初等学部の理事長で、幼稚園の園長でもある港先生の熱い想い

2011年11月の記事一覧

もう一つついでに

中等教育学校(中高一貫校)にしても、小中一貫校にしても、大体3つぐらいの形態がある。ひとつ目には同一敷地内に同一校舎の中で生徒が授業を受けるという形と、同一敷地内に小中高の生徒の校舎が併設されてあるというものと、学校が同一敷地ではない提携という形をとるものがある。だから土浦にできた真鍋小と第二中学校の関係や、つくば市の幼少一貫にしてもどのような目的と配慮があるのかをよく調べることが必要だろう。

今日は初等学部の6年生があおば台幼稚園で職場体験学習をしている。年少から年長まで各2名づつの配置で行われている。事前に各クラスの現在の子どもの様子や、各学年の狙いと活動などがプリントされている用紙を渡してある。幼稚園の保育者が、6年生のために一生懸命作成したもので要点がしっかりと書かれてある。そのプリントを今日見せてもらったが、プリントそのものを全部暗記したとしても理解するのは困難だろう。むしろ面喰ってしまっているのではないか。

まず活動の中に6年生は入れないだろう。小学生が来てもあおば台の子ども達はべたべたとまつわりつかない。自分たちでやることがあるから、6年生を気にかけていられないのだ。だからほとんど無視されているだろう。自ら入っていこうとしないとだめだと言っても、高校生でもなかなかできることではないので、6年生にしてはよく頑張っている。

そうこうしているうちに6年生が帰ってきた。開口一番「あ~あ疲れた」「幼稚園の先生は大変だ…あ~あ先生にはなれない」と溜息交じりに言っていた。「みんなのお父さんお母さんは毎日働いているよ」「仕事をするということは大変なことだ」というと無口だった。それでも中には楽しく遊ぶことができたと感じている子もいるはずだ。いずれにしても初めての体験だろうし、有意義であったことは間違いない。

小中一貫教育Ⅱ

私がやろうとした小中一貫教育をさらに高等学校も併設して、幼稚園から高等学校まで考えていることと、市町村が考えている教育課程の編成と理念についてはまったく異なっているもの
である。はっきり言えばこのたび建設されたつくば市の小中一貫教育の理念が見えてこないので何とも言えないが、保護者のみなさんは中等学校〈中高一貫教育〉と混同して理解しているのではないかと思う。小中一貫教育は人間形成の、主に内的な成長を重点的に行う学校であり、中等学校は、それに大学受験を加えたものである。

公立における中等学校は市立中学校と県立高等学校の併立で、原則中学校登校範囲によるもので、学力的な選抜試験は行わないのが通例である。また高校入試のための学力試験もなく、まさに中高一貫教育である。私は、小中一貫教育と中高一貫教育の違いを解りやすく書いたが、これは理念であって私がそう思っていることなので、それがそのように定義づけられたものではない。また公立における中等学校の入試の形態を書いたけれども、選抜制の私学では入試が必ずある。

私言いたいの、はつくば市にできた小中一貫教育に関して、周囲の保護者は色めき立っている節があるけれど、今までの小学校や中学校となんら変わるところがないと思うので、ゆっくりとその推移を見守ることの方が賢明であることを伝えたいのだ。表札が代わっても、中の住人が変わらないのだから、何も変わらないのと同じことではないか。私が小中一貫校を建てた時に「なるほど」と思われるような学校を作る。

青葉台が何故今中学校を作ることができないのか。県の総務課の役人が、私に「教育基本法の学校種に記載されていないからできない」といったことは明らかに間違っている。小中一貫校は現実にあるし、その辺のところは県も理解している。設置基準の中学校の生徒数にしても480人以上というのは、これまた現状から全く遊離した基準であるということが県が理解されていない。しかも県知事の認可であるから、頭の良い知事が現状を認知してくれれば解決することである。

一番の難題は、学校運営が初等学部だけで展開できない現状である。借入金はともかくも月々の固定費が生徒納付金で賄えるようになれば、すぐにでも県に申請を出すつもりでいる。お金がないからできないということではない。経済的に裕福になるのを待っていたら、あの世にいってしまう。生涯無理な話だ。この学校が数字の上だけでも回転してくれれば小中一貫教育はできる。私は「できる」ということしか考えていない。いつできるのかは言えないが、期待して頂いて結構である。

