初等学部の理事長で、幼稚園の園長でもある港先生の熱い想い

2000年11月の記事一覧

言ってもいいのかな?

 「ちょっと言わせて」はなかなかの意味あるタイトルで、使う側にとっては非常に都合のいい言葉だ。だからといって無責任に勝って気ままに書けるというのではなく、どんな事象にも「ちょっと言わせて」と入っていけそうな気がする。
 それでは、すったもんだの政局について「ちょっと言わせて」。
 加藤、山崎両反主流派の党内ちょっとした革命も、本会議欠席、不信任案否決というあっけない幕切れとなって一応の決着を見た。森首相の政策行政に何か失政があったのだろうか。あろうはずがない、スローガンばかりでまだ何も目に見える形での効果がないからだ。そんなヤキモキしている国民の声が加藤さんのHPに飛び込んできたのかもしれない。残念ながら国民は森おろしにそれほど真剣ではなく、実はマスコミの森おろしに実直な小市民の一部が翻弄されていたに過ぎない。何しろマスコミは、売れる記事を作り出すのに時には売国奴のごとく振舞っても何ら羞恥心を持たないことがある。そのような扇動的役割を担っているのがマスコミであるといっても過言ではない。勿論すべてのマスコミがとはいえないが、今やペンは正義ではなく、無法な暴力である。かつて日本を紹介した本「菊と刀」には、日本とアメリカの文化の違いを「恥の文化」と「契約の文化」と置き換えた人がいたが、少年の頃に知ったことでとても新鮮で妙に納得して、侍魂を誇りにさえ思っていたが「恥も外聞もない」と言った日本語の方が、今ではぴったりとくる。 あの本もいくつかの訂正を強いられそうである。
 それにしても加藤さんの幕引きはいただけない。自分についてくる仲間のことを思っての決断であることは解る。しかし、その選択に異議を唱えるのは、私ばかりではあるまい。城盗りの武将としては自ら勢いをつける度量にかけるのではないか。いずれにしても、加藤さんの首は飛んでしまったのだから、速やかに強靭な後継者を指名し潔くすることが肝心だろう。
 情けないことは、同じ派閥の中にこうもりみたいな奴がいて、あっちこっちと情勢を判断し、勝組に狙いを定めたら、あたかも一番槍を仕掛けたのごとくに振舞うやからのいることである。
 主流派も不信任案を否決したら「それが即信任であることだと思わない」と野中さんの言葉。森さんは「激励だと受け止めている」と言う。このやり取りを国民の誰もが立派な国語だとは思っていない。このように分かりにくい曖昧模糊とした言葉を言い放って、なんとも感じない永田町の神経に国民は苛立っているんだということにそろそろ気付いたらよさそうなものだ。
 現在の自民党は公明党抜きでは何も決定できない。政権与党であるけれども、政策を遂行するための与党ではなく、政権を持続するだけの政党に成り下がってしまった。この前の衆議院の選挙でも、惨敗しているにもかかわらず「良く健闘した」とは党幹部のコメントである。他党に必要以上に譲歩するのは、すでに自民党の崩壊を示すものである。案外野党の言っている「自民党の末期的現象」は当っているかも知れない。これから後自民党をだめにした幹部たちを、それこそ歴史が彼らをいたぶることになるであろう。
 不信任案否決後の国会中継を聞いていたら、野党の質問はほとんど政府の追及や個人への攻撃に終始し、国民の代表として互いに手を携えて協力し合ってこの国を何とかしてゆこうという姿勢は微塵も見られなかった。政党政治の中で、党利党略を第1儀に考えない党など存在しないことが良くわかった。
多数議決の議会制民主主義は解るけど、よほどの哲人が現れない限りこの国はだめになってしまうのではないか。多少強引でも衆愚に寄らない政治が出来る人、民衆のために命をかけることをいとわない人。得よりも徳を重んじる人。
首相公選制はどうだろうか。かつて自民党の中曽根さんが提唱していたと思っていたら、自分が首相になってしまったらかどうかは分からないけれど、いつのまにか立ち消えとなってしまったようだ。国会法か何かはわからないが、国民の声が高まれば首相公選制の可能性は大いにあると思う。混迷を極めているときこそがチャンスであるように思う。
政治に興味を持ち意見を持つことがこの国を良くする最大の近道である。私はずっとそう思ってきた。例えば自分の暮らしを今よりももっと良くするには、政治家がどのように動けばいいのか、それは果たして可能なことなのか。友達が困っているときに行政は何が出来るのか。政治を考えるのに、身近に山積している課題は浜の真砂の如く尽きることはない。

そろそろ皆さんに尋ねよう。政府が少子化対策で打ち出した「預かり保育」は、夫婦が子どもを安心して産み育てようとする動機になりうるだろうか。働く母親にとっては便利であることは承知しているが、うまいところだけを取って立派な子どもに育てて欲しいなどという願望は持たないほうがいい。子どもは親がしてくれたことに対して忠実に返してくれる。それは満ち足りても足らずしても、手をかけても手を抜いてもそれなりに返ってくる。世の中や他人の責任にしてはならない。
 あなたの子どもが、社会に出て多くの人から信頼され素晴らしい家庭を築いていくのには、当然のことながら子育ては他人任せであってはならないし、手を抜いてはならない。やっただけは子どもがきっと返してくれる、期待を持って楽しい子育てをしたいものだ。そのための私は、見事なサポーターになれるよう努力することに何物もいとわない。

