初等学部の理事長で、幼稚園の園長でもある港先生の熱い想い

理事長・園長のちょっと言わせて

指導者の責任

ギリシャの新しい指導者に選ばれたちプラス氏は、緊縮財政を嫌いEU諸国の提示した政策に反対してギリシャ国民から支持を得て当選したものだが、だれもが緊縮策などには反対であろう。しかしそうは簡単にことがおさまることはなく、チプロス氏は自分で責任をとることはせずに、EUが提示した政策を国民投票という形で責任を国民に投げてしまった。ほかに打つ手がなかったろうけれども、当初から緊縮財政反対の立場で当選してきたのだから、国民投票などはパフォーマンスにしか映らない。その分財政出動があるだろうに。

ひどい言葉がある。民主主義を生んだギリシャがまた再び民主主義を取り戻したなどとチプラス氏はのたうちまわっている。粉飾決算を繰り返し、EUを騙し通して来たギリシャが今度は借金を踏み倒そうとしている。デフォルトに陥れば自然に踏み倒すことを宣言するようなものだ。それが民主主義とでもいうのだろうか。若者の半分は無職で国民の25%は公務員だなんて、そんな国だから人は働かないし、歴史という過去の遺産で観光地として成り立っている国だ。いずれにしてもEUからの追加支援がなければ、国家は破綻する。そうなると国民は現在よりももっと苦しい状況に追い込まれてしまうだろう。

日本に目をやれば、憲法論議で与野党ともに議論伯仲している。国家の責任は国民の暮らしと財産を守り、そして他国の侵攻を決して許さないことと、領土を守るというのが当たり前の話である。なのにすぐにでも戦争が始まるようなアジ演説が横行している。私は60年安保の時に、亡くなった東大の学生だった樺美智子さんのことを思い出す。あの時も当時の社会党をはじめとする野党や文化人が『戦争反対!』を叫んで、まじめな純粋な青年が『戦争反対!』のことばにおどらされた。そして反帝学評や、全学連が国会を取り囲んだ。みんな一生懸命に真剣に生きていた。

当時の野党の先見性が間違っていて、機動隊も多くの学生が傷ついてしまった。沖縄の問題でも、あの戦争で多くの市民が犠牲になったのは沖縄ではなく、広島である。戦争に行ったすべての人たちが日本の礎になったのだ。犠牲になったといえば私の父親もそうであるし、身内の人たちが戦争で亡くなっていった。『戦争反対!』はだれでもそうであるし、とても耳触りがよい。そんなことで日本の国は国際的にどうなってしまうのか、『trustme』と言って国を危険に陥れた者がいたではないか。同じ轍を踏んではならない。

育ちは様々

学校で子どもたちに同じように接していても、まったく感じ方の違いで内面の育ちは違う。現象的な育ちというのは、形で表れるものだから、だれか一人が右と言えばそれに追随するというのがあるから、一概にだれがどうだとは量りにくい。今日は面白いことがあった。ファミリアの時間に吹けば飛ぶような小屋を作りたいので作り方を教えて下さいと言う。吹けば飛ぶような小屋だから、丈夫に作れないし、骨がしっかりしていないのは組み立てが出来ない。オオカミが来て吹き飛ばす場面だから、頑丈な奴ではだめだという。いろんな話をしていて、屋根を二段階にして一番上のを飛ばせるようにしたらいいという結論である。

小屋の骨組みは竹がいいということになって、具体的な話に進んでいった。1年生の二人も話が分かっているのかどうかわからないが、ノートに小屋の形を書いている。年上の人たちの話は聞いていてもわからないことが多いと思うので、『どう?』と水を向けたら、『やってみればわかるかもしれないからやってみる』というしっかりした答えが返ってきた。非常に能動的な姿が嬉しいではないか。そこでそれでは竹を取りに行こうではないかという話になって、竹取物語だからだれがかぐや姫になるのと言ったら、女の子4人でじゃんけんを始めてしまって、少し楽しい脱線になった。

