初等学部の理事長で、幼稚園の園長でもある港先生の熱い想い

2017年6月の記事一覧

幼稚園教諭や保育士のこと

あおば台幼稚園は認定子ども園になっているから保育所的な役割をも持っている。だから幼稚園教師の免許状と保育士の免許状保持者が混在している。両方の免許を持っている教師が多いのである。第二幼稚園は認定子ども園と言う保育所機能を持った幼稚園ではなく、あくまでも幼稚園であるが、幼児施設の在り方が少しずつ変化している。あおば台で幼稚園が認定子ども園を取得して一体何が変わったのだろうか。第一に保育所機能が追加されたので、保育料の換算が大きく変わってとても複雑になった。第二に保護者の立場が一律ではなくなった。

共働きの夫婦にとっては、奥さんの働き方にもよるけれどもほとんどの方が2号認定と言う認定を受けられることになる。そうすると保育所と全く同じ扱いになって、預かり保育なども無料になったりする。でも保育所よりも保育寮が幼稚園のほうが安いと言う現象も現れてきて、制度としてはよくなったのではないかと思っている。ただ2号認定の保護者は10人しか預かっていないけれども、これで十分だと思っている。その理由は、原形が幼稚園なのだから幼児教育をあおば台のメソッド通りに追求していくには、保育所の形態ではやりにくいということがある。

幼稚園に認定子ども園が誕生したからと言って保育士の数が足りなくなったわけではなく、政府の方針である働き方改革や、経済界全体が人手不足になったことが大きな原因である。建設業界やIT産業界でも人が足りないと言っている。そのうちAI産業が盛んになってくると人余りが現象が起きて、働けるものとそうではない者との格差が大きくクローズアップされる世の中になるだろう。幼児教育はロボットの入る余地はないので、何が何でも人力に頼らなくてはならない。それまで待つことができれば、この業界は将来性のある仕事である。あと10年でそのような社会になるだろう。

どうする幼児教育

保育者の数が足りないという。保育園数の4園に一つの園は保育者不足であるらしい。そうなれば幼稚園教諭の数も減って行くのではないか。今保育所を建てているけれども、保育士が来るかどうかも分からない。多分こないだろうしいないのだろう。養成大学を卒業してもその50パーセントは乳幼児教育に就職しないといわれている。その大きな要因は給料が少ないからだと言われているが、一般の会社の女子社員の給与と比べると30代全般で10万円ぐらいの差があるといわれている。

一般のと言われているけれども、その一般の女子社員はどもの会社を言うのだろうか。一部上場会社のOLの話ではないのか。そんなことを言うなら他の職業でも同じことが言えるだろう。確かに保育界はよく分からないけれども、幼稚園教諭は確かに安い給与であった。国にも県にも現在幼稚園として存続できるのは教師たちの安い給与の犠牲の上にあるということを訴え続けてきた。それでも幼稚園教諭と言うのは保育者になりたいという人であふれていた。採用に困るというのは殆どなかった。

ところが待機児童の問題が膨らみ保育所の数が足りないとなると、当然のことながら保育士需要が増え、派遣業界がそこへ触手を伸ばし、卒業する学生の就職先を迷わす結果になっている。派遣業界の人たちが卒業する学生に登録させてその学生を各幼稚園あるいは保育所に売り込むわけだ。派遣業界はそうして売り込んだ教師あるいは保育士の年収の10から20%の報酬を得ることになる。しかも学生は登録しておくだけで1万円ぐらいの報酬を戴けるらしい。こんなことで幼児教育に磨きがかかるわけがない。

保育者や幼児教育者が『子どもが好きだ』という一念だけで就職してくる時代は遠くに後ずさりしてしまう。教育に拝金主義を計らずも導入してしまうのは、行政の対症療法の結果で先見性が全くない。お金を多くもらいたいというのは否定するものではないけれども、それではいくら欲しいのか。金色夜叉ではないけれど、人間の美徳が薄れてくると、後から来るものは愛憎劇と言う醜い人間の不徳の羞恥に見舞われることになる。そんな世の中つまらないと思いませんか。

田んぼ

毎日のように通る学校への通学路に借りた田んぼがある。田植え時期になると田んぼにある井戸から水をポンプアップして田植えの準備をする。トラックターは畑を耕すのに自前の物として購入した。そうでなければこんなに広い畑を維持することは困難だ。小中ともに人数が満杯であれば人海戦術でもって開拓者のように開墾して畑を整備することができるだろうけれど、仮にそんなことをしていたのでは、社会主義の国の国民のようになってしまう。学校ではなくて収容所のようで気持ちが悪い。

田植えは近所で田植え時期になると活躍するおじさんがいて、田植え機でもって600坪の田んぼに田植えをしてもらう。勿論有料である。しかしトラックターがあるので田植え以前に田んぼの代かきができるので楽である。自分たちの決めた時間にやることができて、田植え前には田んぼの中で運動会みたいなことをして泥んこになって遊ぶ。まるで幼稚園みたいだなどと言う人がいたが、幼児期から義務教育時代の子どもたちにとっては、泥んこは精神的な靄を除去するのにはとても優れた教材である。むしろ都会の子どもたちは、このような自然を得ることができないので不憫である。