物言えば唇寒し・・・

 「物言えば唇寒し・・・」なんとやら。木枯らしが吹く頃になって、風小僧とやらが耳もとにやってきて「園長のちょっと言わせて・・待ってるよ」とささやいてさーっとどこかに消えていってしまう。やおらどっこいしょと言って重い腰をあげて机に向かう。
 知恵や知識や思考は水みたいなもの。それを飲んで乳に変えるものあれば毒にするものあり。いわんや、子どもの前に立つ大人は乳に変える努力を払わなければならない。
 当然のことながら、子どもに言を発するとき、行動で示すとき、それなりの責任を伴わなくてはならない。幼稚園という公の幼児教育機関にあるものが、そのくらいの認識がないとすればそこに通う親子は悲惨である。
 親に信頼されない教師、親に信頼されない幼稚園、子どもに信頼されない親、子どもに信頼されない教師、親に信頼されない子ども、家庭生活においても一般社会にあっても信頼のない世界は真っ暗闇だ。これもまた悲惨である。互いに身近にいながら不幸なことである。

 ある幼稚園では朝から教師の声がキンキンと鳴り響き、指示命令調の怒鳴り声がマイクを通して聞こえてくる。だから近所ではあまり評判が良くない。しかし園児はあふれんばかりだ。その幼稚園を批判していたご父兄の子どももまたその幼稚園に通っていた。これまた不幸なことだ。
 どこかに魅力がなければ、我が子を通わせたりはしまいとしばらく探ってみると、長い時間預かってくれるから楽だ。給食だから楽だとの返事。子どもが邪魔なのかと詰め寄りたくもなってくる。
何も知らされない子どもはもっと不幸だ。その上何だかんだととやかく、時には理不尽な叱られ方も経験しなければならないのだから割に合わない。だから預かり保育は子育て支援ではなく子離れ支援ではないかと言いたくもなる。
 「子どもが邪魔なのか」と詰め寄るのはこちら側の思い過ごし。その親は自分の都合の良いときに子どもにいてほしいらしい。それでも子どもは大好きだという。どこか頭の配線が1本切れてやしまいか。
 自分の好きな時間に子どもと一緒にいたいと願っている親が案外多いのかもしれない。それは愛しているとは言わないだろうと言うと、愛しているという。愛他心と自己愛が混同してしまっている。典型的な自己中心型である。ある少年がバーチャルな、あるいはフアンタジーでもいいけれど、その世界に入り込んで犯罪を起こしたことはまだ記憶に新しい。バーチャルな世界は、この少年や親のように独り善がりなものである。子どもの発達うんぬんよりも、まず大人が未成熟である動かぬ証拠である。
 近頃男女共同参画社会などという舌をかみそうな聞きなれない言葉が飛び交っているようだが、では今まではそうではなかったのか。女性に男性と一緒に働けと無理矢理奨励しているようだ。男女ともに同じ能力を持っていることは認識しているが、男女のもつ特性を重視し大切に扱うことが不可欠である。このような子育てを軽視した風潮に歯止めをかけなければ、少子化現象は益々激しくなるだろう。

 話があっちこっちへ飛びながらだいぶ長い間駄弁を労した。前後した話を校正するのは読む側にお願いするとしてもう少し紙面をお借りしたい。
 HPを開設してから2ヶ月が過ぎて、だいぶ掲示板も賑やかになってきた。HPは利点もあり、また使いようによっては危険な代物であると忠告を戴いたのは他ならぬ?おやじ倶楽部?の面々であった。だからなのか、なかなか投稿しないようだ。危険やそのリスクばかりを強調して動こうとしなければ何も始まらない。私にとってのHPは、純粋な保育サービスであるから何も心配はしていない。ただニュースのところで、右籾とつくばの幼稚園で写真の枚数や、記事の多少によって親の見方が変わることを懸念してくれた保護者の方がおられたことに感謝したい。現在のところ操作の覚えたてで面白がっているふしもあるが、段々慣れるにしたがって互いの幼稚園で検討することになるだろうと思っている。これからも、偏見や中傷を恐れずに発言し行動していくつもりでいます。
 右籾のあおば台では今日から1・2歳児の未就園児の保育が始まった。とは言っても毎日ではなく幼稚園に負担をかけない日時がベースになっている。平均すると1ヶ月に2回ぐらい。預かり保育のような子育て支援には賛成できないけれど、このような子育てに不安を持っている保護者に、適切な助言を与え不安を取り除いてやるような子育て支援にもっと力を入れるべきだろうと思う。いずれ陣形が整えば第二幼稚園でも始めたいと思っている。
 初めて幼稚園で1・2歳児が保育されている状況を見ることが出来た。とてもかわいかった。保護者ともども力を合わせ大切に育てていきたい。