初等学部の理事長で、幼稚園の園長でもある港先生の熱い想い

2003年5月の記事一覧

お久しぶりです。

 昨日は有事法制が衆議院を通過した。たぶん間違いなく参議院でも可決されるだろうから戦後の歴史的な重大な出来事となることは間違いない。折りしも5月15日というところに歴史的ないたずらが隠されているように思える。
1932年、およそ70年前になる話であるが、海軍将校と陸軍士官候補生が決起し犬養首相を殺害した5・15事件である。その後、軍靴の響きとともに大正デモクラシーの余韻も覚めやらずに一気に軍国主義に突き進んで行ったと言われている。
 首謀者たちは、不公平な軍縮に同意してしまった政府のふがいない姿勢を糾弾したものであったらしい。しかしながら当時のマスコミは彼らに同情的で、「政党財閥、特権階級は出処進退ことごとく私利私欲である」「天に代わって誅伐するにどこが悪い(天誅)」と、現在ではおよそ信じられないような激しく勇ましい報道であった。それはまさしく世論の代弁でもあったろうと思うが、現代の新聞には「彼らのテロを容認してしまった」と悔恨の意味を含んで反省文として掲載されているものもある。しかし彼らは無差別殺戮はしなかった。
 しかし反論を恐れずに言わせていただくなら、彼らには少なくとも私利私欲のない純粋な愛国心の基で決断したことであろうし、結果として軍国主義を加速させてしまったことは歴史が証明していることではあるけれども、それが第二次世界大戦を引き起こしたことではない。不公平な軍縮会議で、日本は欧米列強の属国になってしまうことを恐れた結果の行動であったのだ。国民はそのような心意気を感じ取っていたからこそ、当事者たちを擁護したのだと思う。
現在の道路交通法では、戦車は一般道路を走れないので走れるようにしたり、ミサイルを一発貰ってからしか軍事力の出動できない法を、未然に防ぐことができる法に返るのが今回の有事立法の制定である。有事の際に、個人の権利を最大限尊重するなどの付帯事項があるようですが、空から爆弾が落ちてきているときに個人の利益も何もあったものではないと私は思う。国民が一致団結しなければならないときに、どこまで個人の利益を守れるかは今後議論の的になるでしょう。敗戦国戦後日本のまとまらない国家を作る進駐軍の意図したとおりである。

 暴飲暴食の上に、ストレスがたまると誰でもかかるという成人病に、例に漏れず一般的人間の仲間入りをし、一ヶ月ばかり入院を余儀なくされた。今は仮に退院している状況であるけれども、また何回か検査をして7月には大腸にあるポリープを切除する手術をするらしい。良性だというので心配するようなものではない。
 糖尿病、肥満、高血圧、高脂血症は「死の四重奏」などと言われているそうだ。自覚症状がないものだから、ある日突然倒れて体の一部が機能停止したり、目が見えなくなったりする。「あなたはそうならないと自分の健康に感謝できないのでしょう」と優しい言葉で戦慄に落とし込まれてしまった。疲れやすかったり、集中力散漫だったり、フラフラしたり、少し歩いたぐらいで動悸が激しかったりと、いや今思えば自覚症状はあった。皆さんも知らずして自分の体が何者かによって蝕まれているかも知れない。精密検査をして十二分に医者の言う事をよく聞いて健康維持に努めましょう。

