初等学部の理事長で、幼稚園の園長でもある港先生の熱い想い

理事長・園長のちょっと言わせて

昔の人

明治維新で活躍された人は大体薩長土佐で、たまに九州の佐賀あたりの人が出てくる。殆どの人が西日本の人たちだ。それもそのはずで、関東は徳川領だし、徳川にたてつくのは外様大名でしかない。関東の大名はみんな徳川だから、維新で活躍するはずがない。維新の方の総大将は、朝廷をバックにした西郷隆盛だが、徳川方は、徳川をバックにした総大将がいない。本当のところは、京都守護職にいた会津の松平容保あたりがなるのかなと思うけれども、鳥羽伏見の戦いで徳川慶喜と一緒に江戸に帰ってきてしまった。勝てるはずの戦いをやめて、江戸に帰ってきてしまったのは疑問であるので、多くの歴史学者がああだこうだと言っている。

だから関東人は保守的な人が多いのだが、明治維新に対して保守的だったのは、江藤新平が率いる熊本出身の警察である。九州男児は警察官になれば出世ができると感じたのか、就職がなくてそこへとどまったのかは定かではない。それにしても江戸城総攻撃をやめて、江戸城無血開城にした西郷と勝海舟の話とはどんなものだったのだろうか。勿論、勝は西郷が静岡あたりにきているときに使者を送っているけれども、西郷はその使者とは合わなかったらしい。だから江戸城総攻撃は、絶対にやるという強い意志があったのだろうと思う。

西郷というのは薩摩藩でも厄介ものであって、二度ほど島流しにあってその島で暮らしていたところへ、大久保とか仲間たちが迎えに来たらしい。何度も歴史の中に登場する人物だから、その辺のいきさつはよく知っている人たちが多いだろう。それよりも江戸城で勝と西郷がどんな話をして江戸城総攻撃をやめることになったのか、かなり命がけの話であることは確かだ。このような時に堂々と話しあえる学問や授業というのが必要だろう。もっともそのような胆力も必要である。時代錯誤でも何でもない。この二人は今でいう有名大学は出ていない。

素晴らしい人物はたくさんいる。そこへ向かって、何を子どもたちに伝えればよいのかを考えるのが教育者であるのだろう。あまりつまらないことを考えないで、子どもたちが真の幸せを感じるのはどんな学校なのだろうかを、口角泡を飛ばして議論してみたいものだ。勿論学校の教師たちとはやっているが、内部だけでは、これが真実だというまで深まらないだろう。永遠にこの議論をしていくのだろうな。生涯。

もうすぐ1年の締めくくり

暦では正月が1年の始まりだけど、私たちは4月1日が1年の始まりである。だから今は大みそかを迎えようとしている年の瀬である。1年の始まりがすぐだということではなく、1年1年の切り替えがあって担任になっている教師は、1年を振り返るというよりかみしめながら一日一日を送っているようだ。幼稚園では年長と年中さんの仕事の引き継ぎ式が終わり、今日は両園共に小学校の体験があって初等学部へ来ている。クラスを見て回ったり、講堂で小学生と遊んだり、一緒に昼食をとったりして、小学生とともに楽しく遊んだ。

講堂でじゃんけん列車みたいな遊びをしていて、幼稚園の子どもたちはそれぞれのトレーナーを着ているから、すぐにそれとわかるけれども、全員が私服で遊んでいたら、体の大きさで小学生の高学年はわかるけれども、あとははしゃぎ具合から見ていたら、幼稚園の子も初等学部の子も大差ない。全く屈託がなく同化し合っている。幼稚園の子どもたちの中に小学生をそのまま入れて置いたらどうなるのか、しばらく様子を見ていると、こちらで色々と話しかけるわけではないけれど、自然な形で小学生が幼稚園の子どもたちに気を使うようになる。自分たちの好きな遊びをしに消えてしまうなんて子がいないのだ。とても素晴らしい子どもの世界だ。

素晴らしい子どもの世界も、いつしか都会のあおりを受けて中学校受験などがあって、早くから受験体制を整えようとする。何をそんなに早めなければならないのかよく分からない。人間の発達真理とか発達理解から行くともっとゆったりと育てることの方がよいに決まっているのだが、良い大学へ入れるためには先手を売った方が良いらしい。脳科学者たちはどのように感じているのだろうか。脳科学者だっておそらく中学校受験に対しては賛成することはないだろう。中学校受験を考えている人たちは、小学校4年生から考えだす人もいる。鼻先にニンジンをぶら下げられて、これからずっと走り続けることになる。

誰だってどこの親だって、わが子をロボットのように学習マシンにしたいなどと思っている人はいないだろう。先手必勝は、学業の世界ではあまり通用しないのではないかと思う。先手必勝も、良い大学へ行けば何とかなるというのも、妄想か幻想である。あくせくしない方が良い。学業はびりでは困る、中よりはちょっと上にいてほしい。何よりもわが子が、自分の親は私が食わしていくという強い信念があった方が、人間として素晴らしい生き方をすることは間違いないのではないか。

学校では今ベーゴマの後はスケボーがはやっている。3年生だか4年生にせがまれてかったものだが、職員室の前をコンクリートを打ったものだからここで楽しく出来る。家でもやっている人がいると聞いたけれども、家でやっている人は道路でやっているようなので、とても危険であります。学校へ持ってきてやってもよいという許可を出したので、ご家庭のご理解を戴きたいと思います。子どもたちは覚えるのが本当に早い。

これからの幼児施設はどうなる?