入れ替わりに、食のファミリアが来て18日の日に行商に出かけたいので周りの道を調べに行きたい、ということで私に許可をもらいに来た。外は雨なのでどうしますか、と言ったら『今行かないと時間がない』と言うことらしく、どうしても行くと言うので車に気をつけてと言うことにして、許可を出した。そこで竹取りに戻るけれども、竹取りのメンバーには『今なら一緒に竹取りに行けるよ』と言ったのに、『今は雨が降っているからこの次にしよう』とのことだった。計画には入っていなかったようで、自分たちの計画が壊されてしまうのが嫌だったようだ。

住のファミリアが来て道具を買いに行きたいので許可を下さいと言ってきた。カナヅチと釘とのこぎりだけでは、出来るものが決まってしまう。ノコギリにも釘にもインパクトドライバーを使うにしても、色々な形の違ったものや、用途の違うものがあるからしっかりと見てきた方がよいだろう。もっとダイナミックなものを作りたくなったかなと思う。子どもたちは創作的なモノづくりが大好きで、やりたい物の中に必ずある。

お泊り会

両園ともにお泊まり会があった。以前は日にちをずらしてやっていたけれども、初等学部を作ってからは同時にやることにした。同じ日にやっても第二幼稚園では外で花火をすることが出来たが、あおば台幼稚園では花火は出来なかった。両園共に外でのキャンプファイヤーは中止となって、キャンドルファイヤーになったけれども、私たちにとってはちょっぴり残念という他の年と比較があるけれど、子どもたちには比較対象がないから、キャンドルでも結構楽しめたのではないか。それに保育者の趣向を凝らした出し物があって、十分すぎるほど楽しんだのではないか。

このところ『度胸だめし』と言う出し物はなくなった。保育者が面白がって?真剣になって、子どもたちが泣き出すまでやってしまった年があって、そのあとで就寝などと言っても寝付かれずに思い出して寝床で泣き出すようなこともあって、『度胸ためし』はやめることにして『夜の探検』などと言ってちょっと気取った出し物にした。何をしても仲間と一緒にいると言うだけで楽しいのだから、満面楽しさであふれている。そして知らずうちに内的な力が備わってくる。『ひとりで泊まれた』ということは、子どもたちには大きな自信になるものだ。

小学校でも同じことが言えるだろう。親から離れるということだけで、否が応でも子どもの自立を助長させるものだ。もっとも兄弟の多い家庭では、万遍なく全員に気配り目配りができるわけではないから、自分自身で何とかしなくてはならないと気付いた子は自立が早い。だが実は気配り目配りが足らないということではなくて、親がじっと見守っているということもある。何度も書いたことがあるけれど、自立する力が自尊感情を高める。自尊感情が高まると、自己選択と自己決定を容易にさせてくれる。間違った道を選ぶことはなく、その抑止力になるものだ。

今日はPTAの役員会がある。毎月1回は行うようにして学校と役員との意思の疎通を図ろうというものだ。お泊まり会の後なので少し眠いけれど、あと少し頑張ろう。

研修詰め

昨日から水戸で泊まりがけの研修である。先月の29日には東京市ヶ谷のホテルで研修があった。幼稚園関係は、このところ制度の変更があって研修が多い。今まで手慣れた県の職員が事務手続きをしていたので、それほど繁雑には感じなかったが、認定子ども園や施設型給付と言うのが新たに加えられたため、事務手続きが各市町村に下ろされた。各市町村の職員も初めてのことだから、見当がつかないのか右往左往していて保育料の振り込み手続きが遅れている。このような法律ができたのだから、そのための研修会を開いて市町村の職員も危機管理に備えるべきであったろうに。何もこれは茨城の話ということではなく、全国の市町村に波及している現象だ。

