初等学部の理事長で、幼稚園の園長でもある港先生の熱い想い

2002年9月の記事一覧

頑張り切れなかった小泉さん

 日朝トップ会談が戦後初めて開かれた。専用機から降りてすぐに会談場所へと向かい、そこでは金正日が待機しているかと思いきや,わが国の首相が数分待たされたらしい。本来招待する側は、玄関先で待つというのが儀礼であろう。しかしわが国の首相は毅然とした姿勢で、ニヤニヤせず距離をおいてしっかりと握手を交わした。忍耐と寛容と度量の試される瞬間でもあった。成果はともかくこの姿勢は大変良かった。
拉致問題はすでに死亡している人が8人もいたという衝撃的なことから始まったが,日本国中誰もが信じていない。金正日は「私の知らないところで行われていた」と拉致問題と不審船について謝罪したと報道されている。絶対的専制国家の北朝鮮において、金正日が知らないところであのような事件が起こるはずがない。もし言っている事が事実なら、金正日の絶対的権力に陰りが見えてきたと言うことになる。となると権力抗争によって内戦勃発か、韓国へ侵攻するといった軍事行動が考えられる。
 外務省を?伏魔殿?とはつくずくうまいことを言ったなと感心している。日本外務省は日本国内にある小さな国で,日本国から外務を下請けしている独立国家なのだ。日本の将来や国民の利益などは余り考えないで,みんなで手をつないで外務省を向いているのだ。聞くところによると、拉致された家族が、我が子の生存を北朝鮮に照会してくれと頼んだら「身に危険が及ぶから余り騒がないほうがいい」と云ったという。旅券(パスポート)の最後に外務大臣が旅先で支障がないように、安全に旅行できるように各国駐在官に要請している文面があるけれど,あれは一体何なのだ。外務省に国家を代表する資格はない。
これから政治経済の中で、益々国境がなくなっていく社会になりつつあるから、体外的な役割は今にもまして重要になってくることは明らかである。口惜しいことだが、まずやらなければならないのは、国民の国民による国民のための外務省を新たに作ることではないだろうか。と思うと、あの田中真紀子と言う人物は、じゃじゃ馬だが並みの男では近付けない度胸を持っている。色々な経験をしただろうから、捲土重来を期して国民の前に出てくることを素直に願っている。
 よく分からないのは、日朝国交正常化交渉を急ぐ理由である。世界平和は誰もが願っていることであるけれども,北朝鮮がミサイルを開発したり、核爆弾を持とうとしたりするのは日本には脅威であるけれども何も日本の責任ではない。もともとスターリンの傀儡政権である金日成が、朝鮮半島を共産国にするために仕掛けた朝鮮動乱(戦争)の産物である。日本がかつて植民地支配していたからではなく、資本主義(米国)と社会主義(ソ連)との代表選手の喧嘩に巻き込まれただけのことである。中国とロシアの手に負えなくなってきたから,日本に押し付けてきているだけで,日本はかつて対峙していた中国・ロシアの手にまんまと乗せられてしまっているのだ。その証拠にアメリカの反応を見ればよく分かる。
正常化交渉を急ぐ理由が,北からの侵攻に怯えているとしたら、またそのときに起こるであろう難民に対処しなければならない政策は理由にならない。日本の国民を拉致し,覚せい剤やヘロインを闇市場で処理している犯罪国家であることを忘れてはならない。日本の政治家はよく平和を口にするけれども、実効性のある平和主義は、それなりの報復する手段を留保できる寛容な政治力である。それ以外は全てまがい物であるか,威を借る狐のレトリックに過ぎない。
百歩譲っても,拉致された日本人は海外で20人,国内で40人,今回のを合わせると約70人ぐらいいると聞いているが,その人たちの現状復帰と国際社会への謝罪を求めなければならない。北朝鮮を孤立させないなどと総理もあっちこっちで言っているが,孤立したから自ら打開しようと動いたのだということを忘れている。人道上食糧支援を行う用意があるなどといっているが,拉致と言う人道上の問題をないがしろにして良いものか。日本からの食糧支援は赤十字を通しても間違いなく軍隊に送られる。なぜなら権力者は軍の掌握は必須の条件だからである。国民が何人死んでも,軍隊の暴動は押さえなければならないのだ。そうなると北朝鮮の状況はかなり逼迫している事が解る。
 金正日は韓国との約束をずっと破ってきたので、恥ずかしくて金大中には今更助けてくれとは頼めない。だから何度もロシアに工場見学だといって食糧援助を求め,中国の江沢民にも懇願した。しかし、プーチンには日本に対し拉致問題を潔く謝罪することを進められ,江沢民には亡命者を何とかせんかいと言われ、金正日の茶色い眼鏡から汗がたらたらと流れた結果が今回の日朝会談である。しかもアメリカの?悪の枢軸?発言が強力な後押しとなっている。小泉総理はコペンハーゲンで行われているアジア欧州会議で、金大中大統領と会い?太陽政策?を支持すると改めて伝えたそうだが,本気でそう思っているとしたら大きな錯誤である。
 いっぱい書くことがあって、何から手をつけていいのやら戸惑ってしまう。ただの幼稚園の園長が何を言っても始まることではないが,幼稚園の園長ではなかったら,それこそただの路傍のおっちゃんである。にわか評論家というのではなく、一国民としての意見である。日本人としての積極的な意見であると理解していただきたい。
 国交30周年とやらで政治家も経済人も大挙して中国へ渡った。何と祝宴では6000人が参加し、記念植樹では12000人が参加したそうだ。特に政治家では橋本派が多くそのパイプの太さを誇示したと読売に書いてあった。政治家は100人ぐらいと書いてあったから、そのうちの60人ぐらい行ったのかなと思う。
式典の規模の大きさに圧倒されるが,正直言ってここまでやるかなと思う。北朝鮮の問題も江沢民に頼まれ,日本の政治家が功を競い、江沢民の茶坊主にならなければいいなと密かに心配している。猫も杓子も中国・中国。少しばかり恥を知れ!と言いたい。これから外交委員会で誰がどのような発言をするのかよく見ていかなければならない。声の大きいのと理攻めで言ってくる政治家に注意をしよう。
 中国は日本国総理が靖国神社を参拝する時に「やめなさい!」とはっきり言いましたと言った外務大臣がいて,日本から大分抗議された。いつでも中国は戦後処理のカードと靖国参拝のカードを握って日本と交渉してくる。そして声を荒げてまくし立て、実に騒々しくて決して頭を下げない。日本の政治家の中国ロビーストは中国における膨大な利権を求めるのではなく、また相手を過度に賛美するのではなく、日本国民のために折衝すべきである。それは物の豊かさではなく、卑屈な妥協は決してしないと言う誇りである。これがなければ、どんな立場にある人でも軽蔑の対象になる。
 