幼児施設というのは、就学前に子どもを預ける場所である。代表的なのが幼稚園と保育所であろう。今その施設に異変が起きている。幼児施設で働こうという学生が激減している。茨城だけの話ではなく、日本国中で幼稚園の先生や、保育所の保母さんになろうという人がいない。それでは大学の保育科や幼児教育科などに入学して来る学生が少ないのかというと、そうではない。増えてはいなくとも減ってはいないのである。大学を卒業しても幼稚園や保育所には就職しないということだけの話だ。派遣会社の社員が大学のそばをうろうろとして、卒業する学生に派遣登録をしてもらって、小遣いを渡すということをしている。

もっとも派遣を期待して幼稚園や保育所に応募しないという人は、例え派遣ではなく最幼稚園に応募したとしても幼稚園に勤めるのは無理であろうから、幼児と共に暮らす職業にあまり魅力を感じない人が多くなってきているのが事実なのだろう。大学の就職担当の教授も、どこでもよいから就職させればよいというような態度はやめて、授業中に幼児教育の大切さや、子どもとともに生きることの素晴らしさを学生に伝えてもらいたいものだ。保育所に落ちたなどの問題よりも、働く人がいないということの方がもっと深刻であろう。

自分の幼稚園は安泰であるけれども、この仕事全体を考え、将来を見据えてみた場合には寒気がするようだ。もっとも私たちの業界では28年度に保育者不足が27000人になるという試算があったのだが、それを考えてみればまだ傷は浅いとみるべきなのだろうか。しかし間違いなく保育者は激減しているというか、幼稚園に入るべき幼児が保育所にシフトをしたものだから、保育所の設置基準に照らし、保育者数が足りなくなっているということもあるだろう。ちょっと政策における対応が後手に回っている感がある。

現実に戻って、幼稚園では年長さんを相手に『立派な年長』の賞状渡しをやっているけれども、毎年のことだけれども楽しませてもらっている。子どもは全く素晴らしい。その世界に浸ることはできるけれども、その時代に帰ることはできない。それでもいい。その子どもたちといるだけで、心が洗われて、なんだか自分もピュアな人間になっている気がする。

保育所に落ちた日本死ね

こんな投稿がなされたと言って大騒ぎしている。日本の保育事情をそのまま投影したようなものだが、自分の子どもが落ちたからと言って、日本が死んでしまったら他の人も道連れにしたいとでも思っているのだろうか。何処にお住まいの人なのだろうか分からないけれども、日本の幼児施設は全体的には許容できるだけの容積はあると思っているが、大都市周辺はまだ待機児童がいる。大都市というのはとても利便性に富んでいる。その便利さをとるか不便でも地方へ移るかという選択肢がある。大体大都市で保育所を作れと言っても、それに見合った空き地が確保できるか。そして保育者も確保できるのかが問題だろう。

基本的に子どもを産んだらそれは親の責任である。少子化だから国の政策でも子どもを産んでくれと言っているけれども、国に子育てはできない。施設を作ったところで、ただ預かってもらうだけでは親の義務は全うできないのではないか。子どもを産んだら子どもへの責任は親にあるということをもっと強く認識すべきである。この子を誰かの責任にゆだねるなどのことはできないということを親になる前に自覚すべきだ。それが親になるということではないのか。戦後と今を比べたら申し訳ないけれども、戦後食えない家庭が沢山あったが、幼稚園や保育所にみんながいけたわけではない。

小学校へ行っても給食制度がなくて、昼食の時間になると何人かの子は外に出て水道の水を腹いっぱいに飲んでからクラスに入ってくる。いわゆる団塊の世代である。それでも子どもたちは逞しく生き抜いて来た。子どもを乳児の時から預けなければならない理由がどこにあるのだろうか。子どもの発達を犠牲にしてまで、どんな生活を得ようとしているのだろうか。今児童生徒の貧困の連鎖というのが問題になっている。それは目に見えて貧困が理解できるが、その原因の多くは親の身勝手な選択によるものもあることは否定できない。保育所に入れないのを解消するには、田舎暮らしを覚悟したらどうだろうか。

子どもを大切に育てたいと心から思うのであれば、孟母三遷の諺もある通り、住む場所を変えるという思い切った考え方もある。地域の人たちとのうまいサークルでもあれば、みんなで知恵を出し合って子育てが出来ないこともないだろうが、誰が音頭を撮ってくれるかが問題になる。利便性をとってある程度窮屈な生活を覚悟しなければならないか、不便でも田舎生活をするのか、どちらもうまくいけばよいのだが、世の中自分を中心には回ってはくれない。

ファミリアの発表会

ファミリアって何をやっているのか?と不思議に思っている保護者の方もおられるのではないかと思い、ファミリアってこんなことをしているのだよ、というところを見てもらった。教師には「前のめりにならないように」「子どもたちのあるがままの姿を見てもらおう」「成功させようなどと思ってはならない」ということを何度も言ってきた。成功なのかどうなのかということは、子どもたち自身が、思いきり自分を出せたかどうかということで子どもたちの心の中にある。大人がいちいち評価してやらなくても、子どもたち自身が自己評価をしているだろうし、またそのことで子どもたち同士で話し合いがあるだろうから、そちらの方を期待したい。

私としてみれば、子どもたちの力を改めて見直した。どこかで、これはできないだろうとか、これはたぶん無理だろうなどと否定的な結果を予測していたりするけれど、これらが見事に覆されて、子どもたちは清々しくやり遂げることができた。失敗したら私の出番で、見事にフォロウアップしてやろうと待ちかねていたのだけれど、それは空振りなってしまって、子どもたちの姿に感動してジーンとしたことが何度もあった。やればできるということを形を変えても何度も経験すれば、それがそのまま自尊感情を高めることにもなるだろうし、学習意欲も高まっていくし、何よりも自信を持てる。今に子どもたちが証明してくれる。