初等学部の理事長で、幼稚園の園長でもある港先生の熱い想い

2016年3月の記事一覧

高校合格発表

私のところの幼稚園教諭のお子様が高校入試見事に合格した。ホッと胸をなでおろした。午前中からずっと待っていたので、連絡がなかったのでだめだったのかなと半分どのような言葉で慰めようかと苦心していた。そんなところへ女房から合格したという知らせが来たので本当に良かったと思う。お母さんが私のところにいるので、とても優秀であることは昔から知っていたので、大丈夫だろうと内心は思っていたけれども、はっきりと聞くまでは半信半疑である。もう一人の方が早くから合格の知らせをくれたので、後一報が待ち遠しかった。

この学校でも3年後にはこのような状態になるのだろう。中学校の定員も20名と少数だから、高校入試は希望通りに行かせたいものだ。今から入試に必要な学力について5科目のカリキュラムを作成しているところだ。高校入試のカリキュラムなどというのは、ふつうは作らないだろうが、子どもたちの内発的動機付けを重視しながら、その気にさせる授業展開をしていく。ファミリア活動を中心にアクティブラーニングを形成し、子どもたちがアイデンティティを持ち、自分の生きざまをチョイスできるような人間形成に向かっていきたい。中等学部教師によるプロジェクトを作って万全を期したい。にわかに闘志がわいてきた。

[保育園落ちた日本死ね]が国会でも議論されている。匿名だろうがなんだろうが、そのような実態があるということについて、閣僚は認識不足である。この記事が書かれていたというときからブログに書いたけれども、言葉が汚く独りよがりのような気がして、どうも支える気にはなれなかったので単発で終わってしまった。以前にも書いたけれどもこの現象は都会の現象であって、都会の利便性を選んで生活しているなら、何でもかんでも自分たちの思う通りにはいくまい。そのことだけではなく、悩み苦しんでいる人たちも数多くいるはずだ。ちょっと都会から外れて生活すればそのような悩みはなくなる。

手っ取り早い解決法がある。行政の許可が根ければ出来ないことだが、幼稚園バスというのを作って、それは勿論保育園バスでも良いのだが、バスの中で保育をする。バスには5名ぐらいの保育者を乗せて、何人かを乗せる停留所を作って送り迎えをする。保護者にも協力いただいて、時間を守るなどを徹底してもらう。近くの公園で保育をすればよいけれど、0歳児は無理で2歳児以上になるだろう。0歳児は自分で養育する。0歳児から他人に預けるなんて、母親としておかしいだろう。このやり方はドイツを視察したときに「青空幼稚園」とか言ってやっていた。雨の日はバスの中だ。トイレは公衆トイレ。

充実した生活

幼稚園では年中さん主催による「お別れ会」があって、主催と言っても殆どは保育者がセットしたものだけれど、気持ちだけは年中さんが主体だ。お世話になった年長さんに、お別れを言うのにホールをきれいに飾り付け、一緒に食事をするという趣向である。みんな満足そうな顔をしていて、幼稚園にいることが何となくうれしくてたまらないと言った様子である。幼稚園に来ることを嫌がらず、幼稚園に行って多くの仲間とあって遊びたいという気持ちがあれば、とても今が充実していて、幸せなのだろうと思う。

幼稚園といえば、ここにも何度となく書いたことがあるけれど、20年ぐらい前には3歳児保育がなくて、年中さんからの保育である。4歳からの保育だから幼稚園に入れたいと思われる保護者は3年間ご家庭で養育をなさっていたわけだ。ご家庭でもゆっくりとした生活をしていたものだ。ところが今は、満3歳児がいたり、その下の未就園児がいたりしている、2歳児などは階段を思いきり足を広げて「よっこらしょ」という具合に登っていく。『危ない!』と何度か思ったことがあったけれど、体全体でバランスをとって上手なものだ。子犬の置物のようでとても可愛くて見ているだけでメロメロ、しばらく見ているとデレデレだ。それが人間のように話をするものだから、可愛さ倍増である。これではお父さん会社に行けないだろう。