認定子ども園に関する勉強会に勢いを感じるが、このまま幼稚園側が手を打たないで放置していくようなことがあると、幼稚園が無くなってしまうのではないかという危惧がある。そんなことを29日の全日の集まりで全日の会長に話をしたところ、『いやそれは絶対にない。今幼児教育振興法を提出して、幼児教育を確立していく』という返答であった。幼児教育というのは、幼稚園・保育書・認定子ども園・家庭教育に関するもの、地域社会に関するものとすべての幼児に関するものである。これは官僚の作文であって、全日のスタッフの発案ではないから、どうなるものだかわからない。幼児教育振興法が真に幼稚園のためのものであるように祈りたい。

新しい教員を連れて、知事との懇談会に出席してきた。知事と同席して忌憚のない打ち解けて話し合いが出来たものと思う。知事の仕事はストレスの多い仕事だと思うけれども、さすがにそのような素振りは全く見せない。知事がたまたま幼児教育に造詣が深いものだから、茨城の幼児教育界は有形無形にその恩恵にあずかっている。助成金や補助金を戴いても当たり前のように思っている輩がいることには、少しばかり腹の立つこともあるが、私が腹を立ててもしょうがない。しかし困った時には声を大きく張り上げるのも彼らだ。そのような人は何処の社会にもいるものだ。

今日はあいにくの雨模様だけれども、幼稚園のお泊まり会である。雨だろうが何だろうがそのような集まりがあると言うだけで子どもたちは喜んでいる。雨なら雨のように楽しくやればよい。キャンプファイヤーができないけれども、どこか時間を作ってやってあげたらいい。楽しみが増えるということだ。

オリンピック後

ファミリアオリンピックは強行して行われたのではなく、天候は朝の模様以上には崩れないという予測の上で始まったものだ。結果的には最後までやれてよかった。ただファミリア独自の種目が、結構良いことをやっていたにもかかわらず、本校関係者にしかお見せすることができなかったのが残念である。とはいってもメインステージ以外の方にも見てもらうとなるとどうすればよいのかという宿題が残る。終わったばかりだから、次回のための話し合いの時間はいくらでもあるので、よくよく考えてより良いものを作っていきたい。

幼稚園の子どもたちの行儀の良さを多くの保護者からおほめの言葉をいただいた。幼稚園の保護者からも、初等学部からの保護者からも。とても嬉しいけれど、保育の実態が分からない人には唸るほど素晴らしいと言うように映るかもしれないが、それにはそうなる指導が行きとどいている。保育者の指導のお陰だと行ってしまえばそれっまでだが、まず初等学部に来るまでの何日かで、興味を惹きそうな話をして導入の部分を丹念にやる。年長だけの人数をひとどころにまとめて、15人前後の教師がひっきりなしに声かけをしているのだ。自分の両親よりも興味を惹くではないか。何処へ行っても、どのような場所でも『寄り添う』ということが定着している。

オリンピックが終わってからが忙しかった。あくる日の日曜日には翌日の午前3時までかかってあおば台・第二幼稚園・初等学部の三か所の予算書を作り上げた。今回は幼稚園の法の制度が変わって支出の法は分かるけれども、収入の方がさっぱり分からない。市役所自信がてんてこ舞いで、しっかりと理解している人がいない。そんな中で私たちに正確さを求めるのは酷ではないか、などとぶつぶつ言いながらだから時間がかかる。そしてその日の午前中(月曜日)には、グランドヒル市ヶ谷で全日の研修だ。この研修は自分で求めていったものだから全然眠くはなかった。

昨日は初等学部へ視察に、県の総務課から二人の係官が来て学校を見ていった。その中の一人は、幼稚園行政のベテランの方でよく知っている方だったので気軽に学校のすべてを見てもらった。総務課へは色々な情報が行っていて、私とお話をするときにも時折笑みを浮かべながら大変気を使ってくださっていた。そして『人数は大丈夫ですか?』即座に『気にしていません』と言ったら笑っておられました。小中学校の一貫教育が国会を通りました。これは初等学部を作る時からの私の要望でしたので、あとは県がどのような判断をするかであります。だがまだ書類は提出していませんが。これから水戸で知事との懇談会がありますので水戸へ向かいます。

