初等学部の理事長で、幼稚園の園長でもある港先生の熱い想い

2017年5月の記事一覧

あおば台に保育所ができる

作っている私自身があまり興味がない。これから結婚をして子どもを産む先生たちにとっては朗報だろう。働いている先生たちが、安心して子育てができて仕事にも専念することができるように願って保育所を建てることにした。興味がないというのには理由がある。そもそも幼稚園から初めて、日本一の幼稚園を作ろうと、幼児教育の文献を漁り、筑波大の故杉原一昭先生や、幼年教育研究所の故久保田浩先生に学び、机上の空論を是正しながらあおば台の幼児教育を作ってきた。

保育所の『子どもを預ける』と言う概念とは一線を画し、発達心理や小児科医の小林登先生の本などに傾倒し、徐々に保育所的な施設は、子どもをしっかり育てることはできないという結論に達し、保育所イコール虐待ではないかという極論にいたった経緯がある。確かに保育所は子どものための施設と言うよりは、働く母親の利便性に焦点を置いている。これにどうにも納得がいかなかった。多くの保育者仲間と議論をし、目の前に困っている母親がいるのだから一概に保育所はだめだと言えないのではないか、と言う仲間がいる。多いに反発をし、今でも幼児教育について語りあっている。

保育所には生後3カ月から入所できる。乳幼児施設で死亡事故が起こるのは、0歳児が一番多い。子どもへの愛情がどうのと言うより、利便性だけを考えて保育所選びをした結果である。政府の後押しも働く母親の利便性ばかりを考えているようで、設置基準による安全性などは声を大きくして叫んだりはしない。設置基準のハードルを高くすれば、保育所が建たなくなってしまうからだ。その上大阪の方では保育所設置に反対する大人たちがいる。彼らは自分もかつて子どもであったということを忘れている。老後を静かに暮らしたいというのが理由だそうだ。静かになんてできやしない。そのあとで閻魔さまに大声で怒鳴られるだろうから。

そのような経緯があって、保育所施設はそれほど身を乗り出してまで作ることに意欲が乏しい。0歳児は母親が責任を持って育てなければだめだ。その後のことは、私どものスタッフで何とかするように、保育室を建てる。1歳児でも2歳児でもいればいたで、可愛くてどうにもならなくなって、作ってよかったなどと言うにきまっているから、私の理論上の拒否と感情の受け入れは、まったくベクトルが違う。