初等学部の理事長で、幼稚園の園長でもある港先生の熱い想い

理事長・園長のちょっと言わせて

"3歳児神話"って何?

突如としてこんな見出しの記事を目にした。「お母さん働いても大丈夫」「幼児の成長と無関係?3歳児神話?を覆す」。その内容は、子どもが3歳になるまでに母親が家の外へ働きに出ても、子の発達に悪い影響を与えないことを、国立精神・神経センター精神保健研究所(千葉県市川市)の菅原ますみ室長らが16年の追跡調査で確かめたというものだ。
 さらに「母親が幼児期に働いたから、子どもに非行など問題行動が表れる」とする説を否定したデーターだ。「3歳までは母の責任で子育てすべきだ」とする3歳児神話をあらためて覆したとある。
 私は、幼稚園の父母たちに「3歳児神話」なる言葉の意味とその由来について訊ねてみたが、勉強不足なのか私を含め知るものは殆どいなかった。それほど世間に知れ渡っている言葉ではなさそうである。しかしこのような記事を見たのでは、一保育者として黙って見過ごすわけには行かないだろう。
この記事を読んだのは平成13年4月29日である。今日までこの記事に関して反論や意見などは目にしていないが、もしも何らかの形で出ていたとしたらお知らせいただきたいが、私は私の範疇で疑義をはさみたいと思う。
そもそも「3歳児神話」とは何者であろうか。昔から「三つ子の魂百まで」とか「7歳までは神の子」といった子育てに関する諺があるが、そのくらい幼児期の発達は重要であるということには同意を得ることはできるであろう。「だからなるべくならば母親がついていてあげたほうがいい」という議論に「いやそのようなことは神話に過ぎない」と言ったのが「3歳児神話」の始まりだと聞いた。
さらに記事の内容を続けよう。・・・子どもが胎児から14歳に成長するまで問題行動などを郵送や面接で調べた。・・・子どもの問題行動は「騒がしい」「ののしり」「かんしゃく」など21項目を母親に聞いて判定した。と読んだところで、母親からの聞き取り調査であったことに気がついた。子供を追跡調査したものではなく子どもを産んだ母親を追跡調査したものである。その中で子どもが3歳未満で働きに出た母親の子どもと、専業主婦であった母親の子どもとを比較したものであり、しかも実の母親から聞き取るのである。「お宅の息子さんの家庭での態度や友達づきあいなどについてお話ください」と。まず経験から言って、実の母親から我が子を否定した言葉はまず聞かれまい。そして何よりも判定する側が何をねらっているのかによって、集計の考察が左右されるのである。しかも社会に影響を及ぼすこのような調査は、自分の目で確かめなければならないのが鉄則であるにもかかわらず、調査対象となる子ども達には面接していないのである。16年間も追跡調査をした割には子ども達の実像と違った結果が出てくることが大いに予想される。
時も時、政府は少子化問題と女性の社会進出による「安心して育児ができる」政策に躍起になっているところである。安心して子どもを産めない理由に、育児に対する不安があるのではないかと考えそれを解消するのに「待機児童0」という保育所の機能を強化することにした。子育て支援策に手をこまねいている行政側にとっては、この記事がまたとない追い風であることは確かなことである。
何の事はない、これは子どもを産んでも後は保育所で面倒を見るから安心してくださいというメッセージなのである。自分で子育てをしなくても保育所に預けておけば子育ては出来ますよと言っているのに等しい。これは子育て放棄、産みっぱなしを奨励しているようなものだ。国に不文律な教育観がないことを露呈したようなものである。その証拠に駅前保育や託児所などに規制緩和をし、園庭がなくても許可を与えることになってしまった。「子どもは環境で育つ」というのが幼稚園指導要領である。子どもは遊ぶことに主たる主体を持っているのに、外で遊べないで何時間も母親を待たなければならないことが子どもに良い影響を与えるはずがない。
もう何年も少子化対策といっては、働く母親や働く女性のための対策を打ち出してはきたが、一向に子どもの数は増えてはこない。むしろ減少の一途をたどっているのが現実である。小手先の物理的なことだけでは、女性が子どもを産み育てる動機にはならないことがはっきりしているのだ。
女性に、子どもを産み育てることの誇りと尊さを教える者はいない。女性が女性としての存在は子どもを産めることである。何も男性に混じって、同じ仕事をこなし体力も男性に近づけることが男女共同参画社会ではあるまい。男女ともに生まれながらの特性を兼ね備えている。その特性を尊重しあうことが、同じ人間として生きてきたことを喜び合えるのではないか。女性を侮辱するのは本意ではないが、男性の必要以上の譲歩は、かえって女性を侮辱していることになりはしまいか。男性を片端から口撃し悦に入っている大学の女性教授もいるが、幼児期にはお姫様ごっこやお母さんごっこをしていたに違いない。今のように戦いごっこに興味を持っていたとはとても信じ難い。女性が子どもを産まなくなったのには、もっと根の深いところにその理由があるように思えてならないのだ。

