初等学部の理事長で、幼稚園の園長でもある港先生の熱い想い

理事長・園長のちょっと言わせて

学業の進度

初等学部の子たちは、自ら進んで学習する内発的な土壌を持っている。また自らやろうとしなければ、どれだけ素晴らしい教師をつけても成績は上がらないだろう。私が校長になってから学習方法のスタンスは変わってはいない。理詰めで、ドリル漬けの学習方法は一度もとったことはないし、強力なやらせの方法もとったことはない。だからどのような子にも無理はないので、子どもたちは伸び伸びとしている。しかし進度を気にする保護者もおられることは存じ上げている。でもよく考えてみてください。そんな子が並木や茗渓や江戸川に合格するのでしょうか。ねじり鉢巻きをさせてむきになってやらせたことなど一度もないのだ。

勿論文科省から戴く教科書の他の教材も使っているけれども、わが校は最初に入学して来る時にお話したように、2年生までは宿題も出さないし、幼稚園の年長さんの延長のように考えていて、まずは仲間と関わり方を学ぶことが重要であると考えている。だから他の学校と比べて見るとかなり遅いのではないかと思われる保護者もいるかもしれませんが、ゆっくりと内在されたものが噴き出してくるのは時間の問題で、5年生の2学期ごろになると公立の学校よりかなり先に行ってしまう。これがよいなどとは思っていませんが、普通にやっていても年間時数が多いので与えられた教科書は終わってしまうのが実情です。

私は幼児教育と同じように、学校教育もプロにならなければならないと決心して、多くの教育書を読み、教育の理念や、偉人伝なども読み漁り、どのような教育の方法がベストに近いのかを常に考えてきました。基本は幼児教育と同じように『子供を幸せにするために教育がある』という考え方に変わりはありません。子どもを中心に置く学校生活を目指しております。だから私は、この学校へ来ると進学指導について『何処へ行けます』などと詐欺のようなことは言った覚えはありません。そもそも勉強して難関中学校へ進めたのは、本人の努力のせいで、学校の指導力のおかげではありません。

本人の努力に惜しみない拍手を送り、より良い人生の在り方についてのアドバイスは勿論いたします。目的もなくただお金持ちになるために医者になりたいとか、弁護士になりたいなどは無意味な話で、そのために勉強するのではなく、まず言いたいのは、内発的動機が必要であり、目標を持つことが大切であると言うことです。お金はいくら自分の蔵にため込んでも、生活に必要以外のお金は外にまいてこそ役に立つというものだ。ためるより何に使うかを考えられるようになった方が、将来性はあると確信している。お金があったら何に使うか、こんな話し合いも面白いのではないか。

学校というところ

小学校も高学年になってくると、『何故勉強をしなければならないの』という素朴な疑問を抱くようになる。何のために学校があるのという疑問に大人が答えるのと同じだと思う。何故山に登るのかとの答えのようでは納得させることは難しい。明治維新後しかも1872年という維新後間もなく学制が公布されて、なぜ至急に学校を作る必要があったのか。それは維新政府が欧州使節団(岩倉使節団)を出して、先進国を視察して外国列強国の産業や軍隊を見て回って、驚愕の体で帰ってきたことに由来している。

まず産業復興ということよりも、強い軍隊を作らねばならないということが頭にあったようだ。それは奴隷や植民地を見て回ったことで、やがて日本もこうなるのではないかという恐れから、近代兵器を整えその仕様書を同じように理解して使えるようにするために、その伝達方法として教育があったのだ。だから個人の興味を満足させるために教育があったのではなく、教育はすべて国家に帰属するものであった。その当時国外留学をした多くの学士は、国家の威信をかけて勉学に励んだ。だから慣れない生活にも侍魂を発揮して歯を食いしばって頑張ったらしい。

富国強兵政策とは当時の国家には必要であったのだ。その教育理念が現在でも生きていることが、少しずつだが改められようとしている。1900年に4年生の尋常小学校が施行されてから1世紀を過ぎたにもかかわらず、いまだに受験感覚が、富国強兵時代と同じかあるいはそれ以上に熱くなっているような、学校のまたは社会の体制がこれも欧米並みに、自由な学びを奨励できるようにとされている。2020年から現在の受験体制をガラッと変えるようだ。東大の総長と前文部科学大臣が言うのだから間違いがないだろう。人間を苦しめる様な受験ではなく、希望に満ちた大学制度にしなければならないだろう。

