初等学部の理事長で、幼稚園の園長でもある港先生の熱い想い

2017年5月の記事一覧

芸術家のいる風景

音楽家にしても画家や彫刻家あるいは焼き物をやる人や工芸家など、何かを作り出す人に私は憧れを持っている。芸術家というのは自分の作品に絶対的な自信を持っている。他の作品に対して批判的な意見をすぐに述べられるという特技も持っていることも特徴的だろう。彼らには天上天下唯我独尊的な要素がないと、自分に嫌になってしまうだろうから、常に感性を磨くために時間を惜しまない。そんな性格であっても、何食わぬ顔で堂々としていられる神経が私を魅了してやまない。自分を何かに没頭することができるということに人として尊敬することができる。それは老若男女年齢差に関係なく、素晴らしいことは素晴らしいのだ。

例えば校内のアトリエ(大倉庫)を使って、長内先生が彫刻をしているところへ、子どもたちが集まって来て、その様子をじっと見ているなどの光景は素晴らしいではないか。東山魁夷のような日本画家がここから生まれるかもしれない。そんなことより教科書のテストの成績が上がった方がいいですか。そんなこと長い人生からすると小さいひとコマだ。

学校の子どもたちも何も芸術家でなくとも、自分が没頭できる何かを探して生きていってほしいものだ。誰が何を言おうとも『自分を生きる』ことができなければ死に体と同じ事だから、強烈にでも辛抱強くでも自己主張して生きてほしい。今『忖度』と言う言葉が流行になりそうだけれど、自己主張には『忖度』できる包容力を持ってできる人格の磨きも大切なことだ。人が好くて、真面目に生きるということは十分にアピールできているのだから、あとは目標に向かってやり抜くという己の力を発揮する時だ。

格好をつけなくてもよい。どうせ人生なんてものは泥まみれになったところに新鮮な新芽が出てくるものだから、汚れることを気にしてはならないと思う。2年生の『進路宣言』が素晴らしかったというのは、彼女たちはしっかりと自分を観ていて、浮ついたところもなく、しっかりと大地を踏みしめているからだ。そのようなことが人間の基本になるのではないか。