このように前を向いているときには闘志がわいてくる。ちょっと振り返って幼稚園に目をやれば、ある年中さんの言葉に『私はもう赤ちゃんじゃないの…子どもになったの』と言ったことを保護者から聞いた。こんな子ども達に囲まれている保育者は幸せだろうし、私も幸せだ。もっと幸せ感の充足しているのはご両親だろう。幸せになってほしいと心から願っている。

昨日初等学部の餅つきのためにかまどにくべる薪を作ってくれた。若いお父さんの振り上げた小野が、丸太を真っ二つにする『カーン』と言う気持ちの良い音が鳴り響く。さすがに若いお父さんは躍動的である。その周りに6~7人のお母さんが、それと同じようにやろうとしているのを見かけて、そのパワーは認めるけれどやめてほしいとお願いした。彼女たちは割れた薪を手際よくまとめ、その周りをすっきりとしてくれた。幼稚園も初等学部もよく動いてくれるお母さんたちだ。一緒にいる仲間たちという実感がある。心から感謝している。

小中一貫教育

小中一貫教育は学習指導要領等によらない特例制度を活用したものの取り組みとして、構造改革特別区域として全国で17件、研究開発学校制度として全国で22件ある。いずれも平成18年4月現在なので5年前の資料である。最近近隣市で小中一貫教育をうりものにして設立された学校があるが、市町村独自でそう決めたからと言って小中一貫校として国としては認めてはいない。しかも何の理念のないところで、そのような学校ができたからと言って何の意味があるだろうか。

新たな教育課程の編成や、カリキュラムのあり方が何を柱になされているのかを確認する必要がある。小学校と中学校を併設したからと言って、にわかに子ども達の質が変わる訳ではない。公立にあっては初めての取り組みだとしたら、まず教師がその理念を徹底して頭に叩き込まなければならない。一人一人が機関車のけん引のように、自ら率先してその理念を広げるくらいの情熱がなければ、絵に描いた餅になってしまう。

このようなものは、私が小学校を作るときに小中一貫校を目指していた時に学んだものである。県の担当官は、小中一貫校は作れないと何度も私に繰り返し言っていた。その理由として、教育基本法に則った学校種の中に小中一環と言う学校が記載されていないからと言う理由であったが、「それは違う!」と言い切れないものが私の中にあった。そのような議論をして、初等学部建設に支障があってはならないという懸念があったからである。

いくつもの障壁に出会って、そのたびにそれを超えるたびに何度もへりくだった姿勢でいた自分が、今思うと情けないと思う。小中学校9年間の子ども達との生活は魅力である。誰が言い出したのか2・3・4年という教育課程の編成などが一般的であるけれど、子ども達の発達理解や、発達心理から行くとこれはどうも違う気がする。私は1・2年生は全く別の世界があると思っている。4年生の発達は人としての自律のときで、混沌とした自我からはっきりと独立する時であるように思っている。

それでは3年生はどうするのかと言うと、4年生に近づいていると言うより、2年生に近い一番のヘッドであるので、1・2・3年生は一つにくくってもいい。4年生から中学1年まで、はっきりと自我が独立した4年生から思春期までを人間として修練を積む。本来は中学2年生から高校1年生までをくくりたいのだが、中学校までであると中学2年生と3年生をくくる。学問と異性について両立させなければならない大変難しい時だ。いずれにしても、選抜のある私学でないと小中一貫は難しいだろう。

現在の青葉台初等学部では、私の考えている小中一貫校の教育課程の編成のようにはいかないけれど、幼児教育から学んだ発達理解を基礎に、子どもたちの心の育ちを十分に理解して、6年生までの間の育ちをどこにも負けないという自負心を持って、共に生活していきたいと願っているしそう努力していきたい。中学校を建てるという信念はいささかも後退していない。むしろ毎日少しずつだが燃え広がっている。それまでは死なないし、心配ない。

保育参観

両園ともに年少の保育参観が終了した。一日一日成長していくわが子を見て、ご両親もさぞ目を細めて見つめているのだろうと察する。母親がわが子を見つめてほほ笑んでいる時の姿は、至福に満ち満ちている。子どもも、また母親も生きていることに満足している姿だ。子どもも多分、生まれてきてよかったと、言葉で表すことができなくても五感を通して十分に感じているはずだ。あのにこやかな柔らかい笑いは何物にも代えがたい至宝だ。

急がずに、一瞬一瞬を大切に、親子でいるときの流れを体中で感じて、共に幸せに暮らしてほしいと祈っている。いずれにしても時間が止まっている訳ではないから、この先色々な物や人に出会ったりし、仲間関係などや、他者との関係についても学んでいかなくてはならない。だからと言って先取りするようなことはやめて、今を大切にすることが将来において伸びやかなゆとりのある人間性を構築することができる。ゆったりと育てられた子は、他者に寛容になれるのだ。

