初等学部の理事長で、幼稚園の園長でもある港先生の熱い想い

2015年4月の記事一覧

歴史認識

私たちが戦前戦後を通して歴史を教える時に、中国や韓国が言っているような日本の『歴史認識』とは一体何なのだ。日本の歴史の教科書では、戦後の出来事をあいまいにしている事柄が多く、野党や他国を必要以上に意識していることがうかがえる。中国とは田中角栄のときに周恩来との間で国交を樹立し『過去を問わない』『戦後補償はこれを問わない』という覚書がある。しかしODAで膨大な補償というか中国のインフラ整備をした。しかしこれを中国は、『当然のことだ』と言って、あたかも戦後補償を露骨に要求してきた。韓国と言えば、今の朴大統領の父親のときに、戦後補償はすでに解決済みということになった。

そもそも現中国共産党と戦ったわけではなく、当時の相手は台湾に逃げた蒋介石の国民党である。国民党と日本が戦っている隙をついて、中国共産党は勢力を拡大していったのである。戦勝70周年だなんてチャンチャラおかしな話だ。日本は彼らと戦ってはいないし、彼らだって戦った覚えはないだろう。蒋介石が生きていたら何と言うだろうか。もっとも生きていたら言えない。韓国は日本と共に連合国と戦ったのであるのに、戦後保障とは何事だろうか。先代の朴大統領の時に、ソウル市内の地下鉄について日本の経済援助でこれができたわけだが、韓国ではそれが汚職が噂されていて、今の娘の大統領は日本のおかげで大学へ行けたともいわれている。

もう一つ言わなければ気が済まないことがある。朝鮮併合のことである。当時の朝鮮は国家として世界地図に記されている中では、地球上では最貧国であった。だから日本では併合することに慎重であったし、立憲政治の初代首相の伊藤博文などはかなり反対したらしいが押し切られたといわれている。余談だが韓国では伊藤を暗殺した安重根は英雄とされているが、北朝鮮では思慮に欠けた大ばかものとなっている。また朝鮮併合は、米国との約束の上でなされたとも聞いたことがある。米国はフィリピンを奪還するためにスペインと戦っている最中である。戦力を移動できない米国が日本に頼んだということだ。それは南下してくるロシアの脅威である。その裏を知っていた伊藤が猛反対したのだろう。

それに現在行われているインドネシアでの『バンドン会議』である。これはアジア・アフリカ会議と呼ばれていたものだと認識している。先進国に対して後進国が団結した会議で、スカルノとかネールとかが活躍していた時だ。ここで日本の首相から『お詫びの言葉が聞かれない』とまたもやクレ-ムをつけた国がある。韓国だ。アジアの国々を侵略したということを言わせたいようだが、これは事実だろうか。当時ここを統治していたのはアジアの民ではなくヨーロッパや米国と言った帝国主義の国家であって、彼らこそ何故侵略したと言わないのだろうか。そしてなぜ言わせないのだろうか。侵略国がその国に謝罪を入れるなどの、欧米にはこのような習慣がないのである。だから米国が日本に対して注文を出すのはお門違いである。