初等学部の理事長で、幼稚園の園長でもある港先生の熱い想い

2016年7月の記事一覧

園長設置者研修会

昨日は朝早くから現役の青年会議所のメンバーが幼稚園まで迎えに来てくれて、赤坂御所にある故三笠宮寛仁親王殿下の宮邸に行って来た。寛仁親王がお元気であったころ、土浦青年会議所と親交があり、殿下を交えてウエルフェアーゴルフをを開催させて戴いた。ウエルフェアーも殿下の提案で、障害を持った人たちの施設へウエルフェアー基金を寄付すると言う活動が来年で30年になる。継続はまさに力となるので、来年の30周年のウエルフェアー大会には、殿下のお嬢様である女王様がお出まし下さるそうだ。

午後1時ごろには幼稚園に帰ってきて、そのあとから水戸三の丸ホテルで茨城県私立幼稚園協会の主催する園長設置者研修会へ向かった。殿下のところへ行くことも研修もどちらも大切なことなので、かぶってしまったけれどもどちらにも顔を出すことができてよかった。研修の内容は社会労務士による雇用における注意事項などと、保育者の確保とか、幼稚園教育要領の改定とか、小中学校の教育内容の見直しなどの話があった。小中学校の話は殆どなく、もっぱら幼稚園のことだけだったのだけれど、文科省の役人が出した資料の中にあったのでそれを読んでいた。

泊まりがけの研修なので、さすがに今日はくたびれた。泊まりがけだと、きちんとご飯を食べるので太ってしまうのではないかと心配である。

ザリガニ釣り

ザリガニというのは戦前の日本には小さなものしかいなかったそうだ。戦後日本の食糧事情が悪くて、アメリカの兵隊さんが日本に持って来たそうだ。日本に持ち込んだエビガニをアメリカザリガニと言うらしい。そのアメリカザリガニをあおば台の保護者が2年前だったか定かではないけれど、バケツいっぱい持ってきて『子どもたちにあげてくれ』という。子どもたちにあげるのには少ないし、どうしたものか考えあぐねていたところへ私に相談があった。私は即座に『ゆでて食べよう』と提案した。しかしそのような経験のある教師がだれ一人いなかったので、賛成する者はいなかった。少しばかり孤独になったがさっさとゆでる用意をした。

そのアメリカザリガニを1・2年生を連れて釣りに行ったのだ。半世紀ぶりに釣りなどをした。しかもザリガニ釣りは、小学校低学年の時に近くの用水路やため池で、カエルを掴まえて、ちょっと残酷だが、胴体と足を引きぬいて足を餌にして釣りをしたという経験だ。糸はタコ糸で、おもりは魚釣りと同じように鉛を使った。私は魚釣りやザリガニ釣りは良くしたものだ。また霞ヶ浦では淡貝をよく取りに行った。

淡貝というのは淡水に棲む大きな黒い貝のことで、大きいのになると30cmぐらいのもある。これを佃煮にして食べるととてもおいしい。私はそういった遊びのようなものを、まったくの遊びとして捉えたことがない。ザリガニでも魚でも淡貝にしても、少しでも家族のためになるというような気持ちでいるから、何も捕れなかった時には悲嘆にくれる。

そのザリガニを子どもたちと一緒に釣りに言ったのだが、初めてだと言う子もいて子どもたちも私も興味津々である。甲高い声で気勢を上げるものだからザリガニも逃げ足が早い、それでも全員が釣り上げた。少し要領を覚えると立て続けに何匹も釣り上げる子もいる。ザリガニを触れなかった子も、背中の方から掴むことを覚えて、他人の分まで取ってあげたりしていた。最初の計画では1匹づつ持って帰るとなっていたけれども、無制限にして小さいものだけ戻して、あとは持って帰ってきた。どうするかって?。ゆでて食べようと思っている。子どもたちは絶句して言葉を失っている。生まれて初めて食べるザリガニの味はいかがかな。

お泊り会

金曜日に幼稚園に来て一泊して土曜日に帰るというお泊まり会である。何日か前からお泊まり会の導入をして今日に至ったわけだけれども、変わったイベントなので子どもたちは喜びと不安を会い半ば持っていて、顔だけはにこにこしている。不安がないと言ったら嘘になる。親から離れて泊まったことがあると言う子は別として,初めてのお泊まりであれば小さな心を突き抜けるような不安があるはずだ。それでも健気に楽しいとか面白いとか言っている。みんなでお泊まり会を盛り上げようなどと言ってはいるけど、どこかうつろである。

お泊まり会の係があるから、これだけはみんなで協力しないと先へは進まないから、飯盒のご飯を炊いたり、レストラン係があったり、デザート係があったりと、必ず何かの係を誰もが負担することになっている。夕食を食べて、お楽しみ会をやったりしているうちは楽しいけれど、肝試しになるとその様子が一変する。いつも元気でいる男の子がどうにも手がつけられないほど泣きじゃくったりして、興奮のるつぼにはまったりしてしまう。第二ではそれほどのことはなかったらしいが。もっともかつては第二幼稚園ではあまりにも面白がって子どもたちを脅かすものだから、反省会で、もっと楽しいものにしようとなったいきさつがある。

幼稚園の行事というのは、一つ超える度に子どもたちの成長が見えるので、教師たちも楽しみにしている。一晩経って、たかだか一晩だけれども、朝の子どもたちの顔は一様に輝いている。自分自信が超えたと言う自信が体中にみなぎっているようだ。そうではあるけれども、お帰りの時間になって、ご両親が迎えに来ると、りりしく見えた顔もふにゃとなってもとの甘えん坊の顔に戻ってしまう。全くそれでいいのだけれども、だからと言って今日の『自信』がなくなってしまうのかというとそうではない。体験したものが積み重なって経験となり、それは自分の血肉となって自分自身のものとなっていくものだ。