初等学部の理事長で、幼稚園の園長でもある港先生の熱い想い

2015年8月の記事一覧

教育の基本は幼児教育

教育そのものを人格の育成と知識の培養とするならば、その基本的なことは幼児教育にあるのだろう。人間の生活様式は小学生でも幼稚園の園児でも全く変わらない。生活の中に小学校では文字を使った『教科書』が配布され、年間時数が文科省によって決められているが、人間の営みは変わるものはない。幼稚園の中にもちょっと発達の早い子による『いじめ』に似たようなことが起こることがある。しかしそれらは幼稚園の中で解決できるようにしている。そんなものに特効薬はないけれど、ひたすら注意深く『見守る』ということで、子どもたちは自然にそのような事象でも乗り越えていく。そのような復元力みたいなものを持っているものだ。

何日か前のあおば台幼稚園の保護者からのお話がブログに載っていた。幼稚園から帰ったわが子の顔が少し腫れているので『どうしたの?』と聞いたところ、友達のA君が何かを振り回していて、それが顔にあたったらしい。それでもわが子は『でも先生に言わないで、A君叱られると可哀そうだから』と言ったので、思わず母親の方が涙でむせいでしまったという。人を思いやる心が芽生えてきているわが子に感動したり、つたない言葉で自分の気持ちをはっきりと伝えることができたという成長に思わず涙ぐんでしまったのだろう。

子ども同士の出来事は、子どもの中でしか本当の解決は出来ない。保護者がこのようなことを聞きつけて先に幼稚園に解決を迫ったら、親もまたこのようなわが子の成長に気づくこともなかったろうと思う。子どもの心の成長の殆どは、親の知らないところで育つものだ。子どもを信頼して見守ることが出来ると、子どもの発達がよく見えると何度か書いたことがあるけれど、今回の幼稚園での保護者のブログもそれを証明している。子どもを愛するが故に、子どもの気持ちまで感情移入してしまうと、当然子どもは見えなくなってしまう。子どもを思う親心は仕方のないところもあるけれど、そのようなことも差し引かなければならない。

小学生の心の発達についても、幼児の発達を観るスタンスと全く同じである。子どもを見、寄り添う基本は幼児教育にあるのだ。子ども同士で何かぶつかり合いがあると、ある程度の心の葛藤の先が読めるので両方の子どもの様子を『見守る』様にしているが、保護者の方が敏感に反応して来ることもあるので、子どもの心の葛藤を観察するゆとりがない。何が起きても学校でそれを把握していれば問題は起きないものだが、当事者である子どもの保護者であれば、そんな悠長なことは言ってられないのだろう。それもまた親の愛の表現だ。だから一般的に言われるネグレクト(無関心)などは、この学校では無関係である。しかしもっと大きくなって、思春期を迎えるころまで親が入り込むような状態だと、それが子どもにとってはネグレクト(分かってくれない)となる。

教育の神髄って何だ?

学校教育を受ける者、そして教育を授ける者とに分かれるが、実はこの両者は分かれてあってはならないもので一体でなければならない。一体であるということは同じ方向を向いているということで、同じ思惑の中にいる。ここでの『真髄』は『真理』と置き換えてもよい。平たく言ってしまえば何のために勉強するのかという疑問に、噛み砕いて説明できるかということだ。子どもたちの永遠の、大人たちへの質問でもある。大人たちは即座に『自分のためだ』と答えるのが一般的らしいけれども、これを子どもたちが自分の中に取り込んで反芻して理解するのには難解である。大人は経験知の中で話をするが、子どもには宇宙の大きさを測るようなもので理解できない。

何故幼稚園に通ったり、小学校とか中学校へ行かせなければならないのか。保護者は周りの人たちがいくから、わが子も後れを取ってはならないなどと、臨戦態勢に入っている様な言葉では応えないだろう。わがこのためにの一念であることには間違いがないけれども、押しつけているわけでもない。それが社会通念となって誰もがそのような行動をとるようになっているからだ。しかし日本ではそうであるけれども、幼稚園などには世界の同年齢で幼児教育を受けられるのは10%に満たないのだ。小学校へ通える子も半分に満たない。幼稚園や小学校へ通えるというのは地球上でも選ばれた民なのだ。

