初等学部の理事長で、幼稚園の園長でもある港先生の熱い想い

2015年9月の記事一覧

幼稚園は遠足の日

幼稚園は大洗水族館へ遠足の予定であったけれども、延期の決定をした。この雨だとバスの乗り降りでバスまで歩く親子では大変だ。雨で視界が悪いし、事故でもあったら大変なことになる。大体事故というのは油断してなることもあるけれども、細心の注意をしていても起きるときには起きてしまう。不運としか言いようがない時もある。それが自分のところで起きてしまっては泣くにも泣けない。『君子危うきに近寄らず』がよいけれど、『虎穴に入らずんば虎児を得ず』という諺もあるから、判断する場合の深い思慮が大切だ。たかだか遠足のことでと思うことなかれ、総合的に判断すれば今日は延期にしたことはベストである。

親子で食べる昼食についても、1000人近い人たちが一堂に食べられる屋根のあるところはなく、いつも外のデッキのところで食べるので、雨が降っていたのではその場所は使えない。一番肝心な子どもたちのことだけれども、残念がっている様子もなく、私が行ったときにはこちらから言い出さないと遠足の話は出て来なかった。子どもたちの柔軟な対応によって、次の新しい楽しいものを探し出す力に改めて感心する。残念なのは残念だと思う。お母さんと一緒に出かけられるなんて、本当に楽しみにしていたものだ。この次にいっぱい楽しんできてほしい。

初等学部では、5・6年生を中心にして集会委員会でアンケート調査から議題にして欲しい物を選んで、全校集会で決定することを楽しんでいる。『楽しんでいる』という言い方ではよくないけれど、そんな気がする。今回はスキーに行くか行かないかということが議題になったが、これは例年3年生から上の子たちの話だから、1・2年生には直接関係ないが、その話の行く末をじっと聞いている。彼らが決定したことは最大限尊重はするが、お金のかかることを経済力のない彼らが勝手にきめてしまってもよいものなのか。今度はそのことを議論していただきたいものだ。

歴史認識の歪曲だって?

よく韓国や中国共産党が好んで日本向けに発する政治的用語だ。中国共産党とは何度もここで書いているけれど、日本陸軍とは戦っていない。日本陸軍と正面切って戦ったのは蒋介石率いる国民党である。韓国は一緒に連合国側と戦ったのに、対日戦争というのは当てはまらないから、日本からの独立であろう。ロシアなどはまだひどい。日本の広島に原爆が投下されたのち、長崎に原爆が投下された8月9日に、日ソ不可侵条約を一方的に破って満州に攻め入ってきたのだ。そのあとは満州に残された日本兵はシベリアに抑留されてひどい目にあった。兵隊だけではない、民間人まで蹂躙されたのだ。

そして日本が降伏してから、戦わずして北方四島に入ってきて武装解除してしまったのだ。だから日本人は、中国にもソ連とも戦った気がしないのに負けてしまったのだ。ソ連は酷寒のシベリアに日本兵を連れて行って、鉄道建設や住宅建設に従事させたが、日本兵が作った住宅などは丈夫で今も残っているらしい。敗戦国の日本だから、今さら何を言っても原状復帰は難しいだろうけれど、北方四島などは泥棒に持っていかれたようなものだから悔しい。中国も韓国も歴史を歪曲しているのは、あなたたちではないのか。公文書図書館や、かつて日本と戦った国民党が台湾にいるからよく話を聞いてみるとよい。もっとも彼らは、内政がうまくいかないと、国民の注意を日本に向けさせるという手段を使っているだけだけれど。

中国は天津の爆発について、今も毒ガスを作っていたとは言っていないけれども、あそこから出てくる化学物質を集めてみると、さまざまな毒ガスができるらしい。世界で禁じられている化学兵器までできる。国連の調査団を入れたらすぐにわかるものを、中国はそれを拒んでいる。中国も韓国も内政がしっかりしていれば、反日にはなるまいものを。その話はこれくらいにして、何とも憂鬱な今日の雨だ。

晴れやかな日

朝のうちは少し雨上がりのようなどんよりとした雲があったけれども、午後からは2週間ぶりぐらいだろうか、晴れやかな日差しが戻ってきた。日差しには焼けつきそうな強さがあるけれど、曇りよりはすっきりする。田んぼの稲穂もこの日差しを待ちわびていたのだろう、黄金色に光って何か誇らしげに風に揺れている。昨日あたりから、あちこちでコンバインによる稲刈りが始まったようだ。学校の周りや、幼稚園の周りでも稲刈りが始まっている。初等学部の田んぼは、普段の人たちよりも1カ月も遅く田植えをしたから、ゆっくりでいい。子どもたちとゆっくり話し合いながらやろうと思っている。