日々の学習が、自分自身を磨いていくのだということに気がつくような、学校の在り方が子どもたちを救っていくことになるだろう。もっと言うならば、学習によって自分に磨きがかかったというような、検証可能なことが学校生活の中にあるということが必要だろう。学習することは大切なことだ。しかし学校で起こるペーパー試験で常に満点をとったと仮定しても、それだけではその人の全人格的なものに磨きがかかったとはいえないだろう。薄っぺらな学校の教科書を丸暗記したところで、それがその子の幸せへの最短距離であるとは到底思えない。そのようなことを、ぜひとも共通の理解として保護者と共有したいというのが、私の切なる願いであります。

また学校や幼稚園というところは、不特定多数のご家庭のお子様が来られるところで、家庭での子育て観も子ども観も違うでしょうし、なかなか一つにまとまってというのは難しいものです。何か子ども同士でいざこざがあったり小競り合いがあったりしますと、『うちの子は悪くない』と保護者は主張したくなります。それは間違っておりません。悪くはありません。しかし同時に相手の子も悪い子ではありません。子どもたちの間で起きたことについては、大人たちがもっと寛容に長い目で見ていただけますと、子どもの世界はもっと広がるのではないかと思います。

修学旅行 京都

かつては年に一回は京都へ行ったことがある。青年会議所現役のころだ。30年前にもなる。その間幼稚園の集まりで行ったことがあるくらいだ。グアム旅行のときだって一泊して帰ってきたのに国内旅行で行けないことはない。
      
銀閣というところへ泊ったが、修学旅行用の宿であった。上は夜の食事である。
      
食事前と食事中である。牛肉と海老フライを交換して食べていた人もいた。
      
なぜか食が進まないのでどうしたのかと聞いてみたら、途中で何かうまいものを食べてきたらしい。それでも夕食はお腹が張るほど食べたようだ。
      
京都は『ニシンそば』を食べないと、ということで京都駅の中に入りそばを食べるが、お腹がきついということで4人で一つを食べたグループと一人一つを食べたグループに分かれた。駅の階段のイルミネーションがきれいだった。
      
京都駅前で夜の散策である。引率の教師も子どもたちに同化しているようだった。
      
あくる日の朝食、私を待って制服に着替え正座していた。可愛いものだ。
      
第2日目の始まりの朝。旅館『銀閣』を後にして次の目的地へ行くために勢ぞろいをした。子どもたちは全く疲れを知らない。
      
京都駅について、それぞれに切符を渡している引率者。残念ながら私はここで子どもたちと別れて、楽しい思い出をと願いながら後ろ髪をひかれながら一路学校へ向かった。何とも忙しい日であった。

大切にしなければならないもの

ペスタロッチに感化されたフレーベルは世界で初めて幼稚園を作った。その名は『キンダ‐ガーデン』である。子どもたちの庭とも、花園とも訳されている。その前にも幼児施設というのはあったらしいけれども、フレーベルの功績が大きく、幼稚園はその時に名付けられたままの『キンダーガーデン』と言っている。『花園』といった昔の人に心から敬意を表したい。幼稚園が肥沃な土壌でなければならないことを示唆しているのではないか。幼稚園もそうであるけれども、子ども自体が肥沃な土壌である。何をそこに植えようとしているのか、それは大人の責任である。

それは幼児期だけではない。児童期の前期、8歳9歳といったころまでそれは大切なことではないかと私は確信している。その発達は他者批判や他者評価が芽生えてきて、自己評価もできるという発達が確立されるころまで、その土壌は特に大切にされなければならないと思う。そのように育てられた子は、自尊心も高く、物事に前向きであって主体がしっかりと息づいている。小学校3年生か4年生だ。この頃の学習の成績にはあまり神経質になる必要はない。どのような人との関わりをしているのかということを見るようにして、いつも仲間のことの話をし笑い顔が出ていれば心配はない。あとは内燃機関が働いて自走するようになる。

早期知的教育の話が出ていて、議論をしていると賛成派は『できないよりできた方がいいでしょ』ということになる。そして極めつけは大脳生理学を持ってきて、脳の働きが一番盛んなのはこの時期であるというようなことを言う。このような根拠があるということを言われると、大体の人は反論できなくなってしまう。ニューロンとかシナプスの話をされても奥様達には理解できる人はそれほど多くはないだろうから、これに参ってしまう。

