初等学部の理事長で、幼稚園の園長でもある港先生の熱い想い

理事長・園長のちょっと言わせて

危険は去ったわけではない

北朝鮮が中距離弾道弾の打ち上げに失敗したと報じられている。実のところ、やるぞと言う意思を見せて置いてわざと失敗させたのではないか。米国のかなりの圧力のある中大陸弾道弾のような長距離ミサイルを発射させることは精神的にも難しい。しかし核武装は北朝鮮の生命線だから、必ずやるだろう。日本のコメントなんか何も気にしてはいない。北朝鮮は必ずやると私は思っている。日本にミサイルが飛んで来なくても日本経済は混乱するし、平和ボケしている日本に脅威の現実を突きつけるだろう。

米国はカールビンソンを派遣して脅しをかけたが、北朝鮮は度重なる脅しにはびくともしないし、例えば米国が本気になって空爆を実施した場合そのリスクは計算されているのだろうか。そのリスクをきちんと計算しているのはむしろ北朝鮮なのではないか。韓国は空爆には反対だろう。そうでなければこれだけ危機をあおっておいて、ソウルの街が普段通りに展開しているというのはあり得ない。空爆が始まってからではソウルの人たちは逃げ切れまい。だから例えば北朝鮮が核実験を仮にしたとしても、米国は手足を縛られたままだ。なすすべがない。空爆を抑えているのは韓国なのだ。

出来ないことを百も承知だから、米国は最後の切り札として中国を揺さぶりにかけた。中国の国家主席はトランプの軍門に落ち、為替操作の件は不問にされた。窮鼠猫を噛むの例えがある通り、このまま危機は通り過ぎたとは言えない。戦争になれば韓国の国民が雪崩を打って日本に助けを求めに来るだろう。韓国の戦争難民である。この分では必ず起こる。桜を観るどころではないのだ。

ところで学校の桜は満開である。桜も学校の歩調に合わせてゆっくりとしているから、近所のソメイヨシノの桜の花が散り終わったころにやっと満開である。何も急ぐことはないじゃないか。『大器晩成』というではないか。また『散る桜残る桜も散る桜』という。世のある姿を桜の花に例えるなんて粋なものだ。

不穏な朝鮮半島

北朝鮮が核実験を行ったら米国が先制攻撃を仕掛けると明言している。カールビンソンの一団が攻撃をするにしても、国内にある第7艦隊が攻撃に加わることにしても、日本との事前協議の対象となるなどと政府は悠長なことを言っている。もしも本当に攻撃することが現実になったら事前協議などの手続きを踏むのかどうかわからない。そんなことは作戦の手の内を相手に伝えるようなものではないか。シリアに放ったトマホークでさえ米国民は事前に知らされてはいないだろう。

サリンが弾頭につけられて、日本や韓国に打ち放されたらどうなるのか。韓国は当事国として戦争のど真ん中にいるのだろうが、日本を攻撃する場合には長距離弾道弾が必要だ。その先にサリンをつけるということだが、サリンを防ぐにはどうしたらよいのか民間防衛も真剣に考えて、国民に用意させることも必要なのではないか。まさかそんなことにはなるまいというような正常性バイアスは危険である。スイスのように率先して平和主義を唱えるなら完ぺきな防衛力が必要である。

私の住んでいるところには自衛隊があるから標的になる可能性も多少はある。米軍が駐留していないから、第一義的に狙われることもないだろうが、何と言っても幼稚園や学校があるから、できることならそんな物騒なことにはならないでほしい。しかし自分の身は自分で守るという鉄則は、いつもどこかに考えておく必要があるだろう。

学校の校庭の真ん中にある桜が咲いた。ソメイヨシノではないので、桜が満開だと世間で騒いでいるころはまだ学校の桜は静かに沈黙を守っている。やっと今日あたりになって、桜が咲いているということに気がついた。多分月曜日には満開になって、そのあと2~3日で散ってしまう。花の命は短くて・・・・・。

動き出した幼小中

小中の入学式はひと足早く始業日を迎えた在校生が工夫を凝らしながら作り上げたものだ。司会から歓迎の挨拶など最後まで子どもたちの脚本だ。唯一教師の紹介は教師が行ったが、新入生を歓迎する心のこもったものであった。特に新入生にお土産を渡す場面が面白かった。うちの子どもたちはマイクを握っても堂々としているから、何かへまをしないだろうかなどの心配は全くいらない。学校を作って本当に良かったと思える瞬間でもある。屈託がなく心が自由だから生き生きとしている。1年生もまるで自宅にいるようで、伸び伸びとしていて気持ちがよい。

そして幼稚園。数年前と比べたら泣く子どもたちがぐっと減った。女児では泣く子が殆ど見当たらないのに対して、泣いている声が聞こえて、そこへ行ってみると保育者の膝の上で泣いているのは殆どが男児である。大人になっても、強そうに見えても影に隠れて泣いているのは男性ではないか。その内容は幼児期とは違っていても、殆どは女性に助けられている。女性は強い!

