初等学部の理事長で、幼稚園の園長でもある港先生の熱い想い

2014年12月の記事一覧

顔が見えない

昔でもないが、インターネットに書きこむ2チャンネルというのがあった。今もあるのかどうかは分からないけれども、初等学部が始まった時にこの2チャンネルに散々な目にあったようだ。私はその2チャンネルそのものがよく分からないし、どのように作動して見られるのかもわからないので、周りの保護者が『散々な目に遭ったね』という言い方をしていたので、きっと散々な目に遭っていたのだと思う。誰かがそれをコピーして私にくれたものだ。悪意に満ちた悪魔のなせる技だと言って、そのままにして置いたら、保護者会があってその場で書きこんだ主が糾弾された。誰が書いたのか、どうしてわかるのかは分からない。

1年目で私は校長でなかったが、何かがあると引っ張り出されていたものだ。黎明期だから何があってもおかしくはなかった。だから覚悟の上であったけれども、保護者の意見は辛らつなもので、子を思う母心なのかそれとも自我の業なのかは定かではなかった。しかも顔の見える場で行われているのだ。私から見ると、気がふれたのかと思うほどの修羅場であった。修羅場とは人間界の話ではないということだから、その時の熱気と罵詈雑言の交錯する中で、じっとしていることが辛かった。耐えるということではない。そのような人たちとその場にいることが嫌だったのだ。幼稚園とは勝手が違う。

何を話しても無駄という気がした。あまりのひどさに『黙れ!』と一言言ったきりだ。でもそれは顔が見えているから、気持ちもわかる。困るのは顔の見えない中傷である。2チャンネルと同じように、言い放しというのは卑怯千万である。役所が私に確かに伝えたということを、証明するために書いているようなものだが、役所は教育者ではないので私に突っ込まれたら言葉に詰まってしまうから、仕事だからとはいえ大変な役回りだ。よく説明して下さいと言われても、顔が見えない。私は1月31日にこれからの学校について話をするといっている。

そして学校が変わる、変わってもらっては困るという風なことを言っている人もいるし、きのくにのようになっては困るという人もいる。きの国の堀先生とは2回ほどしかお会いしていないが、簡単にきの国を批判するのは慎むべきだろう。あの先生に負けない論陣を張ってから堂々と激論すればよい。彼は彼の手法で命がけで子どもを育てているし、その学校への応募する保護者が絶えることがない。一つ断っておくことがある。私は初等学部を屈指の有名中学校進学校にするなどと、おこがましいことを約束したことはない。私が中学校を建てたらどうなるのか。

私はそもそも教科書を丸暗記して成績が良いというのは一つの特技ではあるが、人間の成長の一部であるとしか思っていない。そんなことだけで10年・15年後の子どもたちが、社会で通用する大人になるとは思っていないし、信じてはいない。まずわが子をどのような子ども像をもって期待しているのか。わが子を自分の思うように育てたいなら、どこの学校へ行っても満足はしないだろうから、自分で思うようなカリキュラムを立てて頑張るしかないではないか。