確かに脳の働きの曲線を見てみると2歳からグーンと上がってきて7歳から8歳までがピ-クになっているけれども、そのまま何年も続くけれども人によっては下降曲線になる人もいるし、上昇曲線にもなる。能の使い方には使えば使うほどよくなるという説もある。しかも2歳からの上昇曲線は、私が思うのにはドリルをやらせたり学校のまねごとをさせるために上昇するのではなく、これから生きていくためのスキルを学んでいくといったものであるのではないかと思っている。何よりも人間としての感性を磨かなくてはならないだろう。『感じる力』を素晴らしい土壌に植え付けることが何よりも大切だ。小学校低学年も同じことだ。これから京都へ行ってくる。

脱穀

今日は第二幼稚園で3歳児に運動会があった。私はいつものように、ごく普通の顔をしていても保護者の前に出るときには『もっとにこやかに』とか言われる。これは女房だけに言われるなら無視もできるが、最近では私の顔に慣れてきたのか、保育者までもが『もっと笑って』とかいうようになった。しかし今日は朝からそんなことを言う保育者はだれもいなかったし、女房も終始ニコニコ顔でああった。それはそうだろう。あの子たちの笑顔を見て『ブスッ!』としている大人はそうはいない。子どもの顔もそうだけれども、ご両親の顔も素晴らしかった。

みんなの顔がこぼれそうな笑顔で、至福を感じるひと時であった。それはそれでよかったけれども、昨日の初等学部の脱穀で、ずっと立ちつくしてやっていたもので、腰や足の筋肉が硬直してしまったのか痛くて仕方がなかった。やっているときには無理してやっているなどの意識は全くなくて、ちょっと疲れてきたら教師に代わるというようにしていたけれども、朝起きるときには這う様にして起きた。年寄りの痛みは、すぐにやってこないから用心しないと大変なことになる。それにしても初等学部の教諭たちと投光器を点けながらの脱穀だったけれども、よくやるなと思う。経験があるのは私と事務長だけなのに頑張った一日だった。


今の子どもたちは毎日白いご飯を食べているけれども、田植えをして稲穂が実ったあとのことは殆ど知らないと思う。籾摺りや玄米を白米にする精米などのことは知らない子の方が多いだろう。知らなくても現在の大学受験にはあまり関係がないかもしれないが、実はこれからの受験はそうはいかなくなるのではないかと思う。田植えから白米になるまでの過程を知っているということではなくて、その過程で起こる自分の心の動きが様々な科学の芽を育てることになるのだ。受験のためのドリルをいくら消化したところで、総合的な体験的学習には遠く及ばない。

愛おしきもの

第二幼稚園の1週間遅れの運動会があった。昨日の夜からと今日の朝方は18日にやった方が確実性が高いということで、日曜日にやろうとほぼ決めていたけれど、雨雲の予想通過を見てみると、かろうじてつくばの上は通らないだろうということでゴーサインを出した。1週間遅れだけでもがっかりしている子どもたちだし、お手伝いの6年生にしてもそれぞれに予定を組んでいるかもわからないし、お仕事をなさっているご両親にしても予定がくるってしまうことは極力避けたいという気持ちもあった。

子ども達にとっては雨だろうがなんだろうがやりたいときにはやりたいものだ。大人が駄目というから渋々承諾しなければならないだけの話である。子どもが生まれてから這い這いをし、立ったり座ったりするようになると、いよいよ歩き出す。「立てば歩めよの親ごころ」である。歩き出すと視野が広がり、手に触ったものについては口に持って行って確かめようとする。知識を得たいという原型の本能である探究心が働き出す。腕や足がプクプくしていて、まだ協応性がないから、動作がどうもおぼつかない。しかしどうにもたまんなく可愛い。これ以外に表現の仕方が分からない。

この頃の子は、ベビーシェマと言って顔のパーツがほぼ中央によっていて、黙っていても可愛い顔をしている。それが動き出すようになるから、ご両親や祖父母にとってはぬいぐるみでは表現できない可愛さをすべて持ち合わせているので、どうにもならないくらい可愛い。この時期ならわが子がどうしようが何をしようが、ありのままの姿をすべて抱擁し、寛容に育児ができることでしょう。この気持ちを忘れずにいてほしいものだ。愛おしいもの、それは子どもたちの笑顔だろう。

子どもは育てたようにしか育たないと思うほうが正しいと思う。奇跡は起こらないとみるべきだろう。これからも保護者の皆様とスクラムを組んで子育てに邁進してまいりましょう。今日は子どもの顔と、大人の顔の両方にとても癒された一日でした。お父様方も、朝から駐車場の整理をありがとうございました。とても助かりました。