まあそのようなことを頭に入れといて、何故幼稚園に通うのか。全日本私立幼稚園協会では、幼稚園を『子供が初めて通う学校』というような位置づけでいる。学校というより『子供たちのたまり場』の方がしっくりといく。多くの不特定多数の子たちと混ざり合って、人と関わり合う術を体得してほしいと願い、人生における基本的なスキルを磨いてほしいと願っている。そして、友達ができてその子の名前が出てくると親も歓喜する。全く親子ともに正常な心の発達である。この状況を『はぐくむ』というのだろう。そんな状況だから、親子ともに多くの事柄に対して寛容である。子どもたちからその時に寛容さを学ぶ。

そうはいっても小学校へ入ると、『教科を学ぶ』という新たな取り組みがあって、それについて保護者は他を意識するようになる。子どもたちは、できるとかできないとかいうことには無頓着で、全くマイペースで大らかである。何故学ばなくてはならないのかという疑問は、小学生の低学年では起きてこない。自己評価も他者評価も何となくできるようになる9歳から10歳のころだろう。そんなことは全く考えずに飄々と学問に打ち込んでいる子もいることは確かだ。そんなことを意識させずにひたすら学習できるという態度は驚嘆に値するだろう。そのような子を含めて、子どもたちが幸せになってくれるように願いながら学校や幼稚園がある。

人間として生を受けて一番その子らしく生きられるということは、自分の人生を自分で選択でき、周りの支配を拒絶できる知識と自信を得ることだ。親からも誰からも支配されるということを敢然として拒否することだ。自分の生きざまを自分の力でコントロールできるということは素晴らしいことだ。支配されるということは、奴隷になるということだから、拒絶して自分を一生懸命生きなければならない。そんな自由を得られた子は幸せである。米国で南北戦争が終結したとき、奴隷であった黒人が『次に生れてくるときに奴隷であるならば私は躊躇なく死を選ぶ』と言ったという。

講演会決まる

保護者会役員から要望のあった堀真一郎先生をお招きしての後援会がほぼ確定した。当初は10月下旬の土曜日ということを指定されていましたが、堀先生のスケジュールが一杯で、11月7日ということになりました。また当日は和歌山から出て来るというので、午後からの講演となります。午後1時から3時までということで、幼稚園の保護者も動員いたします。幼稚園の子どもたちは小学生とかかわって遊んでもらうようにします。勿論所々に幼稚園の保育者を配置いたします。初等学部の教師は全員が聴講いたします。講演後には質問をお受けいたしますので、できれば堀先生の書いた本を読んでおいたほうがよろしいかと思います。

堀先生は卒論で『デユーイ』をやると決心していたけれども、ニイルのサマーヒルスクールを知ってニイルに傾倒していったと言っています。教育学を学んだ学生の卒論の定番が『デユーイ』であったり『ピアジェ』であるので、ニイルに対してよほどのインパクトがあったのだろうと思う。堀先生は、霜田静志先生の『ニイルの思想と教育』を読んでビックリ仰天したと『ニイル選集5』のあとがきに書いている。何をびっくりしたのかというと、①授業に出る出ないは子どもたちの自由 ②全校集会で5歳の子も校長も同じ1票 ③校長が、盗癖のある子を連れて真夜中にニワトリ泥棒に入るなどである。『ええっまさか!』という驚きや疑問がやがて『なるほど』に変わったと述懐している。

徐々に自分も学校を作りたいという気持ちが高まっていって、現在の『きのくに子どもの村学園』ができた。日本という土壌では、自由はあこがれのことばであるけれども、『自由』という発想や思想はなかなか受け入れにくいところがあるので、学校を作ってみたけれど理想と現実のはざまで想像以上の問題が山積したのではないかと推察している。何かをやりとおすのには、自分のゆるぎない信念が何よりも大切なものなので、どんな暴風雨に出会ってもしっかりと舵を握って、意見を聞いても流されてはならない。へりくだったり妥協したりせずにぶれてはならないものだ。おもねることも絶対にない。この孤独さを乗り越えられなければ何も残らないのだ。

