初等学部の理事長で、幼稚園の園長でもある港先生の熱い想い

理事長・園長のちょっと言わせて

待機児童は減らない

待機児童が5.5%増えたという記事を読んだ。多少出生率が増えたと言ってもこれだけ政府が待機児童を減らそうと躍起になっても、待機児童はなかなか減らない。しかも幼稚園なども認定子ども園にして、何とか保育所における待機児童を減らそうとしているが、待機児童は減らない。待機児童が存在している都市部では、幼稚園を認定子ども園にして待機児童を減らそうとする動きが鈍い。もともと幼稚園が認定子ども園にして保育所機能を併せ持つと言ったことは、待機児童解消のためではなく、幼稚園自身の自己防衛のためであったのだから仕方のないことである。

昔は大家族で、子どもが何人もいてもおばあちゃんやおじいちゃんがいたからどうにか子育てが出来た。しかし今は家族の単位が分散化されてしまって、核家族と言われるようになってしまった。そんな中で子育てするのは容易ではない。社会事象として核家族と言うことが一般的になっているにもかかわらず、家にいて子育てしようと思っている母親を無理やり外へ出して仕事につかせようとしている。子どもは当然置き去りにされてしまうから、行き場がなくなってしまう。それで保育所が足らないと言っているのにはどこかに無理があって、家庭生活にひずみのようなものができてしまうのではないか。

政府の要人は『未来は子どもたちからの借り物である』などときれいなことを言うけれども、子どもの側から政策を考えたことがない。だからやっていることが後手後手だし、可哀そうなのは意見を言えない子どもたちだ。子どもの側からものを言える、未来を見ようとする政治家が必要だと思う。子どもを産んで3カ月もすると、家庭から離れて仕事に就こうとする母親がなんと多いことか。生まれてきた子どもは、何故自分を生んだのかと質問したくなるだろう。例え政府がお金を出してくれるからと言っても、それは幸せに続く道では決してない。生まれてからすぐに母親の温もりから無理やり離されるなんてことは不幸の始まりである。

母親は社会に出て自分も社会の役に立ちたいという願望というか、強迫観念みたいなものもあるのだろうけれども、女性が子どもを産んで子どもを育てる行為は、それに優るような職業はこの世にはないということを、人間すべてが認識すべきだ。女性が子どもを産んで何カ月かの間はぐっすりと眠ることも出来ない、産みの苦しみを通って来る。そんな女性に対して子どもを産んだら社会に出て働けとは罰が当たるのではないか。子育てを選挙の道具にしか使えないようではだめだ。もっと子どもも女性も優しく扱わないと日本の将来はないのではないか。私は幼稚園の園長として、つくづくそう思っている。

ブログを読む

久しぶりに友人とあって夕食を共にした。その友人というのは私のところの建設委員長で、言ってみれば私の相談役のようなもの。その人が曰く、『最近俺のブログ読んでねーだろ』全くその通りだったので、慌てて彼のブログを開けてみた。実に面白いことをたくさん書いてある。たまにハッとするような示唆を与えられるので、読むようにしていたのだが、コンスタントに書かれていないので、時々抜かしてしまうことがある。彼の文章は無駄がなく歯切れがよいので読んでいても抵抗がなく、いつの間にか引き込まれてしまうような気がする。

誰でも生きることに一生懸命だが、彼は自分のことだけではなく、常に人生というものを他者とともに考えることのできる稀有な存在の人だ。言ってみれば、人生における己の美学というものを会話の中にちりばめてくるから、何を考えているのかがよく解る。頭脳明晰でもそのような素振りはみじんにも見せない。子煩悩で女房想いである。医者のことをかいているけれども、よく書いてあるのは私のよく知っている医者であって、あまりピンとこない書き方をしているのは、私は全く知らない医者である。私に気を使っているわけではあるまいが。

あおば台幼稚園の玄関には、毎年のことだけれども燕の巣があって、そこに小さな子どもが4羽ぐらい育っている。親鳥が巣のところへ餌を運んでくると、黄色いくちばしを一斉にピーピーと泣いて顔いっぱいに口をあけて餌をおねだりしている。ピーピーピーと全くにぎやかだけれども、その上をふと頭を持ち上げてみてみると、ベランダの手摺のところでピーピーピート園児たちが連なって私の名を読んでいる。このコントラストがなんとも愉快であった。子どもたちの心の中も、燕の子どもの心も何か似ているような気がした。