田んぼの脇を通るたびに隣の田んぼと違って私の頭髪に似て隙間が目立つ。普通の田植えの時期よりも3週間ぐらい遅いので仕方がないと思いながらも、どうも気になって仕方がない。親が子の成長を願うのと同じことかなと思ったりする。しかしながら稲刈りが近づいたりするとほとんど同じ成長を遂げ、天日で乾かすうちのコメの方がおいしいだろうと思っている。稲刈りの時期になるとまたコンバインを借りなければなるまい。何かと大変だが、衣食住の『食』についての今年のテーマが『米』だから性根を据えてやらなければならない。

リヤカー祭り

あおば台では年長の保育参観で『リヤカー祭り』を行った。年長がリヤカーの免許を取ったので、そのお祝いみたいなものだ。以前はバスから降りてくる年中さんや年少さんをクラスの前までリヤカーで送っていくということをしていたけれど、現在では一つの活動を長々とひきづらないで、活動にメリハリをつけて行こうと言うので、一つのお祭りにして打ち上げとしている。だからと言って、まったくやめてしまうわけではなく、子ども達の中で『やりたい』という声が上がれば、リヤカーは保育者が必ず付いていることを条件に自在に利用できるようにしてある。

子ども達の成長に感極まってしまう母親の姿は見ている者の気持ちも高揚させてしまう。思い入れが一心同体であるという証拠であろうが、いつかわが子を客観的に見なくてはならない時が来る。その時こそ母親は子離れし、子どもが独立宣言をするときなのだろう。そうして一つ上の教育機関に預けるわけだけれども、大切なことは子どもたちの主体を損なわないことだ。どんなに学校の成績が良くても、人が個として独立していなければ、人間として意味がない。自分を生きなければならないのだ。

何も難しいことではない。物事に対して逃げることなく考える力さえつけば、後は主体的に生きられる。私たちが客観的に評価するのではなく、子どもたちがそれで満足しているのかどうかを探ることだ。他人には何も面白くもないのにと映ることも、本人にとっては至上の喜びだったりすることがままあるではないか。リヤカーの免許は自分を獲得するためのほんの一歩に過ぎないけれど、これがやがて大きな強いステイタスを得ることになるだろう。

国は国民を見ていない

学校法人がつまらない。本来神聖で正義であることを要求されるはずのものなのに、森友の小学校建設が下火になってきたと思ったら、今度は大学の学部建設について加計学園がやり玉に挙がっている。いずれにしても現在の総理が絡んでいる話で、全くの潔白であるならば堂々とその潔白性を国民の前に晒さなくてはなるまい。それが国を預かる者の責任である。そしてその潔白が証明されたら、一連の仕掛けをしたものを国家恥辱罪か何かの法律を作って厳正に罰すればよいと思う。そのジャッジをするのは評論家ではなく国民であることを忘れてはならない。

私は国を預かる政党は今のところ自民党しかないと思っているので、安倍総理のこのようなことが毎日国会で議論されていることが情けないと思っている。早めに幕引きをしようとすれば余計に疑惑が深まるだけで、日本国のために良くない。日本を取り巻く国際情勢などを考えてみれば、こんなことに時間をかけなければならない国会を思うと、日本国民は不幸である。誰でもたたけば埃が立つけれども、自らの身をさらすことによって、国民に納得してもらうか、静かにその場を立ち去るかを選択すべきだ。自民党には人材が豊富にいるではないか。

テロ防止法について、内心を処罰してはならないと言うことを盾に反対している野党は一体何処の国の議員なのかと疑いたくなる。政府も一般の人が対象になることはないなどの苦しい言い訳は不要ではないか。これではテロを未然に防ぐことは出来ないではないか。テロが起こって見なければ一般人なのか或いは内心が顕在化された時点でしか処罰ができないのでは、防止策はとれない。これだけあちこちでテロが頻繁に起こっている現状を考えれば、一般人も内心も一応疑ってみなければなるまい。それをさせない勢力は国民の味方ではあるまい。いかがか。

久し振り

今日は月曜日で半日保育であったが、幼稚園に行ったら保育者が背の高い植木屋の職人が使うような脚立に乗って植木の刈り込みをしている。見ていて申し訳ないなと思いながら、「皆よくやるね」と言ったら『もう何でもやらなくては』と言って、全員が植木の手入れをしているという。明日に子ども達とお楽しみがあると言って園庭整備をしているらしい。一人一人の保育者が、先輩保育者の意気込みに感化されて、汗をかきながら頑張っている。素晴らしい保育者に、そして素晴らしい人間性を持った大人として成長するだろう。幸せになってほしいと願わずにいられない。

小中学校へ行ったら、たまたま帰りの時間に出くわしたのだけれども、上級生3人の女子が私に相談があるという。何事かと耳を澄ませて聞いてみると、夏になってスカートの黒では熱を吸収して暑いという。色を変えたらどうでしょうかと言ってきた。『好きなようにやってみたら』と言ったら多分興味を失ってしまうと思い、色を考えて絵を描いてきてほしい。ついでにデザインもできることなら考えてみたらどうだろうと言っておいた。興味のあることをすぐに声に出して実行するというところがとても良い。楽しみが一つ増えた。