私には長年幼児教育に携わってきたものとして、またその道を絶えず学んできたものとして、どうしても批判を恐れずに言っておかなくてはならないことがある。
保育所と幼稚園の関係である。保育所は厚生労働省、幼稚園は文部科学省というように国の管轄も違うが保育所に関わる行政側の視点は常に母親に向けられたものであり、幼稚園は子ども側に向けられたものである。以前の保育所は保育を要する子ども達を収容し、国庫によって措置されたものであった。保育を要するとは、乳幼児期に親が見ることが出来ない子ども達のことで、戦後まもなく保育所が出来たのも頷ける。
保育所は児童福祉法で、幼稚園は学校教育法によってそれぞれ守られている。経済大国世界第2位の日本のこの時代にまだ保育所があるとか、同一国家の中で同じ幼児期を育てているのに、それぞれに異なった育て方がある事や、国の補助金のかけ方が不平等などの不思議や、幼保一元化できない主たる要因は、官僚の縄張り意識の産物であると言うのをどこかで聞いたことがある。
前述した駅前保育や、園庭のない保育所は子どもに良い影響は与えない。子どもを犠牲にして親の利便性を得るかとの二者択一であるが、私は子ども側にいる以上「何故そんなところへ押し込んでしまうのだ!」と言いたい。痛ましい事件がおきている幼児施設を今一度洗いなおさなければなるまい。
乳幼児期には、なるべく家にいて子どものそばにいてやりたいと願っている母親が大半である。誰もがそう願っていると言っても過言ではあるまい。何らかの理由でそうできずに子どもは生まれてからまもなく保育所という他人に預けられることもある。
幼稚園は3歳からであるが、3歳児でさえ親から離れるのには手足をばたつかせ、抱きかかえる教師を引っかいたりたたいたりしながら親から離れまいと精一杯抗い絶叫する。生後6ヶ月や1・2歳児などはどのように抵抗するのだろうか・・・。
生まれてから半年もしくは1・2年で保育所に預けられる。多分火のついたように泣きじゃくっているだろう。保育者があやし、上の子が泣きじゃくっている子を見て頭をなぜにやってくるが、母親がいなくなったショックはそう簡単には収まるはずがない。そのうち親がいなくなることをあきらめなくてはならなくなる。最初に教えなければならないことは、次に母親が迎えに来るまで待たなければならないことである。子どもにとってはあきらめることである。保育者は「お母さんすぐ来るからね」と子どもに何度も何度も伝えるが空しい。そのような悲しい積み重ねが徐々にその子の内面にインプットされていくのだ。それがストレスになるか、または脳のニューロンに組み込まれるかは定かではないが、子どもにとって良い体験ではないことは確かである。

幼児期に母親が家にいないことが幼児の成長とは無関係とはまったくの的外れである。発達心理学を学んだものや、脳の仕組みや大脳生理学を学んだもの、あるいは京都大学で霊長類を研究なさっている学者の著書などを拝読すると、幼児期の心の支えの重要な部分は殆ど母親の会話とぬくもりである事は自明の理である。またそれが将来に大きな影響を及ぼすのである。脳の発達も、幼児期の経験を土台にして人間としての性格や学力なども8歳までに出来上がってしまうと言われている。
では何らかの理由があって、保育所に預けることは子どもにとって悪いことなのかと問われればノーである。子どもと向き合って入れば心配はない。この場合の向き合うとは、母親のいない寂しさを母親がフォローしなければならないことだ。また他人に任せるのはいけないことだ。
幼稚園でも保育所でもどちらに通うのでもあまりこれと言った大差はないが、乳児期に子どもを放さなければならない母親は、その子に注がなければならない愛情を必ずどこかで取り戻さなければならない。

養育や保育の原点は、生まれてから間もない子ども達に、何も辛い思いをさせたり悲しい思いをさせる必要があるまいと言うことである。生まれてきてよかったと、言葉にうまく表せなくとも身体いっぱいに表現したりできる子どもが全てに勝るのだ。

子どもが自ら成長していく力に、どれだけ大人が上手にサポートしていけるのか、自分自身の評価も交えながら子ども達を見守っていこう。
もうひとつ言っておかなければならないことがある。世の中を騒がせている非行少年、非行少女、あるいは凶悪な犯罪を起こす者の幼児期の生活はどうだったのか、全てに共通しているものは親の無関心である。幼児期の寂しさである。我が子の顔を両手にはさんで今一度まじまじと眺めてほしい。そして「今幸せか…」と聞いてほしい。