自分とわが子に自信を持って生きていってほしい。自分には何が足りないとか、具体的に他人と対比してあれこれと欠点を探るような愚かなことをしてはならない。どのように努力しても完璧と言う訳にはいかない。私たちは、神や仏に優らないようにできている。だから全くの不完全だ。だからこそ、助け合い支え合わないとうまく世の中を渡れないようにできている。自分ばかりが足りないのではない。私も隣の人もみんな不完全だ。子を思う親心は、だれにも負けないではないか。それでいい。

今日は唐揚げ定食を作ると言う約束になっていて、幼稚園からトンで返して初等学部に来た。からりとキツネ色よりも濃く揚がった鶏唐は、子どもたちの大好物だ。だから誰も無口になっておいしそうに食べている。私のとっても嬉しい時間だ。こんなことができるのも今のうちだろう。何人ぐらいまでできるのか挑戦をしてみるけれど、100人を超えたらここに厨房を作って私は引退だ。早くそんな日が来てほしいものだ。

危機管理

何度か人生の中で危機に直面することがある。これは誰もが経験することであるが、その時自分はどのようにして、その危機を乗り越えてきたかということは、殆ど覚えていないのが実情であろう。人間て不思議なもので、不幸に陥った時のことはあまり具体的に覚えていない。そのせいなのか、災害を未然に防ぐ方法をテレビなどで盛んに言われているけれども、それでも防ぐことはできない。

油断と言えばそれまでだが、油断しているという自覚はないけれども、まさか自分はそのような目には合わないという根拠のない自信がある。時には根拠のない自信が必要な場合もあるが、ことが社会的現象に及ぶ場合や、広域的な災害などは、自分だけを避けて通っていくことはないだろう。これからは解決しなければならない社会問題が山積している。いつも人任せにしていると、いつしか取り残されてしまうことになるのではないかと危惧している。

日本人は従順というかお人よしなところがあって、問題が身近に起きても誰かが解決してくれるだろうと、なるべく自分の問題というようには取り合わないようにすることに慣れている。良いことなのか悪いことなのか、それが見て見ぬふりをする学習に一役買っている。余計なことを言って、火の粉がわが身に降り注いでくるのを避けようとする。孫子の兵法、「君子危うきに近寄らず」である。しかし「虎穴に入らずんば虎子を得ず」という諺もある。

TPPの問題を何度か書かせて頂いたが、私が何を言ったところで反映されるものではないけれども、問題意識を持ってその推移を見つめていくことは大切なことだ。自由貿易の拡大で日本はどうなったのかを、生きた教材として子ども達に伝えていくのは、私たちの責務である。大きな社会事象のうねりが子ども達を巻き込んでいく。その時に、どの位置に立っていればよいのか、正確な示唆を与えることができることが肝要である。自分はそうありたい。

米国はオバマ政権になって、3兆ドルの赤字を作った。ポピュリズムに徹した結果である。その赤字になった分を印刷してばらまいたものだからドルは暴落した。日本も負けずに印刷して円をばらまけば多分円高は防げる。ドルを印刷して株投資に回すから株は下がらないけれど、雇用統計は改善されないし、主要産業の住宅建設についても斜陽である。今や米国国民がドルに不信感を持っていて、ニクソン以来の金本位制に戻す動きすらある。米国が咳をすれば日本は風邪をひくんだ。

栗ご飯

食べ物の話ばかりで恐縮であるが、今日はあおば台で栗ご飯を作ってきた。みそ汁の番だけしていたのだけれど、一応は私が栗ご飯を作ったということになっている。ご飯は塩加減を、みそ汁は味噌の量と味付けが私の仕事である。それでも子どもたちが来て「園長先生ありがとうございます」と言っていく。全く得な役割だ。各クラスに配膳をして食べ始まると「世界一おいしい!」という声が聞こえる。大したことがなくても、子ども達はありがたいものだ。

子ども達に派手に喜ばれると、サンマもやって見るかという気にもなってくる。保育者はやる気でいるようだ。幼稚園の先生の素晴らしいところというのは、子どもたちの喜ぶことをするのには何でもやってのけると言う、母親の根性にも似ているところだ。「面倒だ」とか「大変だ」というような、逃げる態度が皆無だ。お嫁さん候補ナンバー1であった時代があったが、頷ける話だ。ちなみに現在のナンバー1は看護婦である。まったく余計な話であるが・・・。

