初等学部の理事長で、幼稚園の園長でもある港先生の熱い想い

2012年3月の記事一覧

初等学部の終業日

幼稚園と同じように昨日終業日だった。2年生の男女一人ずつ私の処へ挨拶に来た。2年生の代表と言うのではなく、全くの個人的だと思うが、「1年間ありがとうございました」「また4月からお願いします」と礼儀正しく礼をして帰って行った。終業日なので、全校生徒の前で「礼儀と言うのはその人の人格を示すものだ」と言う話をしたのだが、そのせいではなく、いつもきちんとした挨拶のできる子である。

担任に話を聞くと、どの子も帰りの時にかばんをしょいながら「先生ありがとうございました」と言って行ったらしい。素晴らしい子どもたちだ。同じ子どもたちだが、一方では台車を使って遊んでいて、思い切り壁にぶつけてしまい壁に穴をあけてしまった。神妙な顔をして職員室まで謝りにきた。なかなか潔い。「ごめんなさい」「本当にごめんなさい」「もうやりません」と謝りながら泣き出してしまった。「これは直せない」と言ったことで事の重大さに気がついたようだ。

それで何度も泣きながら謝っていたのだ。しかしふと思ったことだが、子ども達の謝り方は今も昔も変わらないようだ。私自身を思い出して「よく言ってきた」と頭をなでて返してあげた。そこでまた思い出したのだが、謝ったってまたすぐに忘れてしまうんだと。しかしこんな子がやるようになったんだと思うと、学校の子どもたちの社会は全く伸びやかなんだなと思う。

幼稚園では大掃除が始まった。それが終わると指導要録の清書がある。そして3学期総括の研修資料の印刷と、なかなか今学期が終わりそうもない。新学期の用意は4月に入ってからになるだろう。毎年この繰り返しだけど、気を抜かずに頑張ってほしい。初等学部は3月いっぱいはスプリングスクールがあって、新年度の用意はまさに新年度になってから、頑張ってやる。みんな気合が入っていて楽しい。

卒園式・卒業式そして終業日

初めて初等学部で卒業生を送り出した。たった6人の卒業生であったけれど、初
等学部も卒業生6人の家族のおかげで、一つの歴史を刻むことができた。地球の誕生の黎明期は、9次元の世界があったとされている。どのような世界なのか調べようとも考えようともしないけれど、想像ができないようなものであったと言われている。ましてやたかだか初等学部の黎明期は、何があってもおかしくはない。地球の誕生との脈絡はないけれども、何かが生まれようとしているときには必ず予想もしないようなことが起こるものだ。

あおば台幼稚園では、卒園式の後に「ありがとうの会」を開いてくれた。保護者が記録として撮ってあったDVDの中や言葉の中に、「ありがとう」や「大好き」という言葉がふんだんに盛り込まれてあって、素晴らしい甘美な感激に浸ってしまった。こちらこそ「ありがとう」と言う感謝の気持ちでいっぱいである。最後のお父さんの一本締めで終了したけれども、あのお父さんは何かと先頭に立ってやってくれた人だ。最後の子どもが卒園し、自分自身での一本締めでもあったろう。淋しくなるよ。

あおば台でもそうだったように、第二でも泣かされた。私は初等学部もみているので、子ども達と本気で関わりあうときは「立派な年長」の時ぐらいしかなく、卒園式になると本当に申し訳ないという気持ちになるけれども、保護者はそんなことは気にしていない様子で、またまた申し訳なく思う。ハイレヴェルな職業にあるおやじたちの、ローレヴェルなAOB83の踊りを見せてもらったが、本当にここまでやってくれるかという、笑わせられたり泣かされたりと、感動に次ぐ感動であった。

あおば台でも第二でも多くの保護者に感謝されて卒園式を終えたけれども、実は私たち保育者こそ、素晴らしい保護者に出会えたことに感謝しなければならないだろう。あの二つの幼稚園は保護者の思い入れが強くあって、その力で運営されているようなもので、私たちが本当のサポーターであるという理想的な幼稚園である。私は初等学部の子ども達に「矜持なる心を持て」と教えているが、私の誇りとするところは、保護者と言う人間の温かみである。私は生涯これを抱いて生きていくことができる、幸せな男である。