世の中が変わる

大学受験ばかりではなく、米国の大統領が仮にトランプ氏がなったとしたら対岸の火事では済まされないだろう。中国は大歓迎だろうし、南シナ海のシーレーンをどのように確保していくのか。大丈夫だ日本は何とかなるという人がいたら、納得のいくような説明が欲しい。自分のところは何も起こることはないというような正常性バイアスをかけて、何の根拠もない安心感を持っている日本人は地球規模では異端である。戦後の太平のムードから眼が覚めない。目が覚めないというより考えが及ばないのかバイアスが強すぎるのかもしれない。

トランプ氏が今まで言って来たことを実行に移すとしたら、安保条約を縦にしたって弱い国が強い国にどんなに大声で騒いでも無視されて終わりだ。国際社会が黙っていないだろうと言っても、過去に何度も条約など破られている過去から学ばなければならない。国際条約なんて言うものは、平和な時代の産物であって一旦緩急あればそんなおめでたいことなど言っていられない。弱い国は集団自衛をしなければ強国に食われてしまう。欧州にはNATOがあって、集団安保体制が確立されているが、日本は米国が守らないと言ったら一体どうなるのか。その議論を一刻も早くしてほしいものだ。

私が死んだ後の社会は混沌としたものになるだろうと20年後を予想していたけれど、言論に節操のないトランプ氏が大統領になって、今まで言ってきたことを実現するとなるとあと5年もしたらこの社会は右往左往することになる。日本政府はトランプ氏の側近とコンタクトを取って、もしもの場合に備えているはずだ。それができなければ危機管理などできるはずもないだろうし、ガバナンス能力に疑問を持たなければならない。日本の経済力で何とか生きてきたあの韓国でさえ平気で日本を裏切ってしまう。国際社会なんてそんなものだ。

一番厄介なのは中国である。いまだに中国資本と化を頼って日本の経済人が儲けをたくらんでいるけれども、彼らは日本を弱体化させるのに一翼を担っているようなものだ。文化大革命で追放された鄧小平が復帰して、中国は覇権を求めないと断言したけれども、現在やっていることはというと、600年前に南沙諸島を行き来していた中国の商隊がそこを寄ったというだけで、南沙諸島は中国の固有の領土であると言ってはばからない。偉大な中国に朝貢せよと言っている。こんな時代になっては小手先の教育論などは通用しない。間に合うかどうかは分からないが心底強い子を育てなければならぬ。

プレゼンテーション

幼小交流の一環として、初等中等学部の児童が各ファミリアのプレゼンを行った。

幼稚園の子たちも真剣に聞いている。明日の交流で何か役立つようなことがあったのだろうか。とても明日が楽しみになるようなプレゼンであった。

とてもここまでやるのかと思うほどよくできている。幼稚園の子どもたちにもよく解るように文字を使わずに絵を描いて紹介するなど、さすがに幼稚園の先生も驚いたり感心したりであった。

最後に対面してQandAを行ったけれども、何と幼稚園の子どもたちからも沢山の質問があったりして、児童たちもかなりの手ごたえを感じたようだ。

これだけのプレゼンが出来れば、多分何処へ出しても恥ずかしいことはない。しかも専門的にプレゼンの時間を作って練習しているわけでもない。自分たちがファミリア活動で感じたことを、いかに分かりやすく伝えることができるかということを大きなテーマにしているだけだ。写真はもっとたくさん撮ったのだが映ってないのはどうしてか?

泥んこ祭り

泥んこは幼稚園の専売特許ではなく、初等中等学部でも行っている。たまたま米作りをするのに近くに田んぼを借りたのだが、これが広すぎる。だから田んぼの中の土を起こしたりするのには、私たちと子どもたちでは無理だ。それでトラクターを中古でかった。トラクターで田んぼの中を上手に行き来している農家の人を観ていると、簡単に出来ると思ってかったものだが、やってみるとそうはいかない。畑なども、何故あんなに平らに土おこしができるのかと、逆にその技術の凄さを思い知った。いつかは我々もそうなるだろう。