TPPは直接的に国民の暮らしに影響する。だから慎重にならざるを得ないが、今ごろなぜ唐突にこの問題がクローズアップされているのか。どじょうが、アメリカ大統領と約束してきたのではないかという噂もある。いつも米国の人気の落ちた大統領は、様々な手段を使って友好国に難題を押し付けてくる。矜持の心を持たない軟弱日本は、いつもカモにされている。国際貢献しろと言われて、大変な額を国際連合に拠出もしている。本来拒否権を持つ国が、その大半を担うべきではないか。

TPPの問題と言われているのが4つある。医療の問題、郵政簡保の問題、農業問題、公共事業の問題である。医療の問題としては、国民皆保険が自由診療となると崩されると言っているが、よく分からない。郵政簡保の問題は、株式を公開しろと言ってきて、多分外国人が参入してくるだろうと言うことだが、そんなもので郵政簡保が崩れるとは思えない。農業問題は深刻だ。日本の農業が壊滅状態に陥るだろうと言っている。いわゆる日本農業は米国に太刀打ちできないと言っている。

関税が撤廃されたら日本の農業は全滅という。関税のおかげで農業が成り立っているということを、堂々と言ってのける神経の麻痺状態。その分だけ国民は高いものを買わされているのではないか。彼らを助けるために、国民は余分にお金を出しているということを感じてほしい。公共事業に外国の参入を認めてほしいと言っている。この辺は良く分からない。日本の事業者が困ることはわかる。色々あるけれど、なぜそんなに性急にしなければならないのか。もう少し周知徹底した方がいいのではないか。そう思う。

レンコン

昨日話した「あしながおじさん」のところから頂いたレンコンの量が、ハンパじゃない。見た目には驚くような感じではないけれど、いざ料理に使うとなると、あるわあるわで天ぷらにすると言っても「どうする?」と顔を見合わせるほどのもの。頂いた10分の1ぐらいのものを洗って皮をむいて、厚いもので5ミリ程度のものだが、それを早速天ぷらに揚げる。カラッと揚げて早速口に頬張ると本当においしい。ついでに色々なものを天ぷらにするのだが、レンコンは全て完食で残らなかった。

あの量のレンコンを、どのようにして子ども達の腹の中に入れるかが問題である。何とか子どもたちが喜びそうなものを発案して、どうにか完食したい。私にとっては最高の嬉しい悩みだ。まったく欠食児童の時代を生きてきたものは、食い意地が張っている。戦後間もない頃、食うに食えない状況があちらこちらにあった。しかしみんな歯を食いしばって何とか頑張ってきた。私の家の両親もその部類で、新しい教科書を買うどころではない。まず食わなければならなかった。

勉強ができないのを教科書のせいにするつもりではない。生活保護世帯が、あの戦後のひどい時期よりも増えているという話を聞いたので愕然としている。生活保護世帯というのは、屈辱的なものだから、誰もがそこへ手を出さないで頑張ってきたから、戦後の復興を早めたのだともいえる。今は生活するにも格差があって、富める者と貧者との差があまりにもあり過ぎると言う。本当だろうか。かくて、生活保護を受けるのは、各部落に1世帯あるかないかであった。その世帯にはテレビも電話もないのだろうか。

あの時期よりもひどい時代になっているなどと到底思えないし、全く夢の中にいるようである。だとしたら、この現況から抜け出るには大変である。それはこれから来そうな世界大恐慌である。EUの債権の問題に端を発し、ギリシャの次はイタリヤである。イタリヤはGDP比率で120パーセントであるにもかかわらず、その震度は大きく、フランスでは赤字削減に国が動いた。日本はGDP比220パーセントである。必ずEUの債権を抱えている国には、少なからず近い将来不況の大波が来る。

子どもたちの将来を希望の持てるようなものにしてあげよう。さんざん60年以上も生きてきた者は、将来のある者のために余生を生きていこうじゃないか。もっとも先ほどの生活保護世帯が増えている話では、どこから進めてよいのやら困ったものである。私たちは将来を見据えた上で、子ども達に生きる力を授けていかなければならない。これからが大人として真価を問われる時だ。保護者も、私たちも共に腹に力を入れて頑張っていこう!。レンコンのように、先が見えないのが悔しいけれど。