 (ここから少しトーンを変えて)
私は何度か保育所のことを書いているけれど,運営や経営の実態はまったくわかりません。国の所轄が違い,保育所に注ぎ込まれる補助金の額が、幼稚園に注がれる額とはけた違いであることはよく認識しています。例えば,預かり保育に関する補助金は文部科学省では16億円の予算で厚生労働省では270億円というように桁外れです。同じ年代の子どもを預かっているにもかかわらず,このように差があるのはひとえに政治力の差であるなどと、まことしやかに言っている人がいます。実は私もそう思っています。公平な徴税と国民への公平な分配より,政治家の力による分配なのだなどと今更のように言うのも白々しいけれど・・・。保育所をやったらどうですかと,そのノウハウを伝授してくれる優しい仲間もいますが、真面目に聞く気になれない。
 保育所ができたのは、昭和22年戦後の混乱期に、親のいない子や両親が共に働いていて、居場所を無くした幼児を児童福祉法によって、保育を必要とする子を措置すると言うことになったわけです。今はその趣旨とは若干異なるけれども、まだそのような状況にあるとは、政治家の不作為であると思います。
 本来保育所の必要性がまったくなくなるというのが、経済大国であり福祉大国であろうと前から思っています。生まれた時から保育所という施設で国が預かってくれ,幼児を早めに母親から引き離すことが福祉であると間違っている向きがあります。それは本末転倒な話で,本当は生まれた子を母親の下で安心して育てられる国家の体制こそが福祉なのだと思います。待機児童ゼロなどのくだりは,福祉のまやかし,教育の荒廃に国が手を貸しているようなものであると真に思います。
 とはいえ、「幼稚園に来れる子は幸せだ」などの声も聞かれるので,保育所を必要としている方も随分多いんだなとも思います。なるべく1・2歳児は母親の元で育てたほうがいいから,多少無理がきくならそうしてやって欲しいです。後で問題が生じることになったら,1年や2年で解決できなくなる怖れがあります。
幼児期で一番大切なことは安定した温もりと人間として生まれてきて、大人や仲間を信頼できるということを体感することです。0歳から施設に預けることは、この信頼を母親から最初に裏切られると言うことです。どんな言い訳をしてもこの事実は変わりません。少し厳しいようですが、子どもを救うためには多少の辛口は必要だと私は思っています。・・・子ども達が大人を信じられる社会になれますように・・・。

小泉さん頑張って!