 麻生太郎自民党政調会長の講演を聞いた。経済問題、教育問題、防衛問題と多岐にわたって分かりやすく解説してくれた。テレビに出てくる変な学者よりよほど国民向けでよかった。さすが政治家だと思った。生まれながらの素質に加え、九州の麻生財閥の長男であり吉田茂の孫に当たる人でもある。日本青年会議所の会頭を、地方の理事長もせずに旧来の話し合いから選挙に出て見事当選した。当時は話題の人でもあった。総裁選挙で手を上げたのはこのときの「手を上げなければ何も起こらない」ということをすでに学習していたのである。
 血統書付きの政界のプリンスであることは間違いない。しばしば下半身の話題を持ち出すので云々。とある週刊誌に書かれていたが、生まれのよさの照れ隠しであり、そこに生まれてみないと分からない育ちの良さのジョ-クである。
 その本人のすごさは誰も認めざる得ないが、その周りを取り囲んでいる青年会議所に意義がある。日本青年会議所で何らかの役職を欲しがる会員は麻生事務所詣でをしなければならない。麻生さんがいくら万年青年といえども(確かにそう見える)60を超えた先輩にお伺いを立てなければ人事が動かない現実に、なんら不思議も悔しさも感じない軟弱な青年にこれからの日本を託すわけには行かないだろう。周りにいてその権益に預かっている人たちも、麻生さんはこれから日本の総理大臣になる人なのだから、若い青年の心情をもてあそび、意地汚く姑息なことで足を引っ張ってはならない。それこそ私利私欲ではなく麻生さんの立場も考え日本を考えていただきたい。
 そうこうして一日遅れの新聞に目をやると、「予定利率下げ」「生保経営責任を明記」契約者に負担を迫るだけに責任の明確化が必要と判断した――云々。あのメガバンクは何兆円もの公的資金の投入という国民の負担を強いているのに誰も責任を取ろうとしない。公的資金が投入されれば国民的感情としても経営責任を免れられないと感じるのが正常な考え方である。挙句に竹中金融担当大臣を失政と批判する始末である。あの頭取たちが、まだ自分たちが必要とされていると錯覚しているところに日本国民の悲劇がある。あの人たちが辞表を提出するだけで、期待感にあふれ株は上がる。銀行株が上がれば市場の牽引にはなる。

 拉致問題が沸騰しているさなか、外務省の外郭団体が北朝鮮に人道的な問題として米を送ったという話を聞いた。自民党の大物政治家もそこに含まれているらしい。貧しい人たちに必ず手渡しされているという保証も当然確信もない。たぶん軍隊に優先的に配られるか少数の高官に届けられるのだろう。何か弱みでも握られているのだろうか、かんぐられても仕方がない。不思議な出来事だ。--きっと悪代官がいるのだ。
 時代が違うからあまり過激なことは言えないけれど、古い書物の紐を解いてみると昔は「義人」と言われる人がたくさんいて、正義を盾に世直しをしたというのがある。殆ど私利私欲に凝り固まったやつを成敗してくれて痛快そのものである。
 純粋な愛国者は一人一殺をもって国を変えようとした。右翼という定義は別として、たとえば彼らを右翼と呼ぶとすれば、現在では本物の右翼は出てこれない。チンピラや暴力団が何の思想もなしに右翼の名をほしいままにしているから、崇高な信念を持った愛国者が隅のほうへ追いやられてしまっているのだ。しかしこれだけ安定した社会だから義人も活躍の場所がない。政府要人を一人や二人拉致したところで何も変わらないだろう。国会開会中に戦車で議事堂を攻撃するか霞ヶ関もろともふっ飛ばさないと日本は変わらない。作家三島由紀夫のように東部方面隊に行ってお願いしてこなくてはならないだろう――。やはり少し過激かな。でもこのくらいは書かないと病気は治らない。

 しばらく幼稚園を離れていると子どもたちが無性に恋しくなる。卒園した年長はどんな気持ちで小学校に通っているのだろうか。いじめにあったら「おまえは強いんだからぐっと腹に力を入れて笑ってみな」「何があっても大丈夫だよ。俺がついてるよ」と励ましてあげたい。
ちょっと用事があって病院から外泊許可をいただいて幼稚園に行ったら、デレスケチョンボ(造語-聞き分けがなく失敗ばかりして、しかもニヤニヤしているさま)をしていた年中さんが年長の当番バッジを胸にえらそうにしている。少しほっとした。めちゃくちゃな年少さんだった年中さんも立派にしっかりとした日本語をしゃべっていてほほ笑ましい。保育者は何年もの経験があっても、毎年違う子どもたちと出会うわけだからいつも初心に返り、自らの足らざるを知り、子どもたちに寄り添い、先輩の話しをよく聴いて、明るく元気に仲良くしっかりとあおば台の保育をして欲しいと願っています。平成15年5月16日