ちなみにAOB83や、ピカチュウグループにはオファーをかけておきました。またあの人たちに会えると思うと、私ばかりではなく第二の保育者も感動である。

原発事故

原発事故が起きた時に、当初はこれほど大きな事故であることを想定できなかった。と言うのもNHKが中心となって全国に流したニュースは、毎日著名な学者を招いて安全保安院とともに大した事故でないことを装っていた。NHKの真面目なアナウンサーも、まことにこれを信じ切って学者のいいなりであった。核納容器の図面を取り出し、「メルトダウンはない」と言うことを言っていたわけだが、だが実際にはメルトダウンはあった。しかも初動作業によっては、これまでに至らなく未然に防ぐこともできた。

放射能の拡散も、外国メディアの方が日本よりも早く出す始末である。真実を隠蔽し続けた結果が、ちょっとしたほころびで重大な局面を作り上げてしまった。不安が不安を呼び風評被害が拡大して行ってしまった。茨城の西の方でも、葉ものの農家の人たちが泣いていた。トラックにホウレンソウを山ほど積んで、東京へ出てきたが、茨城の看板を見るなり客はみんなそっぽを向いた。現場で生のまま食べてみせるが全く反応がなかった。

福島県はこの風評のおかげで、農産物は出荷できないのではないかと言われている。食べ物のみならず、先日も書いたけれども人間まで拒否されてしまった。福島県民は、それでもなお我慢を強いられている。またそれに耐える忍耐強い県民だ。その忍耐に我々は甘えてはいけないのではないか。とはいえ一体私たちに何ができるのだろうか。福島の温泉につかったり、スキーに行ったり、福島特産物を買ったりと考えては見るものの、なかなか実行には移せないでいる。

幼稚園は最後の保護者会の運営委員会も終了し、いよいよ幼稚園の卒園式を迎えるばかりとなりました。あおば台は200人弱の保護者を取りまとめ、第二幼稚園は220人強の保護者をそれぞれに取りまとめて頂いて、大変ご苦労なさったこともあったことだろうと思いますが、無事に次年度へ引き継ぎをなされたことと思います。ご苦労に対して、心から感謝の意を表したいと思います。ありがとうございました。

東日本大震災

1年前の昨日、午後2時46分に大地震と大津波が東日本を襲った。私はたまたま、初等学部の6年生の海外語学研修の打ち合わせに、グアムを訪れていた。ホテルの部屋に帰りテレビを付けたところ、日本の大船渡だか釜石だかに、海からの海水が街を飲み込んで走っている様子が映し出されていた。まさかこれがライヴだとは信じられなかったので、だからと言って何をどんな目的でこの映像が流されているのかも、全く知る由もなかった。

そのうちグアムにも津波が来るというニュースが流れ、初めてこれが真実なんだと言うことが分かった。携帯から、いくら日本に連絡を取ろうとしても全くつながらなかった。夜になって初等学部の女教諭から第一報が入って、子どもたちはみな無事だという安心した雰囲気が伝わってきた。そのあとで女房から連絡が入り、幼稚園の子ども達は、みんなで園庭に出て肩を組んでうずくまっていたという話であった。話を聞いているだけでも、すごい地震だったというのがひしひしと伝わってきた。

それにしてもテレビに映し出されている津波の速さが、どうしても信じられなかった。何度も同じ映像を流しているので、そのままベットに腰かけたまま見ていたが、はっと我に返り明日の帰りの飛行機はどうなるのかということに気がついた。フロントデスクに電話をかけるが、ここもいっぱいでいつもお話中である。フロントまで下りて行き、確認を取ってもらったが、成田行きの全便が欠航でこれからの出発は未定とのことである。徐々にことの重大さが身に迫ってきた。

あくる朝になると、16日にジャンボを飛ばして残った客を拾い上げるということだったが、それまで待たなければならないという歯がゆさは言葉に表せない。まったく一方的にと言っても、こちらは何ともすることができない。居ても立っても居られないので飛行場まで行って、航空券を見せて何とか早くできないかを折衝した。何もできるわけではないけれども、日本がどうなっているのか心配でならなかった。そこで何とか14日の飛行機で帰れることになった。

飛行場に着くと、津波と原発の話で、テレビでも人々の会話でも持ちきりであった。グアムのホテルにいた時も日本に帰って来て家でテレビを見ていても、ただオロオロしているばかりだ。一旦家に戻ってきたにもかかわらず、会社が心配だと言って出て行ったまま帰ってこなかったと、全身力が抜けたように話している奥さんの表情がまだ自分の脳裏には残っている。役場の仕事で、他人のお世話をしながらわが子と女房を探していた夫のやり切れない表情もまだ残っている。あの人は見つかったのだろうか・・・・・。