 いよいよ明日は小泉首相が北朝鮮へ行って、金正日総書記とさしで話をする。食料も経済状況も極端に疲弊し、挙句の果てにブッシュ大統領から‘悪の枢軸,呼ばわりされて世界的に四面楚歌状態である。今までのことは何とか水に流して、日本の協力を得て国を建て直そうとしているのだろう。今まで同様、都合のいい話である。
 拉致問題を行方不明者などと置き換える手法は決してとるべきではないし、朝銀問題に国民の税金を注入してはならない。テポドンだかノドンだかの中距離弾道弾の、日本上空あるいは日本に向けての発射実験については速やかな謝罪を求めること。連合国と共に戦った日朝間に戦後処理は存在しないこと。あるとすれば敗戦処理における36年間にわたる植民地支配の終結による決算。日本が朝鮮から搾取した資産や日本が朝鮮半島に投資した資産など、互いの財産の収支は日本が残してきた資産のほうがはるかに大きいので、強者に支配された国民の精神的な屈辱を和らげ、謝罪の意味を含めて日韓間で経済協力という形で解決済みである。ちなみに大英帝国をはじめ、植民地が独立を果たす時、謝罪するとか、協力するなど聞いた事がない。アメリカ独立をはじめ盟主国と戦って独立を果たしている。
 いずれにしても今回の会談は、触手を伸ばしてきたのは北朝鮮である。イラクの次に狙われたのではたまったものではない。当分の間日本を盾にして置きたいという思惑もありそうだ。コメ問題と同じように食い逃げされないように細心の注意を払い、大胆に言い分を通していただきたい。交渉決裂でも堂々と胸を張って帰って来ていただきたい。
 
明治11年にフランス人宣教師が母国への報告書に,日本人を指して「辛抱強く,勇気があり,慎み深く,丁寧親切,名誉を重んじ,礼儀正しい」と評したそうだ。だから日露戦争が始まったときに、日本がきっと勝つだろうと予言した欧州諸国が多かった。400年も前にきたフランシスコ・ザビエルは日本国民を「これまで発見した国民の中で最良な国民であり,異教徒の中でこれほど優れた国民を見ることはできない」と言ったという。織田信長のあの下克上の時代にである。インドネシア外交官アリフィンベイは「戦時中の日本人はもっと温かい人間で,軍隊が統制していた時でも国民は道徳的だった。戦時下であっても思いやりのある人間を育てることができた。それが戦争に負けたからといって,その精神的美徳を根こそぎ捨ててよいものだろうか」と?魂を失った日本人?のなかで憂いている。たしかに哲学者オルテガの言う?精神的貴族?は日本には少なくなっている。これは、例えば男らしさとか女らしさ,父親らしさ母親らしさ,役人らしさ,企業人らしさ,社長らしさといった?らしさ?に回帰する所在があいまいであることが障害になっているからであろう。
 前回中国に対するODAの事を書いていたら、ニュースですでにご存知でしょうが,インドネシアへのODAについて地域の住民から日本が訴えられているという、世にも不思議なことが起こった。ほとんどの国の地域住民に感謝されているのがODAと思って間違いはないけれども,たまにこんな事もあり得る。その地域の住民の意思とは別に、業者や政治家や有力者のためにやるからだ。政府開発援助というのは後進国地域にしかないのだから、先進国の第一線で活躍できない外務省関係者は、腕の見せ所で,うまみのあるのがODAなのだ。だから国民が増税で下唇を噛んでいるときにでも、平気でODAの増額を予算化しようとしている。まったくどこの国の役人なのだ。
どこの国の役人の発言だかよく分からないのに,先の拉致問題がある。阿南元アジア局長は「拉致で騒ぐのは国益にならない」と言い、槇田邦彦元アジア局長も「たかが11人のことで日朝関係が悪化していいのか」と言ったらしい。拉致された家族の前で土下座しても余りあるのではないか。このような国際正義もなく温もりのない人間が政府高官なのだから、日本はなめられてもある面では納得がいく。
田中前外務大臣は外務省を伏魔殿と言った。伏魔殿とは化け物屋敷,または悪人どもが集まって悪だくみをする所である。何と言われようが彼らはへこたれない。日本の最高峰のエリートという自意識を持っているし、だから誰も手を出せないと思っている。革命でも起こらない限り安全だと思っている。革命が起きたって、自分が国民のためになってなかった自覚のあるやつは外国に亡命するから、口惜しいけれどいつまでたっても安全だ。しかしこうゆう人は国民の力で何とかしなければならないでしょう。