初等学部では食ファミリアの高学年が出店をを失敗したままではいやだという訳で、二度目の出店を今日試みた。今回は何度かシュミレーションをしたようで、用意周到である。役割認知もしっかりできていて、そこで指揮を執るような児童もいなくて、自分の与えられたことを黙々とこなしている。失敗を謙虚に受け入れたという姿勢が、今日の成功を生んだのだろう。住のファミリアではメートルをミリ単位で下級生が上級生に報告して、鉛筆で線を引く者と、のこぎりでまっすぐにきる者とに分かれ、仕事がスムースに流れていく。

衣のファミリアでは17ページに及ぶ脚本を手掛け、講堂はマイクを使えないから、大きな声でやろうとみんなで決めたそうだ。その結果見事な出来栄えであったではないか。出来上がったものはミュージカルに近いもので、劇の中の挿入歌等は子どもたちの作詞作曲であったというではないか。私の全くできない分野なので驚きも人一倍だ。子どもたちは着実に人間として伸びている。素晴らしいではないか。テストに明け暮れている学校と比べるとなんと優雅な学校でなかろうか。保護者の皆様が、結果を急がずに待っていてくれていたからこそ、子どもたちの素晴らしさが垣間見えるようになったのだ。子どもたちはもっと伸びると思う。

職業体験

職業体験として6年生があおば台第二幼稚園へいって来た。年中と年少に分かれてクラスへ入って言ったけれど、その対応の仕方は授業に対するアタックと同じである。子どもの中へ積極的に入っていこうとする姿勢と、ちょっと尻込みしてしまう子がいる。幼稚園児の中に飛び込んで一日を過ごすということは大変なことである。まず最初に一緒に遊んでもらえるかという難関を突破しなければならない。幼児は自分から合わせてということはしないから、自分にあった人しか選ぶことはしないので、そこで品定めをされてしまう。私に子どもたちが集まって来るというのは、私が園長という立場にあるということを子どもたちが周知しているからであって、魔法使いのように子どもたちを引き寄せる術を持っているわけではない。

ロケット滑り台の上から何度か滑り落ちて楽しんでいた子もいたけれど、久しぶりに幼児期に戻って遊ぶことができたであろう。とてもいい顔をしていた。食事も園児と一緒にしたようだったので、子どもたちとの話もきっと弾んだろうなと思う。帰りに職員室へきて、幼稚園の主任の先生と私の前で、今日一日の感想を個々に述べていたけれども、堂々と自分の感じていたことを話していて、幼稚園の先生も「着眼点がいい」と感心してくれていた。ちゃんとメモをとっていて、すらすらと応える姿勢にも驚いていた。良く校外学習で行っていることだが、習慣化されているのがよい。褒められると私もうれしい。

このところ西郷と勝海舟の話をしているけれど、まず本当に二人っきりで行ったとすれば、その時の心境はどうだったのか。それと西郷の方がかなり優勢であったのに、二人っきりで行う理由が何処にあるのだろうか。また二人の話の起承転結には、私たちが学ばなければならないという、知識を理解して応用するという三つの学習の方法の他に、ロジカルシンキングとかクリティカルシンキングとかクリエイティブシンキングとかの手法が全て包括されているのではないかと思っている。だから学ぶということではなく、生き方とか感じ方でそういったことが身についてしまうのではないかと考えるのである。そうありたいものだ。

学校でもやるけれど、日本のあるいは世界の偉人の話は是非父親から伝えてやって欲しい者だ。14歳を超えるとあまりご両親の話をきかなくなって、友人の方が大切になって来る。それは子どもたちの全くの錯覚なのだが、友人の方が私を理解してくていると思うのもこのころだ。私を知っているということよりも、私を理解してと爆発的に叫ぶのが青春の蹉跌の入り口なのだから、理解してやってほしい。子育ては難しくない。自然体がよいのだ。