そして昨年の一文字は「絆」であった。絆を感じると言った人が多かったからで、今はそうではないかもしれない。瓦礫の処理にしても断る自治体が多い。それは放射能汚染の問題をからんでいるからというけれど、原発から遠く離れているにも拘らず何故そんなことを言うのだろうか。きちんと測定されているのに。

山梨かどこかで、福島から来た子の保育園入園を断ったというニュースがあった。無知もはなはだしいではないか。無知と我欲が交錯していて、いつか人間は恥を忘れてしまう。「もったいない」と言うのが素晴らしい言葉として世界に広まったが、是非とも「みっともない」をまずは国内に広めようではないか。

騒ぐな!私はここにいる

何か変わったことがあると騒ぎ立てる者がいる。必ず震源地があるわけだが、震源地が当事者で、それに近いところにいるものがその仲間である。学校は何ら揺らぐことはない。いたって平穏で波一つない、カーム状態である。波を立て波を作るそばにいると、やがてその波と一緒に揺れ動くことになる。何があっても不動心であることが一番である。ここには子どもたちがいる。分別のない大人の濁った心で、その手で近寄ることを禁ず。

ここは学校だ。学校には子どもたちの心を育む神聖なものがある。それを育てていく義務が私たちや保護者にある。そのことを無視したりその邪魔をする者は、ここから出ていかなくてはならない。当たり前のことだ。どうも勉強さえできれば社会での優位性を保てるという風潮が根強くある気がする。そんな失敗は当の親たちが経験していることではないか。そうでなくとも社会を見渡してみればわかる。

人間にとって、何よりも大切なことは恥を知ることだ!。矜持の心がない者に優位性などバカな話はない。金があっても使い方が分からない者、金がなくて金持ちに媚びる者、いずれも根底にあるのは意地汚さである。何がなくても現状で満足し、周りに感謝ができる人間の心が一番澄み切っている。私たちはどのような仕事をしていても、人間が評価されるのではなく職業が評価されているので、偉くもなんともない。職業も人間性も同じように評価されればそれに越したことはない。

そういった意味では人間は平等だ。しかし福沢諭吉が言ったように、学問をいくら積んだからと言っても「心の持ち方で卑しくも貴くもなる」。私はこの学校を立てるとき、あのスペインの哲学者オルテガの言う「精神的貴族」を目指していこうと決意した。これは経済的に貧困である私にも、立派に生きられると感じたからほかにない。保護者も自らの姿勢を正すべき。子どもには勉強だけさせといて、自分は何もやってもいいということにはならない。子どもは慎重に親を見ている。そして教師も。

良くも悪くもその結果は必ず現れる。善因善果で悪因悪果である。何度でも言うけれども子どもは親を見ていて見抜いているところもある。小学校の高学年になれば、言ってもいいことや言わない方がいいことなどをきちんと分けている。子どもの顔にも、笑いの中にふと陰りがあるときもある。そんな悲しい思いをさせてはならない。

親の言い分を聞く

親の言い分を聞くと言っても、私の耳は今手術中で良く聞こえない。このまま聞こえなくても何ら問題はなさそうである。私の古い友人や先輩方は、「どうせ人の意見は聞かないのだから、今のままでもいいんじゃないの」と言っている。しかしこれは間違いだ。聞こえていても頭の中で即座に取捨選択できる技術を、自然な形で取得してしまっているのだ。だから聞いていないのではなくそれに答えないだけのことだ。

しかしそうは言っても、保護者が聞きたいという事柄については、正確に丁寧に説明する必要があるだろう。まず絶対に変えないのは、当たり前のことだが理念である。その他には絶対にと言うものはない。子どもの様子を見て、カリキュラムを変えたりもするし、急きょ時間割を変更したりもする。通学バスの路線は、4月に決定したものを1年を通して運行する。途中での変更はしない。給食については現行を維持する。幼稚園給食とあるのは、幼稚園で作っているからで量的なものは小学生に合わせている。

また幼稚園給食は、管理栄養士のもとで非常に食材に凝ったものを使用しており、幼稚園では保護者に喜ばれている。初等学部では全給制度をとっており、どうしても不満だと言う方は弁当に変えても結構ですが、途中で変更はできません。それに人事の件での批判はご法度です。また事前に人事を探ろうとすることもご法度です。もう一つ絶対的なご法度があります。それは教師と保護者との癒着です。

何人かの質問を受けております。保護者の方もわが子の将来のことですから真剣にならざるをえません。忙しいのはお互い様ですが、私は原則としてお会いしてお話をすることにしています。質問は責任者である私が受けてお返しいたします。結果として決裂してけんか別れになるか、それとも方向性を理解し共有できるか真剣にやりたいものです。話をする際にも基本的なことは子ども達の幸せへの道程です。価値観が違えばかみ合いませんので、主題からかけ離れた会話しないようにしましょう。

