初等学部の理事長で、幼稚園の園長でもある港先生の熱い想い

2014年5月の記事一覧

ちょっと寒い日で雨

今日は雨で昨日のように半袖でいると肌寒い。けれども半袖のまま外に出て、雨の中を楽しんでいる子どもたちがいる。いつでも子どもたちは普通でないことをしたがる。それが子どもの特権なんだろう。だからそういったことを理解している大人は、そのような子どもの姿を微笑ましく見ている。そして子どもは大きくなっていくのだ。大人たちも実はそのように育てられていたはずである。多くの大人たちから寛容に許されながら育てられた。でも忘れてしまった。

雨に濡れて寒くなれば、濡れた物を乾いたものに取り替えたくなる。それを要領良くやれるのが小学生だ。どんなに濡れていても立ったまま動かないのが幼稚園の子たち。だから保育者はどんな天候の日でも四方八方に気を配り、広角レンズのように目を光らしていなければならない。初等学部の今日の保健室は、めまぐるしく児童の往来が激しかった。そこで親がいれば、親が何かと口を出して手を出すだろうが、いないということが幸いして、自分の力で何とかしなければならない。

子どもはみんな素直な子に育てたい。素直というのは、ただ大人に迎合し、服従を誓い従順に育てるということではない。それではロボットか奴隷であって人間として育たない。私の言う素直と言うことは、事にあたって損得を考えずに精いっぱいの力を発揮することだ。だから家庭教育の中で、損得の話を多く持ちだすと、素直な子は育ちにくいことになる。その上で男子は荒々しく勇気のある子に、女子は頭がよくて思いやりのある子に育てたい。

私は発達のプロで、それなりにアクションプランも立てることができるし、何人かの6年生を卒業させてきた。たまたま素直な子どもたちだったので運が良かったこともあるけれども、卒業した子どもたちはみんな素晴らしい。彼らは根が真面目であるということもあるけれども、きっと幸せになれるだろう。素晴らしい子を育てるために、絶対にしてはならないことがある。『お前はだめな子だ』『何故これが解らないのだ』というやっつける否定語である。

子どもの前で他を批判することも素直な人間を作るのには邪魔で、却って非社会的な子を作ることになる。大人の考える社会正義と子ども社会での社会正義は違う場合もあるから、自分が正しいと思っていることだけを押しつけるのは間違っている。なぜなら子どもは親の前で反論できないから、そのまま子どもが親の意見をコピーしてしまうと子ども社会で異端児になってしまう恐れがある。拘りを持たずに(刷り込みをせずに)意見を聞くべきであろう。

親は親としてプロだが、それがそのまま子育てのプロであるとは限らないので、プロの意見を取り入れるようにお勧めする。しかし断っておくけれども、子どもは最後には親元に帰さなければならないので、子どもへの責任は親が取るべし。しかし私たちもまた『子供への責任』から逃れることはできないことは当然のことだと理解している。