土曜日に水を張った田んぼの中に子どもたちが入り、駆け足をしたりボール遊びをする。顔中泥だらけになることをことさらに喜んでいる。そんなことをしているなら、漢字を覚えたり算数の問題でもといたら同だなどと思われる親御さんもいるかな。いやもうそのような保護者はいないだろう。むしろこの後の子どもたちの笑顔を観たり、楽しかったことなどの話を息もつかずに一気に話したりする、子供の情緒面の豊かさをきっと感じてくれるはずだ。教師たちも顔まで泥をはね上げて真っ黒になる。田んぼの中で泥んこ化粧を施したようだ。泥だらけになった若い女性の姿は、ここには載せられないだろう。

真に子どもたちのために生きているこの職業にある人たちは、仕事中は現象的なことを気にするなどのことはない。一生懸命さに頭がさがるが、幼稚園でも初等中等学部でも、懸命に仕事に打ち込んでいる教師に出会えて私は幸せだ。ありがたいことだ。明日は4年生以上の子どもたちが、ファミリア活動について、幼稚園へプレゼンをしに行く。どうなることだか、私が運転をして幼稚園まで子どもたちをマイクロバスで送迎する。

集会委員会

集会委員会というのは、学校の全体会でその会議を取り仕切る委員会である。取り上げられたテーマは幸せボックスという箱の中に、だれでもよいから取り上げてもらいたいものを書いてその箱の中に入れる。集会委員会で取り上げられたものの中に『シャープペンシルは何年生から使ってよいのか』というのがあって先日全員で話し合っていた。全体会を開く前に、集会委員会のメンバーが私のところへ来て『先生はどう思いですか』と相談に来たことがあった。私は何年生が使ったっていいのではないかと思っていたけれど、子どもたちからするとそうではないらしい。どんなことでも一生懸命議論する姿に胸が熱くなる。

どうでもよさそうなことだと言ってしまっては子どもたちに申し訳ない。この学校には校則なるものがないから、何かを感じるたびに集会のテーマになる。階段を一つ一つ踏みしめるように、自分たちの自治を自分たちで決めて行く。時間がかかるようだけれども、子どもたちは社会の中のものを大人が決めるのではなく自分たちで決められると言うことを体験して、自立していく。その中で自分というものに気づいてアイデンテティを確立していくのだろう。集会後の子どもたちの顔はみな自信に溢れている。

それでどうなったのかと言うと、4年生から持ってきてもよいことに決定した。それにも理由があって1年生から3年生までは鉛筆を自分で削ったほうがよいということだった。そして4年生からシャープペンを持ってきてもよいが、①自慢しない・②遊ばない・③借りたら返す・④落書きをしない・⑤ちゃんと管理する・⑥ちゃんと字を書く・⑦分解をしない・⑧悪口を言わない・⑨交換をしない、などと思いつくままに約束事になっていく。子どもたちの決め事というのは、大人よりも厳しいものがあって、これに違反などしたら『まあいいか』などの妥協は一切ない。

高校合格発表

私のところの幼稚園教諭のお子様が高校入試見事に合格した。ホッと胸をなでおろした。午前中からずっと待っていたので、連絡がなかったのでだめだったのかなと半分どのような言葉で慰めようかと苦心していた。そんなところへ女房から合格したという知らせが来たので本当に良かったと思う。お母さんが私のところにいるので、とても優秀であることは昔から知っていたので、大丈夫だろうと内心は思っていたけれども、はっきりと聞くまでは半信半疑である。もう一人の方が早くから合格の知らせをくれたので、後一報が待ち遠しかった。

この学校でも3年後にはこのような状態になるのだろう。中学校の定員も20名と少数だから、高校入試は希望通りに行かせたいものだ。今から入試に必要な学力について5科目のカリキュラムを作成しているところだ。高校入試のカリキュラムなどというのは、ふつうは作らないだろうが、子どもたちの内発的動機付けを重視しながら、その気にさせる授業展開をしていく。ファミリア活動を中心にアクティブラーニングを形成し、子どもたちがアイデンティティを持ち、自分の生きざまをチョイスできるような人間形成に向かっていきたい。中等学部教師によるプロジェクトを作って万全を期したい。にわかに闘志がわいてきた。

[保育園落ちた日本死ね]が国会でも議論されている。匿名だろうがなんだろうが、そのような実態があるということについて、閣僚は認識不足である。この記事が書かれていたというときからブログに書いたけれども、言葉が汚く独りよがりのような気がして、どうも支える気にはなれなかったので単発で終わってしまった。以前にも書いたけれどもこの現象は都会の現象であって、都会の利便性を選んで生活しているなら、何でもかんでも自分たちの思う通りにはいくまい。そのことだけではなく、悩み苦しんでいる人たちも数多くいるはずだ。ちょっと都会から外れて生活すればそのような悩みはなくなる。