そろそろ茨城の土浦では新入園児の募集が始まります。初めてお子様を幼稚園に入れるご両親は,子どもよりもむしろ自分達のほうがドキドキしているのではないでしょうか。オムツがまだ取れないとか,トイレットトレーニングがうまくいかなかったとか,離れた後の子どもの様子を想像したりしながら、不安な自分にその後ろからまた不安が追いかけてきているような、半ば恐怖に近くなる時もあります。そんな時「私は今親をやっているんだ!」とこぶしを握り締め気合を入れなおしてください。立派な親です。何も心配もなく、早く手元からはなすことに喜びを感じているようでは,何のために生まれてきたのか子どもが余りにもかわいそうでしょう。無意識の虐待の始まりです。
最近虐待どころか、子を殺してしまう痛ましい事件が頻発しています。幼児期に両親に十分に愛情をかけられなかった未成熟な大人の犯行です。幼児期に育てられたことを記憶に子どもを育てると言われますが,その証明です。
今国を挙げて待機児童ゼロとか、働きながら安心して子育てができる保育所の体制など声高らかに叫ばれていますが、果たしてこれは真実でしょうか。真に子どもの大切なものを守ろうとしているわけではありません。為政者の小手先のパフォーマンスに過ぎません。なぜなら、青少年の犯罪やいじめの根底にあるものは、温もりの欲求から来るものだからです。0歳児から保育所に入れ、親の温もりと他人の温もりの違いが分からなくなってしまうような育て方をしては決してならないのです。該当者や保育所に気付かってだれも真実を言いません。それは現にそのシステムを必要としている人がいるからです。でも真実は母親が1年以上抱いて育てることが最善です。必ず反論がありますが,何と言われようと、生まれたばかりから他人に預けるようなことは避けてください。決してうまく育ちません。
母親自身の利便性のために、ある託児所へ入れ虐待を受け、子どもを殺してしまった事件がありました。生きていて幸せになるか不幸になるか定かではありませんが,幼児期に長時間母親とはなれた暮らしを強制されるのは、それ自体が不幸であります。親の言い分が解らないわけではありませんが,幼稚園の園長として親の言い分に沿うか,子ども側に重心を移すかと言えば、当然言を待ちません。子どもを守る側に立ちます。
長時間子どもを預かれば補助金がいくら出るだのの話はもううんざりだ。一方では親子を引き離す役割を担っているのだから整合性がない。たまに預かりがあるけれども、子どもは最初のうちは「きょうはあずかりー!」とか言って喜んでいる姿もあるけれども,時間がたつにつれて徐々に元気がなくなっていき,母親が迎えに来ると飛んでいって叩いたりけったりして手に負えない行動に出るのです。このような行動に出ることを?聞き分けがない?と言って大人は片付けてしまいますが,このような行動の出る子は正常で恵まれているといって良いでしょう。よく考えてみてください。このような母親のいない状況に慣れてしまって,何にも感じない子では可哀想ではありませんか。
幼児期はしっかりさせるために訓練をしてはなりませんし,また物を豊富に与えたり、ビデオなどによって子育てを任せてしまってもなりません。子どもの心に沿い、何を教え何を感じさせるかを明確にしなければなりません。こんなことを書いていると難しく考えてしまう人もいるかと思いますが,何も難しいことはありません。母親の感じる力を信じて,この子が今何を感じているのかを探ることです。子どもの心に沿うことは,子ども側に立って、今の子どもの心のありようを理解しようと努力することです。疑問をもち共に学んでいきましょう。