私が学校を作ると約束したのは,今から11年前の卒園児たちとのことだった。卒園してそれぞれに幼稚園を離れてしまう泣きじゃくっている子どもたちに、非常に感傷的な動機にすぎないけれど『先生も小学校作るから』と言ったことから始まってしまったのだ。発心正しからざれば万業空しというけれど、子どもたちとかかわり合う職業にある者が、自然体で発した言葉なので、発心は全く正しいと思っている。そしていつか『約束は守るためにある』と子どもたちに言う。

幼稚園の先生

昨日は14時から幼稚園の夏の研修の報告会と、それに伴う研修を行った。1年生の保育者からも活発な意見や感想が聞かれたので、よく育っているなという感じがした。幼稚園の保育者と保護者の距離は子どもを通して非常に近いところにあるから、互いに理解しやすいし、信頼を醸成していくことが案外容易にできる気がする。また幼児教育に関して理解しようとする保護者が多いということも幼稚園運営に関して容易にならしめている。親父クラブの活動にしても、かゆい所に手が届くような気の利いたものである。保護者と幼稚園が一体となって同じ方向を見ているようだ。

何年か前だか忘れてしまったけれど、はじめて保育者になってあおば台に務めた女性が年少の受け持ちになって、慣れないこともあってしょっちゅうへまをしていた。保護者からも聞えよがしに私のところへ苦情が入ってくる。勿論担任の保育者に直接小言を言わないで、主任に苦情が寄せられていた。主任から私のところへ保護者の苦情が伝わってくるのだが、そのようなことは私は殆ど無視していた。そんなときにある保護者から保育者にダイレクトに手紙が届いた。内容は『私もお母さん1年生です。先生よろしくお願いいたします』というものでとても短い文章だった。彼女はその手紙を何度も何度も読み返し、握りしめたまま保育室をしばらく出て来なかったが、目を真っ赤にはらしながら職員室にやってきた。そしてその手紙を私に渡すと『わーっ!』と泣き崩れてしまった。思いつめていたものを一気に吐き出したようだった。

大卒でも社会人1年生なんていうものは、人生見習いの初歩の初歩である。社会人を何年も経験した者が高い目線で見ていたら、初歩の一歩が踏み出せないだろう。1年生に寛容なのは当たり前のことで、近くにいる大人が当然とらなければならない態度である。社会人1年生というのは感性も豊かで敏感でもある。だから自分がどのように見られているのかを、すでに見抜いている。大人が子ども時代があったということを忘れてしまっているように、また初めて世の中に出て不安でいっぱいだった自分を忘れてしまっていることがままある。わが子には寛容で優しいけれど、他人には厳しく寛容にはなれないということだろうか。それでは人は育たないのではないでしょうか。

それでその保育者はどうなったのかというと、保護者にも子どもにも好かれる素晴らしく明るい立派な保育者になった。それはそれとして、学校に来る時には多くの田んぼを通って来る。どの田んぼの稲穂も重く頭を垂れているけれど、学校の近くへ来て我が校の田んぼを見ると、まだ稲穂がはっきりと見えない。茎が丈夫そうにまっすぐに伸びている。茎が黄色く変色している田んぼもあるのに、1カ月も遅く田植えをしたのだからと言い聞かせても、やはり気になる我が家の田んぼだ。雨が降ると田んぼの水を気にしなくてもよいので、雨はありがたい。

1年生と6年生の作文を読ませていただいた。ともに二人ずつで、女性の作文だ。鋭い感性と、文の構成力に優れている。文節もすっきりしていて、読むのにつっかえたりしない。素晴らしい能力だ。大切に育んでいってほしいものだ。大人になったらどんな文章を書くのだろうか、今からが楽しみである。