初等学部の理事長で、幼稚園の園長でもある港先生の熱い想い

2016年1月の記事一覧

2学期の記録

幼稚園は学期ごとにどんな活動をしてきたのかとか、その時の子どもたちの様子はどんなふうだったのかとかの実践記録を作成し、それをもとに学期のまとめとして総括を行っている。昨日は久しぶりに第二幼稚園の総括の議論に参加して来た。教師の人数も多いから一日では終えることができなくて、二日間にわたって総括をすることになってしまった。普段は『緑の葉っぱ』という保育者たちの劇団を作って、楽しく保育に携わっているのだが、この時はかなり鋭い質問があったりして、応える側もたじたじする場面もあった。白熱した議論の中にいて、楽しい時間を過ごさせていただいた。

久保田浩先生が幼児期の子どもたちの生活を、三層構造論にまとめた理論を基底に、1年をテーマごとに5期に分け、その中に主となる活動を入れていく。その活動についての指導計画を立て、その計画に沿って実践記録をとっていく。私も20年ぐらい前に、保育をしながら記録をとるということにチャレンジしたことがありますが、これが大変難しい。保育者はいつも子供の様子をメモできるような小さなメモ帳を携帯して、目にもとまらぬ早業でメモをとるようだ。メモに注意がいくと保育がおろそかになるし、保育中にメモなんて取れるわけがない。だから私のやり方が間違っていたということだ。

実践記録をつぶさに取れる保育者に敬意を払いつつ、実践記録の今回の内容をつまみ食いしてみると、うっとりするくらい子どもたちの心の美しさが見えてくる。例えば、運動会にやった年中の恐竜の件だけど、クラスのあちこちに恐竜の足跡を事前に保育者が作っておく。するとその足跡を見つけた子どもたちは『こんなにいっぱい足跡があるから、きっと僕たちと仲良しになりたいんだ』と言い、続けて『もうその辺にいるかもしれない』『エー!やだ怖い!』『大丈夫だよ恥ずかしくて出て来れないんだよ』『ふふふふ・・・すぐそこにいたりして』。こんな会話のやり取りがある。子どもたちの園生活を想像してみてください。

年長の記録は、仲間を思いやるとか、仲間同士の結びつきの強さなどが印象的であった。また年少の実践記録の『ごっこ遊び』のところで、どのような自然現象の中でも大胆に遊びが展開されて行くところが印象的であった。例えば雨上がりの少し引っ込んだ水たまりがお鍋に見立てられて、その中に色々な葉っぱを見つけてきて、それらをニンジンや大根やごぼうに見立て料理を作ってしまうなど、子どもたちの顔が浮かんでくるようだ。もちろん保育者の誘導がなければできないことだけれども、こんなに豊かな生活を送っているのだとニヤニヤしたくなるようだ。あおば台にいて本当に子どもたちは幸せだと思う。

またこんなこともある。3歳の子がお漏らしをしてしまって衣服を脱いで『先生これ洗って』と小さな声で言ってきた、という実践があって、その時の保育者が続いて書いてあるのが『私が早めに気付いてあげられなかった』と自分を責めているくだりがあった。保育者は常に子どものことについては低姿勢どころか自虐的は言い過ぎだが、母親のように、ときには母親以上に子どもに愛情を注いでいるものだ。小学校でも低学年を持つ教師はいつも子どもに対しては低姿勢で『私がこうしてあげればよかった』という発言が多い。小学校になると、なかなか理解してはもらえないけれども。