知識を伝える

知識の切り売りをしているというのが学校の教師だ。知識なんて言うのはその容量には限界がある。だから教科書が頼りになるわけである。教科書を超えて、それ以上のことを伝えてあげられるようになれば教師と言えるだろう。教科書通りを何年も繰り返しているような教師に魅力を感じるのだろうか。社会人として、どこかの飲み屋で話すとしたら何も話すことはないだろうなきっと。しかし同じ教科書を何年もやっていると、熟練されている訳だから教え方も上手だろう。面白くも何ともなくても、保護者にとっては教え方がうまいと評判の先生がいいわけで、飲み屋で饒舌になる必要はないわけだ。子どもには知識を正確に与えてくれる教師がいいのだろう。

西郷隆盛と勝海舟が一対一で二人っきりで話した内容よりも、目の前にいる子どもたちがどれだけの成績を上げられるのかの方が大切なのだ。どうせ自分の子はそのような人にはなれないとか、人間の生きていく価値観を現金化して考えてしまう人がいる。価値観を高くもてば仲間だってそのような仲間を呼ぶことになる。低俗な価値観しか持てない者はそれなりの仲間しか寄りつかない。道徳観も、損得で計るようになってはこの世も末である。そんな人ばかりの社会ではないという確信があるから、自分も生きようとしているのだが、過去と他人は代えられないから、何とか面白く生きていくことを考えていこう。

今いったような価値観が劇的に変わろうとしている。この学校が出来たときには、よくドリルを一生懸命やっている子を何人も目撃した。そのたびにドリルをやることよりもものづくりをした方が良いといって来た。ドリルというのは創造力を退化させてしまうような気がしてならなかったからだ。過去問を取り出しては一生懸命授業中でもやっている子もいた。それらはみんな受験対策だ。そのようなことがこれから変わるのだ。何度かパラダイムシフトがなければと言ってきたが、それが現実に起ころうとしている。文科省では明治維新と戦後民主主義を経験したような、大学受験が劇的に変わると言っている。

アクティヴラーニングという言葉を何度かきいたことがあるかもしれないけれど、高校が大変である。今まで過去問の復讐ばかりやってきた授業体系というか、受験姿勢をどのように改めたらよいのか苦心しなければならない。これからは出された問題の解答を得るということから、自分で問題を探して解答を出さなければならない、考える能を試されることになる。初等学部のファミリア活動はアクティヴラーニングの一環であるけれども、これからは基礎学習についても積極的にアクティヴラーニングを深めていく。

昔の人

明治維新で活躍された人は大体薩長土佐で、たまに九州の佐賀あたりの人が出てくる。殆どの人が西日本の人たちだ。それもそのはずで、関東は徳川領だし、徳川にたてつくのは外様大名でしかない。関東の大名はみんな徳川だから、維新で活躍するはずがない。維新の方の総大将は、朝廷をバックにした西郷隆盛だが、徳川方は、徳川をバックにした総大将がいない。本当のところは、京都守護職にいた会津の松平容保あたりがなるのかなと思うけれども、鳥羽伏見の戦いで徳川慶喜と一緒に江戸に帰ってきてしまった。勝てるはずの戦いをやめて、江戸に帰ってきてしまったのは疑問であるので、多くの歴史学者がああだこうだと言っている。

だから関東人は保守的な人が多いのだが、明治維新に対して保守的だったのは、江藤新平が率いる熊本出身の警察である。九州男児は警察官になれば出世ができると感じたのか、就職がなくてそこへとどまったのかは定かではない。それにしても江戸城総攻撃をやめて、江戸城無血開城にした西郷と勝海舟の話とはどんなものだったのだろうか。勿論、勝は西郷が静岡あたりにきているときに使者を送っているけれども、西郷はその使者とは合わなかったらしい。だから江戸城総攻撃は、絶対にやるという強い意志があったのだろうと思う。