あおば台幼稚園では、保育について異議あるものは異議は言わなくてもよいから退園するように言い渡してあるので、問題が全く起きません。私立だから自分に合った幼稚園を探せばよいことです。これはなにも私が威張っている訳ではありません。保護者はそれぞれに意見を持っていて、しかし全員の意見を集約はできないだろうと言うことを理解しているからです。それでいておやじたちもみんな仲がいいのです。

青葉台初等学部は児童が少なくて経営が大変だなどと、まったく余計なお世話である。私を信頼して下さる保護者がいて、私を慕っている子どもたちがいる。これ以上のものはいらない。そのような人が一人でも二人でもいれば、私は命がけで信頼に応えるだけだ。経済的なものは後から必ず付いてくるものだ。そう信じているから、全く心配はしていない。

両幼稚園の年長が小学校見学に来た。最初は緊張している様子だったが打ちとけるのが早い。初等学部の児童もみんな幼稚園生とは違うんだという意識が高く、よく面倒を見てくれる。特に6年生は職場見学で幼稚園へ行っているので「○○ちゃん覚えていてくれているかな」と言って、子ども達を探している様子もあった。6年生もよく子どもたちの名前を覚えているものだと感心した。今日は寒かったので熱く蒸した肉まんがとてもおいしかった。

立派な年長違反第1号

立派な年長ではない行動をとった子が、教師に賞状預かりとなった。第一号である。毎年ある現象だから、そうなったからと言っても心配はいらない。むしろそのような子によってクラスが一丸となったり、仲間関係がより一層深まったりもする。その原因は何かと言えば、まったくどうでもいいことなのだが、この時期はそういった細かい心の動きをどうでもいいと捨てきれないところに、幼児期教育の深みがある。

まずどうなって賞状が預かりになってしまったのかを、保育者も一緒に子どもたちと話し合って共通理解をする。それでは賞状はいらないのかそれとも必要なのかを子どもたちに議論させるのだが、全員が絶対に必要だという。そのころになると一号君は声を出して泣き出してしまうが、周りの子は一号君の肩にそっと手をかけて慰めようとするが、涙は止まらない。大体まだまだ自己中心的なところが強く残っている年齢だから、何をどうしようか、どうすればよいかの結論を出すのには時間がかかる。

一日置いて園長との話し合いになった。私の前に現れたのは一号君と彼を応援した男女4名の仲間たちである。園長室で、賞状をもらうときと同じように、私の前に並んで「賞状を返してもらいにきた一号です!」という。それに続いて「応援に来た○○です!」と全員が言う。「それで賞状は返してもらえるの」と聞くと、一同がうなだれて沈黙に変わる。皆は園長先生に「一号君は立派な年長だから賞状をあげてください!」と言ったけれども、本当は違っていたのかと言うと、「仲間だから返してほしいんだ!」と言う。

じっと子ども達を見ていると、一人ずつ涙をためながら懸命に訴えている。花粉症のために近くにおいてあったティッシュボックスを差し出すと、めいめいにそれをとって涙をふき出した。一号君もこれには耐えられず声を出して泣きだした。そして私は賞状を一号君に返すのではなく、応援に来た4人の仲間に返すことにした。それで全員が納得したようだった。子どもたちの心は本当にきれいだから、濁っている大人が悪戯にもてあそぶようなことにならないように心した。

初等学部も3年を過ぎようとしている。何をするのでも3年や4年は無我夢中で気が付いたら月日が流れていたということが多い。新しいところは特に雑音が多いのも、世間の習わしだ。世間は無責任だから、言い放題で粗さがしの名人でもある。弾が飛んできたり、矢が飛んできたり、槍が飛んできたりもする。これはよけてばかりいるとやがて当ってしまうものだ。時には跳ね返したり、飛んでこないところで一休みもしなければならない。

何を言われても何をされても動じない心境が大切だ。いわゆる不動心だ。私は自分で作った初等学部には夢がある。その夢は入学説明会のときに何度も説明をしてきたし、保護者とともに共有できると確信を持っている。だからこれから先も決してぶれないし、めげないし、負けない覚悟が十分にできている。私がフラフラしていたら、子ども達に何が残せるというのだろうか。子どもを守り、健やかに幸せの方向へ向けてやるのが私の仕事であると、強く認識している。