美味しい昼食

今日は焼きそばだ。焼きそばの日は、幼稚園も初等学部もたくさん食べるので、あおば台にある厨房施設では、飽和状態になって作りきれなくなるので、初等学部の分は私が作ることにしている。いつもはみんな揃ってから学年の係りの子が『いただきます』をしてから一斉に食べ始まるのだが、今日はできた順から食べることにして、温かい焼きそばを食べた。皆がおかわりをするので、大人の60人分があっという間に終わってしまった。最後は1枚のキャベツや紅ショウガを争って食べている。中には『まだ僕は3杯しか食べてない』と不服申し立てをしている子もいた。

こんなに食べるなら1カ月に1回ぐらい作ってあげてもいいと思うが、どれくらいの人数までならできるのか見当もつかない。6年生が近くに寄って来て、驚いたように「わーおいしそう!」とか奇声を挙げて、挙句に「校長先生が焼きそば作りなんて、ほかの学校ではないよね」などと言っている。それが耳に優しくて気持ちがいい。腰が痛くて座りたくなったが、我慢しなくてはという気にもなってくる。早く6年生、違うところへ行ってくれないかな~と内心思っていたら、なんと椅子を差し出してくれた。

作り方のコツを覚えたから幼稚園でもできそうだ。今度手伝ってもらって焼きそば作りに挑戦してみよう。少しでもお母様の弁当作りのお役にたつのなら本望である。まあ今年中には結構行事があったりしてできないかもしれないが、必ず作る。幼稚園では私が食事作りをやることが保育になるけれども、初等学部は授業とは直結していない。食事作りが学校生活の中に位置付いていないということだ。これが青葉キャンプだったらそのまま授業になるのだけれど。

明日は天ぷら定食だ。あしながおじさんのところで採れたレンコンを学校で頂いた。レンコンと言えば正月に食べる酢の物や煮物に代表されるが、私はあの固さ加減が好きになれなかった。しかし家庭科室にあったレンコンを気軽に「天ぷらにして食べてみよう」と言ったことから、レンコンの天ぷらのうまさが病みつきになって「こんなにうまいんだー!」ということになった。その大好きになったレンコンの天ぷらを明日作る。レンコンだけという訳にはいかないので、野菜のかきあげや、ナス、ピーマン、サツマイモといったところも天ぷらにする。

そんなことを書いている私のところへ、4年生が全員で来て「3.14x☐」「この☐の中に16までの数字を言ってください」「暗算で答えられます」と言ってきた。なるほど答えを全部暗算でできるのではなく、答えを暗記してきたのだなと直感したが、一応16までの数字をいくつか言ってみると、全員で楽しそうに口をそろえて答えを言う。のぶTと話していたら、いちいち計算していたのでは試験では間に合わないと言っていた。なるほど、これが一つ上の算数かと感心した。

幼稚園児と小学生

幼稚園の中を歩いていると年長さんは『おはよう!』と元気な声で挨拶をしてくれる。年中少さんは大体まつわりついて来る。そして一方的に話しかけて来て、その話は取り留めもなく続く。主語を言わない話だから、何を言っているのか分からない。それでもしっかりと目を見て話を聞いてやらないとと思ってじっとしていると、話が終わらないうちに「バイバーイ」とか言って離れていく。一生懸命話すことを楽しんで、話し方を獲得する学習をしているのだ。聞いてやらないと話はしなくなる。

年少さんがダンボールでお部屋作りをしていて、出来上がったお部屋で楽しそうに遊んでいる。楽しそうと言っても、入口らしいところから出たり入ったりしているだけで「キャッ!キャッ!」している。そんなものだけれども、とろけるような顔をして、いかにも満足そうに笑っている。不惑の世界の天使たちだ。そんな子ども達を観ながらほほ笑んでいると、そこへ男の子が割り込んできた。思わずどうなるのかとかたずを呑んでみていると、女の子から猛烈な抗議の嵐で、それでも平気な顔をしている男の子は、女の子の実力行使にあって、足を引きずり出されてしまった。

その時に顔を少しこすってしまったらしく、痛そうにして泣きながら私の方を見ている。女の子たちは『大丈夫?』と心配そうに頭をなでてあげているが、気が入ってない。だから男の子は泣きやむ気配がない。まだ私の方を見ているが、私は何も言わずにその結果を見ようとしていたら、女の子たちは全く無視して次の部屋へ移ってしまった。まだ男の子が泣いているので、肩を抱き寄せて言ってあげた。「女の子は強いんだ、お前も強くならなくちゃ・・・なっ!」。男の子は泣きやんだ。