手っ取り早い解決法がある。行政の許可が根ければ出来ないことだが、幼稚園バスというのを作って、それは勿論保育園バスでも良いのだが、バスの中で保育をする。バスには5名ぐらいの保育者を乗せて、何人かを乗せる停留所を作って送り迎えをする。保護者にも協力いただいて、時間を守るなどを徹底してもらう。近くの公園で保育をすればよいけれど、0歳児は無理で2歳児以上になるだろう。0歳児は自分で養育する。0歳児から他人に預けるなんて、母親としておかしいだろう。このやり方はドイツを視察したときに「青空幼稚園」とか言ってやっていた。雨の日はバスの中だ。トイレは公衆トイレ。

充実した生活

幼稚園では年中さん主催による「お別れ会」があって、主催と言っても殆どは保育者がセットしたものだけれど、気持ちだけは年中さんが主体だ。お世話になった年長さんに、お別れを言うのにホールをきれいに飾り付け、一緒に食事をするという趣向である。みんな満足そうな顔をしていて、幼稚園にいることが何となくうれしくてたまらないと言った様子である。幼稚園に来ることを嫌がらず、幼稚園に行って多くの仲間とあって遊びたいという気持ちがあれば、とても今が充実していて、幸せなのだろうと思う。

幼稚園といえば、ここにも何度となく書いたことがあるけれど、20年ぐらい前には3歳児保育がなくて、年中さんからの保育である。4歳からの保育だから幼稚園に入れたいと思われる保護者は3年間ご家庭で養育をなさっていたわけだ。ご家庭でもゆっくりとした生活をしていたものだ。ところが今は、満3歳児がいたり、その下の未就園児がいたりしている、2歳児などは階段を思いきり足を広げて「よっこらしょ」という具合に登っていく。『危ない!』と何度か思ったことがあったけれど、体全体でバランスをとって上手なものだ。子犬の置物のようでとても可愛くて見ているだけでメロメロ、しばらく見ているとデレデレだ。それが人間のように話をするものだから、可愛さ倍増である。これではお父さん会社に行けないだろう。

初等学部では食ファミリアの高学年が出店をを失敗したままではいやだという訳で、二度目の出店を今日試みた。今回は何度かシュミレーションをしたようで、用意周到である。役割認知もしっかりできていて、そこで指揮を執るような児童もいなくて、自分の与えられたことを黙々とこなしている。失敗を謙虚に受け入れたという姿勢が、今日の成功を生んだのだろう。住のファミリアではメートルをミリ単位で下級生が上級生に報告して、鉛筆で線を引く者と、のこぎりでまっすぐにきる者とに分かれ、仕事がスムースに流れていく。

衣のファミリアでは17ページに及ぶ脚本を手掛け、講堂はマイクを使えないから、大きな声でやろうとみんなで決めたそうだ。その結果見事な出来栄えであったではないか。出来上がったものはミュージカルに近いもので、劇の中の挿入歌等は子どもたちの作詞作曲であったというではないか。私の全くできない分野なので驚きも人一倍だ。子どもたちは着実に人間として伸びている。素晴らしいではないか。テストに明け暮れている学校と比べるとなんと優雅な学校でなかろうか。保護者の皆様が、結果を急がずに待っていてくれていたからこそ、子どもたちの素晴らしさが垣間見えるようになったのだ。子どもたちはもっと伸びると思う。

職業体験

職業体験として6年生があおば台第二幼稚園へいって来た。年中と年少に分かれてクラスへ入って言ったけれど、その対応の仕方は授業に対するアタックと同じである。子どもの中へ積極的に入っていこうとする姿勢と、ちょっと尻込みしてしまう子がいる。幼稚園児の中に飛び込んで一日を過ごすということは大変なことである。まず最初に一緒に遊んでもらえるかという難関を突破しなければならない。幼児は自分から合わせてということはしないから、自分にあった人しか選ぶことはしないので、そこで品定めをされてしまう。私に子どもたちが集まって来るというのは、私が園長という立場にあるということを子どもたちが周知しているからであって、魔法使いのように子どもたちを引き寄せる術を持っているわけではない。

