初等学部の理事長で、幼稚園の園長でもある港先生の熱い想い

2015年7月の記事一覧

指導者の責任

ギリシャの新しい指導者に選ばれたちプラス氏は、緊縮財政を嫌いEU諸国の提示した政策に反対してギリシャ国民から支持を得て当選したものだが、だれもが緊縮策などには反対であろう。しかしそうは簡単にことがおさまることはなく、チプロス氏は自分で責任をとることはせずに、EUが提示した政策を国民投票という形で責任を国民に投げてしまった。ほかに打つ手がなかったろうけれども、当初から緊縮財政反対の立場で当選してきたのだから、国民投票などはパフォーマンスにしか映らない。その分財政出動があるだろうに。

ひどい言葉がある。民主主義を生んだギリシャがまた再び民主主義を取り戻したなどとチプラス氏はのたうちまわっている。粉飾決算を繰り返し、EUを騙し通して来たギリシャが今度は借金を踏み倒そうとしている。デフォルトに陥れば自然に踏み倒すことを宣言するようなものだ。それが民主主義とでもいうのだろうか。若者の半分は無職で国民の25%は公務員だなんて、そんな国だから人は働かないし、歴史という過去の遺産で観光地として成り立っている国だ。いずれにしてもEUからの追加支援がなければ、国家は破綻する。そうなると国民は現在よりももっと苦しい状況に追い込まれてしまうだろう。

日本に目をやれば、憲法論議で与野党ともに議論伯仲している。国家の責任は国民の暮らしと財産を守り、そして他国の侵攻を決して許さないことと、領土を守るというのが当たり前の話である。なのにすぐにでも戦争が始まるようなアジ演説が横行している。私は60年安保の時に、亡くなった東大の学生だった樺美智子さんのことを思い出す。あの時も当時の社会党をはじめとする野党や文化人が『戦争反対!』を叫んで、まじめな純粋な青年が『戦争反対!』のことばにおどらされた。そして反帝学評や、全学連が国会を取り囲んだ。みんな一生懸命に真剣に生きていた。

当時の野党の先見性が間違っていて、機動隊も多くの学生が傷ついてしまった。沖縄の問題でも、あの戦争で多くの市民が犠牲になったのは沖縄ではなく、広島である。戦争に行ったすべての人たちが日本の礎になったのだ。犠牲になったといえば私の父親もそうであるし、身内の人たちが戦争で亡くなっていった。『戦争反対!』はだれでもそうであるし、とても耳触りがよい。そんなことで日本の国は国際的にどうなってしまうのか、『trustme』と言って国を危険に陥れた者がいたではないか。同じ轍を踏んではならない。