久しぶりに晴れた日だったので、園庭は子どもたちの花が咲いて満開である。おりしも雨上がりであるので、水溜りがあちこちに出来ている。よせばいいのにその水溜りをめがけて『じゃぼん!』とやる。水しぶきが上がると同時に歓声が上がる。それをあきることもなくやり続けている。だれも注意をしないから思い切りそれを楽しんでいる。親がいたら必ず止めるだろうと眺めていたら、その水溜りに座り込んでしまうものが現れた。そこへ保育者が現れると、今度は『鬼ごっこ』だ。楽しいはずだよ幼稚園は。

始まったぞ!

小中学校は昨日から、幼稚園は今日から新学期が始まった。小中学校は校長を辞任したとはいえ、理事長として子どもたちとの関わりはある。何といっても自分で作った学校だからそれなりに思い入れはある。距離を置いて学校を見て見ると言うのもよいものだ。それに私のように学校をどのようにしたいのかを、命がけで考えられる人はいないから、私が教職員のすぐそばにいると、教職員も委縮してしまうだろう。体をこわしたのはそういったことを解決するにもよい経験であったように思う。

とにかく学校も幼稚園も始まってよかった。子どもたちのいない園舎や校舎に大人がうろうろしていると、どうも似合わない。もっとも最近は幼稚園では『預かり』と言うのがあって、学期休みなど無視して子どもたちは幼稚園に来る。休みの日でも保育者には山積した仕事が沢山ある。そんなことはお構いなしで国の決まりができてしまったようだ。子どもたちにはそんなことは関係ないので、ギャーギャーと騒いでいればそれで大人たちは安心している。

まず幼稚園の園児たちは年中さんと年長さんだけがホールに座って私が話しだすのを待っている。その時の生き生きした目の輝きが何とも言えない。純粋に深海の奥に潜んでいるような瞳で、それでいて食いいる様な炎のような目つきをしている。それは進級したことへの自信と高ぶりなのか。大人には二度と戻ってはこない、これからの決意の瞳だ。子どもたちは四季折々ではなく、心の変化がある時々に新鮮な表情を見せてくれる。楽しきかな子どもたち、素晴らしきかな子どもたち。

校長辞職

まだ子供たちと会っていないので校長を辞職したという実感がわかない。いずれそのうちじわーっと来るだろう。校長という責任から離れるというだけで、その実態としては全体の責任があるわけだが、ちょっとした役割から離れられるというのは、それなりに肩の荷が下りるものだ。今まで仕事の量は増える一方だったけれど、幼稚園を始めて中学校を設立したことを含めて、初めて仕事の量が少し減ることになった。

幼稚園にも園長室と言うのがあり、小中学校にも校長室と言うのがあるが、そこを自分の定位置となったことは今までに一度もない。幼稚園に行けば職員室の中の一つの席にいる。初等学部でもそうだったが、これからは理事長室という部屋にいることになる。職員とは隔離されてしまうので、仕事が見えないし、職員の方でも何かと不便があるだろう。まあそれは一時のことで慣れてくればそれが普通になるだろう。

居心地の悪いのは私の方で、幼稚園でも今までの初等学部でも園庭や校庭が見え、子どもたちの躍動する姿がすぐ前で見ることができた。でもほかに座るところがない。職員室に新しく自分の机を持っていくのも、少しいやらしい。

せっかく6号バイパスの片側2車線の工事が3月27日に終了し市内の全線が開通したというのに、自分が役職から外れるのは工事をしてくれた人たちに申し訳がなく感じるけれど、子どもたちは多分新しい風を感じてくれて、今までと違った『やる気』を感じてくれるような気がする。私はいつでも子どもたちの味方だから、いつでも話をしに来れば良い。喜んで応えるよ。