西郷というのは薩摩藩でも厄介ものであって、二度ほど島流しにあってその島で暮らしていたところへ、大久保とか仲間たちが迎えに来たらしい。何度も歴史の中に登場する人物だから、その辺のいきさつはよく知っている人たちが多いだろう。それよりも江戸城で勝と西郷がどんな話をして江戸城総攻撃をやめることになったのか、かなり命がけの話であることは確かだ。このような時に堂々と話しあえる学問や授業というのが必要だろう。もっともそのような胆力も必要である。時代錯誤でも何でもない。この二人は今でいう有名大学は出ていない。

素晴らしい人物はたくさんいる。そこへ向かって、何を子どもたちに伝えればよいのかを考えるのが教育者であるのだろう。あまりつまらないことを考えないで、子どもたちが真の幸せを感じるのはどんな学校なのだろうかを、口角泡を飛ばして議論してみたいものだ。勿論学校の教師たちとはやっているが、内部だけでは、これが真実だというまで深まらないだろう。永遠にこの議論をしていくのだろうな。生涯。

もうすぐ1年の締めくくり

暦では正月が1年の始まりだけど、私たちは4月1日が1年の始まりである。だから今は大みそかを迎えようとしている年の瀬である。1年の始まりがすぐだということではなく、1年1年の切り替えがあって担任になっている教師は、1年を振り返るというよりかみしめながら一日一日を送っているようだ。幼稚園では年長と年中さんの仕事の引き継ぎ式が終わり、今日は両園共に小学校の体験があって初等学部へ来ている。クラスを見て回ったり、講堂で小学生と遊んだり、一緒に昼食をとったりして、小学生とともに楽しく遊んだ。

講堂でじゃんけん列車みたいな遊びをしていて、幼稚園の子どもたちはそれぞれのトレーナーを着ているから、すぐにそれとわかるけれども、全員が私服で遊んでいたら、体の大きさで小学生の高学年はわかるけれども、あとははしゃぎ具合から見ていたら、幼稚園の子も初等学部の子も大差ない。全く屈託がなく同化し合っている。幼稚園の子どもたちの中に小学生をそのまま入れて置いたらどうなるのか、しばらく様子を見ていると、こちらで色々と話しかけるわけではないけれど、自然な形で小学生が幼稚園の子どもたちに気を使うようになる。自分たちの好きな遊びをしに消えてしまうなんて子がいないのだ。とても素晴らしい子どもの世界だ。

素晴らしい子どもの世界も、いつしか都会のあおりを受けて中学校受験などがあって、早くから受験体制を整えようとする。何をそんなに早めなければならないのかよく分からない。人間の発達真理とか発達理解から行くともっとゆったりと育てることの方がよいに決まっているのだが、良い大学へ入れるためには先手を売った方が良いらしい。脳科学者たちはどのように感じているのだろうか。脳科学者だっておそらく中学校受験に対しては賛成することはないだろう。中学校受験を考えている人たちは、小学校4年生から考えだす人もいる。鼻先にニンジンをぶら下げられて、これからずっと走り続けることになる。

誰だってどこの親だって、わが子をロボットのように学習マシンにしたいなどと思っている人はいないだろう。先手必勝は、学業の世界ではあまり通用しないのではないかと思う。先手必勝も、良い大学へ行けば何とかなるというのも、妄想か幻想である。あくせくしない方が良い。学業はびりでは困る、中よりはちょっと上にいてほしい。何よりもわが子が、自分の親は私が食わしていくという強い信念があった方が、人間として素晴らしい生き方をすることは間違いないのではないか。

学校では今ベーゴマの後はスケボーがはやっている。3年生だか4年生にせがまれてかったものだが、職員室の前をコンクリートを打ったものだからここで楽しく出来る。家でもやっている人がいると聞いたけれども、家でやっている人は道路でやっているようなので、とても危険であります。学校へ持ってきてやってもよいという許可を出したので、ご家庭のご理解を戴きたいと思います。子どもたちは覚えるのが本当に早い。