旭山動物園の園長をしていた小菅正夫さんて言う人の名を覚えていらっしゃる方も大勢いると思いますが、この人が園長になった翌年には旭山動物園創立以来の最低入場者数を記録したそうだ。この人が園長になったからという理由ではなくて、動物園そのものが斜陽であった時の話で、しかも旭川と言えば日本ではマイナス40度以下を記録した酷寒の地である。そこで10年後には、入場者数300万人を超える上野動物園と肩を並べる動物園に仕上げてしまった。これは何もマネジメントを考えて、寝る時間を割いて、懸命に経営に乗り出したなどという出世物語ではないのが、この人の偉大さだと思う。

それはどうしたかと言うと、動物たちの生態をそのまま見せるというもので、夜行性のある動物は夜にみせる。その生態に合わせることによって、動物を虐待から守り自然との調和を図ると言ったことを動物園から発信したことがすごいことなのだ。札幌に生まれた小菅さんは、春はサンショウオ、夏はセミ、秋はバッタを求めて過ごし、捕まえた生き物を一生懸命育てる様な子ども時代を過ごしたらしい。北海道大学の獣医学部を出たのは子ども時代の延長のようなもので、また救えなかった小動物に対して、もっと生きてほしかったという思いがあって獣医学部を選んだとも言っている。幼少期の延長というのは、確かにインパクトがある。

初等学部でもフロー教育を進めるためにファミリア活動を取り入れているけれども、夢中になったものから不思議を発見し、それを追求できるような集中力を蓄えてほしいと願っている。小さい時から道具等を使っているのだから、道具の便利さを体験でき、そのメカニックについて不思議を感じたり、てこの応用や、上下運動が何故回転運動に変わって行くのか、その部品や道具を発見した人に敬意を払うとか、よい方向へ連鎖してほしいものだ。幼稚園では特に『感じる』ことをたくさん日常の生活にちりばめることを話し合っている。これからも保育力を高めてほしい。

オアシスは満タン

初等学部のオアシスへ幼稚園の子どもたちが来た。実は昨日は第二幼稚園が来る日であったけれどもあいにくの天候で中止になってしまった。今日はあおば台の年中と年長の子どもたちが、両手足を伸ばしてキャッキャッキャッと楽しんでいる。楽しいという日が毎日のようにあればいいな。
         
小さなプールだけども、初等学部の最初の子どもたちがオアシスと名付けた。ここにはキャンプ場があるけれどもその場所の名前は軽井沢だ。左上の写真はゆっくりと階段を下りてオアシスに入っていくようす。
           
オアシスの上からちょうど滑り台のようにして遊べるのが楽しい。右上はロープを伝ってオアシスから出るところ。小さな子どもたちでは、オアシスの上まで登るのには滑ってなかなか難しい。
         
オアシスの隣にある全長202Mのクジラ川でカヤックに乗って楽しんでいる年長の子どもたち。深いと危ないので、昨日のうちに初等学部の教員たちが川の水を抜いてくれた。年長と年中の子どもたちを一緒に遊ばせておくと、年中の子が年長に引っ張られるようにして、より活動的になる。楽しい光景である。子どもたちが帰る頃になって、雨がぱらつきだした。

進路指導

私の友人の兄に京都大学病院の院長をしていた人がいる。勿論その姉も弟も優秀である。私の友人の方はいたって楽しい人で、幼稚園の保育者をしている。研修会などで、日本でも著名な講師を呼んだりするのは、実は大学病院の院長の差し金であったことがつい最近分かった。そんなことを自慢したりしないから、幼年教育研究所の所長の久保田浩先生がお呼びしていたものとずっと思っていた。大学病院の院長というのは、大学に残って病院を運営して一人院長になるわけだからすごいと思う。しかも京都は研究所としては東大よりも世界では有名だ。

初等学部にもすでに医学部志望の児童がいて一生懸命勉強している。医者の子の多くは医者になろうとしているのがいる。自分の親が医者だとそうしたいと思うのだろうか。開業医の場合には、医療器具の支払いに追われて一代では返済できないと言われていて、何とかわが子にあとを継いで戴きたいと思うのは自然な思いである。他人が入って来るよりそのほうが良いということだろう。だがこれは弁護士も公認会計士でも世襲制でないから、大変なことだ。もっとも大変だと思うのは凡人の悲鳴にすぎないが、医者は自分の通ってきた道だから、きっとわが子にもできるはずだなどと思いがちなのだろう。医者になるという目的を持っているのは数人にすぎないが、健気に勉強に取り組んでいる姿がいじらしい。

