初等学部の理事長で、幼稚園の園長でもある港先生の熱い想い

2015年5月の記事一覧

GW 何をしていましたか?

私には長い休みは、退屈の何物でもありません。日曜日からの始まりだったけれども、最初の日曜日は幼稚園で事務的な仕事をしていた。静かだから仕事がはかどると言う考え方もあるでしょうが、幼稚園で事務的な仕事をするときには子どもたちがいる日が多く、園長室でしている。その時には子どもたちがいるので、子どもたちの声をBGMにしているので、子どもたちのいないあまりにも静かすぎると、どこか落ち着かない。自分で決めたやるべき範囲の仕事を終わらせると、その次にやることがないので読書にふける。これといった趣味がないので大困りだ。

次の日には『風に立つライオン』という映画を観に行った。とても良い映画だった。これは実話に基づいて、さだまさしが書いて歌を創ったものだということを聞かされた。素晴らしい日本人がいて、自分の器の小ささに瞬間落胆するけれど、間髪を入れずに勇気を戴けるというものである。そして次の日にはかつてから気になっていた柚子の木の消毒である。昨年は1枚残らず葉っぱを小さな黒い虫に食べられてしまって、一つもならなかった。これで大丈夫なんだろうなと、半ば信じられずに消毒をした。

その次は庭の草取りである。実は草取りは女房が3日もかけてやっていた。申し訳なかったが、私はかがむと腰が痛いのと、痛くて長続きしないので、代わりに夕食の支度をしたり風呂の用意をしたりしていた。私は料理をしたりするのが好きだから、何ら問題はないし、風呂の用意なんて言ってもボタンを押すだけでいいのだから、草取りから考えれば何とも代わりになるようなものではない。それと草刈りの燃料も買いに行ってきた。うちの場合には家事に拘ることは婦唱夫随である。

今日は30年ぶりにスクールバスの運転をした。初等学部では初めてのことだ。子どもたちの待っているバス停に近づくと、ドキドキするような新鮮な感じであった。この子たちを大切に育ててやりたいと思う。幼稚園のバスを運転していた時には、みんな話をせずに前の握り棒をしっかりと握っていたが、初等学部の子は私が運転していようといまいとお構いなしで、子どもの世界の世間話をしている。とても微笑ましく、そういったことが社会人になるためのスキルを磨いているのだなと感じ入った。帰りのバスも頑張っていくぞ!。

私用で立川へ行って来た。常磐線が東京駅までノンストップで行けるようになった。全ての電車ではなく、通勤時間帯は品川まで行くらしい。とても驚いて、夜でも新橋あたりから常磐線に乗れるのかと思いきや、それはないらしい。夜でも乗れなければ生真面目な通勤時間帯だけでは、私には恩恵がない。それに久しぶりだから、昼食を思い切って特盛りのラーメンを注文したら、特盛りの姿には納得したけれども、レピーターにはなりたくないような味で、自分には合わなかった。ラーメンにも、自分に合わない味があるということを初めて知った。

台湾灯篭流し

台湾で初めての灯篭流しが行われた。私も両親が終戦後に住みたいと言っていた場所なので、灯篭に両親の戒名を書いて、台北の隣の市の川まで団体のバスに50分ほど揺られて参加してきた。広い河原があって、そこで地元の人たちが1万5千人、日本から約1千人強の人がその河原を埋め尽くした。灯篭は合計1万基が流されたと言っていました。
      
この日はあいにくの大雨で、ちょっとした間に雨がやんで、地元の大学生のサークルが演奏してくれた。大雨の影響でせっかく作った灯篭が雨に濡れてふにゃとなってしまっている様子。この人たちに傘を借り、椅子を借り、合羽を借りて無事に灯篭流しに参加できた。周りは立錐の余地がないほどであるが、せっかく親切にしてくれた親子に申し訳ないので写真を撮って後で礼状を書くつもりでいる。大雨が降りしきる中で、じっと待っていたわけだが、その途中で『みんながんばれ!』と応援してくれているのか、雁の群れが、大空を、私たちの頭上を飛び越えていった。すごい大きな鳥に見えた。
      
上の写真は灯篭流しが終わった後の様子で、奥の両脇に赤く輝いているのが灯篭で、さすがに一人一人の先祖の明りだけあって、喜んで輝いている様であった。前後してしまいますが、私の灯篭は雨に濡れて散々だと思っていましたが、中には身を挺して灯篭を守ったという方もおられた。そのくらいの気持ちで先祖に対しての感謝を表さないといけないのだろう。思い出したので合掌して先祖に謝る。右側にあるステージで法要が行われた。
      
これはオプショナルツアーで焼き物の街へ行ったときに、偶然小中学校の前を通った時にきれいなモザイクがあったので写真に収めた。子どもたちが作ったような、大人が作ったようなどちらともとれるようなものであるが、あおば台でも子どもたちと一緒に作ってみたい。
      
この上の写真が校門であって出入りは自由ではない。曲者は絶対に入れないという。この門の右側が中学校で、左側が小学校であった。中学校の塀の壁はなかなか難しいモザイクでできている。絶対に作ってみたい。楽しいだろうな。

集会に参加した

掃除の時間が短いのではないかと言うことが下級生から提案された。上級生からは、『ちゃんと集中してやらないからだ』という意見があって、結局現状のままに落ち着いたけれども、私としても現状では少し短いかなと思っている。この学校はクラスが離れていたり、特別教室が離れているので、移動の時間だけでも下級生にして見れば時間が過ぎて言ってしまう。私が裁定を下すわけではないので、子どもたちが決定したことを尊重しながらも、下級生を思いやる考え方を示唆してあげる必要があるのではないかと思う。子どもたちの思考は柔軟だから、すぐに吸収してくれる。

6年生に『素晴らしい6年生へ』という私からのメッセージを渡して私が読み上げたことがある。そこで、好きなだけ勉強して好きなだけ遊ぶには時間が足りないと言うことも話をした。6年生にとっては同感であったのか、今度学校に泊まりたいと言って来た。すかさず1日ぐらいではただの遊びになってしまうから、最低1週間泊まれるようなら許可しようと言っておいた。まずお母さんの許可を取らないと、という話をしたら『めんどくせーな』ということを言っていた子もいる。子どもたちが自分で決断して、自分たちで1週間の計画を練るのはすごいことだ。

どのような計画が出て来るのか今から楽しみにしているが、昨日の話では7月にやることにしたと言うことを聞いた。それはなぜかと言うと、5月は連休が会ってみんなで話し合う時が少ないそうで、6月はファミリアオリンピックがあるのでそれに集中したいらしい。そこで比較的暇になるのは7月だと言うことだ。『何が比較的暇なのだ』と子どもたちの思考回路を覗いてみたくなった。結構語彙も増えてきたので、会話が面白くなってきた。さてそのようにやると決まったら、教職員のローテをどのようにするか頭が痛い。楽しみにしていることだから何とかしたい。

私が政治的なことを書くのは、この国の中にいて教育に携わっているからで、思想的には右でも左でもない。ただ自虐的な日本人には決してなってはならないと子どもたちに伝えて行く。若いころ、とはいっても21か2ぐらいまではマルクスの『労働価値論』などを読み気取っていた。その方がカッコ良かったからで、馬鹿馬鹿しい本だと気付いたのにはそうは時間がかからなかった。私は社会に出るのが早かったから、そんな悠長なことは言ってはいられなかった。そのあとはジョン・スチュアート・ミルの『自由論』に感服した。今は雑多な本を読んでいる。