ファミリアオリンピック

朝3時半に目が覚めて外に出てみたら霧雨模様であった。ヤフーの天気予報が信じられなくなった。それからと言うものは寝付かれずにうとうととしていたら5時過ぎにTTから電話があり『どうしますか?』ということだった。テレビでの天気予報では、霧雨のような雨模様も9時には上がり、あとはくもり空が続くと言うことであった。雨が上がるということだから、決行しようということで決断した。しかしスタートしてからも霧雨は続き、幼稚園の子どもたちももうすぐ集まるのに、困った空模様である。良かったことは熱い日でなかったので、子どもたちの体調の心配はいらなかった。

朝から駐車場係をしていただいたお父様方に感謝いたします。それも用意周到に運動会だというのに合羽持参である。学校行事なるものは、誰かしらが手助けをしてくれないとうまく行かない。初等学部は、子どもの人数は少ないけれども、やることは他の小学校と同じように時間をかけているので、このような日には塚原学園全体で後押しをして盛りたててくれている。幼稚園の先生方や保護者の方にも感謝したい。競技には親子とも出っぱなしという感があって、全く疲れるファミリアオリンピックである。

子どもたちは手抜きをせずに最後までやり抜くと言う姿勢がとても好感が持てる。というよりそんな子供たちが大好きだ。良く見てみると保護者の競技などでも、大人であっても手を抜くようなことはしない。そのような真摯な態度が子どもたちの一生懸命さを育てているのだなと、一大発見したような気持ちだ。子どもたちも、教師も保護者も一つになってファミリアを盛りたててくれた。久しぶりに充足感を感じる。心から感謝をしたいと思います。『ありがとうございました。そしてお疲れさまでした』。

明日晴れるかな?

明日はファミリアオリンピックの予定日であるけれど、明日は何処の天気予報を見ても晴れるような気配はない。朝から天気予報とにらめっこであるけれど、にらめっこをしても予報が劇的に変わることはなくても、何とか変化をして欲しいと願っているのだ。お昼ごろには出来ないだろうと言う結論を出して、幼稚園には日曜日に延期すると伝えてしまった。ところが午後3時半ごろにヤフーの天気予報では明日は曇りだと言うことを幼稚園から行ってきた。慌ててヤフーを開いてみると確かに雨マークが消えている。3日前から天気予報を気をつけて見ていたけれど、どうにも土曜日は助かりようがなかった。これもツキなんだろうか。

普通ならば学校行事は家庭行事よりも楽しみにするというのがこの時期の子どもたちの普段の心理状況である。仲間関係が優先するということもあるけれど、みんなの前で両親や家族の方に自分の晴れ姿というか、自分がしっかりと仲間の中(社会の中)でも堂々といると言うことを認めてもらいたいのだ。それは成長を確認して褒めて欲しいという願いでもあるのだから、どんな失敗をしようが、良いところをしっかりと見て褒めてやってほしいものである。それが大きくジャンプするきっかけにもなることは確かであるのだから。学習態度にもよい影響を与えることになる。

6年生が校内で行う宿泊学習について2月に延期するということを言ってきた。みんなで話し合ったらその時期が一番よいということになったらしい。なるほど素晴らしい民主主義である。強い者の意見がまかり通るなどはない、大人よりも内面が育っているではないか。人数が少ないから、周りがよく見渡せるのか、細かいところまで報告をしに来た。これで修学旅行一本に絞れるなどと言っているらしいが、行き先のブリーフィングを忘れないようにと釘を刺しておいた。釘を刺したつもりだったが、彼らはすでにその準備に取り掛かっているようである。

昔『今を生きる』という映画があった。主人公の教師はユダヤであったのでナチスドイツから迫害を受けながら、子どもたちに自分の心のままを一生懸命行きなさいと言い伝えている。しかし何度も親の中傷で、生きざまを変えなければならないことがあった。最後には自分を生きることの素晴らしさを体得し、ナチスに連れて行かれる教師の後姿を子どもたちが見送るといった映画であった。多分保護者の皆さんが少年少女の頃の映画であって、中には見たという方もおられるだろう。だれかに生かされているのではない、自分自身が生きているのだということを強く主張できる子どもであってほしいものである。

GW 何をしていましたか?