芦田愛菜ちゃんは何故可愛いのか。あのままじっとしていたのでは、いくら可愛い顔をしていてもやがて飽きが来る。あの顔と動きがうまくセットになっているから、可愛さが無尽に果てしなく広がっているのである。幼稚園での子どもたちの動きで、それが確かなものであることを確信した。つぶらな瞳で懸命に動き回る様子は、見ていて飽きないしうっとりするものがある。そのうちじっと見ていると、ひっくり返りたくもなる。男の子はあちこちと破壊し回っていて、うっとりと見られることはこの先もないだろう。可哀そうな一面もあるのだ。同性としては、ただひたすら励ますのみである。

そんなことがあって初等学部に来ると、野球場で子どもたちが遊んでいる。馬小屋の方から見ると、子どもたちが小さくしか見えなくて、ごちゃごちゃと交差しながら飛びまわっているのしか見えない。やがてその子どもたちが教室へ戻ってきた。やんちゃな1年生である。私がクラスに入ると、結構静かに席に着くことができる。そして一人の男の子が「野球場楽しかった人手を挙げて!」と立ちあがって言う。良くある風景である。すると男の子たちが「はーい!」と相談でもしたかのように手を挙げる。女の子はそんなことには無視。幼稚園も1年生男子もあまり変わらない。

学校説明会と入園考査

幼稚園では平成24年度入園考査が行われ、初等学部では今年度最後の入学説明会が行われた。午前中に両園を見てと思っていたけれども、右の耳が全然聞こえないので近くの耳鼻科に行ってきた。そんなことであおば台幼稚園だけを見ることができたが、第二には行けなかった。耳は小さいころ中耳炎をやったことがあるので、それが原因しているという。もう半世紀も前のことだ。どうも水が溜まっていたらしくて、それをプシュッ!と抜いたら少し聞こえるようになった。治療を続けたらもう少し聞こえるようになるらしい。なんだかとってもありがたい先生だ。

学校説明会は、もう何度かやっているので、そのたびに目先を変えたお話を心掛けてはいるものの、引き出しの中が空っぽになると恐怖を感じる。どうせ自分はこれしかないと言い聞かせても、保護者の圧力は凄いモノがある。昨日の説明会で、私の35年の幼稚園園長生活を振り返って、多くの保護者との懇談会や、話し合いから抽出してほとんどの話し合いが母親の悩みの解決であった。そこから、本来母子は向き合って、微笑み返しをしながら、幸せ感を持ったり人生の充実感を持つはずなのに、苦労や苦痛の話ではだめじゃないか。母親が幸せにならなくちゃ・・・・と思った。

幼稚園でも「子育ての基本は何ですか」と問われたときに、私は即座に「母親が幸せになること」と応えている。しかし日本の母親の多くは「私が犠牲になってもこの子だけは」と、野口英世の母親の残像に重なり合わせる。それで野口英世は幸せだったのだろうか。彼は母親の葬儀にも研究で忙しくて出席していない。彼は多分母親に感謝こそすれ、自分が幸せだったなど感じたこともないだろう。

母親の苦労や苦痛な表情を見て、どれだけ大金を積まれても幸せになれる子はいない。母親の笑顔こそ子どもの生きる希望であるし励ましなのだ。もともと日本には「犠牲になる」という概念は存在しなかった。つつましい生活態度の中から、自然に助け合う心があった。「犠牲こそ究極の愛の証である」と言ったのはフランスの詩人。いかにもキリスト教的な発想であるが、私はそうは思わない。人は助け合い、励ましあい、共鳴し、共に手を携えて同じ方向を向いて歩いて行けることこそ、究極の愛の姿だと思っている。「犠牲」はやめよう、周りを困惑させるだけだ。

今日は初等学部の子どもたちは行方郡へハンドボールの試合に行っている。彼らは非常に燃えている。この前の試合で初めて勝ったので、その勢いもある。三島由紀夫の書いた『葉隠れ』に、「死に物狂いという狂い方がある」という文節がある。この時期こそ彼らはそれに没頭できるのであろう。私は幼稚園で事務の仕事だ。これから長い道のりだから勝敗はどちらでもよいが、何か一つでも閃くことがあれば、それこそが大切だ。

TPPに一言。尊王攘夷ならぬ尊農攘夷である。かつて開国派の幕府と尊王攘夷派が戦い、結局幕府は大政奉還を強いられ、事実上攘夷派が実権を握ったが、その展開は思いもかけぬ速さで開国へと向かった。今は平成の開国騒動である。この問題の意見は、この紙面ではとても書ききれない。