ロケット滑り台の上から何度か滑り落ちて楽しんでいた子もいたけれど、久しぶりに幼児期に戻って遊ぶことができたであろう。とてもいい顔をしていた。食事も園児と一緒にしたようだったので、子どもたちとの話もきっと弾んだろうなと思う。帰りに職員室へきて、幼稚園の主任の先生と私の前で、今日一日の感想を個々に述べていたけれども、堂々と自分の感じていたことを話していて、幼稚園の先生も「着眼点がいい」と感心してくれていた。ちゃんとメモをとっていて、すらすらと応える姿勢にも驚いていた。良く校外学習で行っていることだが、習慣化されているのがよい。褒められると私もうれしい。

このところ西郷と勝海舟の話をしているけれど、まず本当に二人っきりで行ったとすれば、その時の心境はどうだったのか。それと西郷の方がかなり優勢であったのに、二人っきりで行う理由が何処にあるのだろうか。また二人の話の起承転結には、私たちが学ばなければならないという、知識を理解して応用するという三つの学習の方法の他に、ロジカルシンキングとかクリティカルシンキングとかクリエイティブシンキングとかの手法が全て包括されているのではないかと思っている。だから学ぶということではなく、生き方とか感じ方でそういったことが身についてしまうのではないかと考えるのである。そうありたいものだ。

学校でもやるけれど、日本のあるいは世界の偉人の話は是非父親から伝えてやって欲しい者だ。14歳を超えるとあまりご両親の話をきかなくなって、友人の方が大切になって来る。それは子どもたちの全くの錯覚なのだが、友人の方が私を理解してくていると思うのもこのころだ。私を知っているということよりも、私を理解してと爆発的に叫ぶのが青春の蹉跌の入り口なのだから、理解してやってほしい。子育ては難しくない。自然体がよいのだ。

知識を伝える

知識の切り売りをしているというのが学校の教師だ。知識なんて言うのはその容量には限界がある。だから教科書が頼りになるわけである。教科書を超えて、それ以上のことを伝えてあげられるようになれば教師と言えるだろう。教科書通りを何年も繰り返しているような教師に魅力を感じるのだろうか。社会人として、どこかの飲み屋で話すとしたら何も話すことはないだろうなきっと。しかし同じ教科書を何年もやっていると、熟練されている訳だから教え方も上手だろう。面白くも何ともなくても、保護者にとっては教え方がうまいと評判の先生がいいわけで、飲み屋で饒舌になる必要はないわけだ。子どもには知識を正確に与えてくれる教師がいいのだろう。

西郷隆盛と勝海舟が一対一で二人っきりで話した内容よりも、目の前にいる子どもたちがどれだけの成績を上げられるのかの方が大切なのだ。どうせ自分の子はそのような人にはなれないとか、人間の生きていく価値観を現金化して考えてしまう人がいる。価値観を高くもてば仲間だってそのような仲間を呼ぶことになる。低俗な価値観しか持てない者はそれなりの仲間しか寄りつかない。道徳観も、損得で計るようになってはこの世も末である。そんな人ばかりの社会ではないという確信があるから、自分も生きようとしているのだが、過去と他人は代えられないから、何とか面白く生きていくことを考えていこう。

今いったような価値観が劇的に変わろうとしている。この学校が出来たときには、よくドリルを一生懸命やっている子を何人も目撃した。そのたびにドリルをやることよりもものづくりをした方が良いといって来た。ドリルというのは創造力を退化させてしまうような気がしてならなかったからだ。過去問を取り出しては一生懸命授業中でもやっている子もいた。それらはみんな受験対策だ。そのようなことがこれから変わるのだ。何度かパラダイムシフトがなければと言ってきたが、それが現実に起ころうとしている。文科省では明治維新と戦後民主主義を経験したような、大学受験が劇的に変わると言っている。

アクティヴラーニングという言葉を何度かきいたことがあるかもしれないけれど、高校が大変である。今まで過去問の復讐ばかりやってきた授業体系というか、受験姿勢をどのように改めたらよいのか苦心しなければならない。これからは出された問題の解答を得るということから、自分で問題を探して解答を出さなければならない、考える能を試されることになる。初等学部のファミリア活動はアクティヴラーニングの一環であるけれども、これからは基礎学習についても積極的にアクティヴラーニングを深めていく。