私には長い休みは、退屈の何物でもありません。日曜日からの始まりだったけれども、最初の日曜日は幼稚園で事務的な仕事をしていた。静かだから仕事がはかどると言う考え方もあるでしょうが、幼稚園で事務的な仕事をするときには子どもたちがいる日が多く、園長室でしている。その時には子どもたちがいるので、子どもたちの声をBGMにしているので、子どもたちのいないあまりにも静かすぎると、どこか落ち着かない。自分で決めたやるべき範囲の仕事を終わらせると、その次にやることがないので読書にふける。これといった趣味がないので大困りだ。

次の日には『風に立つライオン』という映画を観に行った。とても良い映画だった。これは実話に基づいて、さだまさしが書いて歌を創ったものだということを聞かされた。素晴らしい日本人がいて、自分の器の小ささに瞬間落胆するけれど、間髪を入れずに勇気を戴けるというものである。そして次の日にはかつてから気になっていた柚子の木の消毒である。昨年は1枚残らず葉っぱを小さな黒い虫に食べられてしまって、一つもならなかった。これで大丈夫なんだろうなと、半ば信じられずに消毒をした。

その次は庭の草取りである。実は草取りは女房が3日もかけてやっていた。申し訳なかったが、私はかがむと腰が痛いのと、痛くて長続きしないので、代わりに夕食の支度をしたり風呂の用意をしたりしていた。私は料理をしたりするのが好きだから、何ら問題はないし、風呂の用意なんて言ってもボタンを押すだけでいいのだから、草取りから考えれば何とも代わりになるようなものではない。それと草刈りの燃料も買いに行ってきた。うちの場合には家事に拘ることは婦唱夫随である。

今日は30年ぶりにスクールバスの運転をした。初等学部では初めてのことだ。子どもたちの待っているバス停に近づくと、ドキドキするような新鮮な感じであった。この子たちを大切に育ててやりたいと思う。幼稚園のバスを運転していた時には、みんな話をせずに前の握り棒をしっかりと握っていたが、初等学部の子は私が運転していようといまいとお構いなしで、子どもの世界の世間話をしている。とても微笑ましく、そういったことが社会人になるためのスキルを磨いているのだなと感じ入った。帰りのバスも頑張っていくぞ!。

私用で立川へ行って来た。常磐線が東京駅までノンストップで行けるようになった。全ての電車ではなく、通勤時間帯は品川まで行くらしい。とても驚いて、夜でも新橋あたりから常磐線に乗れるのかと思いきや、それはないらしい。夜でも乗れなければ生真面目な通勤時間帯だけでは、私には恩恵がない。それに久しぶりだから、昼食を思い切って特盛りのラーメンを注文したら、特盛りの姿には納得したけれども、レピーターにはなりたくないような味で、自分には合わなかった。ラーメンにも、自分に合わない味があるということを初めて知った。

台湾灯篭流し

台湾で初めての灯篭流しが行われた。私も両親が終戦後に住みたいと言っていた場所なので、灯篭に両親の戒名を書いて、台北の隣の市の川まで団体のバスに50分ほど揺られて参加してきた。広い河原があって、そこで地元の人たちが1万5千人、日本から約1千人強の人がその河原を埋め尽くした。灯篭は合計1万基が流されたと言っていました。
      