高校を選ぶならそのような雰囲気のある学校が絶対よい。同じ目的を持っている仲間が近くにいるということは励みになるから、勉学にも相乗効果があって目的意識も強固になって目的を突破できるだろう。何も将来の目標は医者だけでないから、世の中に役立つような人になりたいという希望に沿ったことを推奨して、学習に励むという内発的な動機を培養してあげることが大切だ。私個人としては、手っ取り早く社会に貢献できるのは医者がよいという気持ちはある。白衣を着て聴診器をぶら下げて、意味もなくふらふらと歩いていたって様になるではないか。しかも世界の人類に役立てる。

出来ることなら子どもたち全員に『医者になれ!』と号令かけてみたいが、それだけの器が私にないからあまり無責任なこともできない。私の尊敬する先輩に医者がいるけれど、その先輩は土浦一高で数学はトップだったらしい。周りの人に聞いてみるとそれほど勉強ばかりしていたとは思えないと言っている。養老猛さんも東大医学部へ進んだけれど、少年時代は虫捕りばかりやっていて、その標本作りに毎日を使いきっていたというし、同じように身近にいる優秀な人はよく遊んだ話ばかりしかない。没頭して遊ぶということが大切なのだ。中国の諺に『小医は病を治し、中医は人を治し、大医は国を治す』というのがある。世を正すことも医者の役目だったことがあるのだ。チェ・ゲバラも医者で、革命がはやっていたころには医者が登場する。

正義とは何だ

正義=善ではなかろう。正しいことが正義だという論拠はない。公平なものが善であるとは言い切れない。人それぞれに自己主張の根拠を持っているからだ。子どもが生を受けて、幼稚園に通っているときは間違いなく性善説であるが、徐々に大人に近付いてくると性悪説に近付いて、性悪説を認めざるを得なく。人間の本性である欲望が自分自身を取り囲んだ時に、善悪の意識を超越してしまうのだ。社会に警察や軍隊があるのは性悪説に基づいている。大人になると善悪で物事を判断することが難しくなって、利害得失に決断を迫ることになるのは、これもまた人間の持つ本性なのか。正義を振りかざして生きようとすると、『世間(流れに)に掉(さお)させば流される』ことになる。『とかく世間は住みにくい』ものなのだ。

私の幼児教育から小学校での子育て論は正論である。正論であるという根拠は、発達理解と実践記録によるものだ。だからと言って、これがすべての人たちに押し付けられるものではないことは十分承知している。正論といえども、だれにでも当てはまるものではなく一般論に過ぎないものだからだ。正論がいつでも正しい善であるとは限らないということになるけれど、しかし、だれかが正論を声高らかに言い続けていなければ、必ず世の中のうねりは楽な方の道を探し出すだろうし、それが常態化されると真実に変わってしまう。真実はあくまでも正論の中にあるというのが私の持論だ。

子どもたちの発達は肉体的な発達と心の発達があるけれども、肉体的な発達は現象的に顕著に表れるからとても見えやすいけれども、心の発達は幼児期から9歳までは良く見えるが、10歳ごろになると見えにくくなる。それは何度か言っているけれども、他者評価ができるようになってくると同時に、その評価を自分の中に閉じ込めて自分個人の秘密にしておくという、親からの独立宣言みたいな発達があるからである。女児の場合は男児よりも発達が早いので、よくよく観察していないと子どもに出し抜かれてしまう。子どもたちの独立宣言は、児童期にある。正しく対応できるように心がけていよう。

私はある市の『子ども子育て会議』に出ている。子どもを産んで子どもを預けられるようになるのは産休が明ける3ヶ月後からである。まだ赤ちゃんは目が見えない時期だ。子どもも母親も可哀そうで不幸な境遇である。これが経済大国を誇った日本の子育てに関する国家の政策である。本来母親が安心して家庭で子育てが出来るというのが国家の政策でなければならない。子どもを産んで間もなく仕事に就かなければならない人は、保育所へ。そうではなく家庭で子育てができる人は家庭で。そして3歳になったら幼稚園へ行けばよいというのが現在の方向だ。否、家庭にいる母親を無理やり仕事場に引き出している。これは正義でも善でもない。建前と本音というご都合主義である。豊かな国家では決してない。子どもにとっては母親に育てられるというのが至福である。

初等学部で昼食の時間が終わると、6年生が一目散でオアシスの方向へ走っていく。何をするのだろうかと思っていたら、たまたま担任が通りかかったので『6年生どうしたの?』と聞いたら、『鬼ごっこです』とこともなげに答える。こんなことが好きなんだ。確かに子どもというのは、陸上競技でもないのに、むきになって走りだしたりする。私らの年になるとこの行動が意味不明で、ただ疲れるだけという受け取り方しかできない。6年生が鬼ごっこをしていると、何とも迫力がある。