朝鮮の方が有利に進めたようだ。米国にも韓国にもあまり成果は見られなかったと言っても言い過ぎではない。完全な核放棄の行程表もないし核に対する査察官派遣の話もない。大山鳴動してネズミ一匹という感じは否めない。これではこの先経済制裁などと言ってもかなりのほころびが出て、北との交渉はもっと難しくなる。

何でも米国に追随している日本だから、自国の主体がはっきりしない。ウランバートルで北との接触があってどの程度の拉致被害者を返してくれるのか、会えたことだけで前進だなんてことではすまされない。外交交渉にはしっかりとした軍隊が必要だ。戦争のための軍隊ではなくて自国の安全と安心を買うためのものだ。軍隊を持てば戦争になるなんて言っている似非文化人がいるけれど、それでは地球上毎日戦争になるではないか。

また自国の利益だけを求めるようなトランプのようでは他国から見放される。米国に強力な軍隊がなかったら、トランプはただの裸の王様だ。日本は継座がどうなるかばかりを追及しているけれど、これは本当に国民が求めているものなのだろうか。どこかで幸せのレシピを公表しないと必ず行き詰ることになりはしないだろうか。経済はこの辺まででということがないと、飽食の時代をさらに求めていたのでは途中で空中分解してしまうのではないか。

子どもたちを安全に幸せを求める育て方をしないと、経済の効果ばかりを追い求める育て方では、決して幸せにはなれないだろう。他人の幸せの援助をしてあげられるような人は必ず幸せになれる。そのようなレクチャーセンターを各学校にあればぎすぎすした世の中にはならない。そのような政策は損得に関係ないから政策として成り立たないのかもしれない。

 

いよいよ明日は米朝会談

7カ国首脳会談。いわゆる先進国サミットであるが、今日の閉会の議長声明を待たずに、トランプはシンガポールにいる。とても無礼な話だが、トランプ大統領の身勝手な貿易摩擦ガ他の首領に攻撃されて針のむしろにいるようなのだろう。もう一つの関心事の米朝会談の方に足を向けたようだ。しかし私はこの会談はうまくいかないだろうと思っている。無責任な平和的解決もうわさされるが、核を失った北朝鮮の存在意義はどんなところにあるのだろうか。

したがって拉致問題も解決しない。これは米国にとっても北朝鮮にとっても日本に対する大きな力のあるカードだから簡単に渡したりはしない。北朝鮮の人権問題に触れないで北朝鮮に平和は訪れないであろうし、そうなればなお一層拉致問題は解決しない。日本の国がもっと早くから国としての当たり前の力を持って、北朝鮮の沖合に日本の軍艦を並べることができたならばこのような拉致問題は起こらなかった。

新幹線で気違いに殺された人や、親の虐待によって殺されてしまった幼い子供も、痛ましい結果であるけれど、拉致被害者も無念であろう。拉致被害者の問題は武力でしか解決できない。人間の知恵を絞って外交で解決できるようにと言っている人は無責任だ。今回の会談は何も解決しない。世界向けのトランプ大統領のパフォーマンスに過ぎない。そのような恫喝やはったりは彼の専売特許だ。

トランプは世界のリーダーか?

米朝会談が6月12日に予定通り行われることになったが、難題は全て後回しで、最初に日本が指摘していたように『会談のための会談』になりそうだ。意外とトランプの方がびくついているのではないか。金委員長は若いけれども、周りには老練な側近がついていて、まるでトランプを手玉に取っているではないか。今回の会談では人権のことは一切触れないそうだ。これでは拉致問題は解決できない。米国にとっても北朝鮮にとっても拉致問題は日本に対するカードとして残しておきたいのだろう。自国の問題を外国に頼っていたのでは周りの国から笑われるだけだ。

核を放棄した暁には日本や韓国、中国がその後の経済援助をするとトランプが言ったそうだ。米国は一銭も出さない。そんなリーダーがいるか。世界をかき回しておいて後始末は他国にやらせるとは、そんなリーダーのお先棒はかつがなくてもよい。しかし国民はその後に来るであろう干渉と制裁に耐えなくてはならない。北の拉致問題は他国を侵犯し国民を誘拐した犯罪だから、何なら武力に訴えても日本は国民を守るという気概を見せなければ、いつまでたっても拉致問題は解決しない。

日米の安保協定も見直した方がよい。日本は○で米国の植民地であるかのようだ。明治に開国した当時の不平等条約をそのまま使っているようだ。米国は日本では治外封建なのだ。米国の基地に日本人が入っていけない。裁判も出来ない。現代でまだ日本だけがこのようなことを許している。何故なら憲法9条第2項があるからだ。これをなくすと言っただけで近隣国は日本を見直す。日本が憲法を見直すことになると、なぜ戦争になるのか。国内に日本を弱体化させるプロパガンダがいるからだ。

いま政治は正念場を迎えている。子どもたちが誇りを持って日本国民として生きて行くことが出来るかどうか。太った豚より痩せたソクラテスとはかつての東大総長の言った言葉であるが、うまいものをそれほど食べなくてもよいから、誇りを持ちたいと思う。子どもたちにもそのように伝えていきたいものだ。明治を作った政財界の人たちに恥じぬような人間を作っていかなくてはならない。

物理学者の言ったこと

物理学者とはホーキング博士のことだ。先日ホーキング博士は地球の寿命はあと100年と言ったということを書いたが、それは物理学的にそうなるのか、それとも恐ろしい病気が地球を襲うのか定かではないけれど、意外と内部の体制の在り方によって地球の人間社会が瓦解してしまうのではないか。残るのは全くの未開地に住む人間ではないか。彼らには欲はなく、他人を落し込むような悪さもしない。自然は生活の知恵として崇め怖れを持っている。そこには環境保全なんて言う言葉もない。自然と人間が一体化している。文明は多分必要最小限のものだろう。

ホーキング博士は、欲望の渦巻く地球が自然発火して自らが内部崩壊してついには互いが殺しあって結局滅びていくのではないか。そんなことを示唆していたのかもしれない。私は世界を恫喝して自分の思うように動かそうとしているトランプがどうしても好きになれない。それに尾っぽを振っている日本の態度にも少なからず嫌気がさしている。私は好きなことをさせて戴いて生きてきたし、若くはないからどうなってもかまわないが、私のところにいる若い教師はどうなるのか。そして子どもたちの将来は?そう考えると心配事は海の真砂のごとしだ。

財務省の国民を欺く不祥事といい、日大の大人たちの言い草といい、末期的症状ではないか。多少の救いは加害者となった日大の学生の態度である。正義を伝えるのに怖れない態度は見上げたものである。日本ではまだアベノミクスがどうだのと、経済効果に拠り所を求める政策やら言動が幅を利かせているが、本当のところそんなちっぽけな話どころではないだろう。永久に日本国民が生き延びるにはどうしたらよいだろうかの議論が必要だ。現在の幼児教育の対処療法や、高等学校無償化の問題、消費税の問題、これらはすぐに行き詰る問題だ。いつまでたっても国民は幸せになれない。