なんでも計画的に

計画というのは見通しを持つということだから、こうなるはずだという予測を持って出発するのが普通で、どうなるか分からないのは、多分計画とは言わないのだろう。思いつきで動くというのがあるけれど、この『思いつき』というのはうまくいかない場合は周りからヒンシュクを買うけれど、これが当たった時には創造力の豊かな人であるという、おほめの言葉を戴くことになる。幼稚園の行事や運動会の種目、あるいは劇遊びのシチュエイションなどは特にこの突発的な創造力がものをいうときがままある。ねらいは子ども達がどのように食いついてくるかであるけれども、こんなことを考えていると時間を忘れる。

だから『発見』や『発明』には計画性はない。きっかけは思いつきだから、『思いつき』や『ひらめき』をもっと大切にしてやりたい。田んぼを借りたのは思いつきではなく、こうするのだ、ああしたいのだというものはあったけれども、600坪というのが大きすぎた。最初から分かっていた大きさだけれども全部を使うことではなくその中の半分ぐらいと考えていたけれど、水を引くのにそうはいかないということで、借りた分だけ田植えをすることにした。当然あれだけの大きさは私たちの手に負えないので、事務長のお父様に機械を入れてもらって、田植えまで手伝って戴いた。

稲刈りが終わってオダカケをしてある分の稲はこれから脱穀をしなければならないが、あれやこれやと行事や活動が入っていてどうも脱穀まで手が回らないようだ。脱穀用の竹細工はいくつか出来たようだが、自費で脱穀機を買ってしまった。これさえあれば私と事務長とでできる。その間に見物に来た子どもたちにやらせればよいと思っている。やりたがればの話だけれども。これも不確実性の無計画の中の計画である。

初等学部では初めてファミリア活動を観てもらおうと参観日を設けた。最初のころは教師も子どもたちも戸惑うところが見えたけれども、今では高学年と低学年のペアがうまく行っていて、それらが低学年の学習になっているし、高学年はファミリアの活動そのものに理解を深めたいという意欲が出て来たので、これが学習意欲につながっていくことを強く願っている。学習のためにファミリアがあるのではなく、学習そのものが生きるためのスキルであることに気づいてくれれば、もっと面白くなる

幼稚園は遠足の日

幼稚園は大洗水族館へ遠足の予定であったけれども、延期の決定をした。この雨だとバスの乗り降りでバスまで歩く親子では大変だ。雨で視界が悪いし、事故でもあったら大変なことになる。大体事故というのは油断してなることもあるけれども、細心の注意をしていても起きるときには起きてしまう。不運としか言いようがない時もある。それが自分のところで起きてしまっては泣くにも泣けない。『君子危うきに近寄らず』がよいけれど、『虎穴に入らずんば虎児を得ず』という諺もあるから、判断する場合の深い思慮が大切だ。たかだか遠足のことでと思うことなかれ、総合的に判断すれば今日は延期にしたことはベストである。

親子で食べる昼食についても、1000人近い人たちが一堂に食べられる屋根のあるところはなく、いつも外のデッキのところで食べるので、雨が降っていたのではその場所は使えない。一番肝心な子どもたちのことだけれども、残念がっている様子もなく、私が行ったときにはこちらから言い出さないと遠足の話は出て来なかった。子どもたちの柔軟な対応によって、次の新しい楽しいものを探し出す力に改めて感心する。残念なのは残念だと思う。お母さんと一緒に出かけられるなんて、本当に楽しみにしていたものだ。この次にいっぱい楽しんできてほしい。

初等学部では、5・6年生を中心にして集会委員会でアンケート調査から議題にして欲しい物を選んで、全校集会で決定することを楽しんでいる。『楽しんでいる』という言い方ではよくないけれど、そんな気がする。今回はスキーに行くか行かないかということが議題になったが、これは例年3年生から上の子たちの話だから、1・2年生には直接関係ないが、その話の行く末をじっと聞いている。彼らが決定したことは最大限尊重はするが、お金のかかることを経済力のない彼らが勝手にきめてしまってもよいものなのか。今度はそのことを議論していただきたいものだ。

歴史認識の歪曲だって?

