初等学部の理事長で、幼稚園の園長でもある港先生の熱い想い

2012年3月の記事一覧

親の言い分を聞く

親の言い分を聞くと言っても、私の耳は今手術中で良く聞こえない。このまま聞こえなくても何ら問題はなさそうである。私の古い友人や先輩方は、「どうせ人の意見は聞かないのだから、今のままでもいいんじゃないの」と言っている。しかしこれは間違いだ。聞こえていても頭の中で即座に取捨選択できる技術を、自然な形で取得してしまっているのだ。だから聞いていないのではなくそれに答えないだけのことだ。

しかしそうは言っても、保護者が聞きたいという事柄については、正確に丁寧に説明する必要があるだろう。まず絶対に変えないのは、当たり前のことだが理念である。その他には絶対にと言うものはない。子どもの様子を見て、カリキュラムを変えたりもするし、急きょ時間割を変更したりもする。通学バスの路線は、4月に決定したものを1年を通して運行する。途中での変更はしない。給食については現行を維持する。幼稚園給食とあるのは、幼稚園で作っているからで量的なものは小学生に合わせている。

また幼稚園給食は、管理栄養士のもとで非常に食材に凝ったものを使用しており、幼稚園では保護者に喜ばれている。初等学部では全給制度をとっており、どうしても不満だと言う方は弁当に変えても結構ですが、途中で変更はできません。それに人事の件での批判はご法度です。また事前に人事を探ろうとすることもご法度です。もう一つ絶対的なご法度があります。それは教師と保護者との癒着です。

何人かの質問を受けております。保護者の方もわが子の将来のことですから真剣にならざるをえません。忙しいのはお互い様ですが、私は原則としてお会いしてお話をすることにしています。質問は責任者である私が受けてお返しいたします。結果として決裂してけんか別れになるか、それとも方向性を理解し共有できるか真剣にやりたいものです。話をする際にも基本的なことは子ども達の幸せへの道程です。価値観が違えばかみ合いませんので、主題からかけ離れた会話しないようにしましょう。

あおば台幼稚園では、保育について異議あるものは異議は言わなくてもよいから退園するように言い渡してあるので、問題が全く起きません。私立だから自分に合った幼稚園を探せばよいことです。これはなにも私が威張っている訳ではありません。保護者はそれぞれに意見を持っていて、しかし全員の意見を集約はできないだろうと言うことを理解しているからです。それでいておやじたちもみんな仲がいいのです。

青葉台初等学部は児童が少なくて経営が大変だなどと、まったく余計なお世話である。私を信頼して下さる保護者がいて、私を慕っている子どもたちがいる。これ以上のものはいらない。そのような人が一人でも二人でもいれば、私は命がけで信頼に応えるだけだ。経済的なものは後から必ず付いてくるものだ。そう信じているから、全く心配はしていない。

両幼稚園の年長が小学校見学に来た。最初は緊張している様子だったが打ちとけるのが早い。初等学部の児童もみんな幼稚園生とは違うんだという意識が高く、よく面倒を見てくれる。特に6年生は職場見学で幼稚園へ行っているので「○○ちゃん覚えていてくれているかな」と言って、子ども達を探している様子もあった。6年生もよく子どもたちの名前を覚えているものだと感心した。今日は寒かったので熱く蒸した肉まんがとてもおいしかった。

立派な年長違反第1号

立派な年長ではない行動をとった子が、教師に賞状預かりとなった。第一号である。毎年ある現象だから、そうなったからと言っても心配はいらない。むしろそのような子によってクラスが一丸となったり、仲間関係がより一層深まったりもする。その原因は何かと言えば、まったくどうでもいいことなのだが、この時期はそういった細かい心の動きをどうでもいいと捨てきれないところに、幼児期教育の深みがある。

まずどうなって賞状が預かりになってしまったのかを、保育者も一緒に子どもたちと話し合って共通理解をする。それでは賞状はいらないのかそれとも必要なのかを子どもたちに議論させるのだが、全員が絶対に必要だという。そのころになると一号君は声を出して泣き出してしまうが、周りの子は一号君の肩にそっと手をかけて慰めようとするが、涙は止まらない。大体まだまだ自己中心的なところが強く残っている年齢だから、何をどうしようか、どうすればよいかの結論を出すのには時間がかかる。

一日置いて園長との話し合いになった。私の前に現れたのは一号君と彼を応援した男女4名の仲間たちである。園長室で、賞状をもらうときと同じように、私の前に並んで「賞状を返してもらいにきた一号です!」という。それに続いて「応援に来た○○です!」と全員が言う。「それで賞状は返してもらえるの」と聞くと、一同がうなだれて沈黙に変わる。皆は園長先生に「一号君は立派な年長だから賞状をあげてください!」と言ったけれども、本当は違っていたのかと言うと、「仲間だから返してほしいんだ!」と言う。

じっと子ども達を見ていると、一人ずつ涙をためながら懸命に訴えている。花粉症のために近くにおいてあったティッシュボックスを差し出すと、めいめいにそれをとって涙をふき出した。一号君もこれには耐えられず声を出して泣きだした。そして私は賞状を一号君に返すのではなく、応援に来た4人の仲間に返すことにした。それで全員が納得したようだった。子どもたちの心は本当にきれいだから、濁っている大人が悪戯にもてあそぶようなことにならないように心した。

初等学部も3年を過ぎようとしている。何をするのでも3年や4年は無我夢中で気が付いたら月日が流れていたということが多い。新しいところは特に雑音が多いのも、世間の習わしだ。世間は無責任だから、言い放題で粗さがしの名人でもある。弾が飛んできたり、矢が飛んできたり、槍が飛んできたりもする。これはよけてばかりいるとやがて当ってしまうものだ。時には跳ね返したり、飛んでこないところで一休みもしなければならない。

何を言われても何をされても動じない心境が大切だ。いわゆる不動心だ。私は自分で作った初等学部には夢がある。その夢は入学説明会のときに何度も説明をしてきたし、保護者とともに共有できると確信を持っている。だからこれから先も決してぶれないし、めげないし、負けない覚悟が十分にできている。私がフラフラしていたら、子ども達に何が残せるというのだろうか。子どもを守り、健やかに幸せの方向へ向けてやるのが私の仕事であると、強く認識している。