インフルエンザ

インフルエンザという小さな悪魔がわたしの体内を侵している。31日の夕方近くであっただろうか。急に頭が重くなって意識が朦朧としてきた。女房が何度か耳元でお医者さんへ行こうと囁いていたけれど、自分ではどうして良いものか判断がつかなかった。 結局1日の昼過ぎごろ女房が病院と連絡を取り合って、診察してもらうことになった。

半分気を失っている状態で車に乗り込んだが、車に乗り込むときにも女房が私を抱き上げようとするのだが、私の体重が重くて、あっちへフラフラこっちへフラフラと女房にしては大変な思いで あったろう。私を車に乗せるときも、車の中にいるときも絶えず女房が「大丈夫だからね」「心配いらないからね。ずっと一緒についているからね」と声をかけてくれていた。

到着して主治医の前に行ったときに、すぐさま入院させてくれるように頼んだけれど、願いは聞き入れてもらえなかったので、そのまま気を失ってしまった。気を失ったと言ってもところどころは覚えていて、うまく情景がつながらないだけだ。ちょっとベットへ横になって点滴を打ってもらう事になったが、その際も女房がわたしを支えようとして私の背中に手を回すのだが、どうにも私を支える体力がない。それを見かねた主治医が急いで車椅子を用意してくれた。

点滴を途中でやめ、薬局の薬を飲んだほうが良いと主治医の究極の判断なのか、すぐに処方箋を出してもらい近くの山口薬局に飛び込んだ。起き上がることもできず立ち上がることもできず、重心を失った黒い物体が待合室の長椅子のところで横たわっている。女房が私のそばに寄り添って「いま薬を出してくれるからね。それを飲むとすぐに治るからね、心配いらないからね、すぐ帰れるからね」と言っていた。

係の薬剤師が私のそばに寄り添い真新しい白衣も気にせず私のそばにひざまづき「すうすう吸って、ずっと吸って下さい。それを4回やります」と言って丁寧に対応してくれた。なんだかその優しさに涙が出てきた。その人の名前は健太郎と名札に書いてあった。

家に帰る途中でも「あしたになればもう全て終わっているから、大丈夫だからね」と言っていたけれど、次の日までまで眠ってしまっていてよく覚えていない。目覚めたときにはすごく爽やかで純白の風が部屋の中を通り過ぎて行って、そこには尖ったものがなく、全てが柔らかく包まれていて、いま自分は臨死体験をしているのではないかと思ったくらいだ。何も考えなくても、何を知らなくても時間はすぎて行く。死ぬときってこんなものなら何も恐れることはないな。

がっかりした!

宇都宮さんが都知事選を撤退した。野党統一候補を一つに絞って戦いたいと言うのが思惑だろうが、やはり宇都宮さんは共産党の党員だったのではないか。党派に縛られていなかったら問題なく出馬することが出来る。党派に縛られない都民党などで出馬することは難しいのだろう。鳥越さんなんかはかなりの知名度があるし、野党統一候補にならなくても戦えるのではないかと思うけれども、素人の浅い考えなんだな。考えてみれば全くの無所属で何処の党派にも属さないで支援を受けない知事などは日本にはいない。茨城県の橋本知事は、前回は自民党の反対を押し切って勝てた。数少ない知事だろう。無党派だけれど現存する野党とはくみしない。

私は宇都宮さんの政策の演説を聞いたことがないので一度聞いてみたかった。勿論私が都民であっても一票を投じることはないけれども、どんな戦い方をするのか楽しみにしていた。これで三つ巴戦になったけれども、増田さんと鳥越さんの一騎討ちと言うのが大方の予想だろう。自民党が謙虚であれば勝てる気がする。もっとも政治の中で謙虚であると言うことはどのようなことかというと、反対派の意見も取り入れて政策を推し進めるということだろうが、それでは民主主義の大前提である多数決の原理から遠のいてしまう。私も政治家にあこがれた時代もあったが、よほどの体力と図々しさがないと務まらない。頭もよくないとだめだ。

これはたんに東京都の問題ではなく、日本の首都の長を決めることだから『私には関係ない』とうそぶいていても、オリンピックを控えているということもあって無関心を決め込むことの方が難しい。華美にはならない実力のある人になってほしいものだ。いずれにしても31日には結果が出る。体に気をつけて健闘を祈るとしか言いようがない。皆さんこの暑いさなかに、大声張り上げてぺこぺこと頭を下げて、体がもつのだろうか。