よく韓国や中国共産党が好んで日本向けに発する政治的用語だ。中国共産党とは何度もここで書いているけれど、日本陸軍とは戦っていない。日本陸軍と正面切って戦ったのは蒋介石率いる国民党である。韓国は一緒に連合国側と戦ったのに、対日戦争というのは当てはまらないから、日本からの独立であろう。ロシアなどはまだひどい。日本の広島に原爆が投下されたのち、長崎に原爆が投下された8月9日に、日ソ不可侵条約を一方的に破って満州に攻め入ってきたのだ。そのあとは満州に残された日本兵はシベリアに抑留されてひどい目にあった。兵隊だけではない、民間人まで蹂躙されたのだ。

そして日本が降伏してから、戦わずして北方四島に入ってきて武装解除してしまったのだ。だから日本人は、中国にもソ連とも戦った気がしないのに負けてしまったのだ。ソ連は酷寒のシベリアに日本兵を連れて行って、鉄道建設や住宅建設に従事させたが、日本兵が作った住宅などは丈夫で今も残っているらしい。敗戦国の日本だから、今さら何を言っても原状復帰は難しいだろうけれど、北方四島などは泥棒に持っていかれたようなものだから悔しい。中国も韓国も歴史を歪曲しているのは、あなたたちではないのか。公文書図書館や、かつて日本と戦った国民党が台湾にいるからよく話を聞いてみるとよい。もっとも彼らは、内政がうまくいかないと、国民の注意を日本に向けさせるという手段を使っているだけだけれど。

中国は天津の爆発について、今も毒ガスを作っていたとは言っていないけれども、あそこから出てくる化学物質を集めてみると、さまざまな毒ガスができるらしい。世界で禁じられている化学兵器までできる。国連の調査団を入れたらすぐにわかるものを、中国はそれを拒んでいる。中国も韓国も内政がしっかりしていれば、反日にはなるまいものを。その話はこれくらいにして、何とも憂鬱な今日の雨だ。

晴れやかな日

朝のうちは少し雨上がりのようなどんよりとした雲があったけれども、午後からは2週間ぶりぐらいだろうか、晴れやかな日差しが戻ってきた。日差しには焼けつきそうな強さがあるけれど、曇りよりはすっきりする。田んぼの稲穂もこの日差しを待ちわびていたのだろう、黄金色に光って何か誇らしげに風に揺れている。昨日あたりから、あちこちでコンバインによる稲刈りが始まったようだ。学校の周りや、幼稚園の周りでも稲刈りが始まっている。初等学部の田んぼは、普段の人たちよりも1カ月も遅く田植えをしたから、ゆっくりでいい。子どもたちとゆっくり話し合いながらやろうと思っている。

旭山動物園の園長をしていた小菅正夫さんて言う人の名を覚えていらっしゃる方も大勢いると思いますが、この人が園長になった翌年には旭山動物園創立以来の最低入場者数を記録したそうだ。この人が園長になったからという理由ではなくて、動物園そのものが斜陽であった時の話で、しかも旭川と言えば日本ではマイナス40度以下を記録した酷寒の地である。そこで10年後には、入場者数300万人を超える上野動物園と肩を並べる動物園に仕上げてしまった。これは何もマネジメントを考えて、寝る時間を割いて、懸命に経営に乗り出したなどという出世物語ではないのが、この人の偉大さだと思う。

それはどうしたかと言うと、動物たちの生態をそのまま見せるというもので、夜行性のある動物は夜にみせる。その生態に合わせることによって、動物を虐待から守り自然との調和を図ると言ったことを動物園から発信したことがすごいことなのだ。札幌に生まれた小菅さんは、春はサンショウオ、夏はセミ、秋はバッタを求めて過ごし、捕まえた生き物を一生懸命育てる様な子ども時代を過ごしたらしい。北海道大学の獣医学部を出たのは子ども時代の延長のようなもので、また救えなかった小動物に対して、もっと生きてほしかったという思いがあって獣医学部を選んだとも言っている。幼少期の延長というのは、確かにインパクトがある。

初等学部でもフロー教育を進めるためにファミリア活動を取り入れているけれども、夢中になったものから不思議を発見し、それを追求できるような集中力を蓄えてほしいと願っている。小さい時から道具等を使っているのだから、道具の便利さを体験でき、そのメカニックについて不思議を感じたり、てこの応用や、上下運動が何故回転運動に変わって行くのか、その部品や道具を発見した人に敬意を払うとか、よい方向へ連鎖してほしいものだ。幼稚園では特に『感じる』ことをたくさん日常の生活にちりばめることを話し合っている。これからも保育力を高めてほしい。