この日はあいにくの大雨で、ちょっとした間に雨がやんで、地元の大学生のサークルが演奏してくれた。大雨の影響でせっかく作った灯篭が雨に濡れてふにゃとなってしまっている様子。この人たちに傘を借り、椅子を借り、合羽を借りて無事に灯篭流しに参加できた。周りは立錐の余地がないほどであるが、せっかく親切にしてくれた親子に申し訳ないので写真を撮って後で礼状を書くつもりでいる。大雨が降りしきる中で、じっと待っていたわけだが、その途中で『みんながんばれ!』と応援してくれているのか、雁の群れが、大空を、私たちの頭上を飛び越えていった。すごい大きな鳥に見えた。
      
上の写真は灯篭流しが終わった後の様子で、奥の両脇に赤く輝いているのが灯篭で、さすがに一人一人の先祖の明りだけあって、喜んで輝いている様であった。前後してしまいますが、私の灯篭は雨に濡れて散々だと思っていましたが、中には身を挺して灯篭を守ったという方もおられた。そのくらいの気持ちで先祖に対しての感謝を表さないといけないのだろう。思い出したので合掌して先祖に謝る。右側にあるステージで法要が行われた。
      
これはオプショナルツアーで焼き物の街へ行ったときに、偶然小中学校の前を通った時にきれいなモザイクがあったので写真に収めた。子どもたちが作ったような、大人が作ったようなどちらともとれるようなものであるが、あおば台でも子どもたちと一緒に作ってみたい。
      
この上の写真が校門であって出入りは自由ではない。曲者は絶対に入れないという。この門の右側が中学校で、左側が小学校であった。中学校の塀の壁はなかなか難しいモザイクでできている。絶対に作ってみたい。楽しいだろうな。

集会に参加した

掃除の時間が短いのではないかと言うことが下級生から提案された。上級生からは、『ちゃんと集中してやらないからだ』という意見があって、結局現状のままに落ち着いたけれども、私としても現状では少し短いかなと思っている。この学校はクラスが離れていたり、特別教室が離れているので、移動の時間だけでも下級生にして見れば時間が過ぎて言ってしまう。私が裁定を下すわけではないので、子どもたちが決定したことを尊重しながらも、下級生を思いやる考え方を示唆してあげる必要があるのではないかと思う。子どもたちの思考は柔軟だから、すぐに吸収してくれる。

6年生に『素晴らしい6年生へ』という私からのメッセージを渡して私が読み上げたことがある。そこで、好きなだけ勉強して好きなだけ遊ぶには時間が足りないと言うことも話をした。6年生にとっては同感であったのか、今度学校に泊まりたいと言って来た。すかさず1日ぐらいではただの遊びになってしまうから、最低1週間泊まれるようなら許可しようと言っておいた。まずお母さんの許可を取らないと、という話をしたら『めんどくせーな』ということを言っていた子もいる。子どもたちが自分で決断して、自分たちで1週間の計画を練るのはすごいことだ。

どのような計画が出て来るのか今から楽しみにしているが、昨日の話では7月にやることにしたと言うことを聞いた。それはなぜかと言うと、5月は連休が会ってみんなで話し合う時が少ないそうで、6月はファミリアオリンピックがあるのでそれに集中したいらしい。そこで比較的暇になるのは7月だと言うことだ。『何が比較的暇なのだ』と子どもたちの思考回路を覗いてみたくなった。結構語彙も増えてきたので、会話が面白くなってきた。さてそのようにやると決まったら、教職員のローテをどのようにするか頭が痛い。楽しみにしていることだから何とかしたい。

私が政治的なことを書くのは、この国の中にいて教育に携わっているからで、思想的には右でも左でもない。ただ自虐的な日本人には決してなってはならないと子どもたちに伝えて行く。若いころ、とはいっても21か2ぐらいまではマルクスの『労働価値論』などを読み気取っていた。その方がカッコ良かったからで、馬鹿馬鹿しい本だと気付いたのにはそうは時間がかからなかった。私は社会に出るのが早かったから、そんな悠長なことは言ってはいられなかった。そのあとはジョン・スチュアート・ミルの『自由論』に感服した。今は雑多な本を読んでいる。