今日はとっても暑いようで、初等学部の子どもたちに会うたびに、『かき氷が欲しい!』という挨拶ばかり聞かされている。そんなもの用意されているわけではないから、知らん顔していたけれど。草取りをしている先生も汗びっしょりで、子どもたちも先生たちも本当に頑張っているようなので、近くのスーパーに言ってソフトクリームを買ってきた。子どもたちはギャーギャーと歓喜の声。これがまた嬉しい。

色々あるな

鳥越さんが東京都知事選挙に出馬すると言うことが正式に決まったようだ。野党四党の枠組みの中で出ると言うことだが、出馬と同時に古賀さんと言う経産省出身の人が鳥越さんの記者会見に現れて鳥越さんに出馬をお願いしたという。古賀さんはそれ以前に野党四党の枠組みの中から出馬を打診されていた人だ。あまりにもでき過ぎな選挙戦だ。出来レースをあたかも突然起きたようなやり方は大人げないし、恥ずかしいことだ。鳥越さんはニュ-スキャスターを長らくやっていて知名度もあるけれど、リベラルではない左翼である。

同じ左翼から出馬する宇都宮さんの方が骨がある。如何にも骨っぽい左翼である。鳥越さんの出馬の弁について納得行かない。彼は参議院選挙の結果をみて大きく世の中が右に傾いているようなことを言って、それに危機意識を持ったから都知事選に出るという。それなら国政に出るべきだろう。自分の年齢も考えて、一つ花を咲かせたかったのだろう。あくまでも彼の言い分には大義はない。かつて競馬を辞めた知事がいたけれど、それはすぐに復活してしまっている。野党四党の枠組みで出るとかいうのは、まったくの戦術であって思想がない。

ファミリアの報告を毎日聞いているけれども、この学校の子はまじめな子が多いからやるときはきちんとやるし、ちょっとでも外れたことをするとみんなでそれを問題にして、しっかりとした自浄作用ができている。ファミリアで学習する子がいなくなったなどと、学校を辞めていった保護者が言っているけれど、とんでもない話だ。中学校も出来たことだし、ここの子の潜在的学力の高さを、これから顕在化して、勉強したいという子はすべて土浦一高へ行かせてやる。そのくらいの力はある。しかし興味を示さない子は何処の子でも無理だ。

寄宿舎が完成する

2016/07/12
寄宿舎が完成する
| by 塚原 港
寄宿舎はほぼ完成した。周りの足場は取ってしまったし、部屋の中の床もきれいにできている。後は家具類などを運ぶだけになった。通水試験も、通電も終わって、引き渡しが8月1日と決まった。これは7月の終わりの週には毎年行っている穂高の研修があるからだ。ちょうど茨城の幼稚園協会の研修と重なってしまったけれども、両方にうまくいけるように手配してほしい。ところで寄宿舎の名前が決定した。『志峰館』という名前にした。

ここで人間を人間らしく育てる。自分だって半人前の人間だけれど、いつもどうあるべきかを教師たちと議論している。みんなで力を合わせて、素晴らしい学校にしていこうというのはいつでも合言葉になっている。幼児期の発達理解がベースになっているので、子どもたちの心を大切にすることができる。何といっても大切なのはその子自身を生かすことだ。勉強だけが良く出来ても駄目だけれど、多くの保護者はとりあえず学業の成績の良い子を求める。案外それも大切なことだけれども、もっとすごい人間になりそうな『芽』が育っているような気がする。

そんな『芽』を見落とさない学校生活を保障してあげたい。それには毎日の子どもの様子をつぶさに報告できる教員の結束が必要だし、子どもを見る着眼点を磨きあげなければならないだろう。毎日の職員会議での報告で、私はそれを聞き逃さないようにしている。

あおば台がオアシスに来た

あおば台の年長さんと年中さんが合同でオアシスに遊びに来た。並び方を教えているわけではないけれど、すぐに整列できるのはどうしたわけか

幼稚園にあるプールより相当大きいから、色々なことができる。オアシスの防水は分厚いラバーでできているから、そこを素足で登ったり降りたり、滑り台にしたり考えられる遊びを工夫しながら遊んでいる。

オアシスが一杯そうなので、溢れた子たちはカヤックに挑戦している。オールを出して子どもたちに任せてみたらどうするのかやってみればよかった。カヤックで遊んだのはクジラ川というところ。壁をよじ登って川岸にたどりつくのは滑って大変だった。