初等学部の理事長で、幼稚園の園長でもある港先生の熱い想い

2015年1月の記事一覧

寒い日

子どもたちは冬だというのに、素足で幼稚園の室内を駆け回っている。全員ではないけれどもそんな子が結構いる。さすがに3年生以上になると、そのような子は見当たらないが、半袖になって遊んでいる子はいる。寒いというような感覚がないのだろうか。『寒くないのか?』と聞いても舌を出してげらげらと笑っている。子どもらしいといえば子どもらしいけれども、風邪をひいたりして辛いのは本人だから、我慢せずに厚着をしてくれたらいい。

友人が喉頭がんで亡くなった。そのお兄さんには私は名状しがたいほどお世話になった。お兄さんと私は師弟関係といっても過言ではなく、無能な私を開発してくれて、社会に通じる仕事人にしてくれた。幼稚園を始める以前の話だ。そんなものだから当然亡くなった弟さんとは面識がある。それどころか青年会議所で、同じ時期に監事をやらせていただいた経験がある。とても頭の良い方でひとの話を絶対にそらさない。昨年何かの勲章をもらったという話を聞いた。

癌が大きくなって頸動脈を圧迫して、血管が破裂してしまったというようなことを聞いた。死ぬのかもしれないという意識はあったのだろうか。死ぬという覚悟はできていたのだろうか。死ぬという覚悟はどのようなものなのだろうか。どのように自分を設計すればよいのだろうか。どんな気持ちで、死に際を迎えればよいのか。あまりにも身近な人が無くなったので、とても他人ごとではないような気持ちになった。私はまだやることがあるので、生きる覚悟はするけれども、死ぬ覚悟はできないし、それがどんなものかもわからない。

今日から始まった

幼稚園も学校も今日から始まった。幼稚園での挨拶をすると、子どもたちは精いっぱいの大声を張り上げて「おめでとうございます!」という。きらきらと目が輝いていて眩しいくらいだ。とにかく、年長さんはあと3カ月で終わりだから、楽しい思い出をたくさん作ろうということを話した。また年中や年少には、あと少しで年長さんになったり年中さんになったりするから、よく話を聞けるようになろうということを話した。するとさすがに年中さんは、顔を引き締めました。年長になるということは彼らのステイタスなのだということが、はっきりとわかる。

初等学部には昼前に行ったが、ポニーを13時半に迎えるのでその時に外で挨拶をしてくれというので、ポニーが学校に帰ってきてから子どもたちに新年の挨拶をした。幼稚園の子どもたちのように大声を張り上げる子はいなかったが、職員室前での集まりが解散されてからは、低学年の子どもたちが個別に『おめでとうございます』と挨拶に来てくれた。とてもうれしかった。年賀状をもってきてくれた子もいて、読むのが楽しみだ。幼稚園の子も年賀状をかけるけれども、難解なのが多い。小学生は無理やり漢字も書くし、読めるからいい。

今日は賀詞交換会で今から出かけなければならない。賀詞交換会などと言っても地元生まれで地元の育ちだから、知らない人はほとんどいない。知らない人は地元の企業でない人で、いわゆる落下傘部隊だ。ネクタイをしていないけれどこれが仕事着だから許してもらおう。

明日から全開

長い休みはもやもや感があって、どうもすっきりしない。子ども達の前に出れば、すべてすっきりする。子どもたちの癒しの力はすごいものがある。同じ人間でありながら、子ども時代のあの見えない力は一体何なのだろうか。力もなく、考える力も大人には遠く及ばないが、無限の力量があるのは何なのか。口に出してしまうと壊れそうなので、めったやたらと口には出せないが、何か尊いものが潜んでいるのは確かだ。しかもガサツな人間には、絶対に見えぬものだから不思議だ。

子どもの目には、優しさだけではなく、大人を諭すような神々しい光があるではないか。そのもったいないような子どもたちに明日から会える。子どもたちの生きようを、静かに、大切に手のひらで包むように見守り、育んでいってほしいものだ。

幼稚園でも、初等学部でも色々なことを考えて試してやって来ましたが、今年は行動の時、見えるような成果を上げるときにしたい。幼稚園ではそれなりの歴史もあるけれども、旧態依然とし過去の保育力にすがっていたのではならないでしょう。一人一人が現状から脱皮し、新しい自分を感じられるような生き生きとした保育者になっていきましょう。

保護者の皆様へ
あけましておめでとうございます。
子ども達の『幸せ』を追求して、今年も燃え尽きるごとく力いっぱい汗をかきます。よろしくご支援のほどをお願いいたします。また皆様のご家族が、お健やかにお幸せに過ごされますよう、心からお祈りいたします。